25.人の心
「そりゃ、結構めんどうな状況だねぇ。辛くないかい? 大丈夫かい?」
机を挟んで座る千佐子は、僕の顔を覗くように身を低くした。珍しくニヤケ面を顔に浮かべていないが、机を這いずって下から僕の顔を見上げるような素振りは、なんとなくうざったい仕草であった。
僕は彼女から視線を外し、そっぽ向く。
「大丈夫ですよ。平気です」
僕はバイト先で嫌われてしまったことを、そして、その要因を彼女に話した。デート先で自らの口で亜美さんをフッたせいで、女たらしとして名をはせたことを話した。
「それにしても――」
千佐子は息を吐きながら、背もたれへ体重を預けた。
「「フェイス」の実用化は、思った以上に先だね。周りを尊重しすぎて、使用者本人をないがしろにしてしまうのは大問題だ。バランスが難しい。まさか、本人が嫌われてしまえば、嫌われ者を演じるようになるとはね」
千佐子は今一度息を吐いて、僕を見た。
「もう一度聞くよ。大丈夫かい?」
なるだけ優しい口調を心掛けた言い方であった。どうやら本気で心配してくれているらしい。僕は、今度はちゃんと千佐子を見て「大丈夫ですよ」と言った。
「夏休みも架橋です。もうひと辛抱でバイトも終わる」
夏休みはもう終わる。バイトが終わることには安堵するが、同時に焦りの感情がせり上げってくる。夏休み中に僕は小百合の肖像画を完成させるつもりでいた。だが、このままで納得できるものを完成せずして、夏休みを終えてしまう。それは避けたかった。
「なんか、絵のことについて、悩んでるらしいね」
千佐子が切り出してきた。
「新川ミコトに聞いたんですか?」
「んー、そうとも言えるけど、違う」
千佐子は片手の2本指を立てると、己の双眸を指した。
「ミコトちゃんの目で見れば、人の心が大体わかるものなのさ」
答えになってない解答に戸惑ったが、ふと、ある仮設が浮上した。
「……もしかして、車中の会話、盗み聞きしてたんですか?」
「ごめんね」
千佐子は言葉に反して、ニカっとさわやかな笑みを浮かべた。対して僕は顔をしかめた。怒りの代わりに湧いた呆れの感情が、僕の肩を重たくした。
まあ、この際だ。聞くにはいいタイミングだ。
「僕、前々から、千佐子さんに相談したいことがあったんですよ」
「そりゃお目が高い。こう見えて、若くしてオーバー社での地位を確立している私だ。大抵のことならズバッと的確なアドバイスができるよ」
「……ロボットを超える絵を描くには、どうすればいいですかね?」
それは、恥を忍んだ質問であった。
「知らんよ。そんなの」
僕は舌打ちした。
「なんだい、目上の人に対してその態度はァ? 失礼だぞぉ」
千佐子はぷんぷん、と頬を膨らませた。年不相応な怒り方であった。
「千佐子さんに落ち度はない。アンタに聞いた僕が駄目だったんだ」
「その言いぐさは心外だな。私はあえて蹴ったんだ。いわゆる、愛の鞭さ。楽して得た答えに価値はないだろう? 加地クン」
それなりに筋の通った論理なのが癪であった。しかし、僕も必死だ。自分の絵に良い影響を与えれるのなら、恥なんぞ問題ではない。
それに、千佐子は「ロボット絵を超える方法」について、おそらく何かしら知っている。さっきの僕の問いに対し、千佐子は狼狽える様子がなかった。愛の鞭、というのは、それなりに本当なのかもしれない。
情報を引き出すため、僕は仕掛けた。
「愛の鞭、とかいいですから。どうせ分かんないだけでしょ(笑)」
絶妙に小ばかにした調子で、僕は言った。
「でかい釣り針だね。挑発して情報を引き出そうとしたって、そうはいかないよん」
余裕綽々な微笑に僕は再び舌打ちした。
そんな僕の様子をまじまじと見た千佐子は、不意に口を開いた。
「加地クン。機械ってのはね、パターンで動いているのさ」
「……はあ」
なんだ、急に。
「Aの場合はBをしろ。Cの場合はDする。そんな、無数のパターンが複雑に絡まり合って、ミコっちゃんは人間のような言動をしている。車内でミコっちゃんが言ってた言葉を覚えているかい? 機械は、常に脊髄反射で動いている。彼女が描く絵もそう。すべてはパターンなのさ」
不意に語られる機械の行動論。もしかしたら、僕が問うた「ロボットの絵を超えるには?」へのヒント、ないし回答なのだろうか。でも、千佐子はそれらを言わないつもりでいたはずだ。何故心変わりしたのだろうか。わからない。思惑がわからない現段階では、彼女の言葉を黙って聞くしかない。
