前を向く者たち
第37話 捜査 ⅳ
萩本総理を失った日本政府は、アメリカ政府の意向に従い、警察庁へ事件の早期決着を指示した。それは、そのまま警視庁に下命される。捜査本部長を務める警視庁の山本副総監は、すべてを日明研単独の犯行とすることに
総理暗殺事件の捜査本部は、警視庁組織犯罪対策部の指揮のもと、全国の日明研会員の一斉検挙を行った。それで全てを終わらせるつもりだった。
「小島、ついて来い」
捜査本部を後にする九段は明らかに怒っていた。珍しく大声を上げ、小島を運転席に座らせると東名高速を西へ走らせた。
「都外に出るのなら本部に報告したほうがいいですよ」
小島が行先を言わない九段に向かってしつこく言うと『前方安全確認をしてください』とナビシステムが警告する。
「黙って前を向け」
九段も叱る。
「ごめんなさい。注意します」
それはナビシステムに対する反省だ。九段に対してではない。
2人はハンバーガショップのドライブスルーでフレッシュバーガーを買った。
「何をイラついているんです?」
小島は、貧乏ゆすりをしながらフレッシュバーガーを口に運ぶ九段に訊いた。
「お前は平気なのか? 総理狙撃事件に日明研が関係しているのは事実だが、何も知らない全国の会員を拘束するのは、あまりにも理不尽だ。大半のメンバーは無実の罪で拘束されたのだ」
「取り調べが進めば、アリバイのある多くのメンバーは解放されますよ」
「アリバイがあろうがなかろうが、連中は周囲を丹念に調べられ、多くの者が別件で起訴されるだろう。世間に日明研の怪しさを印象付けるためになぁ」
「まさか、そんなことないですよ。ここは日本ですよ」
小島が異を唱えると、九段はフンと鼻を鳴らして黙った。
「警部が腹を立てるのは勝手ですが、行先だけでも教えてください」
小島は食い下がった。九段が空腹を満たしたのに、ハンドルを握る自分の腹は空っぽだ。それだけでもきつく当たる権利があると思う。後部座席から流れる自分のハンバーガーの甘い匂いに腹が鳴った。
「運転席、代わってもらえませんかぁ」
小島の要求に対する九段の返事は、「京都」だった。
「それはさっきナビに命じたのでわかります。京都の宇治で何をするんですか? ホテルは予約してあるんですか?」
「ホテルは不要だ。明日の朝までには帰る」
九段が手を伸ばし、自分のフライドポテトを小島の口に放り込んだ。いきなりだったので、喉につかえた。
「私、女の子なんです。車中泊なんて困ります」
喉をゲホゲホさせながら抗議した。
「お前は刑事だ。事件を解決するためには徹夜もいとわない刑事だ」
彼がまじないでも唱えるように言った。
「そんな、……昭和のドラマじゃないんですよ。パジャマもないのに……」
再び九段がフライドポテトをねじ込んでくる。
「ホレ、パハハ……」それ、パワハラです。という声が封印された。
「捜査がいやなら次のサービスエリアで下りろ。俺1人で行く。質問も許さん」
「ホンナ……」
フライドポテトがゴロゴロと胃袋に落ちていった。
結局、小島はナビシステムの一部と化してハンドルを握り続けることになった。小島にとって黙っていることは、空腹同様に苦行だった。浜松を過ぎたところで耐えられなくなり口を開いた。
「公安が満金豚会を潰したそうですね」
「ああ、組対部が大捕り物をしたからな。公安も負けるわけにはいかないだろう。会長の周と幹部4名、チンピラ7名を逮捕したそうだ。麻薬に脱法ハーブ、密輸拳銃が見つかったが、狙撃事件と繋がるものは何もなかった。王美麗の居所も式典にいた理由もわからずじまいだ」
「ライフル銃の盗難にも関与していないのでしょうか?」
「あいつらの手口は荒っぽい。ライフルが欲しかったら強盗はしても、深夜に忍び込むことはない。すべての盗難事件は全く逆だ。そっちはジェームズ・坂東とかいうやつの組織の仕業で間違いないだろう」
