第24話 竜の魂 〈5〉

 



「なにを拘泥しておるかっ。アキラ、ジャヤ! おぬしらが倒すべきは黒竜じゃろうが、こんの大バカども!」

 ハルの叱咤が凛と響く。

 紫水晶の瞳が〈大喰らいタオティエ〉の中の明たちをまっすぐに見据えていた。熱風に黒く艶やかな髪が舞っている。

『でもっ……みんなが!』

「でももクソもあるかっ! この程度の修羅場など、そこな変態呪医と妾で十分じゃ! 砲台は魔術師どもに託した。奴らとてプロじゃ。扱い方は心得ておろう」

 言った傍から襲い来る蛟を焼き払い、ハルは高らかに宣言して見せる。

 館の〈魔女〉。彼女こそが戦場に咲く花なのだと明は実感した。

「では、上に残された術師たちの盾役は僕が引き受けましょう」

 符咒士たちの中から胡が進み出る。ぼろぼろになりながらもいつもの飄々とした態度は崩さずに彼もまた術を展開し始めている。

 〈大喰らい〉に支えられていた〈黒き監獄守ビィアン〉――ルシャも己の力で再び大地を踏みしめる。

『……吾輩とてこの程度、止血はもう済んだ。出よう……前線の屠龍師たちを立て直す』

『だから言ったろ、アキラちゃん。おれたちは平気だ。必ず生きてまた会うぜェ?』

「そうなのじゃ!」

『ああ』

「そのとおりですよ」

 それぞれが頷き合い、瞳を交わす。

 ジャヤと明も〈大喰らい〉の中で互いを見交わした。

 そうだ。覚悟は決まっている。最初から決まっていた。

「メイくん、どうやらボクも少し弱気だったみたいだ。でも、もう目が覚めた。今度こそ辿りつこう、ククリくんの元へ」

「……はい。オレが菊理を必ず救います」

『しゃぁっ! 行くぜぇぇっ!』

 ジャヤが咆哮し、〈大喰らい〉と〈黒き監獄守〉の両機が飛翔する。

 重力を振りきり、黒竜を相手にまだ粘っていた、あるいは成す術もなく立ちつくしていた味方の元へと辿りつくと、ルシャが屠龍師たちに呼びかけた。

『待たせてすまない。これより態勢を立て直す! 怪我人はニールの部隊と共に後ろへ下がって治療を受けろ。戦える者は吾輩と共に前に出るぞ! ジャヤの〈大喰らい〉を全面的に補佐する!』

「うぉぉッ! 姐さん!」

「どこまでもついていきやすぜぇっ! 姐御!」

「それでこそルシャ姐さんだっ!」

「そうだ……まだだ、まだいける……っ!」

 ルシャの呼びかけに再び奮起した戦士たちが立ちあがり、鬨の声を上げる。

『吾輩たちが勝機を抉じ開ける! ぜぇりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ――!』

 〈黒き監獄守〉の姿が掻き消え、黒い刃が竜の尻尾を爆ぜるように切り裂いてゆく。ルシャの繰り出す迷多羅式剣術だ。それを合図に屠龍師たちが一斉に斬りかかり、後衛術師においても脅威となる尻尾を切り落とすことに注力し始めた。

