11.堺小百合

 映画館の休憩室にて、僕は机に突っ伏していた。部屋には僕一人だけ。フェイスの電源は切ってある。もう、線が千切れそうであった。

 「フェイス」によって、人から好意を浴びるのも

 「フェイス」に関することを、誰にも言えないことも

 バイトを始めて一週間程度なのに、もう、限界が近かった。

「あ~~……」

 形容しがたい気持ち。なにもかも納得いかない、なにもかもめちゃくちゃにしたい、そんな破壊的衝動をなんとか発散するために、僕は低く吠えた。僕の声は、誰に聞かれるでもなく、部屋の壁に吸い込まれて消えた。

 ガチャリ。

 不意に扉が開いたので、僕は弾かれるようにして背筋を伸ばす。手は反射的にフェイスの電源ボタンへと伸びる。しかし、入ってきた人物を見て、ボタンを押すまではしなかった。それは、人ではなかったからだ。

 LEDに双眸に金属の身体。ウィーンとモーター音が微かに聞こえる。

 休憩室に入ってきたのは、館長が溺愛していると噂の入場ゲートに佇むロボットであった。

 何しに部屋に入ってきたのだろう、と訝しんでいると、ロボットは壁に取り付けられた充電器に向かった。黒い突起物を背中に刺す。カチョン、と乾いた音を鳴らして連結。LEDの双眸が赤く点滅をはじめた。

 どうやら充電するために休憩室に訪れたらしい。

 休止モードへと移行したロボットは、まるで眠ってしまったように、動かなくなった。

 そこでようやく、肩の力が抜けた。

「フェイス」をオフにしている時に入ってきたのが、このロボットでよかった。もし人間だったならば、面倒くさいことになっていたかもしれない。ロボットならば、素の自分を見られたところで、問題はない。

「…………」

 眠るロボットの横顔を見ていると、ある衝動が沸き上がってきた。

 僕はおもむろに立ち上がり、ロボットの前へと移動する。そして、首の『フェイス』を取り外し、ロボットの点滅する双眸の前へと突き出す。彼によく見えるように。

「これは『フェイス』。自動コミュニケーション……アイテムだっけ、とにかく、これを付けていれば、この機械が僕の顔と口を動かし、勝手に会話をしてくれる」

 込み上げてきた衝動とは、秘密の開示であった。ため込んだものを吐き出さなければ、もうパンク寸前であった。まあ、千佐子にも言える事柄ではあるものの、あのニヤケ面に本音を言うのは難しい。

「僕がこの映画館で一定の地位を築けたのは、この『フェイス』のおかげなんだ。みんなが好きなのは、僕ではなく、これ。」

 つまんだ銀輪を揺らす。

「……本当に、なんか、もう阿呆みたいだ。これまでずっと絵を描き続けてきて、描いて、必死に描いて、技術を高めてきたというのに、それは評価されず、逆に馬鹿にされて……」

 これまで「無駄な努力」と馬鹿にしてきた人間の顔と言葉が思い出される。そこには、親の顔も含まれている。

「完璧に取り繕える仮面を被れば、周りから親しまれる」

 脳裏に笑顔が浮かぶ。そこにも、親の顔が含まれていた。

「僕がいくら足掻いたって、機械に勝てることはない……僕に存在価値なんて、ない」

 声が震えてしまっていた。気づけば、視界は歪んでいた。

『そんな、哀しいことは言わないで』

「へ?」

 不意の励ましに、僕は間抜けな声を発した。相対するロボットの右手がゆるやかに動く。金属でできた手は僕の頬をつたう涙を優しくぬぐってくれた。

『あなたは、無価値なんかじゃない。絶対に』

 僕は驚いて、ロボットから一歩距離を置いた。

 それは、ロボット特有の人工的な声ではない。まぎれもなく肉声であった。言うならば、電話越しに聞こえる女性の声。

 そこで、僕は全てを悟る。

 僕は勘違いをしていた。程度は違うが、新川ミコトのように人工知能が、ロボットを動かしているのだと思っていた。だがこのロボットは誰かが遠隔操作しているのだ。僕に語りかけてくるのは、操縦している人間だ。

 つまり、他言無用の『フェイス』の情報を、知らぬ誰かに話してしまったのだ。

「アンタ、誰だ?」

 驚嘆しながら問うと、ロボットは答えた。

「私は、堺小百合。館長の娘です」

 鉄の顔がニコリと笑ったような気がした。

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