32.テクノロジーの限界

 美術館を出てから、近場のレストランへ向かう。徒歩8分の移動。普通ならとくに淀みなく何事もなく済む移動だが、そうはいかなかった。

 道中、2人並んで歩く。小百合は楽し気に展覧会の感想を述べていた。色が綺麗だった、あの絵は凄かった。私のお気に入りは、と笑顔で感想を僕に伝えてくる。蛇口をひねったように、あれよあれよと感想が出てくるので、僕は聞き役に徹した。

 視界の端で、赤信号が目に入った。無意識的に僕は立ち止まる。しかし、小百合は止まらなかった。

「小百合!」

 僕は咄嗟に手を伸ばし、彼女の腕をつかむ。引っ張ろうと力を入れる、が、岩のように重い。こっちが引っ張られるくらいだ。そこで右手に掴んでいるのは小百合ではなく、小百合が遠隔操作しているロボットであることを思い出す。

「小百合! 赤信号!」

 僕が叫ぶと、小百合は車道に踏み込む直前で立ち止まった。直後、車が横切った。

 自動運転が一般的になった現代と言えど、飛び出し事故は起こる。僕が止めなければ、事故が起こっていても不思議ではなかった。

「ごめん、うっかりしていた」

 軽薄に笑う。強い気持ちがガッと頭に込み上げてくる。

「うっかり、で済まないだろ。赤信号は止まらなくちゃいけないだろ!」

 まるで子供を𠮟りつけるような言葉だが、相手は自分より2つ年上のお姉さんだ。当の叱られた本人は、やはり子供のようにしゅん、として肩を縮こませている。

「ごめんなさい」

 あまりの消沈ぶりに、こっちが申し訳なくなる。

「いや、こっちこそごめん」

 つい、謝ってしまった。そこで、信号が青になる。僕が歩むのを確認してから隣の小百合も一歩遅れて歩き出す。

 なんだか、憐れみに似た感情が込み上げてくる。

 信号が守れないことに、彼女に落ち度はない。むしろ、仕方がないことだ。

 なぜなら、彼女はこれまでの人生、まったく外に出てこなかったのだから。

 

 レストランに着く。高校生の僕にしては、ワンランク上のこじゃれたお店。2回目だが、いかにも雰囲気を装ってる感じが慣れない。

「ご飯代は私が出すから、好きなもの食べて」

 席に着くなり小百合はメニュー表をこちらへ渡してきた。

「いや、僕が出すよ」

「駄目だよ。私が急にデートへ誘ったのだから、私がお金出すのが正解なの」

 どうやら決意は固いらしい。言い合いするのも面倒だし、時間の無駄なので、仕方なく僕は従うことにした。

「じゃあ僕は、カルボナーラにしようかな。小百合は?」

「食べない」

「え、あぁ……」

 そうだ。彼女は食べれない。目の前にいるのはロボットだ。僕の心に影が差す。

「それより、カルボナーラだけでいいの? ステーキとかもあるよ」

 小百合は僕の暗い雰囲気なんか気にせず、メニュー表を指さしてきた。

「こんないっぱい食べれないよ」

「遠慮してるの? 大丈夫、お金はたくさんあるから!」

「いや――」

「すいませぇーん!」

 小百合の大きな声が店内に響く。驚いた顔をして店員が駆け寄ってくる。

「お客様、周りのお客様にご迷惑ですので、大きな声はお控えください。次からお呼びになるさいはこちらのベルをお押してください」

 店員はテーブルに備え付けられた呼び出しボタンを指す。

「ごめんなさい」

 小百合はしゅん、と俯いてしまう。

「あの、注文いいですか?」

 項垂れる小百合を横目に、とりあえず自分の分だけ注文することにした。

「ごめんね。加地くんにまで恥をかかせている」

 注文を終え、店員が離れていったあと、小百合が申し訳なさそうに呟いた。

「私と一緒だと迷惑じゃない?」

 赤信号の件と、店員の叱られたことで、かなり落ち込んでしまったらしい。

 僕は小百合の問いに頭を振って否定する。

「迷惑なものか。前にも言っただろ。僕は小百合のデートがしたいって。その念願が叶って、僕は嬉しいし、楽しいよ」

 小百合は安堵するように、ほほ笑んだ。

「よかった。私はも楽しいよ」

 そう言って喜ぶ小百合を見て、今度は僕が安心する。なるだけ落ち込んだ彼女の表情を見たくはない。

 僕が言った言葉は、ほとんどが本音だが、若干だけ嘘が混じっている。

 本当のことなら、やはり、ロボット越しではなく、小百合本人とデートがしたい。

 たしかに、哲也館長の思惑通り、テクノロジーのおかげで、小百合は家に居ながらも外を満喫できているのかもしれない。安全は確保されているのかもしれない。

 だがしかし、100%の満喫ではない。

 現に今、小百合はレストランのご飯を食べれないでいる。

 遠隔操作で楽しめるのは五感の内の2つ。視覚と聴覚だけだ。他、触覚。嗅覚。味覚は味わえない。それは肌で感じる体験とは言い難い。

 楽しそうな小百合を見て、哲也館長の言い分に整合性を感じたが、やはりそれは間違っている。そもそも、100%安全な状態で、人生を謳歌することは不可能なのだろう。

 まもなくして、店員が湯気を立たせたカルボナーラを運んでくる。机に置かれたそれから、チーズの匂いが香り、鼻孔をくすぐる。気にもとどめてなかった空腹感がせり上がってくる。

「わぁ、美味しそうだね。写真撮らせて!」

 小百合は右手、左手ともに銃の形を作る。片手をひっくり返し、画家が被写体にするように、四角の枠両手で作ると、カルボナーラへ向けた。

 カシャ。

 小百合が瞬きすると、シャッター音が聞こえた。ロボットには写真機能があるらしい。

「加地くん。はいチーズ」

 虚を突かれた。四角枠が僕を納めようと動く。

 写真なんて撮られ慣れていない僕は、どんな顔でどんなポーズをすればいいのかわからなかった。迷った挙句、片手でガッツポーズを取ろうとしたら、カシャ、とシャッターが切られた。

「はは、ありがとう」

「今の写真、かなり中途半端な格好になってなかった?」

「大丈夫、大丈夫」

 小百合は笑いを嚙み殺していた。撮られた僕の恰好は、間違いなく笑える状態なのだ。

「ささ、湯気があがっているうちにお食べ」

 どんな写真になったのか気になるが、見る手段はないだろう。とりあえずカルボナーラを食べることにした。フォークで麺をくるんでいると、正面から小百合の強い視線を感じる。口へ運び、租借する間も、小百合はジーッと見てくる。

 ゴクリと飲み込むと、小百合はニコッと笑い「美味しい?」と聞いてきた。

 僕は頷く。

「いいなあ、私も食べてみたい。カルボナーラ」

「もしかして、ないの?」

 小百合は頷いた。

「あ、でもスパゲッティならあるよ」

 僕は無理やり、笑みをつくった。そうでなければ、場を白けさすようなシリアスな顔をしていただろうから。

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