19.リアル

「美術館デート、だよ。加地くん!」

 小百合はなにやら興奮していた。白い頬が微かに紅潮している。

「は、はあ……」

 小百合の自室。僕はこれまでのことを彼女に話した。フェイスの誤作動により、亜美さんとデートすることを伝えると、なにやら彼女は喜んだ。何故喜んでいるのか、僕には意味不明だったので、微妙な返事しかできない。

 僕のローテンションに、小百合は眉尻を下げた。

「テンション低いなあ。デートだよ。楽しみじゃないの? いえ、楽しみよ!」

「そっちはやたらハイテンションだな」

「そりゃ、そうだよ。デートなんだもん」

「はあ」

 再び曖昧な返事をしてしまう。

 小百合はベッド脇に置いてあったタブレット端末を手に取ると、画面をこちらへ向ける。目に入ってきたのは、白を基調としたレストランのHPが表示されていた。トップページには穏やかな雰囲気が漂うレストランの内装写真があり、なんだか高級な印象を受けた。

 僕は視線だけで小百合に疑問を問う。

「美術館のあとは、ここだよ」

「ここ、とは?」

「レストランで食事」

 あまりにも小百合の言葉が足らず困惑する。何度か彼女と開口することで、わかったことだが、彼女の言葉数は極端だ。本や映画、好きなことを話すときはこっちがたじろぐぐらい大量の言葉をぶつけてくるのに、状況やら自分の事柄を話すときは、米粒程度の言葉しか発しない。

 何度か質問をすれば、答えに辿り着くのだろうけど、それも面倒だ。自分の中で小百合の思惑を予想した。

「つまり、亜美さんと美術館に行ったあと、レストランに行けってことか?」

 小百合の顔がパッとひまわりのように明るくなる。どうやら正解らしい。

「ここは美術館から徒歩8分。絵の感想を話しながら、歩くには丁度でしょ。我ながら素晴らしいデートプランだよね」

 素晴らしいかどうかわからないが、素晴らしく愛らしい笑顔を向けられれば同意せざるを得なかった。

「一見すると値段が高く見えるけど、ランチはわりとリーズナブルなんだ」

 小百合はタブレット端末を操作すると、ランチメニューが載ったページをこちらに見せてきた。値段は約1000円。まあ、店の印象よりは安い。

「あぁ、うん。イメージよりは安い」

 僕の答えはどこか虚ろであった。とりあえず答えた感じ。流石に小百合はなんだか悟ったようで、僕の顔を覗くように上目遣いで見てくる。

「私と喋るの、辛いよね」

「え?」

「私、あまり人と喋ることないから、私の話は面白くないよね」

 己を嘲笑しながら、なにやら納得したように頷く。

 とても的外れな見解だ。僕は慌てて訂正する。

「小百合との会話は楽しいよ。むしろ楽しくないのは内容」

「……それってやっぱり、話が面白くないってことだよね」

「あ……」言葉を間違えた。

「いや、違う。デートが嫌なんだ。嘆かわしいというか……」

 僕が今、心に抱いている鉛は、少々複雑であった。どう言葉にしようか、そもそも、小百合に話しても仕方がないのでは、と悩んでいると、小百合がじっと僕を見ていることに気付いた。まっすぐに澄んだ目。静かに、僕の次の言葉を待っていた。そのある種無邪気な仕草に自然と本音が次いで出てくる。

「単純に好きでない相手とデートをするってのが嫌なのもある。けどそれは4割の理由。残りの6割は・・・・・・亜美さんが『フェイス』に落ちていくのが 嫌なんだ」

「『フェイス』対して嫉妬?」

 僕は顔をしかめる。不快の意ではなく、小百合の言葉に疑問を持った。

「亜美さんが好きなのかなって」

「ああ。そういう……まあ、ある意味好きだよ。優しいし、嫌いじゃない。いい人だと思う。周りに気が配れて、人として、素晴らしい部類だと思う。だからこそ、絶望するんだ。そんな人でも、結局のところ、外見しか見ていないんだなって」

「そりゃそうだよ。人は見えるものしか、認知できないんだから」 

 フッと小百合は儚げに笑う。

「私は、生きていると言えると思う?」

 不意の質問。戸惑いはしたが、困惑はしなかった。病弱な小百合、家から出れない小百合。 きっと、そういった暗く深く冷たい悩みを彼女が持っていることは容易に想像ができた。 だからこそ、なるだけ彼女にとって救いになるだろう答え方をする。

