7.フェイス

 土曜日。

 僕はオーバー社の地方支社の最寄り駅に居た。降車場に佇んでいると、1台のセダン車が目の前で止まった。助手席のパワーウィンドウが下りると、新川ミコトの顔がそこにあった。

「おまたせ。迎えに来たよ」

 僕はため息を吐いた。休日にコイツの顔を見なきゃならんとは。

 僕は後部座席に座る。運転席には人がいない。どうやら自動運転らしい。独りでにハンドルとアクセルが動く。車は走り出した。


 移動すること30分程度。オーバー社の地方支社の門をくぐった。敷地はかなりでかかった。東京ドーム何個分、という表現がお似合いの広大さだ。デパートくらい大きい工場が複数もある。車移動が基準らしく、敷地内は道路が張り巡らせている。まるで小さな街だ。

 僕らが乗った車は3階建ての建物の前で停まった。周りは大きい工場ばかりなので、3階建てと言えど小さい印象を受ける。

「行こうか」

 車を降りて、ミコトの背を追う。知らない敷地だが、知った人間がいると少し落ち着く。その相手が新川ミコトってのが嫌な部分ではあるが。

 受付を抜け、エレベータに乗り、廊下を歩く。

「ここだよ」

 どうやら目的の部屋に辿り着いたらしい。

 ドアの上には「第三会議室」と書かれている。

 ミコトが2回ノックすると、中から「どうぞぉ」と返事があった。

 中に入る。1人の女性がこちらに背を向けて、窓際に佇んでいた。Tシャツにデニム、というラフな格好。窓から外の風景を眺めているらしい。

 細い、というのが第一印象であった。ポキリと折れてしまいそうなほど、その体躯は華奢で頼りなかった。女性にしてみては身長が高いのも細く感じる理由の1つだろう。

 肩まである黒髪は、ボサボサとしていて寝ぐせみたいにところどころ跳ねている。。

 彼女は不意に振り返る。

「やーやー、ご足労かけて申し訳ないね」

 先ほど受けた印象に泥を塗るようなニヤケ面を浮かべていた。背中での印象も良い部類ではないが、その表情が印象ポイントを大きく減少させる。不快感を煽る表情には見覚えがあった。

「アンタが、前川千佐子、さん?」

 問うと、彼女は「ふふん」と鼻を鳴らした。

「その通り、初めましてじゃないけど初めましてだね、青木加地クン」

 さらにいっそう笑みを強める。僕は「うげ」と顔をしかめそうになる。

「ハハ、君は顔に出るね。やはり私の笑顔は醜いかい?」

 抑えるつもりが顔に出てしまっていたらしい。反省する気持ちが湧いた。

「あ、いや――」

 咄嗟に取り繕ったことを言おうかと思ったが、本心は既に表情に出してしまった。今更社交辞令を言ったところで逆に失礼な気がした。正直な感想を述べよう。

「――最低の部類ですね。見ていてイライラします」

 ちょっと強い言葉を使ってしまったが、なんだかひょうひょうとしている人だし、これくらいハッキリ言っても大丈夫だろう。その証拠に千佐子は僕の物言いを聞いて「アハハ」と盛大に笑っている。

「ハハハ、ねぇ、ミコッちゃん!」

 呼ばれて僕の一歩後ろにいるミコトは「はい?」と首を傾げた。

「長いロープを持ってきておくれ、私はここで死のうと思う」

 笑顔だった表情は暗転するように絶望に染まる。

「げっ⁉」

 僕の当ては外れてしまったらしい。

 図太いと踏んでいたが彼女の心は繊細らしかった。額にドッと汗が噴き出す。なんとかせねば!

「う、嘘ですよ。えと、あのその……素敵。うん、めっちゃ素敵ですよ千佐子さんの笑顔。うん。もー、なんていうか、素敵。うん。その一言に尽きます」

「あーはいはい、社交辞令アリガト」

 当然ながら弁明のような誉め言葉は空を切った。何かもっと良い言葉を言うべきなのだろうが、頭の隅々まで探してみても適当な言葉はない。

 僕がわたわたしていると、「くふふ」と千佐子は口元を抑えて笑った。

「まあ、死ぬのは冗談だよ。純真だね、加地クンは。からかいがいがあるよ」

「は?」

「でも傷ついたのは本当だよ」

「すみません」

「構わないさ、嘘をつけない君みたいな人間こそが、今回のバイトに適しているからね」

 千佐子は「ささ、立ち話はこのへんにしよう」と手を差し伸ばして、座るように促した。

 部屋の中心には会議用の机があり、囲うように椅子もある。

 僕は釈然としない気持ちを抱えながら、入口に一番近い席に座る。腰を下ろすと、思いのほか腰が沈んだ。高級感あふれるザラザラとした革製の手触り。世界的大企業のオーバー社。会議室の椅子にも一級品を使っているらしかった。今にしてようやく僕は、場違いなところへ来たのだと実感した。緊張が色濃くなる。

