第35話 捜査 ⅲ
萩本総理を暗殺したライフル銃で天下大地が死亡し、それをもって総理暗殺事件を幕引きにしようとした山本副総裁。……状況に疑念を持った九段警部が異議を唱え、五日間の機嫌を切って捜査の許可を取った。
小島は、九段が防犯カメラの設定にこだわる理由が理解できなかった。警視庁の小さな会議室でのことだ。
「防犯カメラの設定なんて、単純に忘れただけじゃないですか? 私なんて、トイレのドアの鍵をかけるのを忘れますよ」
「小島のトイレはともかく、日明研事務所の人の出入りを再確認しましょう」
東部が押収してあった日明研事務所の監視カメラの記録を再生した。
――11日の朝、事務所に入る天下と横山の姿があった。事務所を出たのは事件後だった。
「天下と横山のアリバイ成立ですね。2人に総理狙撃は無理です」
時間をさかのぼる。
――3月10日……。一之瀬、友永、三沢の3名が事務所に入る様子があった。入った時刻はバラバラだが、出るのは一緒だった。
「俺としたことが……」
九段が床を蹴った。
「どうしました?」
「事情聴取時、天下は一之瀬には会ったが、友永や三沢は知らないと言った。あの時にこの映像を視ていたら
「それは警部のせいじゃないですよ。あの時点では、ビデオは押収できませんでした。そもそも天下が嘘を言ったんです。殺されたのは自業自得です」
小島は九段を慰めた。いや、そうやって自分の責任も回避した。
「背後に政治家がついていると遠慮した俺の判断ミスだ」
九段が悔しそうに言った。
「総理暗殺に向かったのは10日に出て行ったこの3人と考えていいですね」
東部が頭を掻いた。
「問題は、あとの1人です」
「結局そこに戻るな」
映像をさかのぼる。
「これ、見てください!」
東部が声を上げた。映っているのは、前日の早朝の様子だった。宅配便で届けられた。荷物は二つ。一つは十分にライフル銃が入るサイズだ。受け取ったのは天下自身だった。
「横山の証言の信ぴょう性が高まったな。あいつの知らないところで計画は進行していた」
九段が背伸びをし、ビデオは飽きた、と言った。
「ビデオが見たいと言ったのは警部ですよ」
嫌味を言った小島も飽きていた。
フンと鼻をならし、九段が部屋を出ていく。小島と東部が彼を追った。
九段が向かったのは、日明研の事務所に荷物を配達した宅配会社だった。配送伝票を確認すると、不思議なことに、配達された荷物を発送したのも天下自身だった。発送者の住所は天下の自宅だ。
「くそ、日明研の単独犯罪を強化するだけだ」
東部が悔しがった。自分相手の荷送りでは、本来のライフル銃の送り主が分からない。
小島は「なんか変」と率直な感想を口にした。
「さて、どうする?」
九段が試すように若い2人に目を向けた。
「他人が天下の名前で送った可能性もありますよ。……この伝票を見ると、ドライバーが荷物を受け取りに行ったことになっていますね」
小島は閃き、事務員に荷物を回収したトラックのドライブレコーダーの記録提出を要求した。記録はメモリーカードに入っていて、目的の場面はすぐに見つかった。
――トラックが天下の家の駐車場に入る。ドライバーが運転席を離れてしばらくすると、天下とドライバーが肩を並べて現れた。2人はトラックの前に停めてある天下の車に向かい、トランクを開けると中から二つの箱をとりだした。天下の顔は不安げに見える。
「確かにこの荷物ですが、だめですね。やはり送り主も天下自身です」
東部が肩を落とした。
「横山や他の会員は関係していませんね」
小島も失望した。
「それだけ秘匿された計画ということだ。天下会長の車に、ドライブレコーダーはないのか?」
九段が訊くと、しょげていた東部が跳ねるように立ち上がった。
「行ってみましょう。天下の車は古いものですが、高級車です。着いている可能性がたかい」
小島は先頭になって宅配会社を飛び出した。
3人は天下の自宅を訪ね、康子にドライブレコーダーの提出を求めた。
「夫は、本当に自殺なのでしょうか?」
東部が古いドライブレコーダーのハードディスクを取り外すのを見ながら康子が訊いた。
「それを調べています」
九段が公務員らしく応えるので、小島はプッと吹いてしまう。それを九段がにらんだ。
「夫の
「ご主人は、自殺ではないと?」
九段が傷心の未亡人を優しく見ていた。それは同情か、あるいは色気に惑わされているのか……。小島は上司の不審な態度を面白がった。
「自殺するような人間ではありません」
康子が断言する。
「なるほど……」
九段が目を細めた。その視線が彼女の細い首筋に向いている。
東部がハードディスクを取り外して康子に示した。
「お借りします」
「ええ。あのう、横山さんは、まだ返されないのでしょうか?」
