15.視聴者の目線

 ガラガラと引き戸を開けると、パソコン室からキンキンに冷えた空気が僕の身を包み、身震いした。中では美術部メンバーが、パソコンに向かい合って、マウスを動かしている。

 カチ、カチ。

 クリック音と、冷房、そしてパソコンの駆動音。声を発する部員はおらず、皆、僕のことなど気にも留めず、集中してモニターを凝視している。ただ一人を除いては。

「おぉ~~~加地!」

 入口からもっとも遠い席に鎮座する金髪の男。大樹が、僕に向かって手を上げた。その大きい声は、静かなパソコン室に響いた。

「どした? お前がここに来るなんて、珍しいな」

 彼の元まで行くと、キョトンとした顔で問われた。

 トモセンと会話したあと、パソコン室に訪れたのは、恥を忍んで答えたならば、彼の顔が、いや、部員たちの頑張る姿が見たかったからだ。

 大人と会話して「お前は子供だよ、未熟だよ」と言われ、同世代の、形は違えど芸術に打ち込む仲間たちを見て、なにかしら貰いたかった。

 とまぁ、そのような平たく言えば寂しいって気持ちを、僕が大樹に言えるわけもなく、暮れなずむ夕景が見える窓へとそっぽ向きながら、「いや、まあ、なんとなく、な」と答えることしかできなかった。

 濁った言葉しか言えない僕にとって「へへ、嬉しいぜ」と臆面もなく白い歯を見せる彼が眩しく感じる。

 しかし、まあ、と僕はあらためてパソコン室を見渡す。

「キャンパスではなく、モニターとにらめっこする美術部員なんて、昔は考えられなかったんだろうなあ」

 唐突にそんなことを思った。

「アナログは、色々と面倒だしな。キャンパスを準備するのも、木枠に紙を張り付けるのとか大変だが、パソコンならちょちょいのちょい、だ」

 大樹は「それに」と付け足した。

「昔と違って、彫刻と絵画だけが芸術じゃない。バーチャルに潜れば、ジャンルに限りはない。選択肢は夜空に浮かぶ星々くらい多いかもな」

「そうだな」

 僕は憂いを感じていた。

 どうして、僕は、絵画なのだろう、と思った。しかも、アナログ。

 時代遅れもいいところだ。

 火縄銃でビームガンを持ったロボットに挑む図が頭に浮かんだ。そんな悪いイメージを振り払うように、僕は口を開く。

「お前はそんな億万の星々から、『VR作品』という自分だけの一等星を見つけたんだな」

「…………」

 大樹は笑いもせず、目を丸くさせている。僕の凝った言い回しに、「なんだよそれ」とか言いながら、少しは笑ってくれると思ったのに、当てが外れて不安になる。

「なんかリアクションしてくれ。こっちが恥ずかしくなる」

 ついには愚痴を漏らしてしまう。

「いやさ、らしくねーこと言うから、つい、驚いちまった」

 僕のジョークに、驚く。つい最近、同じようなことがあった気がした。

 ……そうだ、トモセンだ。トモセンも僕の軽口に同じようなリアクションをしていた。2人とも、そんなに驚かなくてもいいじゃないか。僕だってジョークの一つや二つ言ったり……しないな。

 僕は寡黙一辺倒な人間だ。以前なら冗談なんか言わなかった。

 以前? どこを線引きにしての以前だ。

 決まっている。それはフェイスを付けてからだ。

 強制的に表情を動かされ、喋らされているうちに、変化してしまったようだ。

「柴山」

 3年生の先輩が大樹に声をかけた。その声により、思案の海から這い出る。大樹が「どうしました」と答える。一瞬だけ雑談を咎められると思ったが、

「進捗、上げたんで、確認よろしく」

 作業完了の報告であった。

「りょーかいッス!」

 大樹含め他部員たちは、VRゴーグルで見ることを想定とした5分程度の映像作品を作っている。全編フルCGらしいので、作業量はえげつないほど多い。作品内に出てくる全てをパソコン上でモデリングしなければならない。小道具から人物まで、一から作成しているのだ。舞台を整えたら、カメラを動かし、音声を付け、映像を編集する。実写の映像作品とは違い、0からすべてを作らないといけないので、作業量は膨大だ。

 美術部員は約20名。俺と新川ミコト以外の部員は、1作品を仕上げるために動いている。夏休みの最終日に締め切りがあるコンクールに提出するため、彼らは日々作業に勤しんでいる。それらを統括する監督役が大樹だ。3年の先輩もいる中、彼が抜擢されたのには理由がある。

 単純明快な理由。部員の誰もが彼を一番優秀だと認めているからだ。

 大樹がマウスを操作すると、画面上には4秒ぐらいの短い映像が再生される。先ほど声をかけた先輩の担当パートなのだろう。

 完成品はVR映像ということで平面のパソコン画面に映った映像は、横長に伸びてしまっている。大樹は、そんな歪んだ映像を何度も繰り返し確認する。

 画面を見る彼の横顔からは、先ほどの陽気な気配は消え失せ、研ぎ澄ましたような、ピリッとした空気を身にまとっている。切り替えの鋭さは、彼の長所だ。

 映像を十分確認し終えた大樹は、繰り返し再生されていた映像を一時停止すると、件の先輩を呼び寄せた。

「この母親の顔が映る場面、もう少し長く表示させたほうがいいと思います」

 先輩の顔が一瞬だけ、険しくなる。

「どうして?」

 語義が強い。大樹の指摘に不満を抱いているのだ。先輩は己の意見を述べる。

「ここは冒頭の部分。テンポを早めて視聴者を引き付ける必要があるだろう」

 先輩の中にかっこたる理論があるようだ。引くつもりはないらしい。

「それは違う」大樹は真っ向から否定した。

「冒頭で大事なのは理解だ。ちゃんと初めて見る人間の視点に経って作っていますか? 母親の顔が映る秒数は2秒未満。俺たち作ってる側は、この女性が母親だとわかっている。事前知識があるからな。しかし、映像を見た人間は違います。女性の顔が出てきて、まず、この人は誰なんだろう? と疑問に思う。だが、疑問が解消されぬままカメラが動いてしまう。そうして、女性が誰なのか理解できず、次へ次へと進んでしまう。結果、視聴者にとってはよくわからない映像を数分間見せられ、感動を与えることはできない。冒頭で理解ができなかったら、それ以降がすべて台無しになるんですよ」

 大樹はパソコンモニターを指でトントン、と叩く。

「視聴者の目線になってください、これを見て、見た側がどう感じるか、想定しながら作ってください」

「……わかった」

 先輩は踵を返すと、自分のデスクへと戻っていった。悔しい気持ちはあるけど、大樹の意見を吞み込んだ素振りであった。

「視聴者の目線」

 僕がポツリと呟くと、大樹は「ん?」と僕を見た。先ほどの鋭利な気配はなく、いつもの陽気な彼に戻っていた。

「いや、僕にも欠けている点だな、と思ってさ」

「ま、それが加地の美点な気もするけどな」

 ケラケラ笑う彼の声は、僕の耳には届いてなかった。

 僕は思案する。暗い海に潜っていくような感覚。

 伝えたいこと。

 見る人の視点。

 それらを意識したとき、踏みしめるべき足場が途端に消えた。

 自分の絵で、伝えたいことが、まるで見えなかったのだ。

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