『くくりを甘くみないでよ、クソゴミ以下の人間さんたち!』

 奮闘する戦士たちの周囲に次々と魔物たちが召喚され、受肉してゆく。

「させぬわっ! 〈獣猊〉!」

『――急急如律令』

 しかし、そこに飛び込んだハルとトワイライトの駆る〈這いずり姫〉が異形の魔物どもを屠っていく。さらに後衛の符咒士たちの術が彼らを守る。

『当てろ! 当て続けろ! もうすぐ――斬れる!』

 ルシャの声に呼応するように屠龍師たちの斬撃が苛烈さを増す。尻尾を振り回して竜が暴れても、勢いはやまない。

 やがて誰かの――否、屠龍師たちの刃がついに尻尾を断ち切った。

 ずずん、と音を立てて黒竜の尻尾が落下し、積層都市にめり込む。粉塵が上がり、鳥たちが紅く染まった空へと飛び立つ。

『尻尾を落とした! ジャヤ、出ろ!』

『ああ! 任せろッ!』

 もう背後からの攻撃は来ない。後は前に進むだけだ。

『皆、〈大喰らい〉を守れ!』というルシャの号令が響き、〈黒き監獄守〉を含めた複数の屠龍機が〈大喰らい〉に追随する。

 尾部から腹部にかけて攻撃を加えながらジャヤたちは飛翔し、頸部を目指す。

 蠢く肉々の器官に捕らわれぬよう最大限の注意を払い、屠龍師たちがジャヤを援護する。

「――龍撃砲の準備が整いました! 一旦散開!」

 続いて胡の指示が飛ぶ。屠龍機と屠龍師たちが素早く散開すると、放たれた砲弾が竜の腹部で炸裂し爆炎が上がる。

 熱風を切り裂いてなおも飛び、〈大喰らい〉はついに黒竜の頸部へと肉薄した。

 竜がその首に隠し持つという宝玉。黒竜の命を奪い、活動を停止させるにはそれを砕き落とすしか方法はない。

『るぉおぁあああああああっ!』

 〈大喰らい〉は大鉈を振るい、無数の腕を叩き落として竜の肉壁へと辿りつく。

 〈大喰らい〉も黒竜もどちらももう満身創痍、互いに互いの血に塗れ、傷ついている。ぎりぎりのラインで両者はぶつかりあった。

『させない! させない! させない、そんなことっ! 絶対に許さないっ!』

『ンなこと知るかヴォケッ! お前は何だ!? 化け物か、人間か?』

『くくりは人間だよっ! ただあきらくんと帰りたいだけの、ふつうの女の子だよ!』

『ざっけんなよ、てめえがしでかしたことをみてみろ。これが人間の所業か? おまえの今の姿はどうだ?』

 辺りには引きちぎられた屠龍師や探索者の遺骸が飛び散り、黒竜と融合していたおぞましい肉の塊がぶちまけられている。蛟や飛蝮をはじめとした異形たちの死骸がいたるところに潰れ崩れている。そして――黒竜、否、菊理の血と肉に穢れきった姿を菊理自身が痛いほど認識してしまう。

『あ、ああ、あ――……うるさいっ! うるさい、うるさいっ!』

『耳を塞いでばかりだな。おまえが本物の白糸菊理ならばどうしていたと思う? メイくんが――アキラ・マシロがなにもかもを賭してまでテメエの救済を願っている。なのに、テメエときたらどうだ? 本当の白糸菊理ならばとっくにそれを受け入れている筈じゃないのか?』

『そんなの……くくりにだってわからないよ! くくりはもう元のくくりじゃない……こころも身体もめちゃくちゃに掻き混ぜられて……こわくて堪らない。くくりをこんなふうにした何もかもが憎くて、殺したくて堪らないんだもの!』

 頭を振るって叫ぶ菊理の姿に、意を決した明は一歩を踏み出す。

「……お師匠さま。わたし、いかなくちゃ。ここから先はわたしが……オレがカタをつけなくちゃいけない」

 明の姿に、ジャヤが一瞬だけ魅入られたかのように動きをとめた。それでもジャヤはすぐに口を開いた。

「……わかった。メイ君、きみがどんな決断をくだそうとボクは信じて待っている」

「はい。その時は――お願いします」

 明の意を汲んだジャヤが明を〈大喰らい〉から解放し、その掌の上に乗せた。

 明は菊理とまっすぐに向き合う形になった。

『さあ。来てよ、あきらくん……でないと本当に今度こそくくりはあきらくんを殺しちゃう!』

「それでもいい。だから話を聞いてくれ、菊理」

『いやだっ! 殺す! 殺すっ!』

 振り下ろされた竜の爪が明の頬を掠め、肌が破けて血が流れる。それでも明は動じなかった。

「菊理。オレたちはもうあの世界には戻れない。菊理も、そしてオレも……明も死んだんだ。こんなこと、考えただけでもこわくて、悔しくて、腹が立つと思うよ。けど、オレを――今のわたしを救ってここまで連れて来てくれたひとたちがいた」

