5.勧誘01

 新学期と同時に転校してきた新川ミコト。

 ロボットである彼女だが、驚くほどの浸透力でクラスの中心的人物になった。快進撃たる人気の上昇。みんな、新川ミコトを好きになった。彼女と話す人間はみんな笑顔だ。

「どうしてあんな奴が人気なのか、僕には皆目見当もつかない」

「ハハ、相も変わらず加地がご立腹だ」

 僕の文句に対し、柴山大樹は笑った。

 僕は美術部に所属している。目の前の机には、デッサンのモチーフのとして、バナナ、りんご、瓶、ハンカチ達が、それらしく置かれている。僕はそれらを観察し、スケッチブックに鉛筆で描き込む。瓶を描くときはより硬く。ハンカチは逆に布っぽく。

 そうやって、僕は美術部らしく絵を描いて部活動に勤しんでいるのだが、大樹は空手である。ただ退屈そうに丸椅子に座っている。

 彼も同じく美術部員なのだが、絵は描かない。約20人が所属する美術部だが、絵を描く部員は、僕を含めて2人だけである。僕以外の部員は、映像やグラフィックCGなどを創作している。主な主戦場はパソコン室で、絵画を描くための美術室を使用するのは、僕ともう1人の絵を描く部員くらいだ。

「ミコトちゃんは可愛いからな。人気者になるのは当然だろうよ」

 金髪の大樹は、金髪らしく陽気に笑う。僕はそんな笑顔にケッと舌打ちしてしまう。

「奴は感情がないんだぞ。どうして皆それを平気で受け入れる。気味が悪いだろ」

 僕の文句に対し、大樹は肩をすくめた。

「加地は、ミコトちゃんの凄さをわかってないようだな」

 苦い記憶が蘇る。

「わかってる。圧倒的に絵が巧い」

 過去にミコトの絵を何度か観た。彼女の描く絵は、どれも圧倒的で凄まじかった。これまで何千もの絵を描いてきたのに、僕なんか、足元にも及ばなかった。彼女の絵を観るたびに、僕は劣等感に襲われた。

「そうじゃねぇよ。本当に加地は、絵のことばかりしか頭にないな」

「違うのか?」

「ミコトちゃんの真骨頂は愛嬌にある」

「愛嬌……?」

 僕がはて? と眉間に眉を寄せると、大樹は「お前はミコトちゃんを無視するもんな」と苦笑した。

「ミコトちゃんはな、人よりも人らしい表情をするんだ」

「ロボットなのにか?」

「ロボットだからこそ、だな」

「はあ」

 要領を得ないので、僕は曖昧な返事をした。

 彼は新川ミコトの愛嬌について解説した。

 大樹曰く、対人関係の必勝法は、常に相手を尊重することだという。

 だが、これがなかなか難しい。なぜならば、人間には感情が備わっているからだ。それ故、相手よりも自分を優先してしまう。

 愚痴の相手をしなければならないシチュエーションを想定してほしい。

 相手は、自分が抱える不満しか話題に出さない。勉強が嫌だ、とか家で兄弟がうざったい、だとか、彼女がー、友達がー、と様々な事柄の愚痴を聞かされ1時間ほど経ったとする。間違いなくウンザリしていることだろう。相手の愚痴を聞くのが嫌になるし、自分のことを無視して一歩的に話す相手を嫌悪しているだろう。それは感情がある人間ならば仕方がないことだ。

 では、感情のないロボットだったらどうだろう?

 終始、真摯に愚痴を聞き続け、全てに対し適切な表情で受け答えする。

「それは大変だね」「君は悪くないよ」「辛かったね」

 ロボットは相手の求める答えを圧倒的な洞察力で見抜き、本気で同情したような顔で、優しい言葉を口にする。そんなロボットがいたならば、誰が嫌いになるだろうか。いや、いない。

