29.向かい風

「これ、また画面外からゾンビが出てきたりしないだろうな」

 僕の問いに、大樹は一瞬呆けた顔をしたが「あ~」と合点が一致したような顔をして、笑みを浮かべた。

 僕の手にはVRゴーグルがある。椅子に座り、あとは装着をして映像を見るだけなのだが、僕は若干のVR映像恐怖症を患っているため、躊躇いを感じる。

「あん時は、加地の反応が面白くて、爆笑したわ」

 大樹は膝を叩きケラケラ笑う。

「ん? なにかあったの?」

 その情景を知らないトモセンは、ポカンとしていた。僕はため息を吐いて、軽く過去話をすることにした。

「1年の頃、大樹の作ったVR映像を見せてもらったのですが、その内容がひどかったんですよ。10秒程度短い動画なんですが、真っ暗な映像が始まったかと思うと、画面外から絶叫したゾンビが驚かせてくる、という、ドッキリ動画を見せられたんですよ」

「そしたら、加地のやつ、『うわああああ!』って椅子から転げ落ちて、すっころんで……アハハ!」

 ケラケラと大変愉快そうに大樹は笑う。僕にとっては不愉快だ。

「朴念仁の青木が驚く姿、見てみかったわ」

 トモセンは、よくわからない感想を述べた。

「ま、今回のは感動超大作だから、ドッキリ描写も絶叫もない。さっさと見て、加地の貴重な感想を聞かせておくれ」

 訝しむ気持ちを抱きながらも、僕はVRゴーグルを装着した。ドッキリ動画以外の彼の作品を過去にいくつか見てきた。そのどれもが、それなりのクオリティであった。トモセンが彼を「天才」と呼ぶのも頷ける。

 視界はゴーグルを装着したことにより、暗闇に支配されていた。視界の中心に再生ボタンが表示されている。VRゴーグルは、脳波で操作できる。僕が映像を見たいと思えば、好きなタイミングで映像がはじまる。

「じゃあ、見るぞ」

 外へ語り掛けると、「おう」大樹の返事があった。

 僕は、脳波で再生ボタンを押した。


 再生したのにもかかわらず、暗闇が晴れることはない。しかし、耳元で何やら擦れる音が聞こえる。柔らかく水っぽい何かが擦れるような音。まもなくして、視界の中心にぼやけた光が見えてくる。それが、徐々に、徐々に、大きくなり、果てには身を包むほどになる。輝きに目が慣れてくると、女性の顔を認識した。その女性はかなり巨体である。自分の5倍以上は大きい巨人の女性が柔らかな笑みでこちらを見おろしている。

「おギャー!」

 産声。どうやらそれは、自分の口から発せられているようだ。そこで巨大な女性が母親であることがわかる。自分が赤ちゃんなのだから、大きく感じたのだと気づく。

 場面が変わる。

 壁に寄り掛りながらも、自分はなんとか立とうとする。向こうには「頑張れ」と応援する。両親がいる。壁から手を離し、拙い足取りながらも両手を広げた両親の元へ一歩ずつ歩を進める。

 またも、場面は変わる。

 自分は歌っている。周りには背丈が一緒くらいの幼稚園児が並んでいる。自分たちはステージに立ち合唱しているのだ。精いっぱい声を出すだけの、愛くるしい歌声。眼下にはたくさんの大人の顔が並ぶ。皆が子供の成長を慈しむような顔で、合唱を聞いている。その中に、ビデオカメラを持つ自分の両親の顔があった。僕が手を振ると、向こうも手を振り返してきた。

 場面は変わる。

 正面にはカメラを構えた父がいる。隣には、母が佇んでいる。自分が赤ちゃんだった頃に比べて、母が小さく感じる。後ろには「入学式」の看板。どうやら自分は小学生になったようだ。

「撮るぞー」

 父がシャッターを押すと、フラッシュと同時に場面が変わる。

 それからあらゆる情景が目まぐるしく飛び込んできた。グランドで友達とサッカーで遊んだり、両親とともにテーマパークへ行ったり、授業中に教科書の隅っこ落書きをしていたら怒られたりした。

 これは、誰かの人生だ。

 僕は今、別の誰かとなり、走馬灯のように、早送りで人生を歩んでいるのだ。

 小さかった体が成長して、学ランに袖を通す。授業は退屈だが、放課後の部活動には熱心であった。サッカー部に所属する僕は、一生懸命練習する。視界の端に女子マネージャーが映る。どうやら僕は彼女に好意を抱いているようだ。思い切って告白するも、フラれてしまう。そんな過去を社会人となった僕は、慈しむような気持ちで同僚に語る。着ている服がいつの間にかスーツに変わっている。

「懐かしいな」とか言いながら、お酒を喉へと流し込む。居酒屋のテーブルには、自分も含め、男女十数人。その中で一人女性と目が合う。

 彼女は僕を認めると、微笑んでくれた。

 その顔が正面に迫る。いつの間にか二人だけになっており、右手には夜景が見える。場所は高級レストラン。僕はポケットから小箱を取り出し、パカッと開ける。中にはリングが入っていた。