『そんなこと……それがなんだっていうの!』

「だから、今度はオレが菊理を助ける。オレがお前を救うよ」

『うそつき。笑っちゃうよ、あきらくん。……こんなになったくくりをどう救ってくれるっていうの。くくりはもう……こんな出来そこないの化け物なんだよ!』

「それでもいいんだ。来い、菊理。オレが一緒に行くから。オレが菊理を連れていくから。絶対一人になんてしない。おまえをひとりでなんて行かせはしないと誓うよ」

 明は菊理に向かって両手を伸べた。

 ――転瞬。

 紅く粘つく肉の触手が明の全身を絡めとっていた。見渡す限り地獄めいた赤黒い肉の檻の中に明は転移していた。

 そこは屠龍機のコックピットと似て非なる場所だった。おぞましくも懐かしいような錯覚を覚える屠龍機の中と比べると、この場所はなんて虚ろなのだろう――。

 まるで、ぬけがらだ。誰の温もりもここにはもうない。

 ……ああ、そうか。ここは邪竜の――菊理の中なのだ。

「……そうだよ。ここがくくりの〈座〉だ……アキラ、くん……」

 ひた、と。

 肉の檻の前にそこだけ白く切り取られたような肌を晒した菊理が降り立つ。

「菊理……」

 明の前に姿を現した菊理もまた明と同じく〈反転〉していた。柔らかだった髪の毛は劫火のごとく燃えるような漆黒に、しなやかだった指先はどす黒く尖り、爪先からは濃い瘴気を伴った毒が滴り落ちている。右目はその身と融合した異形の者どもの無数の瞳を宿した異貌と化して、痩せた太腿の間には慎ましやかな性器がぶら下がっている。

 そのおどろおどろしくも凄惨な媚態に明は否が応でも目を奪われてしまう。

「……ひさしぶりだね、アキラくん、アキラ――。くくりはずっと待っていたんだよ。どれほど耐えたことか……いたくて、ひどい魔術にも耐えた……くくりの半分以上……ううん、たぶんほぼ全部が失われても構わなかった。アキラにまた会うために、あっちの世界に戻るためにこうして無理やり受肉させられてでも待っていたんだ」

「……どういうことだ。誰がお前をこんなふうに造り変えた?」

 明の問いかけに、しかし菊理はおかしそうにふっと笑うだけだった。

「そういうアキラくんだって〈反転〉してるじゃない。笑えるね、その恰好。細くて弱そうで、きれいでかわいらしくて――まるであなたの罪そのものだ」

 壊れた笑みを浮かべた菊理がひた、と歩み寄り、何本ものうねる触手に捕らえられた明のすぐ前まで進み出る。

「誰が何をしたかなんて、もうくくりには関係ない……どの道、くくりはもう壊れちゃってるんだもの」

「そんなことっ」

「そんなことないって? ねえ、みてよ、この姿。醜く反転したこの姿でもアキラはくくりを救ってくれるっていうの? ほら、どうするの? ほら、ねえ……そんなにもかよわい姿をしたアキラくんはどうくくりを救ってくれるのかな?」

