14.才能の在りか

 真っ白なキャンパス。

 何もない空間。

 そこに線を加えると、ルールが生まれる。

 無から有へ。

 白から彩へ。

 頭に思い浮かぶ理想を、この世界に具現させるために、

 筆で、世界を生み出すために、

 色彩で白紙のキャンパスに息吹を与えていく。

 線で、色で、事象を生み出す。


 やはり、色を塗るのは楽しい。

 ただ一つのことに、のめりこむのは、ある種の心地よさがある。

 頭が研ぎ澄まされて、静かになる。

 水面の上で、波を立てないように、直立しているような感覚。

 慎重になり、

 呼吸は浅くなる。

 意識は、四角い枠へ、没入していく。

 ついには、己の腕すら消えて、脳と筆が直結する。

 まさに、想い、描く。

 意のままに。

「――――――」


 コトリ。

 筆をパレットに置く。

「ふぅ……」

 集中が解け、夢から覚めたような気分になる。

 美術室に唯一人、僕はキャンパスに向かい合っている。来たときと室内の雰囲気が大きく変わっている。高かった日は暮れかけており、美術室を真っ赤に染めている。

 絵を描いていたら、一瞬にして一日が終わってしまった。

 キャンパスには、一人の少女が描かれていた。

 堺小百合だ。

 彼女は自分が見てきた中で、一番美しい女性であった。だから、モチーフに選んだ。

 美しいもの描きたい、それは、絵描きにとって当然の衝動であった。

「なるほど。君は幸薄そうな女の子が好きなのね」

「うわっ!」

 耳元で声がしたので、僕は反射的にのけぞる。

 声の主は、美術部顧問、自称美人教師、「トモセン」こと、桜坂とも美先生。顎をさすりながら、なにやら難しそうな顔で、キャンパスの中の小百合を観察していた。

 一人だと思っていたが、いつの間にか隣に立ち、僕が絵を描く様子を観察してたらしい。

「はぁ~~~……やっぱ、流石だわァ……」

 おっさんがビールを飲んだ時のような感嘆たる声を漏らしながら、トモセンは、絵に顔を近づけて、舐めるように僕の絵を観ていた。上から下へ、右から左へ、視線でキャンパスを焼き尽くすかのように、隅々と凝視尽くす。

 約5分後。満足したのか、ふむ、と頷いた。

「青木は、この子が好きなんだね」

「はっ⁉」

 不意の宣告に、一瞬にして顔は沸点に達する。頬の紅潮が、熱だけでわかる。

「こ、ここここれは、架空の人物ッ。実在はしない」

「はん、美術部顧問の慧眼を侮るなかれ。筆のノリからモチーフに対し、どういう感情を抱いているのかなんて、一目瞭然だっつーの」

 言われて、改めて自分が描いた絵を観てみる。平面の小百合がこちらを見ている。これまでの自分の絵と比べ、さほど差を感じない。筆がノッているとか、そういった情報はわからない。自分の描いた絵だからこそ、客観視できていないのか、それとも僕の観察眼がその域に達していないのかもしれない。

「先生は、腐っても絵描きなんですね」

 僕の軽口に一瞬驚いてから「言うじゃない」とトモセンは挑発的な笑みを浮かべる。

「腕のほうはクソ雑魚だけど、目のほうはわりと自信あるのよ?」

「じゃあ、新川ミコトに比べて、これはどうですか?」

 僕は、思わず聞いてしまった。

「圧勝よ。もちろん、ロボットのほうが」

 トモセンが「新川ミコト」ではなく「ロボット」と言ったのは敢えてなのだろう。ロボットの平均値を超えられていないのだ。

「そう、ですか」

 なんとなく、結果はわかっていたけれど、僕はショックを隠しきれなかった。

「まあ、気合を入れただけで、ロボットの上を行けるのなら、苦労はないわね」

 トモセンは、苦笑を浮かべた。なにかしら思い出しているような、彫りが深い苦笑であった。僕は頷いて同意した。気合や意気込みは大事だけれど、結局のところ絵の善し悪しは、詰み上げてきた努力と、生まれ持ったセンスで決定する。

「ロボットを超えるには、どうすればいいんでしょうね」

 ロボットに筆を折られたトモセンに聞いたところで、満足する答えが返ってくるとは思えなかったが、聞かざるを得なかった。

「ロボットに絵の仕事を奪われた現代でも、一握りの人間は、絵を生業にしてる。ってことは、なにかしらの方法はあるのでしょうね」

「やっぱり一握りの人間には、有無も言わせぬ圧倒的才能があるんですかね」

 僕の言葉に反応し、トモセンの纏う空気が一瞬ピリついた気がした。

「なんでも、才能で片付けるのは良くないわね」

 トモセンの先生みたいな口調に、僕は「は?」と低い声が出た。自分でも驚くほど尖った低い声だった。

「なんスか、アレですか? 天才も努力しているとか、そんな使い古された定型文でも言うつもりですか」

 トモセンは困ったように笑いながら、頬を掻いた。

「はは、そのつもりでした」

 僕は呆れた。

「ほんのちょっぴり、ハッとする名言を期待した僕がバカでした」

 不意に、トモセンは人差し指をピッと立てた。彼女が大事なこと言う時、よくやる癖だ。

「でもね、才能とか天才ってのは、得てして負けた人間が言い訳に使うものなのね。率直に言えば、ダサい言葉なのよ」

「…………」

 なんだか釈然としない理論だったが、なんとなく納得できるような気がした。

「それにね。高校生ってのは、当人が思うよりずっと子供なの」

 話が急に変な方向に行ったので、顔をしかめる。

「どういうことですか?」

「未熟な段階で、己の才能を語るのは、早すぎるってことよ」

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