第6話 小此木沙絵の章 その3
ー頭の中は既に真っ白になっていた。何かしゃべるべきなのだろうか。でも、何を?どんな顔をして?
「小此木さん、大丈夫? 顔赤いけど」
「え、ええ、大丈夫。さっきまで練習してて暑いだけだから。心配しないで」
「そっか。それなら良かった」
そう言って、彼は用具室に向かっていく。なんとか、落ち着いて返事をすることができたけど、少し冷たい言い方になってしまった気がする。それにしても心配してくれるなんて、彼は本当に優しい。ああいう優しいところも好きなのだと、改めて思う。まだ伝える勇気はでないけど、いつか必ずこの気持ちを伝えたい。
そう言えば、彼は何をしに来たのだろう。別に、堂々と中に入れば良いのはわかっているけど、やっぱりなんか恥ずかしいから、こっそりと用具室を覗くことにした。どうやら、ボールの空気の様子を見ているみたい。へこませたり、叩いたりしている。やっぱり優しいなぁ。
そう思って見ていたのだけど、体重をかけてしまって扉が勢いよく開いてしまった。音に気づいて、彼が後ろを向いた。もちろん、今彼の後ろには彼を見ていた私がいるわけで…、目が合ってしまった。彼の瞳が私を真っ直ぐ見つめている。
思わず扉を閉める。すごい音がした。見ていた、というか覗いていたことが絶対ばれた。どうしよう。何か言い訳を考えなければ。…そうだ!とりあえず事情をそのまま説明しよう。気になったから覗いていただけだと言おう。不審がられるだろうけど、それ以上に何かを聞かれたりはしないはず!
あたふたしてもしょうがないので、もう一度扉を開けて事情を説明しようとした時、中から声をかれられた。
「えっと、小此木さん? 入ってきて大丈夫だよ?」
「え? ああ、うん。」
間抜けな声が出てしまった。どうやら彼は、私が用具室に入ろうとして来たのを、邪魔してしまったと思っているみたいだ。助かったぁ。そう思い、彼の勘違いにのっかることにする。
「あの、何をしてるの?」
「前の体育の時に使ったボールがへこんでたんだ。だから、どれか見つけて先生に言おうと思って」
「そ、そうなんだ。でも、こんなに早く来なくても良かったんじゃない?」
また、冷たい感じで返事をしてしまった。どうも、彼に対しては明るく返事ができないみたいだ。
「まあ、そうなんだけどね。お昼も食べて、暇だったっていうのもあるから」
「そ、そっか…。じゃあ、私も手伝うよ」
…は? 思わず、そう答えていた。手伝えば、彼からの好感度を稼げるから?それとも、もっと話をしたいから?
「え、本当? ありがとう。小此木さん」
お礼を言われてしまったので、とりあえず手伝うことにした。彼の隣に座る。
「じゃあ、こっちをお願い」
「うん…」
彼からボールを受けとる。少し、手が触れてしまった。平熱のはずなのに、すごく熱く感じた。
頼まれたボールを調べているけど、なかなか集中できない。誰もいないほぼ密室の空間に、二人で並んで座っている。すごくドキドキする。心臓の鼓動が聞こえてきそうなくらい、ドキドキしている。
「あ、あった」
私が、残り2つになったボールを調べている時に、彼が言った。
「ほ、本当に?」
「うん。ここがほら」
そう言って彼が、ボールがへこんでいる様子を見せてくる。終わってしまった。終わってほっとした気持ちと、終ってしまってがっかりしている気持ちがある。もう少し二人きりでいたかった。立ち上がろうとした時、足元に転がったままだったボールに足を滑らせてしまった。倒れそうになったところを、彼が支えてくれた。
「小此木さん、大丈夫? 足捻ったりとかしてない?」
また、心配されてしまった。彼の顔がすごく近い。あり得ないのはわかっているけど、私の心臓の音が彼に聞こえていないか心配になった。
「だ、大丈夫よ」
そう言って、体勢を直しながら彼から離れる。彼の体温を感じれなくなってしまった。
別の意味で体によくなかった。そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼はなんでもないように、
「じゃあ、僕は先生のところに行ってくるよ。ありがとう、小此木さん」
そう言って、職員室に向かってしまった。
そろそろ授業が始まる時間になるというのに、すごくあっという間に感じた。
授業が始まってからのことは、あまり覚えていない。さっきのことを思い出してぼーっとしてしまって、何回か得点されてしまった。
気づいたら放課後になっていて、自分の席に座っていた。6時限目は何をやったんだっけ。全く思い出せない。後で香織ちゃんに教えてもらわなければ。…あれ、そういえば香織ちゃんはどこに行ったのだろう。そこまで考えて、そういえば佐々木さんと香織ちゃんと一緒にパンケーキを食べに行く約束をしていたのを思い出した。急いで校門に向かった。
校門には既に二人ともいて、走ってくる私に気づいたらしく、手を振りながら、
「沙絵ちゃん、遅いよー!」
と言われてしまった。
「ごめん!」
二人のところに着いてそう言いながら、二人と一緒に歩き出す。お店の場所はどうやら商店街の方みたいで、歩いていくたびに周りの人が増えていった。商店街を抜けて、結構歩いたはずれの場所にあった。
お店の前に着いた。てっきり、新しいパンケーキ屋さんが出来たのだと思っていたけど、そのお店は喫茶店だった。外装はアンティークという感じで、少し古い様式のように感じたけど、塗装は綺麗にされていて、ガラスも綺麗だった。前に何かに使っていた建物を改装したお店なのだと思う。ショーケースには、よくわからない置物と古そうな置き時計が飾ってあった。置き時計はしっかりと時を刻んでいて、カチッカチッと音が聞こえた。
傘を畳み、覚悟を決めてお店に入った。お店はなかなかの広さがあるのに対して、あまりお客さんはいなかった。入り口から一番近い窓際の席に座った。まだ、日は高くのぼっている。
メニューを開くと、最初のページにパンケーキが載っていた。お店の雰囲気に合わない可愛い文字やフォントで、紹介されている。他のページには喫茶店らしく、サンドイッチやコーヒーなんかの軽食や、ナポリタンなどが載っていた。どれも気になるけど、今日はパンケーキを食べに来たので、ページを戻る。パンケーキは、三種類の味のリコッタパンケーキらしい。確かふわふわの生地のものだったはず。
二人はもう決まったらしく、メニューを閉じていた。イチゴ味に、オレンジ味に、ブルーベリー味があり、どれにするか悩んだ。決まったところで店員さんを呼んだ。出てきたのはモーニングコートを着た髭の生えた男の人だった。おじいちゃんくらいの年齢な気がする。
「ご注文はお決まりですか?」
優しげな声でそう聞いてきた。
「えっとー、私がオレンジので。あー、あとコーヒーを一つ。沙絵ちゃんは?」
「私は、イチゴ味で。あと、カフェオレを」
「じゃあ、私は、この期間限定のやつで、コーヒーをください。」
香織ちゃんがメニューを指さしながら、そう言った。他のに気を取られていて、期間限定のメニューに気がつかなかった。
「確認させて頂きます。イチゴ味、オレンジ味、期間限定のものがそれぞれ一点と、コーヒーが二杯、カフェオレが一杯でお間違いないでしょうか?」
「はーい」
「かしこまりました。少々お待ち下さい」
店員さんは、厨房に戻っていった。
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