 ぞるり、と。

「ッ……ぅ……あッ」

 明を捕縛していた幾本もの肉手が蠢き、どろどろと濡れた汚液を吐き散らしながら明の衣服を剥ぎ取っていく。

「っんッ、ひ……ぁ…ぅッ」

 濡れた肉の感触。細く発達した触手が明の肌を這い回り、もたらされるおぞましい刺激に身悶える。それでも明はまっすぐに菊理を見つめて手を伸べる。

「く、くり、話を――」

「今更何を話そうっていうの! 最初に菊理から言葉を奪って好き勝手にしたのはアキラくんだったじゃない!」

「っぐ、んあぁあッ!?」

 アキラの口内に触手が押し入り、その舌をきつく絡めとる。

「んっ、ぐ……ぅ」

「救い? 誰が誰を救うって? くくりにとっての救いなら――今度はくくりが明くんを愛して愛して愛して! そして壊してあげる! それだけがくくりにとって救いだっ!」

 菊理の叫びに呼応した赤黒い触手の群れが明に襲い掛かった。


 §


「――――ッ!!」

 ビリビリと背筋を駆け上がるような刺激が脳にまで届き、瞬時に思考が焼け爛れていく。

「ぁ……は……」

 オレは一体何をされている?

 そう考える余裕すら与えられずに無惨なほどの快楽が押し寄せ、明は触手に絡めとられた身を仰け反らせて身を焦がす。

 欲望の抽挿が何度も繰り返され、引き抜かれるたびに明は声を上げて達していた。

「あ、ぅあ――ぁっ……」

「あはは、ねえアキラくん、それ何度目? もう耐えられてないよねぇ?」

 触手を操る菊理が冷徹な眼差しで明を見ている。

 焼け付く思考の中でも明には眼前の菊理がこんな姿に〈反転〉してしまったこと――否、を深く悔いる気持ちは消えなかった。

「アキラはそんなになってるのに、なんだって菊理を蔑むような目をするのかな? 気に入らない……菊理をこれ以上見くびろうとするなんて、許さないよ」

 再び触手の群れが明の全身を苛み、襲い掛かる。先ほど以上に苛烈に攻め立てられ、明の精神も肉体も崩壊寸前だった。

 しかし、菊理による凌辱は明への負荷など一顧だにせず続けられた。

 大小何本もの触手が対内外を這い回り、まるで自分の子を孕めとでもいうように、菊理の悪意は執拗に明を犯し上げた。

「ひ、あ――もう、壊れ、る、わた、し、壊れ、……ッあっ――ぁがぁあぁぁッ」

「あれ? もう壊れちゃうの? いいよ――それじゃあ、直してあげる」

 耳元に甘く優しく吐息がかかる。

「なにもかも元の通りのアキラ……かわいくて柔らかで星屑みたいな髪の色をした女の子の姿にね。だから何度でも壊れていいんだよ。菊理は壊して、壊して、壊して、アキラをやっと愛すのだから」

 触手それ自体からしとどにあふれる白濁が明の身体を熱く汚していった。

 同時に与えられた肉体への損傷が回復され、焼ききれそうだった思考回路が麻痺していく。

 菊理による癒しが文字通り明を一から修復し始めている。

「あっ……かっ……」

 悶えながら善がる明のそばに寄り添った菊理が、うっとりとした表情で零れた明の涙を舐め取る。

「アキラったら、どこで誰にそんなふうにされたの? もうすっかり可愛らしい女の子じゃない。ねえ、言ってよ、あの緋色の機体の中にいる男? それともまさかあの小さくて賢しい狐狸精? 菊理を何度も切り刻んだ憎たらしい猫女? 炎を操る〈魅了〉持ちの魔女って線もあるけど……ねえ、だあれ? 明くんをこんなに穢くてかわいい女の子にしちゃったのは……」

「だ、れが……そんなことっ、お前に――」

「抵抗はよしてよ。今はまだ菊理が考えておしゃべりしている番なんだから」

「ぅあッ」

 触手に囚われたままの明に圧し掛かった菊理が、明の身体を苛む。明の思考はほんの少しの刺激に対して、燃え上がるように反応してしまう。

「あ……、ぁ……ッ!?」

「ふふ、回復だけじゃない、〈催淫〉の効果もたっぷりだね。菊理のこの邪竜肉体に与えられたチカラ、ちょっとすごいでしょ?」

「い、や……いやだ、菊理……ッ」

「だからだめだってば、アキラ。ほら、続き。そうだよ、あと一人残っていたよね。あの悪魔の匂いのする男のひと――雌型白蛇の機体のあの男。あいつなんでしょう? 菊理の大好きだったアキラくんをそんなふうに変えちゃったのは」