横山は天下殺害の容疑者として取り調べを受けている。
「このレコーダーのデータが解析出来たころには解放されると思いますよ」
九段が事務的に応えた。
「そうですか、良かった」
その時の康子は心底喜んだように見えた。
「横山さんに何か用事でも?」
「体調が悪いもので、いつも横山さんにマッサージをお願いしていたものですから」
3人の刑事は思わず顔を見合わせた。彼女の気持ちが理解できず、固まった。九段が口を開かなければ、その場を離れられなかっただろう。
「お大事に……」
そう告げて天下の家を後にした。小島がハンドルを握り、東部が助手席に座る。九段は後部座席で横になった。
「仇を取ってくれだとよ」
東部が苦笑した。
「総理を殺しておいて、身勝手すぎますよね」
小島は同調した。
「旦那が総理大臣を殺したのに責任を感じていない。体長が悪いとか、気にしているのは自分のことだけだ」
「ひどいですよね。どう思います、警部?」
ルームミラーに映る九段は、今にも寝入りそうだ。
「……そうだなぁ、小島流に言えば、犯罪を行ったのは天下だ。嫁さんに罪はない。しかし、家族として認識を共有していたら、少しぐらいは道義的な責任を感じるだろうな」
その返事に、ハンバーガーショップで愛国デモを見た時のやり取りを思い出した。彼は、その時のことを言っているのだ。小島はルームミラー越しに九段を睨んだ。
九段が話を続ける。
「……彼女は心の病のようだ。マスコミに囲まれてうつ病になる加害者や被害者は多い。彼女に他人のことを気遣う余裕はないだろう」
小島は納得できなかった。
「そんな事はないですよ。運転手の横山のことは気にかけていたじゃないですか?」
「あれは他人事じゃないと思うぞ。康子は横山を愛しているんだ。今の康子には横山が心の支えになっているのだと思うなぁ」
「警部は、横山と康子が不倫しているというのですか?」
「さあなぁ。康子の片思いの可能性もある」
「不倫しているなら、横山には天下会長を殺す動機があるということじゃないですか?」
「理屈ではそういうことになるなぁ」
「なんだか、ドロドロしていますね」
小島は考えた。男女の関係が汚らしいものに見えるのは何故だろう?
「男女の関係は難しいんだぞ、小島」
東部が小島の肩をたたく。
「きゃ、触った。セクハラです。警部、逮捕してください」
「なんだよ。ちょっと肩に触れただけじゃないか」
東部が顔を曇らせた。
「俺は示談を薦めるよ。小島、ハンバーガーショップに行け。東部の奢りだ」
「よろこんで!」
小島はナビシステムに行先の変更を命じた。
ハンバーガーとポテトで人間の基本的な欲求を満たしてから、3人は鑑識課を訪ねてハードディスクを提出し、映像が映るのをモニターの前で待った。
ハードディスクの最初の記録は調布から新宿に向かう場面だった。――ハンドルは横山が握っている。天下は後部座席に座っていた。自宅と事務所の間を移動する車内に怪しい人物や荷物は映っていない――
――翌日の土曜日は、天下自身が運転していた。しばらくするとゴルフ練習場の看板が写り、車は駐車場に入った。天下は建物の出入り口から遠い場所に車を止めたまま、車を降りようとしない。周囲を見回して何かを探している様子だ。
――ほどなく、天下の車の斜め前に1台の白い商用のバンが停車した。ナンバープレートは泥にまみれて判別できない。運転手の顔もフロントガラスの反射で不鮮明だった。
「こいつだなぁ」
九段が首を傾げた。
「どうしてわかるんです?」
「ナンバープレートを泥で隠す奴に、まともなやつはいない。営業マンなら、客に会うのにサングラスはかけない」
――天下が車を降りて商用車の運転手に話しかけた。運転手はサングラスをかけたまま、天下と二言三言、言葉を交わすと車を降りた。しかし、ドライブレコーダーに対して背中を向けた。天下よりも頭一つ分背が高く、スーツ姿は卸売問屋の営業マンのように見える。
「顔が見えないな」
東部が唇をかんだ。
「もう少ししっかり写っていると良かったのに……」
小島は悔しかった。せっかくの手柄なのに……。
「なあに降りる時には、一瞬だが顔が写っていた。後で静止画を鑑識さんに起こしてもらえばいい」
九段の声は平静だった。
「今ので、顔が写ったと分かったのですか?」
小島は、九段の動体視力の良さに驚いた。
――サングラスの男は一方的に話をしているようで、天下はうなずくだけだった。男が後部座席のドアを開けると、天下が屈んで大きな段ボール箱を抱えるようにして降ろした。それは宅配便で日明研の事務所に運ばれた箱に間違いなかった。
「これだ!」
東部と小島の声がシンクロした。