「二つの組織がつるんでいるのでしょうか?」
「それらしい形跡は感じるが、どうだろうな。本来、異なる世界の住人だと思うが……。今のところ何も確証はない」
九段は頭を掻いた。
「ジェームズの組織は、どこのものでしょう?」
「話が洩れてこないところを見ると外国がらみだ。公安が踏み切れないところを見ると、おそらくアメリカだ」
「それを政府は日明研に押し付けるつもりなんですね。汚いわ」
「汚いのが嫌なら、暴いてみてはどうだ。キャリアの看板に
「キャリアは上に奉仕するものです。暴いたりしません」
それは小島の建前だ。
「なるほど。それならせめて、俺たちが手に入れた写真から、公安の連中がどうやってジェームズ・坂東の名前にたどり着いたのか訊いておけ。そのくらいやってくれるだろう?」
小島は、九段の強い視線を感じた。
「獅子の目覚めるのが遅いから、日明研の単独犯行という結末になったんですよ」
「おいおい、俺は精一杯やっているつもりだ。……公安はプライドが高いから、俺が行くよりもキャリアのお前が行ったほうが素直に情報を出してくれるはずだ。頼むぞ」
「訊いてあげてもいいですけど、フライドポテトを奢って下さいね」
「わかったよ。プリンも付けてやるよ」
「ラッキー! 頑張ります。警部も早く目覚めてくださいね。目がしょぼしょぼしています」
2人の視線が合った。
「年寄りはこんなものだ。それにしても、組対部が引っ張った中に手塚の名がないのが気になる」
「きっと、自衛隊員だからですよ」
小島は深く考えずに応じた。それからもあれこれ話し続けたが、九段は「ああ」と「うん」「いや」としか言わなかった。眼に見えないものを探すように、じっと宙を睨んでいた。
九段が反応したのは王美麗の話をした時だった。
「怪我をした王美麗はどうしたのでしょうか?」
「情婦か?」
「あ、反応した」
小島は笑った。きっと九段はイヤらしいことを考えたのに違いないと思った。
「不思議ですよね。弾に当たったはずなのに消えてしまうなんて……」
「映像を見る限りは腕をかすめただけだ。致命傷になったとは思えない。どこかにいるさ」
「どうして消えたのでしょう?……捜査の網にもかからない」
「気の利いた場所に隠れているのか、国外に出たのか、それとも……」
「殺された?」
「可能性はゼロじゃない。満金豚会長の情婦だからな」
「敵は多いですよね」
「どんな敵がいたかな?」
「
「お前だけだよ。そんなに堂々と言えるのは……」
九段がアハハと声を上げて笑った。目尻から涙がこぼれている。
「……しかしなぁ、そいつらが恨みを晴らしたのなら、周が何も知らないということはないだろう」
小島は恥ずかしさで焼いた餅のように頬を膨らませた。
「わざと恥ずかしいことを言わせたんですね。私が偉くなったら、警部を絶対、ド田舎に左遷します」
小島は真剣にそう考えた。飛ばすなら離島か山奥か……。
「おいおい、それはパワハラじゃないのか?」
「違います」
根拠もなく言い切った。
「王美麗を殺したり拉致したりしたのなら、さらしものにするか、ネットに画像を上げるか……、少なくとも周のもとに何らかの証拠は送り付けますよね」
「ああ。満金豚会の連中が何も知らないということは、組織の抗争とは別の理由で女は消えたんだ」
「暗殺のターゲットだったのではないでしょうか?」
「総理や水島と同じだと言うのか?」
「ええ。姿を見せれば、また狙われます」
「発想は面白いが、それはないな。女に当たったのは三沢が会場に飛び込んで撃った弾の一つで、当たったのも偶然だ。プロが撃ったものじゃない」
「そうかぁ。……お手上げだわ」
小島はハンドルから手を放して万歳した。
『警告、安全運転義務違反です』
ナビが警告する。
「ごめんなさいね。気を付けるわ」
片手をハンドルに置いて支持した。警視庁も早く完全自動運転の車を導入してほしいと思った。