「ちがっ」

「……当たり、でしょう? 都合が悪いとすぐに動揺する癖、直したほうが得だよ? 菊理に残った最後の力、ここで明くんを殺すために使おうと思ってたけど……趣旨替えしたほうが明くんのためには愉快なことになりそうだねぇ」

 明を組み敷かんとしていた菊理の白い体が明から剥がれ、離れようとする。

 それだけは――そうだ、自分がどうなろうとも、それだけはたとえ菊理にだって許してはならない。

「菊理! お前の目的はオレの筈だ。オレを愛し、壊し、殺すこと――それが、お前がここまで傷つき、ほとんど死にそうになってまでしようとしたことなんだろう!?」

「……それがなんだよ、うるさいな」

「ふ! ぐぅッ!」

 縋りつく明の頬を張り、その四肢を再び自身の延長である邪竜の触手で絡めとって、菊理が明を無理やりに引き剥がす。

「ほんとうはもうどうだってかまわない。菊理はアキラに味わってほしいだけだよ。菊理がどれだけ辛かったか、それを同じくらい……いや、それ以上に思い知ってほしい。もうそれだけなんだから、どうか邪魔をしないで――でないと、本当にくくりはアキラくんを殺しちゃう」

 殺す。殺す、殺す、殺す殺す殺す殺す。

 愛しい。愛しい、アキラ――。

 菊理の愛が、悪意がこの邪竜の胎内に溢れていくのが伝わってくる。

「――なら、殺せばいい」

「……は?」

「他のだれでもなく、最初から少皓ましろあきらを殺せばよかったんだ」

 明はなにもかもを拒絶し、頭を振るう菊理に決然と告げていた。

「オレを殺せ、菊理。それでも、それさえも全部受け止めるから」


 §


 地上。

 明が邪竜の体内に消えてから、既に半時以上が過ぎようとしていた。

「どういうことだ……?」

「邪竜の反応は止まったが……」

「あの、アキラとかいう少女の……転生者のおかげ、なのか?」

 まるでこと切れたように攻撃をやめた邪竜を前に、屠龍師や探索者たちは困惑していた。

「まだなのぢゃ!」

 そこへ依然として炎を纏ったままのハルが舞い降りて告げる。

「邪竜の中でアキラは今も戦っておる。その証拠に竜玉にはまだ邪竜の気が宿っておるし、砕けてもいない。だからおぬしらもまだ気を抜くな。臨戦態勢を維持しろ」

「ハルさん!?」

 戦闘時に纏う羽衣が揺れ、隠すべきところを隠せていない衣装をしゃらりと風に流し、ハルが辺りを睥睨する。

「そうときまれば――返事!」

「りょ、了解しました!」

サーッ!」

「応――ッ!」

 士気を取り戻した彼らを見渡し、ハルは艶然と微笑む。その美貌に中てられ、男ども――否、男女のべつなく戦士たちが途端に陣形を立て直すべく動きだす。

「……さすがですね。ま、彼女であれば〈魅了〉を使うまでもなく彼らの士気を立て直していたでしょうが」

『だなァ。ジャヤとルシャテリエはまだ前線に出たまま。おれらは後退して結界の張り直しに負傷者の救護。現状、あの役目はハルにしか務まらンだろォよ』

 ハルたちの更に後方に引き上げたトワイライトと胡もまた懸命に怪我人の救護にあたっていた。合計六十六本の漆黒ペアンを同時に手繰る〈這いずり姫ヤアズ〉が次々に屠龍師たちの止血と回復施術を繰り出していく。

