第4章

23.洗脳

 夏休みも終盤にさしかかっていた。

 アクリル絵の具で描かれた小百合の肖像画が、三角イーゼルに置かれている。美術室には僕と大樹だけがいた。2人並んで、肖像画を見ている。

 隣に立つ大樹に僕は聞く。

「この絵を観て、どう思う?」

 大樹は、数秒だけジッと絵を観てから答えた。

「すげえうまい!」

 あまりにも短絡的な回答に思わずため息を吐いてしまう。

「……いや、なんかこう、具体的な修正点とか言ってほしいんだが」

 大樹は顔をしかめた。

「具体的つっても……」

 今一度、小百合の肖像画を見返してから、僕を見た。

「かわいい……?」

 小首を傾げながら言った感想は、やはり僕の求めるものではない。

「誰がモデルの容姿の感想を言えって言った。作品としてだよ」

 そこで、大樹は驚いた顔をした。

「これ、『作品』なのか? 『習作』じゃなく」

「あ、あぁ……」

 彼の身にまとう雰囲気がピリついた。僕は若干戸惑う。

 大樹は肩をすくめながらため息を吐いた。

「『作品』なら問題ありだぜ。ただ巧いだけで、まったくもって面白みがない」

 僕はムッとしてしまう。

「面白みがないとは心外だ。所詮はただの肖像画だが、画力は十二分にあるし、見ごたえはあるはずだ」

 大樹は目を細めた。大樹が自分の作品と向き合うときに見せる、真剣な眼差しであった。

「機械に負けた画力で、見ごたえがあるって、甘くないか?」

「なっ……」

 カッと頭に血が上る。だが口をつぐむ。大樹の言っていることが正しいからだ。僕の約10年の総決算は、ロボットの足元にも及ばない。

「加地は凄い。高校生離れした画力を持っていると思う。だが、所詮は『高校生離れ』だ。加地がプロトップレベルの実力を持っているのなら、画力は、そのまま魅力になるのだろうが、機械にも劣る画力で正直な肖像画を描いただけじゃ、なにも面白くはない。ミコトちゃんに同じ人物を描かせた方がはるかに見ごたえが出るぜ」

 僕はあらためて自分の描いた抽象画を見る。

 構図はモナリザに似ている。椅子に座った小百合が微笑を浮かべ、こちらを見ている。それだけの絵である。構図やコンセプトに新たな試みはない。

「画力で機械に勝ちたい気持ちはわかるぜ。だが、この絵から感じるのは、それだけだ。その画力に拘る気持ちも、俺が加地の性格やこれまでを知っているから感じ取れたわけで、赤の他人がこの絵を観たところで『絵が巧いなあ』以上の感想を抱かないと思うぜ」

 僕は眉をひそめると、大樹は「不満?」と僕の心を読んだ。

「不満だね。僕は小百合の雰囲気を筆のタッチや色彩で表現した。ちゃんと観れば、それなりに何かしら感じ取れるように描いてある」

 大樹は、一瞬の間を置いてから「ん?」とコミカルに顔に疑問を浮かべた。

「小百合って?」

「この絵のモデルだ」

「へえ、実在する人物なのか、こんな美少女、学校にいたっけか?」

「学校外の人間」

「へぇ、朴念仁の加地がねぇ……それって――」

 本筋に戻すため僕はわざとらしく咳払いする。大樹は玩具を取られた子供のように、いじけた表情をした。渋々と言った具合に大樹は先ほどの続きを話した。

「まあ、アレだ。観る人にとって、この絵は優しくねぇんだよ」

「……というと?」

「言うなら、見どころへの説明がないんだ」

 僕は「説明」というワードを、微量ながらも不快に感じた。

「誘導が明らかに欠如しているんだよ」

「誘導……」

 大樹は数秒悩んだ素振りを見せてから、説明を始めた。

「例を出す。白紙の中心に黒い点が一つあるとするだろ、それが額縁に入って、壁にかけられてたとする。9割の人間は、黒い点に目が行く。白いワイシャツに付着した醤油のシミが目立つのと同じ原理だわな」

 僕が頷くと、大樹は言葉を続けた。

「額縁がその単純な絵を作品だと『説明』している。作品と名乗るからには、それなりの要因が必要となる。だから、見る側は探ろうとするはずだ。黒い点があるだけの作品に、作品たらしめている要因は、どこにあるのか。

