20.言葉の価値を決めるのは、誰が言ったのか
亜美さんとのデートの日が来てしまった。
美術館の最寄り駅で僕は彼女を待っている。現在は集合時間30分前だ。日陰にいるが、夏の熱気は凄まじく、ジッと立っているだけでじんわりと汗が噴き出してくる。
どうして付き合う気もない先輩のために、30分早く来ているのだろうか。自分の行動に疑問を思うが、理由を述べるなら小百合のせいだ。
――遅刻は厳禁。30分前には集合場所に着く。
という彼女の助言を実直に守った結果、僕がここにいるわけだ。
はあ、とため息が出る。何をやっているんだか、と嘆きたくなる。
駄目だ。どうしても暗い顔になってしまう。僕は首にある銀輪のボタンを押し、フェイスを起動させた。途端に僕の表情に活力が宿る。暗い顔をしているより、無理やりにでも明るい顔をしているほうが、気分も引っ張られ、幾分かマシになる。
集合時間の15分前に亜美さんは来た。
「早いね」
亜美さんは、僕を見るなり目を丸くさせた。
「今日のデートを楽しみにしていましたから」
ウィンクをしそうなキザな台詞に、僕は内心「げー」と思ったが、当の亜美さんは「うふふ私も」と嬉しそうに笑っている。
「行きましょう」
僕はスッと手を差し出す。首より下は自分のものだが、言葉や顔の動きで体が動かされることがある。不思議な話だが、今も自然と僕の右手は彼女へ突き出された。
紳士がするような僕の行動に、亜美さんは数舜戸惑ったが「ふ~ん」とニヤつきながら目を細め、いかにも余裕そうに僕の手を握った。
細く白い手が、僕の手を握る。彼女の力が伝わってくる。人と手を握る、という行為に馴れてない僕にとって、ものすごく新鮮なことであった。故に、緊張した。
そのまま僕らは、手を握ったまま横並びになって、美術館へと歩き出した。
手に伝わる圧迫感は、彼女の気持ちを代弁していた。圧迫感の強さが、そのまま僕に対する気持ちの大きさなのだろう。僕は試しにちょっとだけ力を強めた。すると、彼女も握り返してきた。ドキリ、とした。正直、そのコミュニケーションが嬉しかった。
僕が絵を観る方法は、多分、独特だと思う。
その独自の方法は、誰かに教わったわけでなく、他人の絵を観察し、自分の作品に活かすことを考えながら絵画鑑賞を続けていたら、自然とそういう形になっていったのだ。
まず、壁にかけられた作品から、ある程度距離を置き、全体観る。
第一印象を確認するのだ。
第一印象とは、絵を観て、0.1秒で受け取った情報量のことだと自分で思っている。
パッと見、のパッの部分だ。
絵を観てから0.1秒経った時と、10秒経った時では、印象はまるで違う。
友達との初対面を忘れるようなもので、出会って0.1秒の第一印象を覚えておくことはかなり難しい。だからこそ第一印象を己の内に留めておくことを意識する。
パッと見て、良い作品でなければ、人の印象には残らない。
第一印象を人に話せるくらい(話す相手はいないけど)言葉にして自分の中に落とし込むと、次は単純に絵を観察する。素人が見たらどのような認識なるのか、あえて自分の中にある絵の知識の一切を遮断して、ボーっと見る。
全体を観てから、次は細部を探る。
受けた印象の原因を探るのだ。
筆の凹凸がわかるくらいに、絵との距離を縮める。隅々まで舐めるように、蟻っこ一匹逃さないほどに、凝視する。
それがある程度終わると、またも距離を置く。
確認した細部がどのような効果を発揮しているのか、全体を観て確かめるのだ。そうすると、大抵の場合、新たな発見が出てくる。そして、発見の理由を探るため、再び絵との距離を詰め、細かく見る。
そういった全体と細部を反復して観察する。作品の中に凝縮されている技術を解読し、それによる効果を分析し終えて、ようやくして一枚の作品の鑑賞が終わる。
「変な鑑賞の仕方をするね」
隣で小さな声がした。視線を向けると、亜美さんが面白そうに僕を見ていた。
「そうかな?」
「フェイス」は僕におどけさせた。
「そうだよ。絵に近づいたり、離れたり、なんだか一人で遊んでいるみたい」