「すなわち、新川ミコトとは、そんなロボットなんだよ」

 大樹は、芝居がかったような身振りで、説明を続ける。僕はデッサンを続けている。顔を彼に向けることなく、耳だけで説明を聞いている。

「加地」

 名前を呼ばれても、顔の向きは固定。

「もし、俺に感情がなかったとしたら、お前は見抜けるか?」

 だが、不意に不穏なことを言うので、僕はたまらず彼に顔を向けた。

「まさか、『我はロボット』なんて言わないよな?」

 僕が固唾を吞んだ気持ちで問うと、軽快な笑いが返ってきた。

「ちげぇよ。そういう意味で言ったんじゃない」

 冗談にしては質が悪い。僕は、少しむっとした。僕の顔を見た大樹は「そんなに怒るなよ」と僕の肩を小突いた。

「つまりさ、交友関係には、感情の有無は必要ない、ってことだ」

 僕はさらに顔をしかめる。よくわからない。

「お前は、俺が今、何を考えているか、一字一句間違えることなく回答できるか?」

 唐突な質問である。

「分からない。僕は超能力者じゃない」

「でも、なんとなく俺の今の気分とかはわかるんじゃないか?」

「気分」

 僕は大軽薄に笑うその明るい表情を観察した。

「まあ、気分が悪いわけではなさそうだ」

「それだよ」

 大樹は僕を指さした。

「どれだよ」

「お前は俺の気分を探るとき、俺の表情を読み取っただろ? 人は、他人の心情を予想する材料として、発言や行動や表情をヒントにするんだよ」

「当たり前だ。外的要因で判断するしかない」

「その通り。じゃあもう一度聞くが、俺に感情がなかったとして、お前に見抜けるか」

 さきほどと同じ質問である。つい先ほどの会話を経たおかげで、答えは簡単に導き出された。

「……無理だな。もし、完全に感情を持っているように言動されたら、見破る術はない」

 口に出すと、どうしてか、心の片隅がズキリと疼いた。それを僕は、哀しい結論だと感じていた。

 対して、大樹は満足そうに頷いた。どうやら僕は、彼の思惑通りの回答をしたらしい。

「だろ? 結局のところ、友情をはぐくむには、心ではなくて外的要因が大事なんだ。心でいかに蔑んだ侮辱をのたまっていようが、外っつらが友好的であれば、そこに友情は生まれる」

 反論したい気持ちが湧く結論だったが、新川ミコトの存在があるだけに、説得力がある。

 なんだか僕は不貞腐れた気分になった。

「じゃあ、心はいらないってことか」

 大樹は虚を突かれたように「え?」と声を漏らした。

「そりゃ結論を急ぎすぎだ。心は必要だぜ」

「人間は外面で仲良くなるんだろ。だったら……」

「そりゃそう言ったけどよ、心が必要ない、なんてことはないんだ。だってよ――」

 というタイミングで、扉がガラッと引き戸が開いた。僕と大樹は反射的に音の鳴る方へ視線を向ける。美術室へ入ってきた女性教師はため息を吐いた。

「柴山ァ……やっぱりサボっていたか」

 美術部の顧問教師。「トモセン」こと、桜坂とも美先生である。黒髪ロングが似合うクールで可憐な見た目をしており、20代半ばと、僕らと年齢が近いだけに、生徒から人気がある。おまけに美人でお姉さんな雰囲気が、男子の一部から根強い支持を浴びる理由になっている。

 そんなトモセンが、呆れたように項垂れている。

 大樹がサボるのはいつものことだ。いつものことだけに問題視しているのだろう。

「夏休み中に映像作品を完成させるなんでしょ? サボる時間はないんじゃないの?」

「大丈夫っすよ。俺がこうして駄弁っている間、後輩たちが作業を進めてくれています」

 大樹はさわやかな笑みで、親指をビシッと立てた。

 大樹の専門分野は3DCGの映像作品である。筆の代わりにパソコンで作品を仕上げる。俺の主戦場が美術室なら、彼はコンピュータ室だ。

 CG作品は分業制で、複数人で一本の作品を作る。大樹は2年生でありながらその総合責任者、いわば、監督である。指示を飛ばすが、実際の作業をするのは3年生も含めた下の者だ。今も作業しているであろう部員たちが不憫でならない。