「結婚しよう」

 彼女は泣いて喜んでくれた。彼女が手を差し出すので、その薬指に指輪を通すと、サイズが大きかったらしく、リングはぶかぶかであった。その失敗を二人で笑った。

 ふと、足元に気配を感じて見下ろすと、

「お父さん!」

 子供が僕の袖を引っ張っていた。4才くらいだろうか。自分の膝の位置に頭がある。場所は公園、隣を見ると結婚を誓った女性がいた。彼女の風貌は数秒前に比べ、幾分か落ち着いたように感じる。どうやら二人の間に子供が生まれ、それなりに年月が経ったらしい。

 さらに目まぐるしく場面は変わる。

 子供の成長は早い。小学生に入学したかと思えば、中学生になり、反抗期を迎える。子供特有の容赦なき罵詈雑言に心を痛めたけど、彼が結婚するころには、そんな苦い思い出すら、尊いものに感じる。結婚式にて、息子から「昔はたくさんひどいことを言ったけど、今はたくさん感謝しています」という言葉に僕は「歳をとると涙腺が緩くなる」と言い訳した。

 まもなく、孫が生まれる。身体はやせ細り、しわが増え、仕事をやめる歳となる。

 入院する回数が増える。病院の白い天井に馴染みを覚えるようになる。

 そろそろ逝くな。

 病室のベッドで横たわる僕は、確信めいた予感をしていた。

「おじいちゃん」

 孫が心配そうな顔をする。

「お父さん」

 すっかり大人になった息子が目に涙を浮かべている。

「あなた」

 すっかりおばあちゃんになった妻が、目を細めている。

 たくさんの家族に囲まれて、視界がゆっくりと暗転する。

 僕は、家族に見守られながら、死んだのだ。


「どうだった?」

 VRゴーグルを外すと、真っ先に飛び込んできたのは、僕の言葉を期待する大樹の顔であった。すぐに言葉は出てこなかった。一生分の体験を終え、少し疲れていた。夢から醒めたような倦怠感がある。頭がボーっとしており、自分が感じていることを言葉にするのに、通常以上の時間を要した。

 だが、一つ言えることがあるとするのなら、

「……とりあえず、素晴らしかった」

 大樹が監督した映像作品に僕はとても感動した。

「本当かぁ!」

 僕の言葉に、大樹はいたく顔を輝かせた。心底嬉しそうな顔に、僕の心は引っ張られ、嬉しい気分になる。

「え、私も見たーい」

 トモセンは僕の手元からVRゴーグルを奪うと、頭へ装着し、黙り込んだ。どうやら再生を開始したみたいだ。傍から見れば、目元を隠し、呆然としている彼女だが、別の誰かの一生を追体験しているのだろう。

「目を隠した美人って、背徳的で官能的な魅力があるのは、なんなんだろうな」

 大樹はそんなことを言いながら、艶めかしいトモセンの身体を舐めるように見つめた。

 僕も男子高校生なので、トモセンの現状を見て、胸のふくらみに視線が誘導されたりしてしまうが、そんな羞恥たる思惑を声に出して言える大樹は、流石だな、と感服しつつも、素直にキモいな、と思った。

「ま、そんなことより、聞かせろよ。詳しい感想」

 大樹は真面目な顔をした。彼の纏う空気がピリつく。作家たる彼の獣の部分だ。

「手放しに絶賛、ってわけでもないだろ?」

 ふっ、と自然と笑みがこぼれる。彼のそういうストイックな部分が好きだ。

「僕の本職は『絵』だ。だから、編集やモーションに関しては言えないけど、配色や色彩に関して言うと――」という前振りから、気になった点を大樹に伝えた。

 伝えている途中、違和感を抱いた。

 僕ごときが、大樹に助言なんてしていいのだろうか、という疑問だ。

「結婚式のシーンだが――」

 疑問が大きくなると、説明する口が止まってしまう。分不相応という言葉が自分にしっくりきた。

「どした?」

 僕の調子に気付いた大樹が、怪訝そうに僕の顔で覗いてくる。

「いらないだろ。僕なんかの助言」

 自分の口調は、自分でも驚くほど弱々しかった。

 大樹の映像を見て、僕は率直に感動した。それは身内びいきの評価ではなく、例えば、僕が大樹の存在をまったく知らなかったとしても、映像を見たら、今と同じくらい感動していただろう。

 勝敗が頭によぎらなかった。

 それは負け以上の負けである。

 大樹は、僕のはるか上にいるのだ。そんな上の存在に、僕ごときが助言するなんておこがましい行為だ。

「なに言ってんだ。お前のセンスはずば抜けてんだ。加地の助言は必要だよ」

 なぜかその言葉に、僕はカチンときた。作り物めいたその言葉の奥に、慰めがあるように感じた。

「天才のお前に、気を遣われたくなんかない」

「はぁ? 俺が天才?」

「僕にはそう見える。僕には天から授かった才能はない。天才のお前に『センスがある』だなんて言われたところで、バカにされているようにしか聞こえない」

 大樹は困ったような顔をした。

「俺には、お前が天才に見えるよ」

 僕は驚いた。大樹は肩をすくめた。

「天才とか才能とか、不毛だぜ。俺は、天から頂いたもので踏ん反り返る奴より、少ない手札で足掻く奴に価値を感じる」

 彼と目が合う。強い視線を感じる。

「遠まわしに、僕のことを手札が少ないセンスのない奴って言いたいのか?」

 大樹は笑う。

「陰気な発想だな。そんな意図はねーよ。鍛錬に勝るものはないって言ってんだ。必死に足掻くお前からの助言だからこそ、聴く価値があるんだよ。努力してるってことは、必死に考えを巡らせているだろうからな」

