2.プロトタイプ

 工場の見学が終わると、僕を含めた6年2組は、教室2個分ほどの部屋に集められていた。

 一方向に向けて、縦と横、それぞれ均等に配列されたパイプ椅子に僕らは座っている。僕らの視線の先には、教室での担任のように、オーバー社の女性社員がいる。

 女性社員は僕らを一瞥すると、にっこりと笑った。

「工場見学、お疲れ様でした。楽しかったかな? 最後に、皆さんに紹介したい『ロボット』がいます」

 100点満点の素晴らしい作り笑いを張り付かせたまま、「それじゃあ、ミコトちゃん入ってきて」と女性社員はドアに向かって呼びかけた。

 ドアが開く。ロボットが姿を現すと、会場がどよめいた。そんな僕らをにべもせず、淀みない動きでロボットは女性社員の隣まで歩むと、僕らに向かって一礼した。

 クラスのムードメーカーが立ち上がる。

「女じゃん!」

 会場がドッと湧く。僕は笑わなかったが、彼の言葉には静かに同意した。

 今さっき入場してきたロボットの見た目は、まさしく人間のそれであった。年齢は高校生くらいのお姉さん。とても綺麗な容姿をしている。

 人間らしいのは姿だけではない。挙動も自然だ。ドアを開閉し、歩き、立ち止まって、一礼。今に至るまでの一連の動作にロボット特有のぎこちなさはない。

 だがそれでも、僕らは彼女をロボットだと認識していた。

 理由は表情。姿、動きは人間なのに、表情の一点だけがひどくぎこちなかった。無表情とかではなく、笑っているのだが、どうしてか不自然だ。おかしいのはわかる。だが、具体的にどこがおかしいのかは指摘できない。なんとも形容しがたい違和感がある表情であった。

「ミコトちゃん、皆に挨拶をして」

 ミコトと呼ばれたロボットは頷く。

「私はオーバー社によって製造された自立型アンドロイドNM-200。通称、新川ミコトです。よろしくお願いします」

 抑揚のない声で簡単な自己紹介をしたミコトは再び一礼した。女性社員が「よくできました」と拍手すると、6年2組一同はつられて拍手をした。ちなみに僕はしていない。

「今日はね、ミコトちゃんに特技を披露してもらおうと思います」

「それってなにー?」

 男子の一人が茶化すような声で問うた。またも笑いが起こる。笑い声のボリュームが一旦落ち着いたタイミングで、女性社員は「似顔絵です」とミコトの特技を発表した。

 女性社員の堂々たる発表に反し、クラスメイトたちのリアクションは薄かった。若干だけスベッたような空気になる。しかし、僕は背筋が伸びるような思いをした。

 似顔絵が得意なロボット。

 文字をもとにイラストを生成するAIは珍しくない。だが、四肢を持った人型ロボットがその片腕で絵を描くのはかなり珍しい。少なくとも僕はそんなロボットを知らない。

 興味がそそられる。

 先ほどの見学用通路で話しかけてきた私服女性の顔がチラつく。

――私は、君の敵。

 彼女も新川ミコトの開発に携わっているのだろうか。

 なんだか、言い知れぬ不安と期待で、鼓動が早くなる。

「似顔絵を描いてもらえるのは一人だけ。決める方法はじゃんけんです。みなさん立ってください」

 女性社員が促すと、みんな、椅子を鳴らしながら立ち上がった。ちなみに僕は、立たなかった。少しでも新川ミコトの画力を見定めようと、佇むロボットを穴が開くほど凝視していた

「私にじゃんけんで負けた人は座ってください。最後まで勝ち残った人が、似顔絵を描いてもらえます。いいね?」

 女性社員がグーを掲げると、一部の男子たちが異様に躍起になったようで「よっしゃー!」などと気合を入れ始めた。そんな湧く場内で僕一人だけが、息をひそめるようにジッと新川ミコトを睨んでいた。

 かくして、似顔絵を描かれる権利を賭けた、じゃんけん大会が幕を下ろした。

 ――じゃんけん、ぽん!

 ――あいこで、しょ!

 ――っしょ!

 ――っしょ!

