第20話 千堂香織の章 その7

ーそう言って、手に持っていた本を渡してきた。新刊の方のタイトルが『鷹の目』で、その前のが『弥生が丘』、今までの感じから両方ホラー作品な気がする。


 この人、藍染さんが書く作品のジャンルはホラーかミステリーが主で、たまーにSFや恋愛ものを書いている。ホラーの方は大体、幽霊や怪奇現象のものではなくて人の内面の怖さを書いた作品で、ミステリーは何気ないところから事件に繋がっていくものだ。恋愛ものは確か三冊だけ出ていて、どろどろした関係の男女の話ばかりだったはず。結構な冊数を読んでいるし、なんならほとんど家に置いておいてなんだけど、思春期に読むような作品ではない気がする。好きではあるけど、周りの人に進めにくいものばかりだ。


 棚にある本のタイトルを見てみるけど、家にあるかどうか思い出せない。とりあえずこの二冊だけ買っていくことにしよう。レジでは店長さんが本の整理をしている。


「すみません、これください」


 手に持っていた本を渡す。


「はいよ。他のは買ってかなくて良いのかい?」


「買ったか覚えてないのと、ちょっとお財布が厳しいので…」


 パンケーキがここで効いてくるとは思わなかった。次のお小遣いまで買いに来れなくなってしまった。


「そうかい。まあ、また買いに来てくれよな。他に客もほっとんど来なくってな、こんだけ暇だとぼけちまうからな」


 そう言って、店長さんは笑う。開いた口の隙間から金歯が目立つ。前は入れ歯じゃなかった気がするし、髪もなんだか薄くなっているような気がする。私が来なかった間にも、ここはちゃんと時が動いてるのだと、当たり前の事だけどそう思った。


 書店を出て家に向かう。速く帰って本が読みたい。雨に濡れないようにバックに本をいれたのだけど、折れたりしてないか心配だ。

 揚げ物のいい匂いがしてくる。夕飯前だからか、揚げたてのを作っている。お腹が空いてしまったけど、結局吐くので買わないでおいた。


 家に帰ると、珍しく母はいなかった。きっと、母の言う友達と出掛けているのだろう。買ったブランド物でも自慢しているに違いない。母の自慢話は長いくせに中身がないから、聞かされる方は退屈だろう。同情を禁じ得ない。…いや、母なんかと仲良くしている、もしくはしなきゃいけないような人なのだから同情するだけ無駄か。


 誰もいないというのに、急いで自分の部屋に向かって、楽な格好に着替えた。本を取り出す。改めて表紙を見ると、相変わらずなんとも言えない表紙だ。不思議な模様の渦というか、穴というか…そんな表紙だ。特に順番とかはないだろうけど、先に出た本らしいので、『弥生が丘』を先に読むことにした。


 内容としては、予想通りホラーだったけど…、いつもと違ってちゃんと解決しているというか前に進んでいくような内容だった。余計な心配だろうけど、藍染さんに何かあったのだろうか。たまにはこういうのも良いだろう、というのだけだと思うけど少し気になる。


 もう一冊を読もうとしたところで、下から足音が聞こえた。母が帰って来てしまったらしい。一生帰ってこなくて良かったのに。


「ただいまー。香織ちゃーん、いるのー?」


 こっちに来ているみたいで、声が大きくなってきた。急いで本を隠して、参考書を開いた。扉が開く。


「あら、いるんじゃないの。勉強するのも良いけど、ちゃんと返事して頂戴」


「おかえりなさい、お母さん。ごめんなさい」


「別に怒ってるわけじゃないから良いのよ。ご飯が出来たら呼ぶから続けて頂戴」


「うん…」


 私が勉強をしていたのだと思って、上機嫌で下に戻っていった。


 危なかった。ばれたらきっと、買ってきた本どころかいままでのも全部捨てられていただろうし、はたかれていただろう。あまり暴力らしい暴力はされないにしても、本が捨てられるのは勘弁して欲しい。


 読み終わった方の本を本棚に置いた。母は、どうせ私ではなく私の出す結果にしか興味がないから、こうやって本棚に飾っておけば数冊増えたところで気づきはしないだろう。母は夕飯の準備をしている間は、こっちには来ないし、もう一冊はご飯までに読めるところまで読んでしまおう。


『鷹の目』を半分くらいまで読んだところで、下から呼ばれた。こっちは予想が外れて、ホラーではなくミステリーだった。目と記憶力の良い男性が主人公の作品で、知り合いの料理店にいったところで殺人事件が起きて、それを解決する作品みたい。せっかく盛り上がってきたところで呼ばれたので、気分が台無しだ。


 今日の晩御飯もおよそ食べ物とは言えない感じで、いつも通り吐いた。最近は不味さだけじゃなく、母が嫌いだから吐いているのではと思えてきた。栄養がとれてないせいでこんなことを考えてしまうのだろうか。…非常に癪だけど、我慢してでも少しはちゃんと食べた方がいいかもしれない。倒れでもしたら、それこそ母がめんどくさそうだし。


 部屋に戻ってからは、ばれないように読み進めた。まさか、小麦粉がこんな使われ方をするなんて! とか、この人が犯人なの!? とか驚きが多くて、やっぱり面白かった。…読み終わってしまったので勉強することにした。明日は土曜日なので、今日に両方とも読まなければ良かったなとちょっと後悔した。明日は午前中に学校があるけど、日曜日は一日中勉強しなければならないから暇だろうし。


 時間になったので、寝る準備をする。少し下着のサイズが合わなくなってきたので、母に言って買いに行かないと。そう言えば、もらった資料を読んでいなかった。…まあ、関係ないとは言っていたので、日曜日にでも読んでおけばいいかな。


 雨の音がする。当たり前だ、降っているんだから。いつまで降るんだろう。『止まない雨はない』なんて誰が言い出したのか知らないけど、いつになったら止むのか。


 眠くなってきた。まぶたが閉じていく。このまま寝たら死ねないだろうか。







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