第2章

12.条件

殺人的な日差しが空から降り注ぐ。

 汗が滲み、背中にシャツが張り付く。暑い、と項垂れながら、一歩一歩、目的地に向かっていた。

 目的の場所は、堺小百合の家。口封じのためだ。口封じ、と言えば殺すみたいだが、当然ながらそうではない。交渉するのだ。

 先日、僕が「フェイス」のことをロボット越しに彼女に言ってしまった時、住所を聞くと、いとも簡単に答えてくれた。そんなに簡単に個人情報をバラしていいのだろうか、こちら側が心配になるほど、あっさり答えてくれた。

 小百合は住所の他に、自分が堺館長の娘であること。病弱なので、家に引きこもっていること、を教えてくれた。ちなみに小百合に会いに行くことを館長には伝えていない。男子が女子宅に訪れることを、父親として快く思われないだろうからだ。

 あと、単純に僕自身が館長を快く思っていないので、会話は極力避けたいのだ。

 とにかく。

 僕は、うだるような暑さの中、堺小百合の家に向かっているのだ。

「ここか」

 一般的な二階建ての家を見上げ、場所が正しいのか三度確かめる。別の家を訪ねると大変だ。

 首に付けられた「フェイス」が、僕がかけている眼鏡のレンズを通して、目的地はここである、と伝えてくれている。「フェイス」はチョーク型携帯端末「エスパ」としても使えるので、ここまで道案内をさせていたのだ。

 表札を見ると、たしかに「堺」と書いてある。間違いはなさそうだ。

 端末用の眼鏡を外して、ケースへしまってから、僕は、玄関のインターホンを押した。

 ピンポーン。

 間延びしたチャイムが玄関戸越しに聞こえた。

「…………」

 蝉の鳴き声がただひらすらに聞こえる。中からは返事がない。

 蝉は鳴き続ける。繰り返されるシャクシャクという鳴き声が、体感温度に影響してくるのはなんとも不思議な話だ。

 ガチャリ。

 不意にドアが開く。

『どうぞ~~』

「うわっ⁉」

 僕は素っ頓狂な声を上げた。内から扉を開けたのが、LEDの双眸をしたロボットだったからだ。

『ごめんね。驚かせちゃって』

 ロボットのスピーカーから鳴る堺小百合の声が謝る。

 ロボットは手を合わせて、小首を傾げた。鉄でできたそれが、女々しい挙動をするのは、単純に言って気持ちが悪かった。

 僕が呆然と突っ立ていると、『ささ、上がって上がって』と促してきた。

「お邪魔します」

 僕は恐る恐る敷居をまたいだ。

「こっちだよ」

 ロボットが先導し、家の通路を歩く。僕は背中を追う。ただの一軒家に、金属の塊であるいかにもなロボットがいるのかなりミスマッチで、すごく奇妙な光景だなあ、とか思っていると。

「ここだよ」

 ある部屋の前で立ち止まった。扉には「SAYURI」と書かれたネームプレートがかかってある。本当にこういうの、あるんだな。いかにも女子の部屋って感じだ。

 ロボットは案内を終えると、魂が抜けたように、スンと動作を止めた。

 僕は今一度木製の扉を見る。向こう側が透けるくらい、凝視する。

 この扉の先に、堺小百合がいる。

 思えば、女子の部屋に入るのは初めてだ。それに、僕は人並み以上に人見知りなので、初対面の人間と会うときは、それなりに緊張する。

 コンコンと、硬い戸をノックすると内から「どうぞ」と返事があった。

 僕は一旦呼吸を整えてから、取っ手をひねった。

「失礼します」

 半自動的に口から出た断りと共に、中へ入る。

 大きな瞳と目が合った。

 僕と同世代の女性が、ベッドから上半身だけ起こし、こちらをジッと見ていた。

 僕はそんな堺小百合を見て、息を呑んだ。理由は単純、なにせ、彼女はとても美人だったからだ。白状すると、僕は彼女に見惚れていた。

 彼女に対して抱いた印象は、「純白」であった。

 そう感じたのは、病衣みたいな白い服のせいかもしれないし、いかにも日光を浴びてなさそうな白い肌のせいかもしれない。

 だけど、僕がそう感じたなによりの理由は、彼女から感じるあどけなさ原因だと思う。

「初めまして、加地くん」

 そう言って、彼女はにへらと笑った。とても愛嬌のある笑顔であった。警戒心がまるでない、人懐っこい笑顔は、子供を連想させた。薄い服から覗かせる体のラインは大人のそれであるくせに、表情は歳不相応に幼かった。

「私が堺小百合です。よろしくお願いします」

 彼女はペコリと頭を下げた。

「え、あぁ、加地、です。青木加地」

 釣られて僕もぎこちなく礼をする。そんな僕を見て、彼女は満足そうに「はい」とほほ笑んだ。やはりそれは、とても自然で、純粋無垢な笑顔だった。

 人付き合いのそれではなく、本当に嬉しいから、笑っているのだ。

 ある程度大人になっても、そんな表情をできる人間が、この世にいるんだな、と僕は静かに驚いた。

「ん」

 彼女はベッド脇に置かれた丸椅子をポンポンと叩いた。立っていないで、座ったらどうだ、ということらしい。僕はそれに従うことにした。

 椅子に腰を下ろすと、ベッドに座る彼女と同じ目線になった。それだけのことで、彼女を直視することが困難になった。なんというか、目が合うと、心拍数が上がり、頬が熱くなってしまうのだ。

