8.映画館
「君が、青木加地くんだね」
「はい。僕が青木加地です」
僕のオウム返しに、正面に座るやせ細った中年男性は一瞬の間を置いてから「ふむ」と頷いて、手元にある履歴書へと視線を落とした。
僕は今、バイトの面接を受けている。場所は映画館。その事務所に僕はいる。
これは、「フェイス」のモニタリングの一環である。
「フェイス」の性能や不備を確かめるため、映画館で接客業を行うのだ。
映画館と言えど独立したものではなく、ショッピングモール内にある映画館だ。
「千佐子さんから概要は聞いてるよ。いやはや、会話の自動化とは、世の中すごい時代になったもんだね」
「はぁ、……まぁ、……そうですね」
「……青木くんは、映画を見るのかな?」
正面に座る中年男性、もとい、館長、堺哲也は微笑みながら問うてくる。痩せこけてるせいか、その微笑みはとても幸が薄く見える。腕も細く骨ばっており、吹けば飛んでいきそうだ。映画館業務のブラック度合いが露呈されるような体格である。
「いえ」
僕はキッパリと答えた。僕の「いえ」のあと、哲也館長は黙って続きの言葉を待った。しかし、僕はそれ以上の言葉を持ち合わせてはいない。
数秒の沈黙のあと、哲也館長は再び口を開いた。
「……まあ、この際、映画に興味を持つといい。スクリーンで見るからこそ味わえる感動もあるからね。君は絵を描くらしいじゃないか。映画は総合芸術だ。きっと、君の創作にも役立つはずだよ」
「……はあ」
なんと言葉を返せばいいのかわからず、曖昧な返事をしてしまう。
哲也館長から笑みは消え、僕を吟味するように目を細める。
「加地くん。映画館の仕事は主にお客様の接客だよ。……そんな態度じゃ困るなあ」
そんな態度、と言われて、僕は俯いてしまう。己の言動が悪いことはわかっている。だが、より良い対応が具体的に浮かばな以上、より良いパフォーマンスを発揮することはできない。
「あっ」
僕は首元に付けてあるチョーク型携帯端末兼、自動コミュニケーションツール「フェイス」のことを思い出した。首元に装着されているので、どうにも存在を忘れてしまう。
おもむろに、電源を付ける。
言論の主導権を、機械に預けた。
僕は、……いや、「フェイス」は、力いっぱいの笑顔を作り、顔を上げた。
「本来の僕は根暗ですが、『フェイス』を起動させた僕ならば、心配ご無用です」
「フェイス」は僕にそんなことを言わせて、頬が攣りそうになるくらいニカッと笑みを強めた。
哲也館長の目が変わる。疑って細めた目は見開き、信頼の炎がそこには宿っていた。
「こりゃ凄い。まるで別人だ」
なにが嬉しいのか、哲也館長は顔を明るくさせた。
喋り方と表情だけで、ここまで人に与える印象が変わるのか。僕はどこかウンザリした気持ちになる。
その後、談笑が始まり、さっきまでどこか淀んでいた事務所の雰囲気は、笑い声に溢れ、活気のようなもので満たされた。
僕の口が、僕の言葉が、哲也館長と会話しているはずなのに、僕自身のつむじを見ているような、客観的な感覚で2人の会話を聞いていた。
疎外感。仲間外れにされているような気持ちに、顔をゆがめたくなる。しかしながら、そのような感情は表に出ない。「フェイス」は僕をニコニコ笑わせている。表情や声に出さなければ、気持ちは外へは出ないし、認識もされない。
そうして、映画館でのバイトが幕を開けた。
ちなみに、僕にとって初のバイトとなる。
映画館のバイト内容は大きく2つに分かれる。
各スクリーンにて上映が滞りなく行われているのか確認したり、上映後のゴミを受け取ったり、主に館内での客の対応をする「フロア」。
もう一つが、ポップコーンやドリンクなどの飲食物や、映画関連グッズを販売する「コンセ」。僕は「コンセ」に配属された。
飲食物を販売するだけの仕事だ、簡単にできる、と甘く見ていたが、何かと覚えることが多くて思いのほか大変であった。顔は「フェイス」によって勝手に動くが、体は自分の意志で動く。つまり、仕事を覚え、実行するのは僕自身、ってわけだ。
夏休みの映画館は、かなり混む。
夏休みには大作がいっぱいだ。それらの上映前、売店は戦場と化す。
膨大な客が、ポップコーンやドリンクを求め、売店へなだれ込む。売店レジ前には、長蛇の列がいくつもできる。数にすると、約400名弱。それら全てに飲食物を与えるために、スタッフはレジ裏を走り、ポップコーンやドリンクを準備し販売する。
そうやって必死になっても、客という生き物は傲慢だ。礼すら言わない。金を与えたのだから、店員は命令通りに動くことを当然だと思っている。
一番腹が立つのは、子供の接客をする時だ。「フェイス」は僕にニコニコさせ、「いらっしゃいませ、ご注文はいかがなさいますか?」と敬語を喋らせる。反吐が出る。どうして僕がガキどもにへーこら首を垂れないといけないのか。そして、ガキどもはそれが当然という顔をして注文してくる。今すぐ顔面をぶん殴りたくなる。
「ありがとございました!」
そんな黒い感情は「フェイス」によって遮断される。常に僕をニコニコさせ、ハツラツとした声を喋らせる。心に募る不平不満は、表に出ることがなかった。
「フェイス」を起動させている間、僕は無敵だった。
さわやかな笑顔に、相手を尊重した相づち。完全無欠な愛嬌によって、接客はパーフェクトでバイト仲間の中ででは人気者になっていた。まるで、学校での新川ミコトのような存在に、僕はなっていた。
みんな、僕を見る目が、いつもと違う。
馬鹿にするような、蔑むような、見下すような、嫌悪するような、そういった視線はどこにもない。
皆が等しく僕に懐いていた。
僕へ向ける表情に仏頂面はない。明るい笑顔。それが僕にとっては稀であったので、とても奇妙に思えた。他人の笑顔は僕にとっての異物であった。
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