Isaac Thompson の小さな靴屋
互野 おどろ
第1話 常連のアメリア・ハスラー
ねえ、知ってるかい?とある靴屋の物語を。
ここは宝石の街『ディラ』。世界有数の鉱山の麓にあって、山の中腹あたりの村からはロープウェイが出ている。陽光が燦々と降り注ぐこの街は住む人もみんな明るくて、海に面しているため観光にも人気だ。そんな陽気な街で、小さな靴屋を営む男がいた。その名はアイザック・トンプソン。杖をついた初老の男だ。杖の理由は老化ではないのだが、それについてはまた今度話すとしよう。
硝子製のベルが鳴り、扉の隙から朝陽が差し込む。思わず目を細めると、お客の女性がクスクスと笑う。
「はぁい、いい朝ね」
店の主人のザックがカウンター越しに出迎える。
「レディ、よくぞお越しで」
群青の帽子の大きな鍔から覗く淡藤色の瞳が知的な印象を醸している。
「私に似合うハイヒール、作って下さらない?」
歌うようにオーダーを出すこちらの女性はアメリア・ハスラー、通称『レディ』。昔一度だけ「おばさん」と呼んだら素敵な笑顔で殴られた記憶がある。外見にそぐわずなかなかアグレッシブな人だ。その一件以来レディには年齢の話題は振らないことにしている。
「ええ、喜んで。今回は何に向けてでしょう?」
「来月1人で旅行に行くんだけどね、どうせならお洒落したいじゃない?」
「ええ」
「今回の旅先はシックな酒場で知られる街なのよ。だからそんなイメージでお願い」
レディは酒にめっぽう強いらしく、旅行先でその土地のものを飲むのが好きなんだそう。
「畏まりました。お色はどう致しましょうか」
「そうね、菫色のフィッシュテールスカートに合う物がいいわ。そこそこ歩き回れるやつね」
こんな抽象的なオーダーにもきちんと応えるのがザックの仕事だ。丁寧に、迅速に。ザックに勝る靴職人はそうそういないだろうと思う。レディは何度かこの店に来ているから足のサイズの情報は既にあるんだけど、もし何か不具合があるといけないからもう一度ザックが測る。どうやら誤差程度の違いしかなかったようで、計測はすぐに終わった。
「出来上がりましたらお電話を差し上げますので」
「ええ、楽しみにしてるわ」
最後まで歌うように踊るように、軽やかな身のこなしでレディは店を後にした。
レディが見えなくなるまで頭を下げていたザックが、不意に振り向いた。
「ただぼーっと見ていないで、採寸くらい貴女がやってくれても良かったでしょう」
一部始終を眺めていた私はネヴァ・ロア。この店の唯一の従業員だ。
「レディは私よりザックの方が好きじゃん」
「またそんな屁理屈を……働かない者に食わせる飯はありませんよ」
「は?それは狡いだろ職権濫用よくないぞ」
不服の意を唱えるが、ザックは聞く耳を持たずに早速レディの注文を紙に起こす。その横で私は、屁理屈じゃないんだけどなー、とひとりごちる。というのも、レディはザックのことを相当気に入っていて、店に私しかいないととてもがっかりするのだ。この間、酷い雨の日、ザックの脚が痛んで寝込んでいた日に「今日はザックいませんよ」と伝えた時の落胆ぶりは目も当てられないほどだった。その時オーダーしたかったものが本日の注文だったのだろう。
ザックはカウンター内の椅子に腰掛けると、キッチンの方を指し示して言う。
「ネヴァ、コーヒーを淹れて来てくれますか」
私も座ったまま、キッチンの方を見ずに答える。
「そう言うと思って今水沸かしてる」
表情には出さないがどこか悔しげなザック。レディの接客をしなかった私への軽い罰のつもりだったのだろうが、ふん、私の方が一枚上だったな。
親子ほどの年齢差がある私たちは、親子とも友人ともつかない関係で共生している。これはこれで居心地が良いけれど、もし無償の愛を注いでくれる親というものがいたのなら、と考えずにはいられない。物心がついた頃には親兄弟は死んでいて、食べ物も寝床も自分でどうにかするしかなかった。この陽気な街の影とも言える貧民街で生まれ育った私にはそれが全てだった。
不意に鳴り響いたドアベルの音で現実に引き戻される。
「あのー、友人の紹介で来たんですけどー」
2人揃って立ち上がる。
「いらっしゃいませ、お客様」
「いらっしゃい、イカしたお兄さん」
『ディラの小さな靴屋』、本日も営業中。
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