 トモセンは大樹に改善の余地がないと判断したのか、大樹との会話を早々に切り上げ、くたびれたような表情で僕を見た。

「加地くんも加地くんよ」

「え?」

 不意の言葉に僕は目を丸くする。

 僕は模写をして、ちゃんと部活動に励んでいる。指摘される汚点はないはずだが。

「瓶や布ばかり描いてないで、ヌードを描きなさいヌードを……」

 と言いながら着ているカッターシャツのボタンを上から一つ一つ外し始めた。ギョッとした僕は椅子から立ち上がり「わぁー!」と叫ぶ。

「なに?」

 トモセンはキョトンとした顔で小首を傾げる。

「なに、じゃない」

 僕は講義するべく、トモセンを睨むが、否応なし視線はカッターシャツから飛び出した黒い下着と白い肌、膨らみに吸い寄せられてしまう。モデル体型のトモセン。出るところは出ているのだ。その吸引力はブラックホール並み。しかし、誘惑に負けてなる者か、と僕は首ごと視線を引っぺがす。

 すると、不意に、ポンと肩に手が置かれる。手の主は大樹であった。

「ヌードを描け、俺もそれがいいと思う」

 彼の表情は至って真剣だった。だけどなぜだろう、胡散臭くみえるのは。

「もちろん、柴山には出てってもらうよ」

「どうして⁉」

 大樹は驚愕の表情を浮かべた。

「俺も美術部ですよ。生の女性の肌をこの目に焼き付けておくことが、これからの作品制作の糧になるのではないですか! 加地には見せて、俺には見せない。それが納得できない!」

 大樹が発する圧はものすごかった。色欲への多大な渇望である。

「破廉恥極まりない人に、見せるほど私の体は安くありません」

 人前で下着を見せる人間が言っても、説得力はない。

「どうして加地が良くて、俺は駄目なんですか⁉」

「それは私が個人的に青木を応援していからよ」

 トモセンは僕に向けて、ウィンクする。ドキリとしてしまうから、美人とは卑怯だ。

「私も昔は画家を目指してたからね」トモセンは僕の元へ歩み寄ってくる。

「でも、道半ばで諦めた。ロボットがどうの関係なく、単純に実力がなかったのね」

 頭に手を置かれる。眼下には衣服をこじ開けて飛び出す、大きな流線。胸の谷間とは不思議でその一本線には男のロマンがある。

「だからこそ、君に頑張って欲しいの」

 頭を撫でられる。トモセンからはいい香りまでする。なんというか、これはヤバい。美人というのは、なんにせよ有利であることを否応なく実感する。

「君のためなら裸の一つや二つ、安いものよ!」

「さっきは安くないって言ってなかったっけ」

 大樹がぽつりとツッコむ。

 たしかに、トモセンは絵のモデルとしては申し分ないのだろう。彼女はいわゆる大人の女性のそれである。彼女がその気になれば、男の全てを意のままに操れそうな気概がある。主に胸に搭載された大きな2つの塊で。

 しかしながら、だからこそ、高校男子である僕には刺激が強い。 デッサンするために、裸の女性を画像で幾度も目にしたことはあるが、目の前に女性が裸でいると考えるだけで、額に汗がにじんでくる。それが自分の所属している部活の顧問であったらなおさらだ。

 僕は頭に置かれたトモセンの手を払いのける。

「いいから、シャツのボタンを閉めてください。こんなところ誰かに見られでもしたら、先生の立場が危ういでしょうに」

 僕は抵抗を覚えつつも、自らでボタンを閉めることにした。カッターシャツに触れるとほんのり生温かく、生々しい。ボタンを閉じる拍子に、指の関節部が温みのある膨らみに触れるが、動揺しないように注意しながら、下からボタンを閉めていく。意外にもトモセンはとくに抵抗することなく、なすがままであった。

