(2)
「――ガラガラガラッ」
どこか寂れたドアを開けて、北校舎にある部室に入る。
その瞬間、窓が開いているのか校庭の乾いた外気が一気に俺の体を吹き抜けていった。ちなみに朝の灰色の空は俺が寝ている間にすっかりと澄み渡る青を見せていて、今では明日みたいに眩しい。
窓の淵には少女が独り。
またあの日のように明日の方向を細い目で見渡していた。
「またお前か、葉月。先に部室開けたのは?」
「……あっ、秋宮君、思ったより早く来たね」
「『来たね』じゃねーよ。勝手に部室を開けるなよ……いちいち職員室に行くという手間がかかるんだ」
「それを手間って言ったら終わりだよ?」
一見、なんら変わらない、純粋無垢な普通の少女、中野葉月が大きな背中を返してそう微笑んできた。
カキーンと、野球部がホームランでも打つ音が耳に届いてくる。
「もうお前との相談も昨日でおしまい。それに葉月は悩み部でも無いし、今更ここになにしに来たんよ」
「もう一回、二人とは話がしたかったの。流石に直接お礼もなにも言わずにはいられないでしょ。だから要件はそういうこと」
「そうか……それなら悪い。もう少し待っててくれ。楓がもうちょっとで来るはずだから。みんな揃ったら話をしよう」
「うん」
「ところでなんだが……葉月」
今の彼女はひどく悲しそうに見えた。だから葉月にも聞いて欲しいと思った。俺の過去――殊更悩み部のことについても話していいと思えた。少しでも元気を出して欲しかったから。
「どうしたの、秋宮君?」
「俺とさ、楓のことについて、なんだけど……実はさ」
「別に言わなくてもいいよ」
「えっ」
思ってもいない返答でびっくりする。
「言わなくてもいいってお前……も、もしかして楓がもううっかり言っちゃってたとか?」
「ううん。楓ちゃんからもなにもないよ。ただ……」
「ただ?」
「二人と出会って、話して、笑って、薄々分かったよ? この悩み部のことも。二人のことも」
「俺がそうされた理由は分かるか?」
「それだけは流石に分からないよ」
「楓は『好き』がわからにらしいんだ」
そう言った瞬間、少しばかり葉月は目を見開いて、またすぐに戻っていった。
「それは……大変だったね」
察しが良くて助かるな。
「だから俺、全部分かんなくなったんだよ。自分がどこに今いて、どこに向かおうとしてるのか」
「うん」
「でも、今回のことで分かったんだ。道が見えたんだ、俺の前に」
「うん」
「だからーそのー……なんというか……葉月はひとりなんかじゃない。俺がいる。楓だっている。結局みんな同じだったんだ。だから……元気出せよってことだ」
俺は行った後で妙に背筋をさらーとなでられたような感覚に襲われた。あれ、俺めっちゃ恥ずくない? なんか痛い言葉発してない? 乗っ取られた?
いやいや、俺だ。俺自身だ。最悪だ……
恐る恐る葉月の表情を確認してみると
「………」
変に背筋を伸ばして、まじまじと俺を見つめていた。唇を甘噛み、その感触を確かめるように動かしていた。
「ご、ごめん。きもかったな。今の話で。記憶から消しといてくれ」
「……全然全然! そんなんじゃないよ、秋宮君。私はただ『秋宮君も成長してるんだなー』って思ってただけ」
「俺が?」
「うん。だって出会ったばっかの秋宮君だったらそんな人間らしいこと言わないもん」
「間接的に昔の俺貶すの止めて?」
基本的人権の尊重は大事。
「でも、成長してるってのはほんとだから」
「うん」
「そんな秋宮君なら大丈夫だよ。きっと、楓ちゃんともちゃんとやってける。だから、私のことはそんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「本当にか?」
「本当だよ。昨日のことがあったから私も一歩成長したの。それを今日、伝えに来たの。だから今私がここにいるっていうことは大丈夫ってことだから」
「悪い。変な気遣い見せたな」
「ううん。大丈夫だよ、秋宮君」
今の俺には葉月の姿が昨日までと比べようも無いほど大きく見えて。俺も見上げすぎて首が痛くならないよう、早く同じ目線になりたいと心から思った。
今はまだ、その途中。
「元気づけようとしたら、逆に元気づけられちゃった。ださ」
「元気づけられたよ。ちゃんと」
「臭い話はもう止めよう。葉月、紅茶飲むか?」
「うん!」
さて、なんの紅茶にしようかな。
※
「ごめんお待たせ―。つい友達と話しすぎちゃったー」
「大丈夫だよ、楓ちゃん」
「あ、あれっ葉月ちゃん……な、なんでここに?」
開幕早々、状況整理が追い付かなくてあたふたする楓。
なんか焦っちゃってすごい手を振っている。
「あーそれなら、改めて俺たちにお礼がしたいそうだ。それでみんな集まったらその話をしようってなったんだよ」
「そ、そういうことね。っふー……いきなりすぎてびっくりしちゃったよ……」
「じゃあほら、カバン適当に置いて席座れ。紅茶、入れてあるぞ」
「あうん。ありがと」
楓は俺の言葉に従って、三角形に並べておいた机に腰を下ろす。
楓がカップを手に取って紅茶をすうっと一口飲んで落ち着く。
「まずは本当に長い間、私のために協力してくれたありがとう……結果はその、あれだったけど、それでも二人にはすごく感謝してる。どう恩返ししていいか分からないくらいだよ」
「ううん、全然大丈夫だよ、葉月ちゃん。こちらこそ私たち悩み部に相談してくれてありがとう。……私も色々とそのー……学べたし、さ」