車は小牧インターチェンジを通り過ぎる。カーラジオが、明日、総理暗殺事件に関する政府の記者会見があると報じた。
「結局ダメでしたね」
九段らは、山本の与えた五日以内で萩本や天下を殺した人物を特定することが出来なかった。それどころか、天下のアリバイを証明できたはずの証拠品まで失っていた。
「証拠の防犯カメラのデータとハードディスクは、どこに消えちゃったんでしょうね?」
11日に天下が事務所にいたことを証明する防犯カメラとドライブレコーダーのハードディスクが鑑識課の保管庫から消えたのは一昨日のことだった。狙撃事件を日明研の犯罪として片付けようとする誰かが持ち出したのは間違いない。
警視庁は、それを盗難ではなく紛失として扱い、捜査に着手する気配がない。警視庁より上の組織から圧力があったのだろう。捜査員たちはそう見当をつけていたが、だからといって行動する者はなかった。誰もが自分の立場にしがみついた。
「隠したのは、きっと山本副総監の手先ですよ。川口部長あたりじゃないかなぁ。副総監もせこいわ。五日たったら、さっさと結論を出すんだから」
小島は口を尖らせた。
「実行犯が誰かは分からないが、証拠品の盗難は警視庁の犯罪だ。それを紛失という過失に偽装している。副総監がさっさと結論を出したのも、抵抗できない相手の圧力があったと考えるべきだろう。俺が考えている以上に事件の闇は深いのかもしれないなぁ」
「二階堂議員はどうして証言を撤回したんですか?」
「政治家の頭の中など想像もしたくない。が、官房長官あたりに、天下のアリバイを証言することは政治資金問題を問われることになる、とでも脅かされたのだろう」
「政治家は便利ですね。一度口にしたことも、簡単に撤回できちゃう。撤回したらなかったことになるなんて、非常識ですよ」
「そんな嘘を誰も信じちゃいないが、役所の書類や議事録はそれで通用する。不思議な世の中だよ」
「そのミステリーを暴くのが眠れる獅子じゃないですかぁ。できないなら、眠れるジジイです」
「わったよ。とにかく、ひとつずつ解決していこう」
九段が苦笑した。
「それで、どうして京都に行くんですか?」
小島は、改めて京都行の理由を聞いた。
「総理暗殺の動機はいくらでもありそうだが、水島殺害の動機はまだわかっていない。水島氏については、わからないことが多すぎる」
九段の声は冷めていた。
小島は横目で九段の横顔を眺めた。オレンジ色の街灯が極端な陰影をつけている。
「な……」
「流れ弾なんて言うなよ。水島は、間違いなく標的にされていた」
小島の言葉を九段が遮った。
2人が京都の街に入ったのは、午後7時過ぎだった。
「こんな時、ナビシステムは便利だな。人間と違って道に迷わない」
「事件捜査のナビシステムを、誰か開発してくれませんかね。パトカーに乗っていたら、犯人の目の前まで運んでくれるような」
「そうしたら、刑事はみんな失業だぞ」
「世の中が平和になるなら、いいじゃないですか」
「それもそうか……」
車は勝手に宇治方面に曲がり、古い木造住宅の前で停まった。家には田中という表札がかかっている。
「警部、ここは?」
2人は車を降りた。
「亡くなった水島三吾氏の奥さんの実家だ。離婚してからは、ここで暮らしているはずだ」
「どうして別れた奥さんを訪ねるのですか?」
「同一人物に総理と水島氏が撃たれたのだ。その理由は同じだと思わないか?」
「総理と水島氏に日明研に絡む共通点があるということですか?」
「そういうことだ。総理が日明研に恨まれる理由があるなら、水島氏にも日明研に恨まれる理由があるはずだ。その逆もいえる。水島氏が撃たれた理由がわかれば、総理が撃たれた本当の理由もわかる。真犯人もなぁ。……ここは女同士。お前は離婚の事情を聞いてくれ」
小島の返事を待たず、九段が
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