 じゃんけんの回数を重ねるごとに、高い位置にあった頭が、徐々に、徐々に減っていく。

 最終的に残ったのは、大人しい性格をした女子生徒だった。

 女性社員から前に来るように促されると、照れながら、気恥ずかしそうに頬を赤らめながら、部屋の前方、教室で言う教壇の位置まで移動した。その合間に男子の一部が文句を垂れていたが、後方に佇む担任先生の一喝により場は納まる。

「じゃあ、ここに座って」

 女性社員は、恥ずかしがる女子生徒を置いてあるパイプ椅子に座らせた。僕らに左頬を見せるような形で女子は腰を下ろす。横顔が緊張していた。

「じゃあ、ミコトちゃん。お願いします!」

 ミコトはコクリと頷くと、身体の正面を、女子生徒へと向けた。大きな黒目が、ジッと女子生徒を捉えて離さない。5秒ほど、瞬きせずに観察すると「描けます」と告げた。

 女性社員は、ミコトに「スケッチブック」と「筆ペン」を渡した。

 僕は「筆ペン」に驚いた。

 似顔絵、と聞いて、てっきり「鉛筆」か「ボールペン」を予想していた。「デッサン」か「点描」で、写真を加工したみたいに、いかにも印刷機が如く、圧倒的な模写をするとばかり考えていた。筆ペンでは筆圧が係わるため、圧倒的な模写は難しいだろうし、筆圧によって線の太さが変わる為、繊細な腕の動きを要求される。

 がぜん、新川ミコトがどんな絵を描くのか、興味が湧いた。

 新川ミコトは、左手に「スケッチブック」を持ち、右手で「筆ペン」を握った。構えるやいなや、右腕が高速で動く。人間には決してできないスピードだ。

 数十秒後、ピタッと静止。

「できました」

 ミコトはポツリと完成を告げた。

 まず女子生徒へ描いた絵を見せた。花が咲いたように、女子生徒の顔がパッと明るくなる。まだ、こちらには絵を見せない。

 喜ぶ女子生徒のせいで、内容が余計気になる。

 僕はじれったくなって軽い舌打ちをしてしまう。

 じれったくなったのは、僕だけじゃないらしく、場内から「見せてー!」「気になる!」と言ったヤジが飛び始めた。

「それじゃあミコトちゃん。みんなにも見せてあげて!」

 ハツラツとした女性社員の声に対し、ミコトはか細く「はい」と返答し、スケッチブックをこちらへ向けた。

 ワッと場内が湧く。

 夜空を白く染める打ち上げ花火のように、場は一瞬にして盛り上がった。

「すごい!」「そっくり!」「かわいい」

 各々が各々の感想を述べているが、みな一同に明るい表情をしていた。

 そんな彩色豊かな表情の中、僕だけが黒い表情を浮かべていた。

 嫌な汗が額に滲み、喉がカラカラに乾いている。耳が遠くなり、クラスメイト達が叫ぶ称賛の声は、どこか遠くで鳴っているようで、それなのに、視界だけが妙にクリアで、新川ミコトが描いた似顔絵から目を離せないでいた。

 僕は、ひどくダメージを受けていた。

 絵描きにはある癖がある。

 人の絵を観て画力が己より劣っているか、優れているのか、優劣を決める癖だ。

 自分より劣っていれば僕の勝ち。

 自分より優れていれば僕の負け。

 そんな勝手な勝負だ。

 僕は、新川ミコトの絵を観たとき、その勝負が頭をよぎらなかった。

 他のクラスメイト達と一緒に、「わっ」と湧いてしまった。

 それは勝負以前の話で、負け以上の負けであった。

 スケッチブックには、緊張しながらパイプ椅子に座る女子生徒がアニメ調で描かれている。

 キャラクターのそれのようにデフォルメされているのにも関わらず、女子生徒の特徴をうまく捉えていて、似顔絵としてもクオリティが高い。彼女を知る人間なら、一目見て、イラストの人物が誰なのか、言い当てることができるだろう。

 固い表情。強張った肩。膝の上に置かれた固く閉ざされた拳など、彼女の緊張している様子が随所に描かれている。線の強弱により、身体のどこに力を入れているのかがわかる。筆ペンの特長が活かされた描き方だ。

 下唇を噛んでしまうほど、新川ミコトのイラストは、素晴らしいクオリティであった。

 AIの発展によって、コンビニから店員は消えた。今はもう、商品を手に取り、店の外へ出るだけで、自動で決済は完了されている世界だ。それは数多ある例の一つにすぎない。AIは様々な仕事を人から奪っていった。

――もしかしたら、芸術すらも。

 黒い点ほど小さかった不安は、ミコトの絵を観てから、宇宙のように黒一色に広がる。巨大な闇の空間に僕は飲み込まれる。

 ミコトの画力を称える場内の中で、僕だけが頭を抱えていた。

 僕が画家を目指すのは、僕にはそれしかないからだ。

 それすら奪われてしまえば、僕の存在価値がなくなってしまう。


 絶望。

 

 これ以外に、現状を表す言葉はないな、と思った。

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