(3)
あんなにどんよりと湿っていた空が、今はもう嘘みたいに晴れていた。
まだ地面には水たまりが残っており、三人が歩くたびに、ぽちゃぴちゃ、と不規則な音楽を静かに奏でていく。
水面に映る俺たちの影が一個、また一個と背後へと移ろいでいく。
相変わらず、アスファルトの湿った匂いはもくもくと街に沁みついていた。
「で、話し足りないことってなんだ?」
校門から出てしばらくしてから、俺は頃合いを見てそう切り出す。
「あーうん、そのことなんだけどね。今後のことにも絡んでくることなんだけど言ってもいいかな?」
「うん、大丈夫だよ」
俺のやや右前を先に歩いていた楓がにこっとして足並みをそろえに来た。
綺麗な亜麻色のボブが夕日に溶けている。
「さっき、光とうさぎちゃんが一緒に帰ってるの見たことあるって言ったよね?」
「ああ。そりゃあ、部活帰りとかいくらでも一緒に帰れるしな」
「うん、その通りなんだけど。私、一つある『法則性』を見つけちゃったの」
「えっ、なになに?」
「それがね、二人が帰るのは決まって月曜日と金曜日なの」
「そ、それはまた随分と興味深い話だな……」
ってことは、こうしてる今も月島は白石さんと何処かで放課後を過ごしている……⁉ なんかそれはそれで複雑になってくるな、おい。青春してんじゃねーよ!
「ちなみになんでか分かる?」
「本人に聞いたわけじゃないから本当かどうかは分からないけど、単純にサッカー部の休みの日だからだと思うよ? ちょうどその日だけ無いからね」
「なるほどね……言われてみれば、放課後を満喫するなら部活が無い日が一番だな」
「うーん……だとしたらどういう風にこれから月島君にアプローチをかけるのがいいかな?」
楓は口を少し尖らせて、悩んだような顔をする。
「月島の方もは、は、葉月……からいきなり『何処か、放課後遊びに行かない?』って誘われたら警戒するだろうな、どうしたんだろうって」
よし、ちゃんと言えました。
「本当にそこなんだよね。私もずっと悩んでる。それに私、クラスじゃあんまり表に出ない人だからそれが原因でクラスの注目をすごい集めるのはちょっと嫌、かな……」
どうやら葉月は大袈裟に目立ちたくはないらしい。あくまでいつものスタンスより少し積極的に月島と関りを増やしていきたいのだろう。
その時、楓が思いついたように「それじゃあ……」と葉月の顔を伺った。
「あんまり大袈裟なのはダメだから、ほんの些細なことからでいいんじゃないかな? それこそ、例えばゴミ捨てを一緒にするだとか、クラスの雑用を引き受けて手伝って貰うとか? あとご飯に誘ってみるとか?」
「うーん……それ、あんまりクラスからは目立たないけど月島からしたら不審に思われるんじゃないか?」
「頼み方の問題じゃない? 女子には負担が大きい力仕事とかを頼むようにすれば月島君だってそんなこと思わないよ? きっと!」
「確かに……光は昔からそういうのは誰でも良く手伝ってるから、有りかも知れない……」
楓の提案にうんうんと頷く葉月。
既に彼女の中で腑に落ちているのだろう、俺は最後の確認のためにもう一度問いかける。
「それじゃあ、そういう方向性でやっていくってことで本当に良いんだな?」
「うん……大丈夫。これならきっと上手く行くと思う」
「まあ、別に今言ったことに限らず関われる機会があるならどんどん絡んでいくべきだな」
「と、言うと?」
「葉月は勿論、月島となにかするとして、俺たちもそれぞれ月島と白石に接触を図っておくってことだ。そうした方が、より葉月の行動が怪しまれずに済む」
「な、なるほど……!」
きらりんと楓の目に星が降る。
「それ、良い案だね。私からもお願いしてもいいかな?」
「勿論だ。よしっ、なら決定。早速来週から頑張っていこう、みんな」
「「おおー!」」
別に意図したわけじゃないが、俺がそう意気込むと二人は良きぴったり。同時に右腕をバーン!と高らかに上げる。
まさかの偶然の一致。これには二人はお互いを見合う。少しして笑いが堪えられなかったのか、はっはっと顔をくしゃりとさせて笑い合う。これが互いにあんま話したことの無い人同士のやり取りってほんと? レベル高くない? これじゃあ一生俺、そこにたどり着けないじゃないか。
「おい、楓。そうやって意気込むのは良いが、わざとらしくならないように気を付けろよ? 相手からしたら急に少し絡んでくるようになるんだからな?」
気を戻して。本当にこれは気を付けるべきことなので、何度も言っておく。
月島に葉月の想いが悟られたら即アウト。自然体を保ちながら行動すべきだ。
「大丈夫、大丈夫! なんせこの私だよ? わざとらしくなんてするはずがないよ~!」
「おい、どの口が言ってるんだ?」
「全然信用されてなかった⁉」
「これに関しては、私も同感。楓ちゃん、本当に気を付けてね?」
「すごい辛辣⁉……あー止めて止めてその笑顔! 表情笑ってないのに、微笑むの止めて~‼ 薪君助けて‼」
「いや、楓が陽キャ過ぎるから助ける気失せたわ」
「理不尽‼」
はあー……
俺は二人にも聞こえるくらいのため息をはいた。
でも、息は決して嫌なものじゃない。
むしろ、楓に巻き込まれるのを待っているかのような「もうしょうがないな」的な意味合いを含んでいることに、後になってから気付いた。
「ここから、本格的に悩み部の活動が始まる……のか」
彼女たちの姿と、密かに火を照らしている目を見ていると、そんな思いに耽ってしまう。
ひゅうーひゅうーひゅー……
まるで俺の背中を押すように、春風がそっと吹く。今の言葉もすっかりと風にさらわれて、今頃誰かの耳に届いているのだろうか?
囁くように風が笑っているような気がした。
その風の後を追うように、視線を目へと向けると……
「おーい、薪く~ん! なにそこで立ち止まってるの~? 早く来ないと置いてっちゃうよ~!」
いつの間に少し遠くに行っていた楓が大きく手を振って俺にそう呼びかけている。
「そうだよ~」
楓の隣にそっと立っている葉月も手をメガホン代わりにして呼んでいる。
そして、俺は……
「あ~。今そっち行く~!」
遠く離れたはずなのに、何故か大きく見える二人の背中を追いかけた。
全く……俺は振り回されてばっかりだ。
その言葉は、またも風に攫われた。
今度は、明日への方向へと。
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