「生きている。間違いなく」

「ふふ、ありがとう」

 僕がキッパリと答えると小百合の顔がほころんだ。

「でもね、私は周りから見えないから、死んでいるのと同じなんだよ」

 小百合は窓へと視線を移す。

「いや、死んですらいないのかな」

 彼女の後頭部しか見えないから、表情がわからなかった。

 どんな言葉をかけるべきか迷っていると「加地くん」と名を呼ばれた。

「小説や映画で、リアリティを感じる瞬間って、どんな場面かわかる?」

 またも不意の質問。次は戸惑いもしたし、困惑もした。

「わからない?」

 彼女はイタズラっぽい顔をこちらに向けた。

 僕はあまり物語に触れない。映画も見ないし、小説も最近読み始めたくらいだ。

「わからない。降参」

 僕が両手を上げると、小百合は唇を尖らせた。

「諦めるの早いよ。もう少し考えてよ」

「映画も小説も、あまり触れていないから、考えようにも、参考資料が少ないんだ」

「駄目だよ。物語に触れないのは。物語は素晴らしいんだから。現実で――」

「で、答えはなんなんだ」

 小百合の熱弁が始まりそうだったので、僕は無理やり制した。小百合は不服そうに頬を膨らませたが、一息吐いてから答えを言ってくれた。

「物事がうまくいかないとき」

 その言葉を言う小百合は、真剣な顔をしていた。

「ブザービートでゴールが決まらない時、全身全霊で打ち込んだ商談が失敗に終わった時、昔は愛し合っていた夫婦が時間を経て仲が冷めきっていた時、愛する人の難病が猛威を振るい始めた時、そして最後にあっさり人が死ぬ時、人は、物語に、リアリティを感じるの」

 どうだろうか、そんな気もする。

「リアルとは、上手くいかないことなんだよ」

「…………」

「現実は、おとぎ話とは違う。思いは通じないし、思惑は外れる。そういうのが現実なんだ。理想が潰されてこそ、現実。そういうものなんだよ」

 どこか投げやりな気配があった。

「加地くんは、現実に期待しすぎなんだよ」

 小百合の言葉に鋭利な含みが加わったので、僕は軽く驚いた。

「そうか? そう見えるか?」

「うん。だって、亜美さんに、いえ、現実に何かを期待しているから、亜美さんが『フェイス』に恋をして、加地くんはショックを受けているんじゃない? ロマンチストなんだよ。恋愛はよく物語に組み込まれるけど、そんなに尊いものじゃない。見てくれが美しいから惚れるし、優しいから好きになる。そういうロジカルな現象が恋愛だと思うよ」

 「フェイス」は相手が喜ぶ行動を追求する。

 亜美さんがフェイスを装着した僕を好きになったのは、結局のところ、フェイスが亜美さんの喜ぶ行動を徹底したからだ。言い方を変えるのなら、亜美さんにとってメリットがあるからこそ、好意を抱いた。

 人に好意を抱く。そんな尊そうな現象は、メリットデメリットという、非常にロジカルな理由によって起こる。エモーショナルではない、合理的な現象なのだ。

「あっ」小百合は何かを思い出したように口を開けた。

「でも、デートをないがしろにしろって事じゃないよ」

 小百合は人差し指を立てて、身を前かがみにして言った。

「たしかに恋愛はロジカルな現象だよ。でも、大事なの。だって、恋愛が子作りへの第一歩なのだから」

 僕は噴き出してしまった。

「急に下ネタかよ。不純異性交遊だ」

「別にギャグで言ったつもりはないよ。下がなければ、私たちは生まれてないんだから」

 ギャグではないにしろ、部屋で男女二人きりの状態でそういうことを言わないでほしい。ダウナーな自分ではあるものの、ちゃんと性欲はあるのだ。そういうワードを聞けば、そういうことを意識してしまう。

 小百合の衣服は薄い生地だ。新雪のように白い肌や、緩やかな胸の輪郭、艶やかな鎖骨などが気になり始める。

「僕は、本当は、小百合とデートに行きたい」

 直接的な衝動をオブラートに包むと、そんな言葉になった。

 僕の声色は、拗ねる子供のようで、我ながらキモかった。対して、小百合は不意の言葉に「え?」と声を漏らした。

「本屋に行ったり、映画を一緒に観たり、それこそ美術館に行ったりしたら楽しいと思う」

 僕は言いながら想像する。その情景を。

 本屋に行ったら、小百合は喜んで早口でお勧めの本を紹介してくるだろう。

 映画を一緒に見て、それが感動長編大作であったならば、隣に座る彼女はおいおい泣いて感動することだろう。

 美術館に行ったならば、彼女はたくさんの作品を興味深く観察するだろう。

 見たことのない情景が鮮明に浮かび。まるで経験したかのように、心が温かくなった。

「それは無理だよ」

 その夢想は、小百合の声によってかき消された。

「私病弱だから、きっと寿命も短いし、死ぬまで外に出られない」

 やはり、それには諦めた気配があった。

「現実なんて、そんなもんだよ」

 小百合は笑った。

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