(3)

「あ、楓ちゃん。帰り、秋宮君借りてもいいかな? 少し話しておきたいことあって……」


 午後五時を回り、定時制との入れ替わりのために校舎を出た俺たちは、今まさに校門を潜り抜けようとしていた。


「話しておきたいことって何?」


 楓が小首をかしげて葉月の方へ向ける。


「昨日依頼、秋宮君とは二人で話してなかったから、ちゃんと個人的にお礼しなきゃと思たんだけど、ダメかな?」

「うんうん。全然いいよー。うちの薪君はいつでも貸し出ししてるからね。好きに使ってくれて構わない!」

「いつから俺はお前の所有物になったんだ? それならレンタル料出せよ、レンタル料」

「何言ってるのさ、薪君……無料に決まってるじゃないか~」

「もっとひどい使われようだった⁉」


 賃金ももらえない。二十四時間レンタル可能。何に使われるか分からない。

それじゃあ、いつかの時代の3Kよりももっと悲惨な労働環境ではないか。時代は令和ですぞ。新元号は令和であります。


「ありがとう楓ちゃん。じゃあ秋宮君ちょっと」

「うん。じゃあな楓、また明日」

「バイバーイ、二人とも~!」


 先に帰路へと小走りで向かう楓の影が伸びていくのを見守ってから、俺たちはゆっくり歩き始めた。

 もう既に、辺りは陽炎に包まれている。


 ※


「……で。なんだ? わざわざ話って」


 しばらく無言で歩いていた後、なかなか葉月が話題を切り込んでこないので仕方なく俺から聞くことにした。


「ああ……うん。そのこと、なんだけど……その、もう少しだけ秋宮君の楓ちゃんに対する想いのことを知りたいなって、今になって思っちゃって」

「ああ……そういうことか」


 その話題は確かに二人きりじゃないと出来ないな。


「今まではずっと、楓のことがまだ好きなのか? それとも楓が悩み部員として俺を頼ってくれていることに、友達として楽しくしていることに嬉しさを感じているだけなのか? はっきり出来ていなかった」

「やっぱ……そうだよね」

「ああ。だからたまにこの『悩み部』っていうある意味自分への妥協ともいえる活動に参加してる自分が嫌になることもあった。いくら楓から提案されたと言っても、参加したのは結局、好きかどうかわからない、自分の甘えた心が『まだ楓と一緒にいたい』って蠢いていたからだ」

「じゃあ楓ちゃんのことは嫌いでは……ない?」

「そりゃもちろん。嫌いなわけない。問題なのは今俺が楓に向けている感情が『友達としての感情』なのか『異性としての感情』なのかだ。それが分かるには……時間がかかる」


 心からそう思えるから、俺は言葉を紡ぎ続ける。


「だから……そんな焦る必要はないと思うよ、葉月? 状況は違えども、多分誰しもがふられたらそんな気持ちになるものだし、明日への一歩を踏み出すのには時間がかかると思う」


 ただ、と俺は付け加える。


「さっきも言ったけど、やっぱり、今回の一件で、俺は一歩、確かに前に進めた気がするんだ。それは葉月の、月島のおかげだ」

「私、の?」

「ああ。二人と仲良くなって、話して、こんなことになって。少しだけ自分がこの先どうしていけば分かった気がするんだ。今まではただ悩んでただけなんだけど……今はもうそこから脱して、前に進めてる気がするんだ。これは大きな一歩なんだと思う」


 そう言いながら、月島との会話を思い出す。

 そして楓もきっと、進めているはず。


「私、どうしても不安で……本当にこの先、自分の気持ちにちゃんと向き合えるかなって……」


 葉月は両手を不安そうに握り、浮かない表情を向けてくる。

その手は少し震えを帯びたもの。ぷるぷると不安が見え隠れしているのが分かる。


「俺が言えたことじゃないけど……きっと大丈夫さ。いつか自分の感情に名前が付けられた時、きっと――その時の自分はその気持ちに向き合うはずだ。だってもとはと言えば、自分が恋した相手だ。そんな相手をないがしろにはできない」


「ほんとに?」


「ああ。そこに想いがあるからこそ、人は簡単に自分の気持ちを、その人を捨てきれないんだと俺は思うよ。だから、気持ちに気が付いたのにうやむやなままにすることは無いよ、絶対」


「それは、秋宮君も同じ?」


「ああ、同じだ。葉月も」


「本当に?」


「ああ」


「ほんとのほんとに、私は……自分の気持ちと真っすぐに向き合えるかな?」


「ほんとのほんとほんとに、葉月なら……こんなにも頑張った葉月なら大丈夫」


「…………なら……うん、分かった……少し安心出来たような気がするよ」


「そうか、なら良かったよ」


「うん。やっぱり……私頑張るよ。だから……似たもの同士、お互い頑張ろうね、秋宮君」


「おう。って……なんか先越されそうで怖いわ。先に自分の気持ちにたどり着きそう……」


「そんな弱気にならないで、先輩」


「お前に先輩と言われる筋合いはないっつうの」


 俺たちはお互い顔を見つめて笑い合う。

これから始まる新たな物語は、あくまで俺と楓の――そしていつか向き合う俺自身の気持ちを鮮明に、そして淡く描かれていくのだろう。


 でもそれと同時に、この物語は俺と似ている境遇の――もう一人の少女の、未来さへも背負っているのだ。


 時にはつらいかもしれない。

 時には幸せかもしれない。


 おそらく、それは右往左往する日々だろう。おそらく前途多難。

 でも……それでいいんだ。


 前へ前へ進んで、時に後ろへ戻って。


そうやって少しずつでも前に進めたのならば、いつかきっと自分の気持ちに出会えるはず。


 そしてそうやって得られた結果だけでなく、そうやって自分の気持ちと向き合っていく過程というものが、俺たちをより大人に、成長させてくれるのであろう。


これは単なる恋愛から生まれる物語ではない。


自分の想いを打ち明けた者にしか、歩むことの出来ない道。


多分これは――


ふと、葉月は足を速めて俺の前と出てきて、歩みを止めた。

こちらを振り返るなり後ろで手を組みながら。

「ねえ」とそっとささやくように口を開いた。


「――恋はだれでもふられてから、だね」


まったく、その通りだ。


多分これは、ふられた人にしか歩めない、自分の想いを一度明かした人にしか歩めない、



――二度目の恋の物語



琥珀の夕日に映る俺たちの影に、一枚の桜がひらひらと溶けていく。



――二度目の恋の、匂いがした。













(もともとこの物語の題名は『恋はだれでも、ふられてから。』でした。一応の伏線回収、というわけです。)

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