九段が難しい顔をしていた。荷物の中身を考えているようだ。
「15キロ前後の箱が二つ。長いほうがライフルとして、もう一方はなんだ?」
小島は、箱の中身に興味はなかった。それよりサングラスの男が気になる。
「どういう筋の男なんでしょうね?」
「天下会長が自分で荷物をおろしたんだ。よほどの大物なのだろう」
「銃を盗んだ男でしょうか?」
「それはどうかな。つながっているのは間違いないだろうが……。各県警の捜査班に写真を送って確認してもらえ。密売なら誰かは見ているだろう。目撃がなければ盗難の線が強いことになる」
「盗難でも、下見に来ている可能性はありますよね」
「ああ。しかし、営業マンと技術者は別だろう」
九段は、ライフル銃を売る男と、盗んだ男は別人だと言っていた。
――荷物を積み替えると、天下と男はろくな挨拶もせずに別れた。駐車場を出ていくバンも映っていたが、車体に企業名はない。
「レンタカーかな?」
東部が首をかしげ、九段が応じる。
「盗難車だろうなぁ。だが、今頃は所有者のもとに戻っているはずだ。盗まれた本人も使われたことに気づいていないかもしれない」
「どうしてそう分かるんです?」
「銃の盗難状況もそうだが、手際が良すぎる。天下会長に荷物を運ばせたのも自分の指紋が付くのを避けるためだし、休日に受け渡しが行われたのも、バンを所有する会社が定休日だからだろう。……病的なほど慎重なのか、そう言う世界に熟知している男だ。レンタカー会社に免許の記録を残すとは思えない。銃を盗む能力があれば、車を一時借用するぐらいのことは簡単だ。計画も緻密で何事にも熟練した奴らだ。そんな連中、国内にいると思うか?」
「警部はライフルのほうも盗難事件だと確信しているんですね?」
小島が訊いた。
「スナイパーが外国人だというのは当初からの警部の読みでしたね。出入国記録からは、それらしい人物は特定できませんでしたが。……香港マフィア! 王美麗関係ですか?」
「東部の見当は、当たらずとも遠からずというところだろう。あっちは公安が追っているが、未だに何も出ないようだ。ライフルの密売なんて、簡単なことじゃないからなぁ。まともな市民ならやらないよ。1人ならともかく4人がつるむなんてありえない」
九段がしょぼしょぼした眼をこすった。
「宅配会社への電話ですね」
――自宅に戻った天下は、車内で電話をかけた。助手席に移るとダッシュボードから宅配便の伝票を取り出して記入する。
「準備のいい男ですね」
「サングラスの男の指示だろう。台本通りに進んでいるようだ。総理暗殺の筋書きを描いたのは、あの男じゃないかなぁ」
「サングラスの男が主犯ですか!」
東部と小島の声がそろった。
「あくまでも俺の推理だ。証拠がない。……もうひとつ疑問がある。あの男が主犯だとして、動機は何だ?」
九段が不機嫌そうに自問した。
――伝票を書き終えた天下が、にんまりと笑ってから車のエンジンを切った。その後、天下が死んだ日の映像もあった。横山の証言通り、三沢の狙撃事件の会話が残っていた。
「天下は荷物を受け取るたびに嬉しそうな顔をするなぁ」
「誰だってそうですよ」
小島が言った。
「送る時は不安そうだった」
「それは珍しいかも……」
「ライフルのことが心配なのか、それとも別に大切なものが入っているのか……」
「お金!」
思わず叫んだ。
「おそらくそうだ。金庫から盗まれた1億円は銃と一緒に運ばれたんだ。事務所の防犯カメラの録画も、記録が残るのは困るとか言って、サングラスの男が天下に止めさせたのだろう。おそらく、防犯カメラはもっと早くに、少なくとも11日より早くに止めさせたかったに違いない」
「どういうことですか?」
「サングラスの男は、11日の日明研事務所の人の出入りの記録を残したくなかったはずだ。そうすれば、天下が4番目の狙撃者として黒になる」
「天下のチョンボで、二階堂議員という強力な証人とビデオの証拠ができたということですね」
「残された手がかりはあと1人か……」
「手塚なら、確実なアリバイがあります」
「ああ。事件に直接関与してはいないだろう。横山と同じだ。だが、アメリカで2週間も三沢らと行動を共にしたのは間違いない。それは天下の指示だ。横山より手塚の情報の方が役に立つはずだ」
その後、小島は九段の指示で手塚を探した。自衛隊には、彼が1週間の休暇届を出していると冷たくあしらわれた。自衛隊側も、隊員が総理狙撃事件に関与していると疑われることが迷惑なのだ。
小島と東部は聞き込みを重ね、手塚が借りているマンションを探しだした。が、そこには人が住んでいる気配がなかった。
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