「感動するには、パターンがある。芸術を勉強している加地クンもそれを知っているだろ」
僕は頷いた。
つい最近、大樹も同じようなことを言っていたが、僕はそれを経験則で知っている。
絵を描く。
言葉にしてしまえばかなり単純だが、その一点に積み上げてきた歴史と技術の試行錯誤は計り知れない。壁画に描かれた過去は、紙に塗る時代を経て、データで完結する今に至る。
その歴史の中で、様々な手法が生まれた。どうすれば人は美しいと感じるのか、研究した結果である。黄金比なんかがその典型なのかもしれない。長方形に勾玉みたいな形の線が描かれてるやつだ。その枠に沿って、デザインをすれば、人間は美しく感じる。
「人を感動させるのに、ビッグバンはいらない。既存のものを既存のパターンに沿う。それだけで、人は感動するのさ。つまり、全てはパターンなのさ。機械が熟知しているパターンは人のそれを遥かに凌駕する。人が感覚で行っていることですら、機械は数値として理解している。だから、人のように作品にムラは出ず、スタンダードとして、最高潮のクオリティを出す。故に、機械は強い」
千佐子の力説に対し、僕の反応は薄かった。芸術を勉強すればするほど、フィーリングと同等にロジックも大事だと知る。機械の強さが、そのロジックを人間以上に理解していることは肌感覚でわかっていた。
「だけど、機械は人が感動する感覚がわからない」
「……ん? なんか、矛盾してないか?」
千佐子は「ふふん」と鼻で笑った。
「君は勘違いしているね。機械は人の心を理解できる、と」
「さっきまでの話は、そういう話では?」
「違うよ。日本とブラジルくらい違う」
くっそしょうもない比喩を僕は無視した。
「機械はどうすれば人が喜ぶのか把握しているだけさ。理解はしていない」
僕は思わず顔を歪めてしまう。それは「心を理解できる」とはどう違うのだろうか。
「機械が一番苦手なことは、曖昧なことさ。心とはその極致だね。喜怒哀楽。それらの心を機械に認知させるのは、不可能だ。なぜなら感情は数値として具体化できないからね。例えば『嬉しい』って気持ちがあるだろ。機械にそれを認知させるには、数字という普遍的で具体的なもので説明しなければならない。だけども、このほんわかした感覚を具体性あるものには、変換できない」
「じゃあ『フェイス』や新川ミコトが、心を汲み取って、より良い行動をするのは、それはどういう仕組みなんですか」
「彼女らは表情、仕草、挙動の節々から感情を読み取っている。読み取ると言っても、彼女ら本人が読み取っているのではなく、蓄積されたパターンから分析しているのさ。笑顔の時は喜んでいる。泣いている時は悲しんでいる。ってな感じでね。
そして、相手を喜ばせるための行動もパターンだね。こういう時は、このような行動が好ましい、ってね。『感動するには、パターンがある』つまり、そういうことさ。機械は心を理解していない。理解することもできない。蓄積されたデータをもとに、行動しているにすぎないのさ」
千佐子の言っていることは、正直、ほとんどわからなかった。それが表情に出ているらしく、彼女は「ちょっと難しかったね」と苦笑した。
「まあ、つまるところさ、人の心は、人にしかわからないのさ」
千佐子は当たり前のことを口にした。
「そりゃそうでしょうよ」
「当たり前って顔しているね。でも、そんな当たり前を理解しているならば、『ロボットの絵を超えるには?』って悩まないと思うよ。灯台下暗し。当たり前のことって見えにくいのさ」
なぜ、そんな簡単な答えに辿り着けないのだろう、みたいな嘲笑めいた気配が彼女にはあった。こちとら本気で悩んでいる問題なのだ。堪忍袋に影響は出る。
「心で描け、みたいな定型句でも言うつもりですか」
低い声で聞くと、千佐子は「ははん」と馬鹿にするように笑った。
「言わないよ。言わない。ただ、観る側も人間で、心を持っている。それだけの話さ」
千佐子は頭を振ったあと、手のひらを己の薄い胸に当てた。
「もちろん、私にもね」
彼女の説明は僕の心には響かなかった。なにせ、人が心を持っていることなんぞ、わかっている。
さぁ、歩き方を教えてあげよう! 右足を前に出し、そのあと左足を出せば、ほらぁ! 前へ進んだ。それが歩く、ってことさ!
そんな説明をされて、「わーすごい」と嬉しくなる人間なんていないはずだ。馬鹿にされてる感覚にしかならない
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