33.価値ありロボット、価値なし人間

「そろそろ、お別れだね」

 時間はあっという間に過ぎた。とは言っても、日はまだ高い。

 小百合が操作するとロボットの稼働時間の問題だ。どうやら、最大稼働時間は5時間が限界らしく、彼女が家から出て、僕の家に着き、デートして、今に至るまで、既に3時間半ほど経過しているらしく、バッテリー残量は約40%。

 そろそろ帰らなければ、帰路の道半ばでバッテリー切れを起こしかねない。仮にロボットが、街中でバッテリー切れを起こせば、ロボットを家まで持ち帰らなければならない。

 ロボットの身体は金属だ。人間のそれを遥かに凌駕する。人の身で家に持ち帰るなんてかなりの重労働だ。

 さらに言えば、小百合そっくりに精巧に創られたロボットは、かなりの高級品だ。バッテリー切れを起こし、街中で放置し、仮に盗まれでもしたら。大きな損失だ。どちらにせよ、避けたい事態だろう。

 駅の改札口前で、僕は名残惜しい思いで、小百合と相対している。

「また家に行くよ」

「うん!」

 彼女は嬉しそうに顔をほころばせた。

 僕は手を差し出した。

「小説」

 僕は単語をこぼした。それだけで小百合は察したらしい。

「忘れてくれてもよかったのに」

 恥ずかしそうに頬をポリポリ掻く。

「読んでほしいのか、読んでほしくないのか、どっちなんだよ」

「どっちも。でも、6対4かな。6が読んでほしいの方」

 小百合は僕が差し出した右手を握る。握手の形だ。すると、首元に装着したフェイスが反応する。データを受け取ったらしい。

「短い文章だけど、でも、嫌だったり面倒だったりしたら、読まなくていいからね」

「読むよ」

「……うん」

 小百合は照れくさそうに頷く。

「帰りは信号をちゃんと確認しろよ」

「わかってるよ。子供じゃないんだから」

「赤信号は?」

「止まれ」

「青信号は?」

「進め」

「青信号が点滅したら?」

「急いで渡れ」

「違う。赤と一緒の止まれだ」

「む、わかってるよ。冗談だよ冗談」

 小百合は自分の間違いを誤魔化すように、焦るようにして手を振って「じゃあね」と別れを告げた。改札口を抜け、人ごみに消えていく彼女を僕はずっと見届けた。


 帰路の電車で、フェイス改め、エスパ専用の眼鏡を装着。さっそく僕は小百合からもらったテキストファイルと開く。ディスプレイ代わりの眼鏡のレンズに、文字が浮かび上がる。たしかに、小百合の言った通り、文章は短かった。短編にも満たない量だ。

 一体、どんな内容なのだろうか。

 ファイル名は「価値ありロボット、価値なし人間」であった。


 価値ありロボット、価値なし人間。


 病院で寝たきりの人がいました。彼女は小さい頃から病弱で、人生のほとんどを部屋の内側で暮らしてきました。そんな彼女は外の世界が知りたくて、ロボットの中に入りました。中に入ったとは、物理的にそのロボットに入ったわけではありません。ベッドから遠隔操作するのです。そのロボットはものすごく高性能で、外見は人にしか見えません。彼女はそのロボットの中に入り、学校に行きました。友達がたくさんできました。知らない世界を見た彼女はとてもとても満足しました。

 だが、幸せは続かない。

 彼女の容態が急に悪くなりました。生死の問題。遠隔操作する元気がなくなりました。ロボットはとても高性能です。遠隔操作できなくなれば、勝手に動きます。それも、遠隔操作していた彼女の癖や仕草などを完璧に模倣し、彼女が操作しなくても、彼女が操作しているような動きをしました。だから、周りの人間は彼女の存在に気づきませんでした。

 彼女は死にました。

 でも、ロボットは自動で動き続けました。

 ロボットは今日も、友達と一緒に笑っています。

 彼女は骨を燃やされ、この世から消えました。


                                      了

 ガタン、ゴトン。

 電車の走る音が聞こえる。電車が揺れると、身体も揺れる。

 小百合の小説は、小説というより、己の気持ちを代弁したかのような文章であった。

 たしかに、これは赤裸々すぎる。

 詩織の文章を読んだ僕は、なんというか心にポッカリト穴が開いた気分になった。

 あんなにニコニコしている彼女が、こんな重い感情を抱いていたことにショックを受けたし、上っ面の表情だけを信じ、彼女の悩みに気付けなかった自分が情けなくて、悔しい気持ちも込み上げてきた。強い力で歯噛みしてしまう。

 やはり、小百合は外に出るべきだ。

 電車に揺られながら、思考の海に潜る。小百合とのデートを経て、テクノロジーの限界を感じた。遠隔操作では無理がある。デートすら十分に満喫できなかったのだ。80年の人生を謳歌するなんて、無謀だ。

 漠然としていた駄目な部分が、今日一日を経て、具体的になった。

 これを一枚の絵で、哲也館長に伝えるだけだ。

 では、どのような絵を描けばいいのか?

「…………」

 答えはすぐに出ない。アイデアはやはり気分屋だ。簡単に顔を出してくれない。

 しかしながら、朝より歩を進んでる気がする。着実に答えに近づいている。

 電車を降りてから、帰路を辿る。帰宅して、自室に戻ると、僕は勉強机に向き合う。机には、朝と同じく白紙のスケッチブックが置かれていた。

 道すがら、ずっと考え続けたことにより、アイデアの断片が見えてきた。それをより具体的にするために、頭の中のビジュアルを鉛筆でスケッチに落とし込む。

 白紙のスケッチブックの上に幾度も線が描かれる。

 無から有へ。右も左もなかった白紙に、秩序が生まれる。

 頭の中で浮かんだビジュアルを描きこんだつもりだが、実際に描かれたそれは何かが違う。失敗だ。そのページをちぎり、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ放り投げる。枠に入らず床へ落ちたが、気にせず次を描く。

 描き終え、それなりに形になるが、やはり違う。丸めてゴミ箱へ。

 再び描いて、丸めて、ゴミ箱へ。

 描いて、ゴミへ。

 描、ゴ。

 繰り返す。満足するものができるまで。

 ゴミ箱の周りには丸まった紙が積もり、鉛筆を握った右手に痛みが走り、右手の側面が黒ずんできたとしても、アウトプットをやめない。

 小百合は白紙の紙と同じだ。

 今はまだなにもない。白紙の状態。どんな絵も描ける状態だ。

 だが、一本でも線を描けば、後戻りできない。

 線を重ねた末に、失敗し、駄作になる可能性もあるが、成功し、傑作になる可能性もある。いわば、未知数。神のみぞ知るってやつだ。

 失敗を恐れ、一本も線を引かなければ、白紙の状態を保てる。しかし、月日が流れると腐敗する。純白は黄ばみ、何の用途も発揮せず、意味もなくゴミ箱行きだ。

 哲也館長が小百合に強いる環境は、まさにそれだ。

 ノーリスクハイリターンなんて、虫のいい話はこの世にない。

 何かを得るためには、何かを失う覚悟が必要だ。

 そして、世の中とは無慈悲で、失ったところで、リターンが約束されるわけではない。

 僕が半生を注ぎ込んで、絵を描いても、成功に終わる可能性は低い。

 だけども、安全だけを求めて、無難な人生を送るより、周りにバカにされようが、己の信念を貫く今生のほうが優れていると、僕は思う。

 傲慢かもしれないが、小百合にも安全線を越え、燃え尽きるような人生を送ってほしいと思う。一度きりの人生、好きな事をやらずして終わるなんて、勿体ない。

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