第47話 真昼の決闘 ⅱ

 ――廃ホテルのロビー、……九段はジェームズと対峙していた。情報局の山伏殺害をほのめかすジェームズに、腹の底から湧き上がる怒りを抑えることができなかった。


「何人殺したら気が済むんだ……」語気が荒くなる。「……山伏と働いていた公安部の男が、あと2人行方不明になっている。それもお前の仕事か? それがアメリカのやり方か!」


「大統領は戦争を望んではいない。それを知ったうえで萩本総理は暴走した。彼を止めるのが私の任務だった。……私をただの人殺しと考えているのではないだろうな?……」


 ジェームズが冷ややかな笑みを浮かべる。


「……私はアメリカ人だ。個人の信条を大切にする。大統領に命じられても、自分の信念に反するなら、その仕事を受けることはない。日本人とは異なるのだ。……世界が平和になるのなら、私は何人でも殺す。戦争を始めようとするやつは嫌いなのだ。……しかし、殺すだけじゃない。天国にも送り届ける。人は生きる場所で変わるものだ。……で、私が日本にいるのはどうして知った?」


 よく話す奴だ。……そんな感想が九段の沸騰していた頭を冷やした。


御託ごたくを並べるな。神様にでもなったつもりか。あんたが戦争を嫌いなように、俺は人殺しが嫌いだ。そんな奴の臭いは普通の人間とは違う。影武者を使っても臭いまでは真似できない」


 話しながら、さりげなく距離を詰めた。数歩ずつ、猫が小鳥を狙うように。


「出国したのがダミーだとわかったのか。しかも臭いでわかるとは、さすがライオンだ。参考までに教えてくれ。私の臭いとダミーの臭い。どこが違った?」


「ハンバーガーだ」


 また1歩、前進する。


「ハンバーガー?」


「あんたは俺と同じで、フレッシュバーガーが好きだろう? 影武者はいつもジャンボバーガーをオーダーしている。同じ生体認証の男が2通りの行動パターンを持っていたから、一方は影武者だと思ったよ。そして一昨日、赤坂のショップで、出国したはずのあんたの指紋がフレッシュバーガーのボタンを押した」


 ハンバーガーショップの指紋情報は、公安部のビッグデータに残っていたものだった。一昨日、小島が見つけてきたのだ。


「なるほど。ハンバーガーの注文パネルでばれるとは迂闊うかつだった」


「日本人は使えない情報を後生大事に抱えているが、意外な場所で役立つのだ。それが日本人の技術力だ」


 話しながら、自分の話しの馬鹿さ加減に苦笑した。とはいえ、無駄話は距離を詰め、相手を油断させるのには役立つ。


「物を捨てられない民族なのだな」


 ジェームズも笑った。


「今回は、カビ臭い情報が役立ったレアなケースだ。しかし、どこに潜伏しているのかはわからなかった。それで、あちこちに撒餌まきえをまいた。俺は感心しているんだ。あんたが逃げずに、俺の前に現れたことにね。やっぱり、気になるのだろう? 俺がどれだけ情報を持っているのか……」


 九段は、情報に係る仕事をするジェームズなら、自分の情報にも過敏だろうと考えていた。


「ああ知りたかった。だが、今は失望している。ハンバーガー以外は推測ばかりのようだ。それで警部はどちらを選ぶ。太平洋の天国か、それとも地獄か?」


 ジェームズが嘲笑したすきに、九段は銃をぬいた。彼までの距離は20メートルを切っている。ピンポイントで命中させるのは無理だが、外すことのない距離だ。


「俺の空手形を見破るとは立派なものだ。どうも俺は口下手で嘘が苦手だ。しかし、油断したようだな」


「まったくだ……」


 ジェームズの全身に緊張が走るのが手に取るようにわかった。左へ飛ぶか、右へ飛ぶか、考えているのだろう。


「じたばたしないでくれよ。俺は、口より先に手が出るタイプだ。動いたら、心臓に当たってしまうかもしれない」


 そう警告しながら左手でポケットから手錠を取り出し、ジェームズに向けて放った。それは、彼の数メートル手前で落ちた。


「そいつを自分ではめてくれ。俺は普通の日本人と違って、おもてなしが苦手でね。悪いが、セルフサービスだ」


「とんだサービスだな。日本の警察は、やたらに撃たないんだろう? 鉛の弾は食いたくない」


 ジェームズが両手を挙げて手錠に目をやった。修羅場を経験しているのだろう。一度は緊張した表情が、落ち着いたものに戻っていた。


 諦めたのか? そうだといいが。……九段は拳銃を構え直した。


「俺は普通の日本人と違うと言っただろう。とてもTPOを大切にしている。撃たないわけじゃない。撃つべき時、撃ちたいときには撃つ」


「警部の希望はわかりましたよ。この通り、降参だ」


 彼が挙げた手のひらをひらひらさせた。その表情に魂胆こんたんのようなものは見られない。


「今、手錠を拾うから、撃つなよ」


 ジェームズは話しながら前に進み、膝を曲げて手錠に手を伸ばした。が、拾う前に左に飛んだ。


 油断していたわけではない。発砲する覚悟をしていた九段だが、いざとなると武器を持たない相手を撃つことに躊躇った。相手より先に手を出すのは、卑怯者がすることだと信じている。ただ、銃口は彼を追っていた。


 ジェームズがサイレンサーの付いた銃を背中から抜いて引き金を引く。そこに躊躇はない。


 空気を裂く音がしたかと思うと、弾丸は九段の太ももを打ち抜いた。


 痛みが九段に引き金を引かせた。


 ――ダン!――


 よろめいた九段の弾丸は、あらぬ方角へ飛んだ、……ように見えた。それはタイルの床に当たって大きな音をたてた。――ギャン――


 ねかえった弾丸がジェームズの胸に食い込む。


 ――グフ……、ジェームズが鮮血を吐いた。彼の銃はまだ九段を狙おうとしていたが、肺から空気の抜ける身体はいうことを利かない。銃を握った手が床に張り付いたように動かなかった。