 それにベッド脇へと近づくことによって、彼女との距離も当然ながら近くなる。

 近づけば、彼女が鮮明になる。

 肩まで伸びた艶やかな黒髪も、病衣の隙間からのぞく白い鎖骨も、薄紅色の唇も、大きな黒目も、そのどれもが鮮明になる。純白たる彼女を直視するのは、かなり難しかった。

 つい視線を外すと、ベッド脇の棚にある写真に目が止まる。

 一軒家の玄関の前で、2人の男女が笑っている写真。女性は赤ちゃんを抱えている。男の方には見覚えがあった。哲也館長だ。彼ら背にしている玄関も今しがた見たばかりだ。この家の玄関だ。

――哲也館長は、交通事故で家族を失っている。

 映画館で聞いた哲也館長の噂が頭によぎる。女性はきっと、哲也館長の奥さんで、抱えている赤ちゃんは小百合。そして噂が本当なら、この女性は既に、

「ねえ、これ」

 思考が中断される。

 これ、と言われれば、彼女を見ざるを得ない。視線を向けると小百合は文庫本を両手で持ち、胸元で掲げていた。

「これ今読んでるけど、すごく面白いの!」

 表紙には「鋼鉄都市」と書かれている。小説、なんだろうか?

「昔の有名なSF小説なんだ。ドームに囲まれた街。宇宙人にロボット。もう、すごくSF要素がてんこ盛りなの! でもね、それだけ未来要素ばかりなのにね、ある場面で主人公の息子に連絡しなきゃって場面でね、公衆電話に向かうの。書かれた当時は、1950年。携帯電話なんてなかった。ロボットとか、ドーム都市やら光線銃なんかも作品に出るのに、携帯電話が出ないのって面白いよね」

「…………」

 僕は面食らった。まさに、水を得た魚であった。話し相手を得て、小百合はウキウキしてるようであった。ベッド脇には、文庫本が何冊も積み上がっていた。彼女は読書家なのだろう。

小百合は「それにね」と本の塔へと手を伸ばす。

「ちょっと、ストップ」

 僕はたまらず制した。

「なに?」

「僕は、君と談笑しに来たんじゃない。交渉しにきたんだ」

「その首輪のことを誰にも言うなって、口止めしにきたの?」

 小百合は顎で、僕の首に装着された「フェイス」を指す。

 僕は頷いて、肯定する。

 小百合は一転して、真面目な顔になる。

「口止めには、条件があるわ」

 あらかじめ用意された言葉だったのだろうか。どこか芝居がかった言い方だった。

 小百合はピースサインを僕に向けた。どうやら条件とやらは2つあるらしい。

 二本立てたうちの中指を折り曲げる。

「1つ目は、毎週一回以上はここへ来ること」

「うん」

「2つ目は」人指し指を折り曲げる。「私に一週間で起こった出来事を話すこと」

「……うん?」

 なんというか、拍子抜けした。

 条件、なんて仰々しい言い方をするから、もっと重いなにかを提示してくるかと思ったが、なんてことはない。週に一回、私と会話しろ、ってことだ。

 美しい小百合とお喋りできるのだ。こちらから願いたいくらいの好条件である。

「どう?」

 どうしてか、小百合は不安げであった。まるで、条件を断られることを恐れるような表情である。

「どう、と言われても……僕は君に、秘密を握られているんだ。従わざるを得ないよ」

 嬉しい感情を素直に晒すのには慣れていないので、仕方がない、というスタンスで彼女の頼みを聞き入れた。性根がねじ曲がった僕の回答に、小百合は顔を明るくさせた。

「やったぁ! 嬉しい」

 その嬉しそうな笑顔のせいで、僕も笑いそうになるが、僕は僕自身の笑顔が嫌いなので、意識的に口角を上げないように努めた。

 その後、小百合の口は動き続けた。本を読んで、よほど己の中に感想を蓄えていたらしい。2時間ほど、彼女が読んだ数冊の小説、その解説を聞いていた。

 普段から読書をしない僕。馴染みのない内容だったが、やはり嬉しそうな彼女の顔を見ていると、僕も嬉しくなってしまう。僕にとっても幸せな時間となった。

「そろそろ帰るよ」

 と別れを告げた時、彼女は眉尻を下げて、見るからにしょんぼりした顔をしていた。なんだかいたたまれなくなった僕は柄にもなく「また来るよ」なんて言ったりした。その言葉を聞いて小百合は嬉しそうに笑った。

 小百合の家から帰る道中、僕は本屋に寄った。彼女が紹介した本があったので、購入した。次会うときまで読んでおこう、と思った。

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