1.オーバー社

 僕が小学6年生の頃。学校の社会科見学で、世界大手のロボット製造会社、オーバー社に訪れたことがある。

 株式会社オーバー。検索エンジンで知られていたその社名に、ロボット製造の印象がついて久しい。僕が物心ついた頃の出来事らしい。オーバー社がロボット製造へと手を伸ばした時、誰もが、無謀だと高を括っていたが、その予想が覆され、今の地位を確立している。

 今やオーバー社の商品を見ない日はない。ロボット産業を制覇し、携帯端末や家電にも手を伸ばし、マルチに躍進している。

 ガラス張りの工場見学用通路。ガラス越しに工場の全体を見下ろすことができる。眼下には複数の製造ラインが並んでおり、ものすごい速さで次から次へとロボットのパーツが製造されていた。世界大手のオーバー社へ訪れていることで、周りのクラスメイト達は、男女問わず、みんな興奮していた。

「すげぇ!」などと騒ぎながら正面の腕の製造ラインに食いついていたが、彼らが興味を抱くのは数分程度だけだ。腕の製造ラインに飽きたクラスメイト達は、次の脚の製造ラインへと興味を移した。

 対して、僕はじっくり観察する。

 目に焼き付けたそれを、右手に持つ鉛筆で、左手に持つメモ帳へとデッサンする。

 黒い線が縦、横、幾重にも重なる。1本の線では意味をなさないが、それが平面となり、立体へと拡大し、腕の製造ラインへと至る。ただの線が重なることで、事象が現像されてく過程はまるで魔法のようだ。

 僕は観察する。

 何が工場を工場たらしめているのか特徴を見抜こうとする。

 硬い質感せいなのか、配線の位置にあるのか、特徴を見抜き、えんぴつで描いていく。

 観察して、描く。それを繰り返す。

「置いてかれているよ」

 不意に声が降ってきた。

 観察の一点へと意識が集中していたのに、声によって、パッと部屋の明かりが灯ったみたいに、意識は現実へと引き戻される。

 声の主を確かめるべく、視線を動かすと、若い私服の女性が僕を見おろしていた。

 Tシャツにジーンズにスニーカー。工場に居るにしては軽薄な格好だ。

「クラスの皆は、先に行っちゃったよ」

 彼女は、見学用通路の先を指さす。小さくなったクラスメイトたちが見える。

 僕はたまらずため息を吐いた。

「どうして、いつも真面目な僕を怒るんですか」

 私服の女性は、目を丸くした。

「僕のほうがちゃんと工場を見ている。アイツらはテキトーに眺めているだけ。なのに、みんなと一緒の行動をしていないからって、僕を怒るのは違うくないですか? 僕の方がちゃんと社会科見学している」

 僕は憤りを訴えた。

 先生から「周りに合わせなさい」と言われることは、僕にとって日常茶飯事であった。

「安心しなよ」

 彼女はにへらと笑った。

「私は怒ったりりしないよ」

 無害であることを強調するためか、両手を上げ、降参ポーズ。しかしながら、僕は彼女を嫌悪していた。

 理由は一つ。顔だ。

 醜い顔をしているわけではない。彼女は比較的に良い顔立ちをしているのだが、表情があまりにもひどかった。

 にへら、と笑うその表情は、嘲笑の類であった。裏に含みがあるような、あきらかな作り笑い。おそらく、彼女は笑顔が苦手なだけで他意はないのだろうが、その嘲笑を見ているだけで、腹の奥がムカムカとしてくる。

「絵が巧いね。将来はイラストレーターかな?」

 デッサンを覗かれたことに気付いた僕は、とっさにメモ帳を身体で庇ってしまう。表情のせいか、誉め言葉ですら嫌悪感を抱く。

 それに、彼女の予想が的中していることも、なんだか癪であった。

 彼女の言う通り、僕は絵を生業にする職業を目指している。日夜絵を描いて、鍛錬を積み重ねている。だが、僕にとって不快でしかない彼女に語ることではない。

「ええ、まあ」

 簡素な答えを返しながら、立ち去ることにした。

 相対する私服女性の背の向こう、通路の先にいるクラスメイト達と合流するため、地面を蹴った。しかし、すれ違う瞬間に彼女は言う。

「イラストは、やめといたほうがいい」

 言葉に襟首を掴まれる。

「どういう意味ですか?」

 立ち止まり、振り向きながら彼女の背に問う。

 私服女性も振り向いてくる。くるりとこちらへ向いた顔は、すでに笑っていなかった。

「将来、美術館に並ぶような、本当に芸術性の高い分野は、人間が支配しているかもしれないけど、商業的なデザインの部分では、AI技術の独壇場だろうね。人がどのようにしてデザインの善し悪しを判断しているのか、人工知能が理解すれば、人間と比べものにならないほど、圧倒的に安価で凄まじい速度で仕事を仕上げる。イラストの大量生産。企業は間違いなく、そちらを選ぶだろうね」

 彼女からは諭すような気配があった。

「だから、やめといたほうがいい」

 真剣な彼女の表情に、やはりというか、なんとうか、僕は再び嫌悪感を抱いた。

「なんなんですか、あなたは?」

 僕は剣幕を濃くして問うた。自分を深く知る親類ならまだしも、出会って数分の見知らぬ誰かに、己の目標に対してとやかく言われるのは、気分が悪かった。

 問われて、彼女は数秒だけ顎をさすりながら考えたのち、答えた。

「私は、君の敵」

 ビシっと人差し指を向けてくる。

「私はこの会社の人間でね。ロボットの開発にも深くかかわっている。デザイン産業から人間の居場所を失くすのは、私が開発したロボットだろうね」

 彼女はそれがさも当たり前のように言い切った。

「僕は、負けないですよ」

 自然と握りこぶしに力が入ってしまう。僕の憤りとは対照的に、彼女はニヤリと不敵に笑う。相も変わらず、不快な笑顔だった。

「ここで会ったのも何かの縁だ。勝負相手がどこぞの誰かもわからないのでは困る。最後に君の名前を聞かせてよ」

 僕は、宣戦布告でもするような意気込みで、自分の名を告げた。

「加地。青木加地」

「……覚えておくよ」

 それが会話の終わりだった。僕は彼女の名前や存在に興味はない。彼女に背を向けると、橋ってクラスメイトと合流した。

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