27.真実と無力
夕方の電車はほんの少しだけ混んでいて、座席がまばらに埋まっていた。座れはしたが、僕はなんとなく立ちたかったので、吊革につかまり、電車に揺られている。
オーバー社から駅までの車中、そして、新川ミコトと別れ、横に流れる赤く燃ゆる街を眺めている今も、僕はずっと考えている。
堺小百合とは、何者なのか。
彼女について知っていることは少ない。というよりむしろ、彼女のプロフィール欄は、履歴書に書けるほど多くはないのだ。
ロボット越しに、映画館でバイトをしていて、病弱でずっと家にいる。
彼女を紹介するならば、それだけで済んでしまう。
大きな疑問は一つ。なぜ、オーバー社に彼女と酷似していたロボットが存在したのか。
まっさきに思いついたのは、「小百合、実はロボット説」だ。
これまで僕が接してきた堺小百合は、新川ミコトと同じロボットであった。映画館で流れている噂どおり、父である館長は母子を失っていて、心を埋め合わせるために、娘のロボットと一緒に暮らしているのだ。
しかし、冷静に考えて、それでは道理が通らない。
2つの矛盾点が出てくる。
1つ目、なぜ母親役のロボットはいないのか。母子を失っているならば、両者を揃えたくなるのが普通だと思う。
2つ目、小百合がロボット越しにバイトしているのはおかしい。
わざわざ旧型のロボットを介して新型のロボットを働かせる。その行動にメリットを感じない。どう考えたって、小百合に酷似した新型ロボットを映画館でそのまま働かせるほうが間違いなく効率はいい。
故に、小百合はロボットではない。
では、オーバー社で見た小百合ロボットはなんなのか。
一番自然なのは、映画館で働くロボットの代わりだ。
小百合はロボット越しに映画館でバイトしている。そのロボットの姿かたちを小百合自身に近づけるため、堺哲也館長が小百合に似たロボットをオーバー社に頼み、今日、僕がたまたまその姿を見てしまった。
一見その説が有力に思えたが、ちゃんと考えると、違和感が出てきた。
あれほど人間に酷似したロボット。購入するとなるとかなりの値段になるはずだ。詳しく知らないが、多分、家くらいの値段に到達してもおかしくはない。
そんな大きな金額を、先が短いであろう小百合に向けて使えるものだろうか。
親子との愛とは、それほど大きなものなのだろうか。
それほどの大金を継ぎ足して、小百合のロボットを買うより、もっと傍にいてあげるなど他の方法はないのだろうか。大金は使えるけど、先の短い娘と一緒に過ごす時間を仕事につぎ込んでいる。
哲也館長の判断は、ちぐはぐに感じた。
多分、何か僕は見落としている、ないし、知らない情報があるのではないか。
そのパズルのピースを見つければ、ちぐはぐに思える哲也館長の行動に、一筋の太い芯を見出せるのではないだろうか。
車内アナウンスが、自分の家の最寄り駅を告げる。その特徴的な声によって、思考の海に沈んでいた意識が現実に戻る。
プシュ―、と電車の扉が開く。喧騒と人混みの中、惰性で改札口を抜け、駅を出て、家へと向かって歩を進める。歩きながらも、思考は、先ほどの続きをはじめた。
違和感。
小百合と接していて違和感はあった。
彼女は自分を「病弱」だとか「先は短い」と言うけれど、出会ってからこれまで、具合の悪そうな彼女を見たことがない。
いつも元気で、ニコニコと僕と話す。
それに、彼女が点滴を打ったり、薬を飲んだり、そういういかにも病人らしいところを見たことがない。
はた、と足が止まる。
ぼんやりとしていた違和感の輪郭が、明確になった。
「小百合は、本当に病人なのか?」
疑問が鮮明になると、解消するため走り出した。
「どうしたの?」
哲也館長は、肩で息をする僕を見て目を丸くした。喉が痛いし、夏の夕暮れ時を走ってきたから汗だくである。映画館の事務所には哲也館長と僕、二人きりだ。
「館長、……聞きたい、ことが……あります」
焼けるように痛い喉のせいで、言葉を出しにくい。
「バイトのこと? それとも……娘のことかな」
僕の切迫した気配を感じ取ったのか、哲也館長は真剣な表情をしていた。
僕は「娘のこと」と言ったタイミングで頷いた。
「わかった。ここじゃ誰かに話を聞かれるかもしれない。一階の喫茶店で待っておくれ」
一階の喫茶店とは、以前に彼と一緒に茶をした、同ショッピングモール内にある喫茶店を指しているのだろう。僕は頷いて、映画館を後にした。
喫茶店にて、テーブル隅に置いてあったアンケート用紙の裏面に、ボールペンで店内の内観を描いていると、哲也館長が来た。
「凄い画力だ。機械顔負けだね」
アンケート用紙の裏面を見て、哲也館長は感心した。