 ガラリ。

 引き戸が開く音がした。

 僕は弾かれるようにして、振り返る。

 そこには、女子生徒が一人。新川ミコトがいた。

 ぽかんと口を開けている。

 まあ、そりゃそうだろう。この教室には女性教師が一人、男子生徒が二人。その一人が衣服を脱がそうとしている瞬間にも見えるわけで……。

 ミコトは呆けた顔を正すと、真っすぐな視線を僕へ向けた。

「シャバでの最後のご飯は、牛丼でいいかな?」

「誤解だ!」

 慌てる僕を庇うように、トモセンは前へと一歩踏み出した。彼女の背中がいつもより大きく見えた。

「そうよ。新川さん、あなたは勘違いをしているわ。青木くんが脱がしたのではなく、私自らが脱いだのよ」

「…………」

 僕は頭を抱えた。

「余計、ややこしくなるでしょ」

 またも大樹はポツリとツッコんだ。しかしながら、彼女の言ったことは事実である。

 険しい新川ミコトの表情、それがケロリと変わる。

「なんて、冗談ですよ。皆さんの顔を見て、なんとなくの状況、経緯を理解しました。咎める真似なんてしませんよ」

 ニコリと笑みを浮かべ、敵意がないのを示すためか、降参するみたいに手のひらを僕らへ見せる。

「流石、ミコトちゃん。読心術はお手の物ってわけか」

 大樹の茶化す声により、場の雰囲気は和んだ。しかし、僕は緩みそうな頬に再び力を入れた。敵意を持って、新川ミコトを睨む。

「どうして、お前がここに?」

「私は美術部だよ。部員が部室に来て、なんら問題はないでしょ」

 その反論に僕は口をつぐんでしまう。

 絵を描くもう1人の部員が彼女である。新川ミコトは、どうしてか美術部に所属している。ほとんど幽霊部員みたいな形だが、たまにふらっと部室に来ては、キャンパスに超絶技巧な絵を描く。

 僕なら作品を仕上げるのに最速で1週間かけるところを、ミコトは2日で仕上げる。アイデアから色塗りまでそれだけ時間で仕上げる。完成された作品はどれも大作と言っていいほど素晴らしい作品で、悔しいとか、ムカつくなどの感情を通り越して唖然としてしまう。

 ポキリと絵に対する気持ちが折れてしまう。それでもなお、僕は何度も接着剤で気持ちをつなぎ止め、今もなお筆を握っている。

 つまり、新川ミコトが部室へ来ることは、僕にとって嫌なことなのだ。

「まあ、でも、今日は部活とは関係ない要件で来ました」

 満面に笑みでミコトは僕の方へ顔を向けた。

「加地くんに話があるの。ちょっと来てもらってもいいかな?」

「嫌だ。僕は忙しいんだ」

 僕はツンと突っぱねる。行く気がない意思表示をするために、彼女へ背中を向け、デッサンを再開した。

「じゃあ、俺らが退散しようか? ねえ、先生?」

「え?」僕は思わず振り向く。

「そうね」

 先生が頷くとそれを合図に2人は速やかに教室から出て行った。息の合った淀みない動作である。引き戸がピシャリと閉まって、教室にはミコトと僕、2人きりになる。

 新川ミコトはニコリと僕へとほほ笑む。その素晴らしく柔和な笑顔に僕は喉を鳴らした。

「そんなに怖がらないでよ」

「怖がってなんかいない」

 嘘だ。本当は心臓がバクバクうるさい。

「話って、なんだ?」

「ふふん、実は加地くんに会いたいって人がいるんだ」

 僕に会いたい人? 考えてみるが該当する人間はいない。

 彼女は引き戸へと近づく。彼女の言う自分に会いたい人がドア付近で待っているのだろうか。彼女がガラリ引き戸を開ける。

「「あ……」」

 そこには、大樹とトモセンが居た。ドアに耳を当てていたであろう恰好で、ミコトに発見され、気まずそうな顔をしている。

「こ、これは生徒が不純異性交遊をしていないかの確認で……」

「二人で話させてください」

 こちらからは新川ミコトの顔は見えないが、声は異様に明るかった。それにしてはトモセンと大樹は彼女の顔を見てひどく畏怖している。漫画であれば背中から「ゴゴゴ」という擬音が書かれそうくらいに。一体どんな表情をしているのやら。

「それじゃ、ごゆっくりね」

 トモセンと大樹はコクコクと頷いて足早に去って行った。足音が聞こえなくなったところでミコトはピシャリと引き戸を閉めた。

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