第2話 椅子職人のタツ・ロックウッド
「邪魔するぜ、靴屋の旦那」
初夏のある日、硝子製のベルの涼やかな音が鳴り響く。昼過ぎにザックの靴屋を訪れたのは、顔馴染みの椅子職人のタツだった。着古した緑の作業着を着ている。
「お久しぶりです、タツ様」
2ヶ月ぶりに靴屋を訪れたタツは、ほとほと困り果てたといった様子だった。普段の朗らかなタツはどこへ行ってしまったのかと勘案する。
「来月の今頃、どこぞの金持ちが俺の椅子を買いに来るって予約が入ったんだけどよ、そいつがどうやら服装に拘りまくるタイプらしくて」
おおよそ自分の店を訪れる予定の客に対する口調ではない。タツは職人気質で、丁寧な接客はどうしても苦手だ。ついガサツな部分が出てしまう。
だがこれでタツが困っている理由が分かった。服装に拘る客が来ることに参ってしまっているのだ。
「それらしい礼服はお持ちですか?」
椅子作り一筋30年、作業着と寝巻きを着回しているタツが、礼服の類など持っているはずがない。そう踏みつつ一応尋ねると、予想外に前向きな回答が返ってきた。
「そのお客人はこの国に来んのも初めてらしくてよ、伝統の衣装は珍しかろうと思ってうちにあんのを着るつもりだよ」
昔からディラに住む家系に代々伝わる伝統衣装。宝石その他装飾品で飾り立てた煌びやかな外套だ。さすがは宝石の街と言ったところか。タツは家業として椅子職人を継いでおり、彼で3代目になる。
ザックはタツの考えに深く頷く。
「なるほど、それは素晴らしい」
暗く落ち込んでいたタツの表情が少し明るくなる。
「では一度その外套をお持ちの上でご来店頂けますか?よく似合う靴をお作り致しましょう」
「マジかよ、最高だな!」
ひゅう、と短く口笛を吹く。悩みの種が解決して、普段の明朗なタツが戻ってきた。
ふと顔を上げ、きょろきょろと店内を見渡す。
「ところでよ、姉ちゃんはどこ行ったんだ」
姉ちゃん?とザックは首を傾げる。ザックに姉はいない。というかまず家族がいない。
「ほらあのー、なんつったか、綺麗な目の」
「ああ、ネヴァのことですか」
あーそうそう、と指を鳴らすタツ。たしかに「ネヴァ」というのは変わった響きの名前ではあるが、タツは特に人の名前を覚えるのが苦手だ。
「本日はネヴァは山の村の方へ遊びに行っておりまして」
ザックの言葉に分かりやすく落胆するタツ。はて、タツはネヴァをそこまで気に入っていたのだろうか。
「ネヴァに何か御用でも?」
「いやぁ用事なんか、ただ目の保養だなぁと思って拝んでるだけで」
少し照れくさそうに弁明するタツに溜息を吐く。
「外見にしか興味がないから名前を覚えられない、ということですか」
ギク、と肩を揺らすのを見て、ザックは自分の仮説に確信を持つ。タツは良くも悪くも正直だ。
「うちの従業員を邪な目で見ないでいただきたい」
「なんっ、よこしま!?見てねえよ!」
ザックがわざとらしくジト目を作って言えばこの慌てようだ。黒確定である。
「まあ正直言って私の知ったことではないと言いますか、」
ザックの含みを持たせた言い方に、タツは吊り上がった眉を顰める。ザックが何を言いたいのか分からない。
「本人の逆鱗に触れることさえしなければ私は何もしませんよ。ネヴァは自衛のできる強い子ですからね」
タツはネヴァの姿を思い浮かべる。細くて白い腕と脚、整った顔立ち、ストロベリーブロンドの美しい髪、珍しい色の目。身長こそあれど、あの華奢な女性が「自衛」?
「自衛ったって、例えば俺だったらあんな細腕すぐに捻れちまうけどなぁ」
そんなことする気はないけど、と付け足すと、ザックは至極真面目な顔でこう言った。
「もし誰かがネヴァの逆鱗に触れたら、私がネヴァを止めます」
「……姉ちゃんを守るんじゃなくてか」
「ええ、あの子を守ってやる必要はありません。むしろ下手したら死人が出る」
その時のザックの瞳があまりに凪いでいて、タツは少し怖くなった。アンバーの瞳が底なし沼の如き闇に思えた。
そういえばタツは聞いたことがある。時折軋む音が聞こえるザックの左脚の話。かつては軍にいたが脚を負傷して引退したとか、それで今は左脚は義肢であるとか。ただの噂程度に捉えていたが、もしかすると本当の話かもしれない。
「タツ様」
ザックが節くれだった人差し指を立てて口元に当てる。相変わらず口元は笑っていない。真面目な顔で、冷静な態度で。アンバーの瞳は変わらずに凪いでいる。
どうやら無意識に左脚に視線が向いてしまっていたらしい。それを気取るザックの感覚の鋭さと言ったら。
「邪魔したなぁ、じゃあまた今度来るわ」
「ええ、お待ちしております」
初夏の昼下がり、硝子製のベルが涼やかに鳴る。陽気な街の暗い部分、影になる部分が、この靴屋にもいくらか存在する。
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