 どうなのだろう、と思う。

「しかし、僕の作品は、大樹の映像作品のように感動を生まない」

「そりゃそうだろ。お前、人を感動させるために描いてないもん」

「なっ、……」反論する気持ちが込み上げてきた。口を動かそうとしたが、言葉が次いで出てこなかった。

 思い返してみると、たしかに大樹の言う通りである。

 僕は、僕の為に描いてきた。

 僕が一生描き続けるため、

 僕がロボットを超えるため、

 筆を握る理由にまっさきに浮かぶのは「僕」である。

 絵を描く理由に、他人が介在してきたことはない。

「俺は、人が感動するために考え抜いている。人に伝えるために策略を練っている。第三者が見る前提で、映像を構築している。何を観て、どう感じるのか、どのタイミングで、どの順番で、……ってな感じで色んなパターンを考えて、感情の動きをシュミレートしてる。加地が俺に対して差を感じているのならば、その差だと思うぜ」

 僕がキャンパスに向かい合ってる時の感覚を思い返す。

 ぶっ殺すような気概で、より繊細に、より美しく、己の内にあるすべてをぶつける。

 そういった覚悟を持って、全力で取り組んできた。

 だがしかし、やはりそこには、人が見るという前提がすっぽり抜け落ちている。

 どうして、そんな根本的なところを見落としていたのだろう。

「加地はこれまで、美しく表現することと技術の向上に思考を傾けてきた。そのパラメーターを人に伝えること、感動させることに振り分けたなら――」

 大樹の視線が横に向く。釣られてその先を見ると、VRゴーグルを装着して、口を半開きにさせているトモセンがいた。そういえば、居たんだった。

「うぉお~~~ん」

 急においおい泣き始めた。奇妙な雄たけびを上げ、ゴーグルの隙間から涙が垂れてくる。鼻水も出てきた。顔面がびちゃびちゃで醜い印象を受ける。

 きっと映像が活況に突入したのだろう。病院のベッドにて、家族に見守れているところだろうか。たしかにグッとくるところではあるが、それにしても泣きすぎだ。

「こんな風に、人の感情を意のままに操れるさ」

 大樹は満足するような表情で、おいおい泣くトモセンを見ていた。

 きっと、彼の中の感情シュミレート通りに、トモセンの心が動いているのだろう。

 そこで、僕は既視感めいたものを抱いた。

 人の感情を意のままに操る。

 そういったものを自分は知っているような気がする。

 思考を深めるために、手でうなじ部分をさする。指の腹が金属の硬さに触れた。首元に装着された「フェイス」だ。

 既視感の正体は、この「フェイス」だ。「新川ミコト」とも言っていい。彼女らは、相手に気持ちよく会話させるために、相手が喜ぶ言動に撤する。

 心を読んで行動をしているように見えるそれは、千佐子が言うに、パターンだという。過去のデータから適切のパターンを選択しているに過ぎないらしい。

 ――心にはパターンがある。

 たしかこれは、大樹の発言だったか。

 「フェイス」や「新川ミコト」と、僕らが創作する芸術作品、異なるものだが、「心を操る」という同じ目的があった。

 心を操る技術を機械は会得している。

 だが、機械になくて、人間にあるものがある。

 「自我」だ。そして、「自我」がある故に、「意志」が生まれる。それを「心」と呼んでもいいだろう。

 僕は、小百合を自由にしたい。

 それは僕の心にある、まぎれもない意志だ。

 ならば、父、哲也館長の心を操る必要がある。

 僕の武器は、筆だ。

 描かなければ、青木加地ではない。

「うぉ~~ん、めちゃくちゃよかったよぉ~~……」

 トモセンの声により、思考の海から浮上する。気づけばトモセンはVRゴーグルを外し、顔をべちゃべちゃにして泣いていた。アイラインのメイクが滲み、目の周りが黒ずんでいる。

「ハハ……そりゃ、よかったッス」

 大樹は引きつった笑みを浮かべている。彼のシュミレートでも、ここまで大げさな反応は意外だったのだろう。

 二人のやりとりを見て、僕は微笑ましく思った。

 僕がこれまで絵を描いてきて、それを否定する人がほとんどだった。

 機械が絵を描く時代に、人が絵を描いても意味がない。

 それが世間の一般常識である。

 だけども、目の前にいる二人はその例外であった。

 ――ありがとう。

 背中を後押ししてくれた二人に、心の中で感謝を述べた。

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