「ありがとうございます」
僕は無難に会釈した。向かいの席に、大樹館長は座ると、タッチパネルでコーヒーを注文した。
「で、娘のことって?」
哲也館長は、意外にも軽い調子で聞いてきた。
どう言ったものだろうか、と一瞬思案したが、僕にはボキャブラリーも話術もない。正直に聞いてみようかと思った。
「娘さんは、小百合さんは、本当に病気なんですか?」
数秒の間があった。哲也館長の疲れ切った細い顔。そこに浮かんだ表情を読み取るのは、難しかった。あまりにも表情に起伏がない。それが焦っているのか、怒っているのか、落ち込んでいるのか、まるでわからなかった。
「ふう」
いかにも疲れたようなため息をした。
「それを、小百合には?」
僕は首を横に振った。
「彼女には言ってません。確証ないことを聞けるほど、僕は軽率ではないです」
「なるほど」
なにを納得したのか、大樹館長は頷いた。ちょうどその時、ウェイトレスがコーヒーを運んできた。カチャリと置かれたそれを大樹館長は、口へ運ぶと、再びカチャリとカップを置いた。
「君の言う事は正しい。小百合は健常者だ」
僕はあまり驚かなかった。予想が当たって、嬉しくもなかった。
ただ、小百合が病気ではないことに、安堵した。
「どうして?」
答えが出ると、すぐに次の疑問が出てくる。
どうして、小百合は健常者なのに、病人として扱われているのか。
「そうだよねぇ。どうして、って思うよね」
哲也館長は力なく笑った。
「君は、映画館で流れてる僕の噂を知っているかい?」
僕は戸惑いながらも頷いた。
「あの噂、大体合っているんだ。僕ら家族は、交通事故に合い、私の妻は帰らぬ人となった」
バイト仲間の内で何度も聞いたその話だったが、本人から聞いたそれは、数々聞いた長話よりも、とても重く深く、どす黒かった。
「妻が死んだとき、彼女と約束したんだ。言葉で交わしたわけじゃないけど、僕は彼女の墓標に誓った。小百合だけは絶対に守るって。だからさ。だから、小百合を外に出さないようにした。外は危険だからね」
外は危険。だから、外に出さない。
大樹館長の小百合防衛術は、とても単純であった。
たしかに効果的はあるだろうが、あるの、だろうが。
「なにもそこまでしなくても」
と思ったことを口に出していた。
「そこまでしなくちゃならないのさ。小百合の命が絶たれてしまえば、未来はない。もう、僕に後はない。なんとしても、この最終防衛ラインは、護らなくちゃならない」
納得はできたが、肯定できない。
「でも、家から出なければ、死んでいるのと同じじゃないですか」
過去の小百合の言葉が思い出される。
――私は、生きていると言えると思う?
――私は周りから見えないから、死んでいるのと同じなんだよ。
――いや、死んですらいないのかな。
僕の言葉は、彼女の言葉があってからこそ、出た言葉であった。
「違うよ。テクノロジーが、小百合を救ってくれる」
返ってきたのは、意外にも力強い言葉であった。
「今ならば、家に居ながらもロボットを遠隔操作できる。映画館で小百合がそれをやっているだろう? 小百合と瓜二つのロボットを小百合が操作すれば、危険を避けつつ、人生を謳歌できるのさ」
脳裏に浮かんだのは、オーバー社で出会った小百合と酷似したロボットであった。
きっと、あれは、その為のロボットなのだ。
哲也館長は、一通り話し終えたらしく再びカップを口へ運んだ。
「で、加地くんはどうする? 小百合にチクる? 虐待行為として警察に通報する?」
「…………」
答えは出ない。とてもじゃないが、僕なんかが簡単に答えれるお題じゃない。
何が正しくて、何が間違っているのか、僕の裁量じゃ把握できない。
「どうすることもできないです」
それが、僕の答えだった。
なにかすべきはずなのに、具体的な行動方法が何も思い浮かばない。
哲也館長は、二千円を机の上に置いて立ち上がった。自分のコーヒー代と、些細な僕への謝礼金のようなものなのだろう。
「君が僕の話を聞いてどう感じて、どう行動を起こそうが、僕は君を恨んだりしない。自分で自分の行いが間違っていることはわかっているからね。けども、一つ君に頼むとしたら、娘と仲良くしてやってほしい」
そう言い残し、店から出て行った。
一人取り残された僕は、頭を抱えた。
俯いた拍子に、アンケート用紙の裏面が視界に入る。そこには店内のデッサンが描かれている。そのデッサンは、当然ながらなんの助言も与えてくれない。こんなもの、破って捨ててしまえば、すぐに無くなってしまうのだ。
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