『おれのアキラちゃんが頑張ってるんだから、おれも手を抜くわけにはいかないだろォ? ほらよ、怪我人どもォ! この呪医トワイライトが直々に執刀してやるから覚悟して昇天しなァッ!』

 不気味な哄笑を上げ、トワイライトが次々に〈手術〉を繰り出し、観るもおぞましい治療が為されていく。血煙と共に怒号と悲鳴と嬌声があちこちから湧き上がった。

「……やれやれ、本当は自分が一番心配でいてもたってもいられないくせに、虚勢を張って」

 ひとりごちて、胡もまたトワイライトをアシストすべく走り出す。

 自らの体毛を仕込んだ呪符を飛ばせば、無数の姿に分かれた狐たちがそれぞれ持ち場に散会していった。

『――後方に下がらせた兵力の60%が復帰しつつある。トワイライトたちは上手く立ち回っているようだな』

『ああ』

 邪竜の喉元。露出した宝玉の前で、ジャヤは明を待ち続けていた。

『……ジャヤ、ここは吾輩が引き受ける。だからお前も一度下がって治療を――』

『不要だ』

『しかし』

『不要だっていうのが分からない? ルシャ』

 ジャヤの駆る〈大喰らいタオティエ〉はしかし、大きく傷つき、自らと仲間、そして邪竜の血にまみれていた。機体がいつその戦闘機能を停止してもおかしくはない状態だ。ジャヤもまたそれを理解している。そのはずだ。ルシャにもそれは分かっていた。

 それでもなおジャヤは立ち続け、明を待っている――。

『僕にはわかる。もうすぐ――必ずメイ君は戻ってくる。そうしたら、その時こそ僕の力が必要になる。……だから今はなにもいらない』

 振り返りもせずに告げるジャヤはただまっすぐに宝玉を――その先にいるであろう明たちを見据えていた。


 §


「菊理、ごめん。そんなになるまで待たせて……わからなくてごめん」

 明は去ろうとする菊理を背後から抱きすくめた。今は明よりも少しだけ背が高く、広い背中をした菊理の胸板に腕を回し、必死に掻き抱いた。

「いまさら……なんのつもり。くくりは……くくりたちはもう元には戻れないっていうのに」

「それでも――おまえをひとりでなんて行かせはしないって、言っただろ。今度こそ約束を守るから、たとえおまえが望まなくても絶対ひとりになんてしないから!」

 抱きすくめた菊理の身体が反転し、信じられないくらいの力でもって明を床に叩きつけ、組み伏せる。

「……ッ」

 喉元に菊理の尖った指先――体内からあふれた瘴気が黒く滴っている禍々しい手だ――が突き付けられた。

「……菊理」

「本当に、アキラは……アキラくんは愚かだ」

「……っぐ、あッ……」

 明にのしかかった菊理が毒の滴る五指で明の首を絞め始めた。

「あ……ふっ……」

 明が死んでしまわないギリギリの一線を保ちつつ、菊理は明の呼吸を支配し、命を玩びながら喉を締め付け、そして弛緩させる行為を繰り返す。

「が――はッ、げほっ! ぐ……菊理、……せば、いい。殺、せば、いい……」

「まだ言うの? オレを殺せって、バカみたいにさっきからそればっかり!」

「オレ、は……弱、いから……それに、もうなんにも……もっていない、から……く、菊理に、やれるの、は、もうこれしかない、からさ」

 息も絶え絶えになりながらそう告げて、明は菊理の頬に手を伸べた。

 白い頬に血の筋を描き、ようやく明の細い手指が菊理の頬を包み込む。

「全部みんな……こっちの世界に堕ちて……それでも、諦めなかったオレが、みんなからもらったもの、だから……こんな命でも大切なんだ」

 明は精いっぱいの笑顔で菊理に向けて微笑んだ。その言葉を、そして笑顔を受け止めた菊理の目が見開かれ――歪む。

「やっぱり、アキラは……アキラくんはひどいや」

 菊理がかざした凶爪が明の喉笛にむかって振り下ろされた。







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