24.機械の心

 駅の降車場。一台の車が僕の前で停まる。後部座席が独りでに開くと、中から新川ミコトが「おまたせ」と笑顔を向けてきた。僕は挨拶を無視して後部座席へと乗り込む。車内は冷房が効いており、外で火照った体を冷やしてくれる。運転席は無人だ。

 今日はフェイスの定期報告の日。オーバー社で千佐子が待っている。定期報告の際、いつも自動運転車で新川ミコトが最寄り駅まで迎えに来てくれる。駅からオーバー社まで移動時間は約20分。いつもなら、その間、一切の会話はなく、キーンと甲高いモーター音とラジオパーソナリティの声だけが、車内で聞こえる音だ。

 それ故、僕から隣に座る新川ミコトに話しかけるのは、抵抗があった。流れる車窓風景を眺め、平静を装っていたが、僕は、話すべきタイミングを探っていた。

「加地くん、私に話したいことがあるんだ?」

 僕はギョッとした。弾かれたように新川ミコトを見ると、柔和な微笑みを浮かべていた。全てを包み込むような優しい印象を受けた。

「わかるよ。私は、そういうロボットなんだもの」

 ロボット、という単語を聞いて、幾分か緊張がほぐれた。相手は感情のない機械。タイミングを探る必要なんてない、と気づいたからだ。僕が何を聞こうが、コイツはプログラム通りに動くだけだ。

「お前、絵を描くとき、なにを考えているんだ?」

 言ったあと、不躾な質問だったかもしれないな、と思った。

 前振りも、前提もなにもない投げやりな質問。だが、新川ミコトはすぐに答えた。

「私は、いえ、私たちは何も考えていないよ」

 彼女の言う「私たち」とは、絵を描けるロボット全体を指すのだろう。

「もちろん、こうやって会話している時も、なにも考えていない。人間で言うところの『脊髄反射』と一緒だよ」

 新川ミコトは、緩やかな動作で、手のひらを座席シートに乗っけた。

「これがもし、鉄板だとしたら――」

 ミコトは「熱いっ」と勢いよく手を離した。

「ってなるでしょ? この行動の中に思考する猶予はない。そういう感覚で私たちは行動している。考える、とか、想う、とか、自我がないのだから、そもそもができないんだよ」

 自我がない。

 彼女の感覚を想像してみようとしたが、深淵の奥を覗くような、宇宙の端はどうなっているのか考えた時のような、自分の手には余る膨大な試行錯誤を強いられるような感覚に襲われ、怖くなってやめた。

 いわば、新川ミコトはずっと虚無の状態なのだ。

 僕の隣には虚無が居て、僕は今、虚無と会話している。

 あらためて目の前にいる新川ミコトの存在が、奇妙な異物のように感じた。

 ガタン、と車内が縦に揺れた。車が小さな段差を踏んだらしい。

「それじゃあ、やっぱり、お前ら機械の絵には、どんな思惑もないってことなのか」

 新川ミコトは、少しの間、考える素振りをした。

 それは、計算時間を取り繕う行動なのか、はたまた人間らしさを偽装するための行動なのだろうか。

「思惑がない、ってのは違うかな」

「だが、お前らに感情はない」

「うん。でもね、大抵、私たちが絵を描くとき、人に命令されて描くんだよ。私たちが自発的に絵を描くことは、ない」

「でもお前、たまに、美術部に来て、描いてるじゃないか」

「あれはそうプログラムされているからだよ。絵を描くほうが、人間らしいでしょ?」

 絵を描く象と普通の象。どちらが人間らしいかと言えば、前者だろう。

 調教されたとは言え、象が絵を描いたならば、なにかしら感情を持っているように錯覚してしまう。

 新川ミコトは、学校社会に溶け込むために、人間らしさを偽装するために、絵を描いていたのだ。

「私たちは命令されて描く。命令した人の思惑が、私たちの絵に組み込まれている。この世に人の感情が介在しない絵は、存在しない。誰かが望んだから、絵は生まれている」

 その言葉は、僕のこれまでの価値観を少し変えるものだった。

「それは私たちも同じ。私がこうやって存在しているのも、誰かが望んだから。機械ってよく冷徹な存在に思われがちだけど、強い熱意によって造られたものなんだよ」

「千佐子のことか?」

 新川ミコトはクスリと笑う。

「そうだけど、そうじゃない。芸術もそうであるように、機械工学だって、先人たちの努力や技術が継承されて、今に至る。気持ちがこもっていない人工物なんて、この世にはないんだよ。窓から見える風景すべてに、血が通っている」

 そう言われて、僕は流れる風景を見やる。車は二車線の大きな道路を走っていた。かつてここも森だったのだろう。それが今は、アスファルトが支配している。コンクリートの建物が木の代わりに建設され、それらに電気を送るために、鉄塔やら電柱やらが建っている。地下には、ネット回線や水道管が埋められ、僕らの生活を支えている。ライフラインの構造について、それほど詳しくないけど、過去数多の人間が係わり、それらの上で今の当たり前が成り立っていることは、想像に難くない。

 隣に座る新川ミコトだってそうだ。機械工学に係わった人たちの総決算が、このロボットなのだ。

 機械が人間を超える。

 よく聞く定型句だが、これには語弊がある。機械は独りでに行動はしない。人間の努力があってこそ、機械は発展するのだ。

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