 ――いやいや、吞まれては駄目だ。

 オーバー社への対抗心を奮起させ、心を強く保つよう心掛ける。

 対して千佐子はあっけらかんとしていた。相対する千佐子は。背もたれに体重を預け、ふんぞり返っていた。

「ミコトちゃん例の物を」

「はい」

 へそのあたりでコトリ、と固い音が鳴る。何かと思って見おろしたら、そこには金属製のチョーカーが置いてあった。

「アルバイトの内容を簡単に説明すると、その新商品を扱って感想を聞かせてほしい。いわば、モニタリングってやつだね」

「これって、『エスパ』じゃないですか」

 「エスパ」とは、チョーカー型携帯端末である。現在、携帯型端末第二次転換期と言われている。第一次は「ガラパゴス携帯」から「スマートフォン」。第二次は「スマートフォン」から「エスパ」だ。

 携帯型端末の所有者、その3割がエスパを使っている。街を歩けば、たまに見かける程度。普及率は発展途上の段階だが、確実に所有者は増えているらしい。

 「エスパ」は脳波で操作する。専用の眼鏡がディスプレイとなり、まさに言葉通り思うがままに画面を操作できるのだとか。慣れるまでは大変だが、使いこなせば指での操作が億劫に思えるほど直感的に操作ができるらしい。

「これが、『エスパ』……」

 僕は「エスパ」を使用したことがない。間近で見るのは初めてだ。新鮮な気持ちで手に持ってみる。サイズに比べて意外とズシリとくる。留め具を外して首に装着してみる。金属特有のひんやりとした感触。先ほど感じた重さのおかげで、なにか高級なものを首に付けているような実感がわいた。

「側面のくぼみが電源ボタンだよ。長押しでスイッチオン」

 千佐子がジェスチャーするので、それにならって「エスパ」を撫でると確かにスイッチらしきくぼみがあった。しかし、押すのは憚られた。千佐子が含みのあるニタニタ顔を浮かべていたからだ。まるで何かを期待するかのような顔だ。

「『エスパ』って専用の眼鏡が必要ですよね。このまま電源入れても意味ないんじゃ……」

 千佐子はじれったそうに眉を寄せる。

「それは特別だから大丈夫なの。いいから早く付けなよ」

 苛立ちにより千佐子の声は低い。

 疑いは確信に変わる。このエスパは普通ではない。ボタンを押せば何かが起こる。

「……ボタンを押すとどうなるんです?」

「起動するだけだよ。なにもない」

 千佐子はまっすぐこちらを見て答えた。これは女性が嘘をついている時の挙動だ。嘘だからこそ、真実味を装うために目を見て話すのだ。

 起動すれば、普通ではない何かが起こる。

 ならば、電源ボタンを押すわけにはいかない。

「バイトするの、やめるかい?」

 僕の思惑に気付いたのか、千佐子はそんなことを言ってきた。その表情は、どこか勝ち誇ったように頬を緩めていた。

 たしかに、その言葉は強い。言われればある程度のことは、受け入れざるを得ない。画材を描くために、お金は欲しい。

 僕は観念したような気持ちで、電源ボタンを長押しした。

 ――ピッ

 電子音が鳴る。どうやら起動したらしいが、機械本体は首に装着されてるため、変化を見ることはできない。

「何も起きないようですが……」

 僕は喋った。だから驚いた。

「口が勝手に動いてる⁉ なんですか、これ!」

 またも口が勝手に動く。口だけではない。表情もだ。顔全体が僕の意志とは無関係に勝手に動いている。

 顔面の筋肉が、全力で笑顔を作るため稼働している。普段使わない表情筋が張って痛いくらいだ。自らの意志に反し、顔が動く。

 僕は思う。

 ――なんて気味の悪い機械だ!

