第5話 小此木沙絵の章 その2
─とりあえず、去年やらなかった事で、簡単なものが良いかな?
「お化け屋敷とか、どうかな? 文化祭の定番な感じだし」
「ああ! いいね、それ。他には?」
「他、他かぁ」
そんなにアイデアを求められても、咄嗟に出てくる訳じゃないんだけど。というか、どうせ多数決とかで決める時に、誰かが『◯◯をやりたい』って言うと思うから、そんなに私に聞く必要はない気がする。まあ、役に立てるならいいか。
「去年もやったけど、また屋台をやるとかかな」
「許可が取れるかわからないけど、それもいいね」
あとは考えたけど、特にこれというものが思い浮かばなかった。きっと、明日か明後日の池澤先生が担当の授業で話し合いになると思う。それまでに、もっと良いものがないか考えておかなきゃ。
「文化祭で何をやるかは、明日の化学の時間を使って決めるからな。よく考えとけよー」
そう言って、池澤先生は出ていった。ホームルームが終わったので、授業の準備をしないと。壁に貼られている時間票を見る。1時限目は…現代文だ。教科書もノートもちゃんとある。
ふと気になって、彼の方を見てみる。準備はしてあるみたいだけど、眠たそうにしている。眠たそうにしているところもすごくかわいい。
そんな事を思っていると、現代文の田中先生がやってきて、少し音割れしているチャイムが鳴った。
1時限目、現代文。
「…で、あるからして…」
今、先生が読んでいるのは、痴情のもつれがどうこうという恋愛ものだ。高校生にやらせる内容とは思えない。
「そして、この時作者は…」
田中先生は一文読むたびに、作者はここを書いているときこう思っていた、みたいな話をいれてくる。正直、知識としても雑談としても面白くないので、眠らせてくる魔法の呪文にしか感じない。彼の方を見てみる。完全に寝てしまったらしい。船を漕いでいる。私は眠らないように、ノートの端に落書きをする。すずめのような鳥を書いていたら、チャイムが鳴って授業が終わった。
また、彼の方を見てみる。一時限目だというのに眠ってしまっていたのを、友達の孝幸君に起こされていた。ノートも取っていなかったようで、貸してくれるように頼んでいるみたい。孝幸君がノートで彼の頭をはたき、『しょうがねえなぁ』とでも言いたげに、渡していた。
良いなぁ。私もあんな風に気兼ねなく話せたら…そんな事を思った。
「沙絵ちゃん、沙絵ちゃん」
後ろから声をかけられる。振り向くと、佐々木さんが雑誌を手に立っていた。
佐々木さんは、背も高くて、足もすらっとしていて、髪も目も綺麗な美人さんだ。雑誌のモデルをしていてもおかしくないくらい綺麗だ。いつ見ても、すごく羨ましい。
「今、香織ちゃんと話してたんだけど、放課後にパンケーキ食べに行かない?」
「パンケーキ?」
「あれ、知らない? 最近、新しくお店ができたらしくて、すごく美味しいんだって! だから、食べに行こうよ。」
「そうなんだ…。うん、じゃあ行こっか。」
「じゃあ放課後、校門に待ち合わせね!」
そう言って、自分の席に戻っていった。
やっぱりさすがだと思った。佐々木さんは人柄も良くて、交友関係も広いから、ああいう話もよく耳に入ってくるみたいだ。流行にも敏感だし。神が二物を与えるって、ああいう人の事をいうんだろうなぁ。
…そういえば、行くって言っちゃったけど、お小遣い足りるかな?あ、でもこの前、伯父さんにもらった分もあるしなんとかなるよね。どのくらい美味しいのか楽しみだ。
そんな事を思っている内に、またチャイムが鳴った。
2時限目、数学。
「…で、あるからして…」
山田先生がなんか記号がたくさんある式について、説明していた気がする。難しくて内容が頭に入ってこなかった。彼は、さっきとはうって変わってしっかり聞いていた。
3時限目、英語。
「…で、あるからして…」
新しい文法が出てくる章に入った。I will~ とかそんなやつ。willの否定形がなんでwon'tになるのかなんて分からない。彼は、ノートに次の授業の予習をやっているみたい。
4時限目、歴史。
「…で、あるからして…」
江戸時代についての内容だった。中学の時にも少しやったけど、歴代将軍の名前が似たようなのばかりで覚えづらい。ここは後で香織ちゃんに聞こう。彼は、右隣のひろし君と話していた。漢字じゃなく、ひらがなでひろしという名前なのは、珍しい気がする。
なんだか、あっという間にお昼になってしまった。5時限目は体育だし、購買に行くのはやめておこう。パンケーキもあるし!
それにしても、お昼の後に、体育をいれるのはやめて欲しい。男子はよく、食べた後に運動しても大丈夫よね。私はお腹が痛くなるので、食べないようにしているっていうのに。
食べないのに教室にいても仕方ないので、体操着を持って、更衣室に向かった。扉を開けると、汗と消臭スプレーの混じったような臭いがする。私はあまり汗をかかないので、スプレーの類いは持ってきていないけど、気になる子はとことん気になるらしく、結構かけている子が多い。なので、部屋の中は必然的にこんなにおいになるのだ。
お世辞にも長く嗅いでいたいとは言えないので、素早く着替えて体育館に向かった。今日は、男子がドッチボールで、女子がバレーだ。
ただ待つのも暇だし、準備をして練習することにした。体育館全体の電気を点けて、道具のある部屋に入る。ネットをかける棒を運ばないとなのだけど、なかなか重たい。床の金属の蓋(名前が分からない)を開いて、さす。思わず「ふぅ」と声が漏れた。もう一本も同じように床にさし、ネットをつける。用具室からボールのかごを持ってきて床に置き、ボールを一つ持つ。ネットの近くの側だとアタックなどで忙しいので、レシーブの練習をする事にした。誰もいないので、ネットの向こうまで自分で取りに行かないと行けないのが大変だ。やり方が良くないのかもしれないけど、少し腕が痛くなってきた。
あとは始まるまで待っていようと電気を消し、ステージのところに座る。少しお尻がひんやりとした。他に誰もいないので、体育館の中を雨の音が響いている。さっきまで動いていたので気にならなかったけど、夏も目前だというのにちょっと肌寒い。あまり綺麗じゃないステージに寝転がる。ジャージだからあまり汚れも目立たないはずだ。目を閉じる。静かなので、少し眠たくなってきた。
そんな時、体育館の扉が空いた音がした。誰かが来たみたい。遠くて分かりにくいけど、身長的に男子だと思う。電気が点けられたので起き上がり、近づいてくるのを見まもる。数歩近づいてきたところで、顔が分かった。彼だ。なんでこんなに早く、ここに来たのだろう。訳が分からないけどなんだか、すごく恥ずかしくなってきた。隠れたい。どこに?
そんな事を考えていると、彼から声をかけられた。
「あれ、小此木さん?」
「ど、どうも。金子くん」
頭の中は既に真っ白になっていた。
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