 白い背景に黒い点。間違いなく、視線は黒い点に集中する、んで、よくよくちゃんと見てみたら、黒い点は実は、小さい人間だった、とかな。ほら、ギミックができたし、メッセージ性が生まれた。人間ってのは、こんな小さい存在ですよ、って表現できるぜ。椅子に座っている美少女より、わかりやすく面白みはあるだろ?」

 大樹の言わんとしていることはわかる。しかし、魚の骨が喉につっかえたような歯がゆさを僕は感じていた。素直に彼の意見を呑み込めなかった。

「だが、それじゃ……なんというか――」

「浅い、か?」

 大樹は、僕の感覚を読み取り、すかさず言ってきた。僕の探していた言葉は「浅い」「深い」であった。

「そうだ。芸術作品には懐が必要だと思うんだ。観れば観るほど味わいが出てくるような、そんな深み。一目見て、すぐに理解できる作品なんて、浅くて面白くない」

「難解だからこそ、深い、ってか。それは違うと思うぜ。『わかりやすさ』こそ正義だ。そもそも、人はそんなにちゃんと絵を観ない」

 脳裏によぎったのは、亜美さんであった。彼女と一緒に美術館に行った時、彼女は素通りするように作品を見ていた。いわば、流し見だ。短くとも5分間、一つの絵を集中して見る僕とは、根本的な感覚が違っていた。

「絵を関心持って観る人間なんて、一握りだ。ならば分母の多い大衆に向けて、わかりやすい作品を制作したほうが、俺はいいと思うけどね」

「もしかして、大樹って世界一売れているハンバーグが、一番おいしいと思うタイプか?」

「馬鹿言え、この世で一番おいしい食べ物は、納豆カレーだ」

「…………納豆カレーは大衆受け悪いだろ」

「そういうお前こそ、俺の言う『わかりやすさ』を子供向け番組的な『わかりやすさ』と勘違いしてるだろ」

「違うのか?」

「ちげぇよ。言ったろ? 誘導が欠如してるって、誘導ってのは、思考の誘導だ」

「……え、洗脳の話?」

「ああ、洗脳の話だぜ?」

 大樹はさも当たり前のように怖いことを言った。

「加地、作品ってのは、ある意味じゃ洗脳だぜ。なにせ、観た側の感情をコントロールしなきゃ、感動なんてさせれねぇんだからな」

 虚を突かれた。

 たしかに、心を動かすというのは、操るとほぼ同義なわけで、「感動を与える」と「洗脳」は言葉のニュアンスが違えど、やってることは一緒だ。

「心にはパターンがある。観るものによって、心が受ける印象も変わる。綺麗なものを見れば、穏やかな気分になるだろうし、グロいものを見たら不快になるだろう。そういう見た人間がどういう印象を受けるかシミュレーションして、最終的にどういう感動を得てほしいのか、それを目標に逆算して、俺は映像を創っている。

 加地の絵には、そういう計算がまるで感じられない。ただ、綺麗に描いているだけだ。観た人間にどう思ってほしいのか、そもそも、どういう人間に観てほしいのか、そういう意図がまるでわからないから、面白くないんだ」

 腑に落ちた。

 たしかに自分の絵には、そういった意図はまるでない。美しいものをなるだけ美しく描いているだけだ。

 自分の絵を観て、どう思ってほしいのか。

 僕はいつも、己の画力で人を屈服させるようなつもりで描いている。怨み、妬み、復讐心。散々馬鹿にしてきた有象無象を蹴散らすようなつもりで、筆を握っている。だけど、それは意気込みであって、作品に込めたメッセージ性やテーマではない。

 ふと、足場が消えたような錯覚にとらわれる。

 なにもない。

 やはり僕には他人に向けて、どう思ってほしいのか、絵を通して伝えたいテーマがまるでないのだ。

 僕は俯いて、静かに絶望する隣で、大樹は「ふぅん」と鼻を鳴らした。横目に小百合の絵を観る彼が見える。顎に手を添えて、ジッと絵を観ている。

「さっきの、語弊があったな」

「語弊?」

「ああ、この絵から何一つ伝わらないって言ったが、一つの熱い想いがビシバシ伝わってきたぜ」

「なんだ?」

 大樹はニッと笑った。

「加地は小百合ちゃんを好きなんだなあって」

 僕の顔は熟したトマトのように赤くなった。

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