3.向かい風
「絶望」の2文字は、時間が経てば経つほど色濃くなった。
僕が中学生になる頃、AIの躍進が本格的にはじまったからだ。
廊下で出会った私服女性の予言通り、デザイン分野にAIが導入されると、瞬く間にそれが常識となった。
安価で早く、AIのデザインは、人間と違いクオリティにムラがない。いつも一定数の安定したデザインを提供してくれる。
なにより、AIのデザインは、人が良いと判断するツボを必ず的確に突いてきて、素晴らしいことが簡単にわかり、一般受けが非常に良かった。
一般層にピカソの「泣く女」の素晴らしさは伝わりづらい。キュビズムの凄まじさは、素人にはわかりづらい。自分でも描けそう、と言う輩も現れるほどに。
だが、サルバドール・ダリの「記憶の固執」はわかりやすく素晴らしい。時計が溶けてる有名な絵だ。あれを描ける、と言える人間はなかなかいないだろう。一般層は写実的な塗り方を巧い思う傾向がある。
AIはそういった作風に対し、何を描きたいのかではなく、何がウケるのかだけで判断し、作品を仕上げる。それ故、誰にでも素晴らしく見えるようにAIはデザインする。
人間は徒競走で車に勝てない。
それと同じような感覚で、
人間はデザインでAIに勝てない。
それが常識となった。
だけども、僕は筆を捨てなかった。
AIに負けないように、絵を描き、数多の作品をインプットして、芸術分野の本を読み漁って手法を勉強した。
普段の生活から、目を養うように心がけた。人を見るときは、レントゲンになったつもりで骨格と筋肉をイメージした。風景を見るときは、自然の彩色とはどんなものか、太陽の光に対し、影はどれくらいの濃さで、どのくらい長く伸びているのか。眼に映る全てを絵に活かすために、僕は努力を惜しまなかった。
中学時代は、途方もない闇から脱出するために、描いて、描いて、描きまくった。
いつでも僕の腕のどこかしらには、赤や黄色の絵の具がついていたし、鉛筆の炭によって指は黒ずんでいた。
それでも、僕の画力は「大人顔負け」程度で「AIを超えた一級品」には及ばなかった。
「そろそろ将来を考えなさい」
自室で勉強机に置かれたバナナをデッサンしているとき、不意にドアが開けられ、母親に言われた。
「うん」
テキトーに答えると、「こっちを見なさい」と軽く叱られた。その普段より低い母の声には迫真めいた気迫があったので、僕はなくなくバナナから視線を外して、母親の顔を見た。母親の表情には、呆れ、のようなものが混ざっていた。
「あなた、中学3年生よ。いつまで絵なんか描いているの」
質問の意味がよくわからなかった。
いつまでなんだろうか。やめ時なんて、考えていなかった。
「死ぬまで?」
「ふざけないで!」
ふざけているつもりはないので、怒鳴られて僕は戸惑った。
母は、僕の困惑する顔を見て、なにやら諦めたように「はぁ……」と重い溜息を吐いた。
「あなた、ずっと絵ばっかり描いて、勉強はしているの? 高校受験まであまり時間はないのよ。今は子供だからって油断しているのでしょうけど、大人になるなんてあっという間なのよ。もう少し将来について考えるべきよ」
「将来のことは考えているよ。僕は画家になる。だから、こうやって絵を描いている」
僕は自信を持って告げた。僕にとって絵を描くことは正義である。それに努力もしている。絵を描くことを快く思っていない母が、全てを受け入れてくれるとは思っていないが、少しくらいは自分の頑張りを認めてくれると思った。
しかし、母は再び「はぁ……」と重い溜息を吐いた。
「どうしてこうなっちゃったのかしら……」
ボソリと母は呟いて、ドアを閉めた。母の足音が遠ざかっていく。
僕に聞かせるつもりはない独り言だったようだが、僕の耳にはしっかりと届いた。
ズンと心を重くなる。鼻の奥が少しツーンとした。
そんな気持ちをかき消すように、僕は再び鉛筆を走らせた。
その夜、父が帰ってきてから、リビングで家族会議……というより両親による僕の説得がはじまった。
食卓を挟んで、両親は並んで、僕を見おろす。反省すべき点が思い至らないのに、反省しろ、みたいな空気が重くて、なんだか息苦しい。
父は問う。
「絵なんか描いて、将来、なんの役に立つ?」
僕はやはり、自信を持って告げた。
「画家になれる」
父は「ふぅ」と息を吐いた。やはりそれには、呆れのニュアンスが混じっていた。
かくして、そんな会話から、画家を志す僕への説得がはじまった。
現実は厳しい。
絵を描くだけでは将来、食っていけない。
ちゃんと将来を考えろ。
その三つを軸に両親は説得してきた。
僕としては、現実が厳しいのはわかっているし、絵だけで食っていくことが困難なのもわかっている。それに僕は将来を考えている。将来を考えているからこそ、僕は日々、鍛錬を積んでいる。絵でご飯を食うために、厳しい現実を覆すために。
だが、どうにも僕の魂胆が、両親には伝わらない。
いかに、論理的に話しても「でも画家になるのはおかしい」と根本を否定してくる。
それでは、僕の存在自身の否定である。
両親が、絵を描くことに対し、何を問題視しているのか、わからなかった。
僕が反論すれば、両親のどちらかがため息を吐いた。
そのたびに、僕の心はひずんだ。
そんなこともありながら、僕は画家を目指し、日々鍛錬を積み続けた。
向かい風ばかりで、追い風はない。
AIを超える兆しは、いまだにない。
諸行無常に時間は流れ、僕は高校生2年生になった。
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