 助かった。……九段は銃を構えたまま彼に近づく。撃たれた足が痛み、思うように動かない。


 ジェームズは苦しそうに息をしていた。動く余力はないように見えた。ホッとして拳銃をホルダーに納め、彼の銃を奪って壁際に放った。片膝を床について手錠を拾う。太ももに激痛が走り、靴の中にたっぷりと血液が溜まっているのに気づいた。脚の感覚はすでになくなっている。


「証拠がないことを確認し、俺を殺すつもりだったな?」


 ジェームズを仰向けに寝かせた。


「……わかって、……いたのか……」


 彼の返事はヒューヒュー鳴って聞き取りにくかった。


「このくらいじゃ、死にはしないよ。おとなしく捕まってくれたら、お互いに痛い思いはしなくてすんだんだ。聞きたいことが山ほどある」


 九段の言葉にジェームズの唇が動いた。笑ったのだ。


「……生きていたらな」


「このくらいじゃ死なないと言っただろう。今、救急車を呼んでやる」


「……私じゃない。……死ぬのは警部、……あなただ」


 俺?……言われてみると、全身から力が抜けていた。思考も鈍っているように感じる。ぼんやりしだした頭を叩くようにはっきりさせたのは、ドアが開閉する音だった。


 ロビー奥とカウンターの後ろのドアが勢いよく開いた。顔を出したのは建設会社の作業着姿の男が2人、青い瞳をしている。……九段の銃声を聞きつけたジェームズの仲間だ。


「1人じゃないのかよ……」


 警告や手加減をする余裕はないと判断した。今度は相手より先に引き金を引けた。


 ――ダン!――、――ドゥン!――


 ほぼ同時に二つの銃声がした。


 ロビー奥の男が肩から血を流して倒れた。


 九段の胸にも弾丸が一発……。――バギッ……、防弾ベストの内側で肋骨が折れる音がした。カウンター後ろのドアから出てきた男が撃った弾丸だった。


 ――ダン!……、更に飛んできた弾は、ジェームズの身体に当たった。射撃が下手なのか、ジェームズの口を封じようとしたのか、いずれにしても彼の肉を切り裂き、肉片が飛んだ。


 止めろ。死んじまうぞ!……九段の叫びは音にならない。肋骨の折れた胸が痛んだ。


 カウンターの向こう側の男は、下手な射撃をやめなかった。むやみやたらと撃ってくる。更に1発がジェームズに当たり、彼が「ウウッ」と呻いた。


 九段はカウンターに向かって弾を撃ち込みながら、ジェームズの身体を引っ張って柱の陰を目指した。


「仲間なんか連れてきやがって。俺を騙すから罰が当たったんだぞ」


 九段は眼の隅でロビーの奥で倒れていた男が動き出すのを認めた。2方向から狙われては避けようにない。


「降参だ!」


 必死で叫んだが、九段への攻撃は止まなかった。カウンターの陰から飛んできた弾が背中をかすめると激痛が走り、柱の手前で倒れた。


「日本語が分からないのか?……降参だ。……ギブアップ」


 怒鳴ったつもりだった。声が届かないのか、返事の代わりに銃弾が飛んでくる。死体になったジェームズが弾丸を受けてその身体が歪んだ。九段は一人、柱の影を目指して這いずった。


 ――ダン! ダン! ダン!――


 数発の銃声がロビーに鳴り響き、静寂が訪れた。


「警部、大丈夫ですか?」


 駆け付けた小島の顔が上気していた。銃撃戦に興奮しているのだ。


「遅いぞ……」


 声がかすれていた。足元に大きな血だまりができている。


「すみません。用事があって……」


 小島がハンバーガーショップの袋を自分の背後に隠した。それからハンカチを取り出して九段の太腿の銃創じゅうそうを抑えた。


 東部が奥に足を運び、小島と撃った男の脈を取った。身体の右側だけに4発の弾痕があった。彼は誰に撃たれたのかも知らずに絶命したのだ。ロビー奥の男も同じだった。


「東部さん。手伝って!」


 小島に呼ばれた彼が、ネクタイを外して九段の太ももの付け根を縛った。


「……ジェームズのやつ、動脈を狙いやがった。……俺から話を聞き出し、失血死させるつもりだったんだ……」


 九段はだるかった。瞼を持ち上げるのも辛い。意識がかすれる自覚がある。……しっかりしろ!……自分を叱咤する声も虚ろだ。


「小島、手を放して見ろ」


 東部が言う。


 銃創から流れる血液が減っていた。


「良かった」


 小島が額の汗をぬぐうと、それが赤く変わって眼元から頬に流れた。遺体になったジェームズを確認する。


「警部の弾は床を撃っていますよ。それで倒せたんだから、ラッキーです。太ももを撃たれただけでアソコは無事だし」


 九段は、頭の真ん中で小島の声を聞いた。


「…‥馬鹿野郎。わざとだ。……跳弾ちょうだんを知らないのか?……それより、録音は出来たか?」


 頭の中心にいる小島に向かって話した。


「もちろんです。これで、アメリカ大統領を逮捕できますね」


 小島が、九段とつながっているスマホを取り出した。


「バカ、か……」アメリカ大統領を逮捕できるはずがないだろう。苦笑したつもりだが、頬の筋肉は動かなかった。


「……車を、呼んでくれ……」


「タクシーですか?」


「き、……救急車だ」


 九段は意識を失った。


「警部!」


 小島が慌てて救急車を呼んだ。

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