亜美さんは口元を抑え、クスリと笑う。静かな館内を尊重するように、その声は控えめであった。
「こうでもしないと、ちゃんと絵を観れませんから。為にならない」
「フェイス」は、僕の声をシリアスさせた。何か含みのある言い方で、意味深な発言に聞こえる。
「為にならない?」
案の定、亜美さんは、僕に問うた。多分、フェイスの思惑通りに。
「画家を目指しているんです。僕」
爽やかな春風を彷彿とさせる言い方であった。亜美さんと接する「フェイス」は、やはり、どこかキザである。
それにしても、この発言は大丈夫なのだろうか。
画家を目指す、と僕が宣言して、快く僕の言葉を受け止めた人間はいない。ある者は馬鹿にするように笑い、ある者は現実を見ろ、と頭を抱えた。そうした反応を多々見てきた僕は、ある時からその己が掲げる目標を人前で言う事をやめた。
そもそもロボットが圧倒的画力を持つ現代である。絵を描く行為自体が、阿呆のすることだ。車に徒競走を挑むようなもので、滑稽に思う者はいれど、称賛する者はいない。
いくら亜美さんが好意を抱いているとして、幻滅するのではないだろうか。
「……凄い」
しかし、僕の予想は外れた。
「加地くん、凄いよ」
彼女は顔を明るくさせ、僕の宣言を称賛した。
――え?
「フェイス」によって、表情によって表われないが、僕はひどく困惑した。大げさかもしれないが、今までの人生が徒労に終わったような、ある意味では「お前のやってきたことは全て無意味でした」と種明かしを食らったような、言い知れぬ虚無感に襲われた。
画家になる。
その言葉はバカにされてきた。その「言葉」を馬鹿にされてきた、と今まで思ってきた。だが、違った。同じ言葉を発したフェイスは称賛された。
僕だ。
僕が他者から否定されていたのだ。
仮に、僕の本当の性格が「ファイス」のようだったとして、親に「画家になる」と言ったならば、その目標は、快く迎えられたのでは? 自然とそんな「もしも」を想像する。
親の笑顔が明瞭に浮かんだ。
泣きたい気分だったが、顔は「フェイス」によってほほ笑んでいた。温かく包み込むような、優しい笑顔でなにやら語っている。
「たしかに、現代において、人間が画家を目指すのは無謀かもしれない。でもこの美術展に並んでいる作品は、すべて、人間が描いた作品です。微かな光かもしれませんが、僕が絵描きとして飯を食っていく可能性は、たしかにあるんです」
熱のある僕の語りに、亜美さんは力強く頷いた。
「そうだね。加地くんにも可能性はある」
亜美さんは、僕の絵を観たこともないくせに同調した。
「私は応援するよ。加地くんの夢」
違う。亜美さんは僕の夢など、応援していない。
「フェイス」を起動させた僕が好きだからこそ、応援する、と言っているのだ。
言葉は内容より、誰が言ったかが重要である、なんて言葉をどこかで聞いたことがあるが、まさしく現状がその典型なのだろう。
画家になるために、僕は幾千万の努力をしてきた。それこそ、人間関係などを切り捨て、周りの目を無視して、筆を握り、線を描き、色を重ねてきた。
だのに、人に僕の夢を快く受け入れられたことはほとんどない。例外と言えば、トモセンや大樹くらいのものだ。他は嘲笑を浮かべ、僕を罵ってきた。
そんな憐れみの言葉に対し、僕は、勝手に言ってろ、というスタンスをとってきたけど、何も感じなかったわけではない。
現に亜美さんの反応に動揺しているのが良い証拠だ。本当ならば、称賛されるに越したことはないのだ。
亜美さんは、僕の絵を観たことがない。けど同調している。つまり、絵の技術に関してどうでもいいのだ。
人が人を賞賛するのに技術は必要なく、結局のところ人柄が大事なのだ。
なんとも、やるせない。
生まれてからずっと積み上げてきた技術より、人柄などというその分野に関係がないもので評価の優劣が決まるなんて、なんともやるせない気持ちになった。
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