「それに関しては俺も同感だ。もうちょっと出来ることがあったんじゃないかって少し後悔してる。けど、いい経験をさせてもらったと思ってるよ。なんか言い方が嫌味みたいで本当に申し訳ないけど……悪気は殊更ない」
「大丈夫だよ。ふられちゃったのは事実……今でもこう見えてまだ悲しい……でも私のこのことが二人になにか与えるものがあるって聞いて、少し報われた感じがする、かな」
葉月ははにかみながら、カップを手に取って紅茶をすする。
ただその表情は、当然ながらふられたショックを隠しきれていない。
そりゃあ大好きだった幼なじみにふられたんだ。そんな早く元に戻そうなんてことは不可能に近い。それだけの想いが確かに葉月の中には溢れんばかりに芽生えていたのだ。
「……こんなこと聞くのは野暮かもしれないが、聞いてもいいか?」
「うん。いいよ」
「その……昨日以来、月島とはどうだ? 今日は来てなかったけど、ラインとかは来たか?」
「うん……来てない、かな……」
「そりゃあ、まあ、そう、だな……」
「「…………」」
話していないことを知り、二人して黙り込んでしまう。
一度壊れた関係はそう簡単に取り戻せない。ましてやふられた・ふった次の日から何事もなかったかのように関わるのは至難の業。それは幼なじみでも一緒。
でも俺はどこかにで「幼なじみだから、次の日からでもなんとか話しぐらいできるんじゃ!」という淡い希望を抱いていたのだ。それだけでも叶えられれば、俺の中の負い目が、罪悪感が少しでも晴れるはず……
ただやはり現実はそうも上手く行かないらしい。
「あ、でもでも! 話したくないとかそういうわけでも無くて……なんかこう話しかけか方を忘れちゃったっていうか……妙に緊張しちゃってるんだよね、いくらラインでも……」
俺たちが暗くなってるのに気が付いたのか、慌てて手を振って付け加える葉月。
「それは月島君の方も?」
楓が葉月のことをのぞき込むようにして尋ねる。
「多分そうだと思う……」
「じゃあお互い様子見って言うか、けん制し合ってる状況なんだな……」
「うん。やっぱりいくら幼なじみだからと言っても、一度その関係が崩れちゃうとお互いに遠慮しあっちゃうんだね」
「分かっていたのになー」と独り言のように呟く葉月を見ていると、やはり心がチクチクと痛んでしまう。それは多分、黙って会話を聞いている楓も同じだろう。
「……じゃあ葉月ちゃんはやっぱり後悔してる? 告白したこと?」
ゆっくりと言葉を紡いで、楓が問いかける。
「……いやそれは無いと思う。後悔だけは私、してないよ」
「なんで?」
「うーん……上手く言葉に出来ないけど、今はもう私たちは幼なじみじゃなくて『元・幼なじみ』みたいな関係になっちゃったわけなんだよね。でも、それだからこそ見えてくるものも結構あるから、悪いことばかりじゃない……かな」
「見えてくるもの?」
「うん。だって良く考えてみれば私たちの関係は一度リセットされたようなものでしょ? だからもし私がまだ光のことを好きだったとしたら、それはもう全く新しい恋の始まりだと思うの。そうやって視点を変えると、今まで気が付かなかった光の魅力に出くわすかもだしね」
「月島君のことはそのー……まだ好きってこと?」
「それは分かんないな。まだ自分でも整理しきれてないの。だから今も『もし』ってことにしたし……うん。まだはっきりしとしないかな」
「そう、なんだ」
「あっ、でもそのうち私の中できっと答えが出ると思う。流石にずっとこんな状態にはならないと思うから。その時には……その時が来たらちゃんともう一度自分の気持ちと向き合うって私、決めたんだよね」
歯切れの悪い楓の返答に、確かに将来を見据えながら笑顔で答える葉月。
――その気持ち、ひどく分かるよ。
「だから、いいの。私告白して良かったよ。なにより自分の長年の想いを光に伝えれたことの方が今になって考えてみると、すごい嬉しい。だから心配しすぎないで楓ちゃん。私はもう大丈夫だから……負い目を感じるのは止めてよ」
「……うん、ごめんね葉月ちゃん」
少し声を震わせながら楓はそう葉月に微笑んで見せた。
楓は多分、今にも泣きだしそうなくらい悲しみの波に襲われている。
でも泣いちゃいけない。だって目の前にはそれでも前へ進んでいくことを決めた友達がいるんだから。当の友達が泣いてないのに私が泣いてどうするんだ、と……つくづくそういう楓の振舞には成長したものを感じる。
すると葉月は紅茶を飲んだかともうと、こちらを向いてくる。
「秋宮君も……ほんと大丈夫だからね? 秋宮君ならその……さっき話、してくれたし……きっと今の私のこの気持ち分かるかもだけど、本当に過度に心配する必要はないからね」
「……ああ分かってるよ」
やはり葉月にはなんでも心が見透かされてるような気がする。
「あっ、楓ちゃん。もし今の私の気持ちを詳しく知りたければ秋宮君に聞くといいと思う。秋宮君なら私以上に詳しく分かってるはずだよ?」
「どうなの、薪君?」
「おい。せっかく良い雰囲気だったのに、とんでもないキラーパスを出すな」
本人の前でそんなこと言えるわけ無いだろ、と心の中でどついた所で、閑散としていた北校舎にささやかな笑いと微笑みが溶けていった。
「いーちいーちいっちにー!」
「「「さんしー!」」」
いつの間にか、野球部のランニングの声が教室にも届いていた。
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