37.決戦
8月31日の最終上映が終了し、日付が変わり9月1日になった頃、僕は映画館の事務所のドアをノックした。中から哲也館長の返事がして、中へ入ると、当初の予想通り、部屋の中には彼しかいなかった。哲也館長と一対一で相対するために、誰もこの時間にあえて訪れたのだ。
哲也館長は、僕を見るなり嫌悪感満載の表情を浮かべた。
「何しに来たの?」
声は低く怒気がある。そりゃそうだろう。何日も無断欠勤したのだ。
「何日も無断で休んで、すいませんでした」
僕は素直に頭を下げた。10対0で僕が悪いのだから、当然の行動だ。
「頭を上げなよ。今更謝罪なんて」
僕が頭を上げると、哲也館長の視線がジロジロと僕の身体を見ていることに気付いた。訝し気な表情。最後に、僕が持ってきたキャンパスに目が止まる。
「もしかして、バイトを休んで、絵を描いてたの?」
僕の身体につく絵の具と、布に包まれたキャンパスを見て、推測したらしい。
「はい。哲也館長に見せるために、描きました」
「僕に?」
「はい」
返事をしてから、キャンパスを包んでいた布を解く。
哲也館長が息を呑むのがわかった。僕がどんな意図を持って、何が描かいたのか、完全に理解している気配があった。
哲也館長は、僕の絵を凝視しながら、数秒の硬直と沈黙のあと、自嘲気味に「くく」と笑った。
「だからどうした」
吹っ切れたような発言であった。言葉尻が微かに震えていた。
「こんな、理想の未来を見せられたって、そんなこと、わかっていることさ。僕が小百合の可能性を殺していることなんて、重々承知だ。承知の上で、僕は小百合を絶対的に安全な場所へ閉じ込めておくことを選択したんだ」
息が荒く、興奮していた。
「こんなの趣味が悪い。思い出の写真を愚弄するような、こんな絵……」
「嫌いなら、切り刻みましょうか」
僕はポケットからカッターナイフを取り出すと、刃を小百合の顔面に突き刺した。硬い音ともに、小百合の顔に、決定的な線が描かれる。
「は?」
呆然とする哲也館長を無視して、僕は追撃する。何度も、何度も、何度も。
縦に横に、幾度も小百合の顔面をぐちゃぐちゃに塗りつぶすように、カッターで切り刻む。ガリガリと削るような音が事務所内に響く。
蟻を指の腹で潰す時のような、トンボの羽をちぎる時のような、気持ちで刃を突き立てる。身体は躍動しているのに、心の奥底が氷のように冷えていく。
顔面を切り傷でぐちゃぐちゃにしたら、今度は足の裏で思いっきり踏み潰した。頭蓋を砕くような勢いで踏み抜くと、ベコッと軽快な音を立てて、キャンバスに穴が開いた。
紙は破れ、木片が砕けた骨のように、突き出てる。
「なにをしている」
哲也館長が、そんなことを言った気がしたが、構わず続けた。今度は小百合の腹を踏み潰す。一発で穴を空けなかったので、より強く踏むと、成功した。コツを掴んだ僕は、3つ目の穴を空けた。
僕の描いた絵は、作品ではなく、もはや残骸になっていた。
作品から残骸に変わる過程は、活き活きと笑っていた人間が、殺されて、無残に白目を向いた死体に変わり果てるような無慈悲な変化であった。
僕の絵を、僕自ら殺したのだ。
「やめるんだ!」
哲也館長は僕の肩を強く掴み、絵から引き離した。
激しい運動により、僕は息を荒くし、汗までかいていた。
「僕がやったことは、貴方のやっていることと同じですよ」
「なに?」
「貴方は、小百合の未来を殺している」
「……だから、それを分かったうえで――」
「分かっていないですよ。小百合がどれだけ未来に絶望をしているのか、貴方は知らない。僕が描いた絵を観て、小百合は『こうだったらいいのにな』って言ったんですよ。彼女の気持ちを制してまで安全を守って、どうなるんです? それで、小百合は幸せなんですか?」
「だから、それはテクノロジーが……」
「遠隔操作では、限界がありますよ。ロボットの身体を借りて外へ出たところで、ご飯も食べれなければ、物にも触れることができない。体験には、程遠い。それで世の中を満喫できるわけがないでしょう。機械の発展を待ちますか? 仮に遠隔操作で五感を感じる未来が来たとしても、きっとそのころに小百合は老いてますよ」
哲也館長は、口をつぐんだ。
「僕が小百合の未来を踏みつけたとき、あなたは率直にどう思ったんですか? それが、答えなんじゃないですか?」
僕は一歩、哲也館長との距離を詰めた。
「まだ、遅くないはずです」
僕はポケットから折りたたまれた1枚の紙を取り出して、哲也館長へ差し出した。
「これは……?」
「小百合の書いた小説です。彼女の気持ちが、詰まっています」
ゆっくりとした動作で受け取ると、哲也館長は紙を広げ「価値ありロボット、価値なし人間」を読み始めた。短い文章だ。約1分後。上下に動いていた視線が止まる。
無言で俯いたままの哲也館長。瞳が揺れている。見えない心では、とめどなく濁流のように、あらゆる気持ちが渦巻いているのだろう。
「私は、間違っていたのだろうか」
不意に哲也館長はポツリと呟いた。
「まあ、間違っていたと思いますよ」
僕のハッキリした物言いに、哲也館長が笑う。疲れてはいるが、どこか肩の重荷を外したような笑みであった。
「容赦ないな」
「でも、僕が過ちを犯した時、小百合はこんなことを言ってくれました。『誠意』は本人だけが認知できる。だったら、唯一それを見ることができる貴方が、それを大事にしなさいって。彼女曰く、間違った行動だとしても『誠意』を尽くした行動であることに変わりはない。だから、自分を責めるなって」
哲也館長は、鼻をすすった。
「私の娘は、優しいな」
「世の中を知らないから、甘いだけだと思いますよ」
「……やはり、君は容赦がない」
哲也館長の言葉に、今度は僕が笑みを見せた。
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