34.完成

 午前3時。

 試行錯誤の上、ようやくアイデア出来上がる。ゴミ箱は失敗作の塊に溢れ、机の周りには消しゴミのカスが散乱している。

 これは、小百合のために描いた絵だが、哲也館長に見せるつもりで考えた。彼が小百合の未来を大事にするにはどのような気持ちになるべきか、と感情をシュミレートし、逆算して、現在、スケッチブックに描かれたアイデアへと至った。

 苦労したが、作品の域に到達するまで道はまだ長い。

 キャンパスへ下書きし、色を塗らなければならない。

 

 翌日。

 僕は映画館のバイトを無断でサボって美術室へ来ていた。

 もうバイトへ行くつもりはなかった。

 バイト期間は夏休みいっぱいで、その夏休みも残り5日程度。最後の数日を無断欠勤したって、映画館が受けるダメージは微々たるものだろう。

 鬼のように着信が来ていたが、すべてを無視して筆を握り、色をキャンパスへぶつける。

 白紙を色で染め上げていく。

 僕は、もはや絵を描くための存在になっていた。人と話す口も、移動するための脚も、絵を描く以外の全ての機能をオフにして、一心不乱に筆を振るう。

 より美しく、より伝わるように、観た人の心を支配すべく、最善を尽くす。


 気が付くと、僕は床に突っ伏していた。ダウンしたボクサーのように、床に倒れ込んでいる。手の平を床に置き、立ち上がろうと、腕に力を入れるが、身体が重く、うまく起き上がれない。

 突如、腹に穴が開いたような強烈な空腹感が襲う。どうやらエネルギー切れらしい。

 美術室であることはわかるが、今が何日の何時かもわからない。視界に映る教室は薄暗い。夕方だろうか。記憶が途切れている。絵は、どうなったのだろうか。

 再度、立ち上がろうと腕に力を入れる。グググ、とようやく身体が持ち上がり、寝そべっていた体をなんとか起き上がらせ、胡坐を掻いた状態へと体制を変える。

 僕の周りにはレジ袋やゴミが散乱している。コンビニで買ったおにぎりやパン、ゼリー状の栄養補助食の名残だ。ここで何日も過ごし、絵を描いた、らしい。

 ふと、イーゼルに立てかけられた作品が視界に入る。

 瞬間、胸の奥を締め付けるような痛み。痛覚のそれではない。情緒的な切なさだ。鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。

 僕は僕の作品を観て、素直に感動もした。

 窓から暖色の光が差し込んでくる。朝日に照らされた僕の絵は、キラキラ輝いているようで、とても美しかった。

 ――こんな絵を、僕は描けるのか。

 自分の偉業に、誇らしい気持ちが込み上げてくる。

 だがしかし、絵のクオリティが高いゆえに、僕は残念に思った。

 これを残せないのが、非常に惜しい。

 首型端末を起動する。時間を確認すると、夏休み最終日であった。時刻は5時半。美術室に籠ってから4日経っていた。いろんな人から着信が来ている。

 映画館から、親から、哲也館長から、千佐子から、大樹から、トモセンから。

 一番着信回数が多かったのは親からだ。録音された父のメッセージには怒ったような調子で「どこにいるんだ?」という、なんともウザったい内容が記録されていた。心配というより、苛立ちが勝ったような声に、やはり僕は彼らと相いれないな、と悟った気持ちになる。

 対照的に、トモセンのメッセージは穏やかであった。

 ――お前が美術室に籠って絵を描いているのは知ってる。親には言わないし、私がなんとかして、誰も寄せ付けないようにする。だから、思う存分に描きなさい。

 素直に、ありがたい、と思った。

 僕はすぐにトモセンに電話した。

『は、はえ……』

 しばらく待つと、寝ぼけたようなトモセンの声が返ってきた。彼女の声を聞いて、今が早朝で普通なら爆睡期間であることに気が付く。

「……がしだ……」

 ありがとうございました。と言うつもりが、喉が掠れて思うように声がでなかった。過労による疲れが原因だろう。咳払いをして、もう一度トライする。

「先生、ありがとうございました」

「……んあ? なに?」

 なんとも不機嫌な声であった。

「いや、美術室に籠る僕を黙認してくれて――」

「あぁ~~もう、急に電話とかやめてよね。心臓に悪い」

 通話が途切れる。

 うむ。タイミングが悪かった。自分の描いた作品が思う以上に高くて、舞い上がったせいで、相手の都合を無視した行動をしてしまった。

 トモセンへの感謝は、今度あらためて伝えよう。

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