18.現代の呪い
「アハハハ! そりゃ面白い。大変なことになってしまったね!」
オーバー社の会議室。テーブルの向かい側に座る千佐子。腹を抱えてケラケラ笑っている。
「笑いごとじゃありません!」
千佐子の一歩後ろに佇む新川ミコトが、真剣な表情で怒る。
「フェイスが持ち主よりも相手を尊重したんですよ。どう考えても不備です」
口をへの字にさせている新川ミコトは、なんだか新鮮であった。
僕はデートの約束をしたその日に、千佐子に電話した。事情を告げたあと、受話器越しに聞こえる笑い声に、僕は眉間に皺を寄せ、額の血管をピクピク痙攣させた。
千佐子は僕の話を聞いて終始ゲラゲラ笑っていたが、とは言っても明らかな不備なので、千佐子はすぐに対処してくれた。
フェイスの調整のため、翌日、つまり今日、オーバー社に訪れているのだ。
「そんなに怒らないでよミコッちゃん、事の重大さは重々承知だよ。こういうことが起こるから、モニタリングは大事なんだよね。災難だったね、加地クン」
へらへらしている素振りから、僕に対しなんら憐れみがないことは、明白であった。
千佐子曰く、「フェイス」が急にデートの約束を取り繕ったのは、話していた亜美さんを優先したかららしい。「フェイス」は、相手が喜ぶ言動をする。つまりあの時、亜美さんは「デートしたいなあ」と考え、「フェイス」がそれを認知し、勝手にデートを取り繕ったのだ。
「で、どうにかなるんですか?」
「どうにか、とは?」
「亜美さんとの約束は三日後。それまでに、フェイスの設定を変え、持ち主の意見を絶対に尊重するようにできるか、ってことです。このままじゃ、仮に亜美さんに愛の告白でもされたら、付き合うことになってしまう」
「ふむ」
千佐子は、神妙な顔で顎をさすってから、
「無理」
とハッキリ述べた。
「ハァ」
「加地クン、AIを舐めてるね。機械にとって苦手なのは曖昧なことなんだよ。今回の調整にはその曖昧を具体的にする作業がある。三日じゃとてもとても……」
「じゃあ、仮に告られたらどうするんですか?」
「知らんよ」
あまりにもバッサリと見捨てられ、ポカンとしてしまう。穏やかな水面がふつふつと沸騰しだす。滅茶苦茶イライラしてきた。
「ふざけないでくださいよ。勝手にバイトを申し付けておいて、人の人生を左右しておいて、白を切るつもりですか」
机をバン、と叩く。木目の机は思った以上に硬く、手のひらが痛かったが、それどころではない。
「恋人ができたくらいで人生になんら影響はないよ。星が一つ消えた程度で、宇宙になんら影響がないようにね。それに君は、そういう事態も考慮したうえで、バイトを引き受けたはずだよ」
僕は顔をしかめる。そんな約束をしただろうか。
疑問を解消するように、千佐子は手元に置いてあったタブレット端末を操作してから、くるりと画面をこちらに見せる。そこには、バイトを引き受けた時に書いた、自分のサインが表示されていた。
「契約書。それは現代社会に蔓延る呪いさ」
要領を得ない。千佐子はさらに口を動かした。
「君はサインを書いたとき、契約書の内容をちゃんと読んだかい? 『フェイスによって起こるトラブルに関し、当社はなんら責任を負いません』という文章を目にしたかい?」
「な……」
言葉を失う。
率直に言って、目を通していない。千佐子に言われ、「そんな文章があっただろうか?」と思ってしまった。
契約書の内容を見た時、第一印象は文字の津波だ。膨大な量に読み気も失せてしまい、なんとなく、という気持ちで流し読みししてしまった。
「読んでない、とは言わせないよ」
千佐子の言葉は鋭い。
「サインしたってことは、読んだうえで了承した証。故に、文句を言う資格はないよ」
口の端を噛んで、俯く。ぐうの音も出ない。完敗だ。
「千佐子さん!」
新川ミコトが咎めるように名を呼ぶ。千佐子は先ほどまでの鋭い声とは違い、お茶らけた雰囲気で「いやぁ、言いすぎちゃった」と顔を歪ませ、変顔をする。場の雰囲気を和ませる思惑なのだろうが、僕の心を逆なでる効果しかない。
「加地クン、フェイスを使っていて、君が強く実感していることだろうけど、何かに身を任せることは非常に楽だ。人口知能が発展すれば、自分の身の回りを全て、機械がやってくれる未来が来るだろう。だけどね加地クン、楽を知れば、逆境に弱くなる。今の君がいい例さ、フェイスに言動を預けた故に、君は想い人でもない女の子とデートすることになってしまった。君にとって不本意な出来事さ。仮に告られたらどうするか、だったね?」
一瞬だけなんのことかわからず、僕は戸惑う。
そういえば、そんな質問していたっけか。
「フェイスをの電源を切り、自らの口で断る、だよ。故意じゃないにしろ、君は機械で人の心を弄んだんだ。彼女の好意に気付いた段階で、自ら行動を起こせば、この事態も避けれたはずだよ。だからせめて、断るぐらいは自分でやるべきじゃないかな」
千佐子の言葉はとてもまっとうに思えた。
打倒機械とのたまっておきながら、僕は機械に全体重を預けていた。
その事実に気付くと、悔しさに似た情けなさが込み上げてきて、
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