 しかし、

「これは凄い! 凄い機械ですよ、これ!」

 口は違うことを言っていた。

「はっはっは、そうかい。ご満足いただけて幸いだよ」

 嬉しそうなその顔が歯がゆかった。僕はそんなこと言っていない。

 溺れた状態から、水面へと這い上がるような気持ちで、電源ボタンを押す。

「なんだこの気味の悪い機械は! あっ、戻った」

 僕は頬を揉んでほぐす。自らの意志で自らの顔が動くことに安堵する。

「なんですかっ! この機械はぁっ!」

 憤慨するままに、思わず立ち上がる。操り人形にされたような屈辱が僕の中にはあった。

「面白いでしょ」

 頬杖をついてドヤるその顔が、怒りの炎をさらに焚きつける。

「自動コミュニケーションツール『フェイス』それが名前さ」

「フェイス……」

「第二の顔、って意味」

 おぞましい。それが『フェイス』に対しての第一印象であった。背筋に悪寒すら感じて、怒りは沈下していた。人との係わりすら機械に頼ることが、心底おぞましかった。

「……常識的に考えて、駄目でしょうよ」

「何が?」

「人との係わりって、人として大事な部分じゃないですか。人間が人間たらしめてるところというか、なんというか……とにかく、それを、機械に頼るなんて、普通に駄目でしょ」

 普段、人とのコミュニケーションを億劫に感じてる僕すらそんな感想を抱くのだ。こんなの世間が受け入れるはずがない。

 千佐子は頬杖をつくのをやめた。ゆるやかに背筋を伸ばす。

「正しいね。でも子供らしい正しいだけの理論だ」

 僕はムッとする。

「正しいのに間違っているんですか?」

「そうだよ。世の中は『間違い』がないと成立しないんだ。それを知らないから君ら子供は実に子供なんだ。例えば『嘘』がその典型だね。『嘘』が世の中であふれかえる世界。君はそれをどう思う?」

「多少なりとも仕方ないとはいえ、『嘘』はなるだけないほうがいいでしょう」

「しかし、人は『嘘』をつく。必要だからだ」

「…………」

「人とのコミュニケーションは『嘘』のオンパレードさ。意見を取り繕い、表情を取り繕い、己の気持ちを殺して、空気を壊さないために『嘘』を吐く。自己中心的な人間は正直者さ。故に嫌われる」

 たしかに。と思ってしまった。

 教室の隅で、グループで談笑するクラスメイト達を見て、たまに思うことがある。

 こいつらは、本当に自らの意志で話しているのだろうか、と。

 普通の人は、人の笑顔を覗きみて、それを崩さないよう言葉を選んでいる。僕にはそれができない。どうしたって、自らの意志を優先してしまう。取り繕えない。だからこそ疎まれ、嫌われているのだろう。

 千佐子の言った自己中心的な嫌われ者、とはまさに僕のような人間だ。

 コミュニケーションは嘘のオンパレード。それは生きづらさに直結する。僕は嘘をつけない。表情を取り繕えない。だからこそ、コミュニケーションに苦手意識を持っている。

 たしかにそうだ。そうなのだが、やはり論理的部分で「フェイス」を否定している。

「……僕、このバイト降ります」

「へ?」

「この機械は間違っている。だから、僕は、それに加担したくはない」

 千佐子は驚いた顔をしてから、ふっと破顔した。

「本当、君は正直者だな。しかしながら、その選択はおススメしない」

 千佐子は「なぜならば」と一息入れる。

「『フェイス』はもうほとんど完成している。あとは不備がないのかモニタリングして確かめるだけの段階。君がモニタリングを断ったところで、別の誰かが代わりにバイトして、商品は世に出る。君が今ここで断ったところで、なんの意味もない。だったら、下手な論理観に左右されず、絵を描くための軍資金を得た方が、君にとっては良き選択だと思うけど、どうだろう?」

「…………」

 それは、甘い誘惑だった。

 自分の利益のために、心や信念を曲げるような、そういった類の話だ。悪魔との契約をするときは、まさにこんな感じなのだろう。

 葛藤により、心は揺れる。

 自分の論理観を優先するか。

 己の利益を優先するべきなのか。

 どっちなのだろうか。

 ……いや、どちらでもない。自分の最優先事項は決まっている。

 画家になることだ。

 ならば、答えは一つ。

「バイト、受けますよ」

 諦めるようにして、僕は言った。

「ふふん。それが正しい」

 勝ち誇った顔で、千佐子は再び鼻を鳴らした。

 僕はなにか大事な尊厳を失ったような気分でいた。

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