第23話 竜の魂 〈4〉

 

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 屠龍機を召喚し龍機融合を果たした者たちとそうでない屠龍師たちが協力して竜骨都市の迎撃形態を立ち上げていった。

 都市城壁部ではハルを中心とした魔術師たちによって要所ごとに配備された龍撃砲が起動され、住民の退避が済んだ都市部各所には対竜衝角、投石機といった大型武器が配置された。

 同時に、探索者たちの手によって市骸区に住む人々や冒険初心者たちの避難が進められ、符咒士や呪医たちが結界の解咒に備えて符咒術の準備を始めていた。

 そして、竜骨市骸区中心部。胡の張った結界の外縁に陣取った〈大喰らいタオティエ〉の中で、明はジャヤと共にその時を待っていた。

「そろそろ、か。準備はいいかい、メイくん」

「……はい」

「緊張しているか、というのは聞くまでもないね」

「それは、そう……ですね」

「こわい?」

「……こわくないと答えたら、きっと嘘になります」

「そうだね」

 この街に来た日、トワイライトの〈這いずり姫ヤアズ〉に乗せられた時と同様に、脈動する臓腑のごとき搭乗器官に包まれているが不思議と気分は悪くなかった。

 明を背後から抱くような形で同じく操縦席に絡めとられたジャヤが小さく笑う気配がした。

「お師匠様?」

「ふふ、なんでもないよ。ただ、少し昔を思い出してね。ずっと前も――ずっと前からボクはこうして愛する人を奪い殺そうとする誰かの傍にいてその手伝いをしてきたなぁって、さ。ボクは強い。誰よりも、なによりも。だけど、それだけだ。結局は殺して奪うことしか能がないんだね。まったく、それで〈緋色の勇者〉だなんて云われるんだから笑えるよ」

「そんなことは……」

「キミにないと言えるのかな。キミはこれからククリちゃんを殺そうとしているのにね」

「……お師匠様は本当に根性が悪い、ですね」

「知ってる。……でも、それも悪くはない。ボクは殺す。殺して、壊して、蹂躙して、奪う。ただそれだけしかできない人間もどきだ。それでも、そんな方法でも救うことができるなにかがあるなら、それはそれで構わないと思っている」

「……はい。ありがとう、ございます」

 ジャヤの言葉は残酷なものだった。歪んでいる、とも思えた。

 しかし、明にはもうそれらの言葉がけして悪意から放たれたものではないことが理解できていた。それくらいの時をこの男と過ごしてきたのだ。

「だから心配しないで、メイくん。どんなことになっても、どんな汚辱に塗れたことをしてでもボクがきみをククリちゃんの元まで連れて行く。だから、どうかボクを――ボクたちを信じて欲しい」

 ジャヤにしては珍しく言葉を選んでいるのがわかる。だから明も真剣に応えた。

「……信頼なら、もうとっくにしてますよ。だから、お師匠様も、みなさんも、オレの……わたしのことを信じてください」

「うん。きみならきっとやれる筈だ。ボクだってもう信じている」

 その言葉に明がそっと頷いた時だった。一度、大きく結界が揺らめいた。それから次第に空気が張り詰め、まるで不可視の針で全身をなぞられているかの如くにぴりぴりと肌が引きつるのを明も感じ始めた。

 やがて、卵にひびが入るように結界の表面に亀裂が走った。

『すみませんが、限界のようです……僕の結界は間もなく消失します。皆さん、準備はいいですね』

 胡がそう告げると、罅は次第に幾本もの大きな亀裂へと変化してゆき、硝子が弾け飛ぶように上部から結界が砕け散った。

 元の大きさに戻った姿で落下する胡をルシャの〈黒き監獄守ビィアン〉が受け止める。

 咆哮が轟き、くびきから解き放たれた竜が再び暴れ出した。

『あ、ああ、あ、ああああああああああああああッ!!』

 黒竜は禍々しく、そして狂おしく咆哮していた。

『あきらくん、あきらくんっ、ああああきらぁぁぁあああああああああああッ!!』

「……菊理」

 おぞましいまでの呼び声が明の胸を抉る。

 同時に、目覚めた黒竜へルシャが率いる十機の屠龍機と前衛屠龍師たちが襲い掛かった。

『総員攻撃をしかけろ! 黒竜の体力を削ぎ、膂力を鈍らせるぞ!』

 散開した屠龍機隊が尾部、腹部、頸部に分かれてそれぞれ斬撃や砲撃を浴びせ始める。

 金属の如く硬い鱗に刃が、砲弾が阻まれるが、それでも臆することなく屠龍師たちは屠龍機を駆って攻撃を繰り出していく。何度弾かれようとも戦士たちは刃を振るい続けた。

『かゆいっ! うざぁい!』

 まとわりつく小虫を払うように黒竜が猛る。

『なんのっ!』

『兄者ァ! その意気だ。俺たちで援護するぜぇ!』

『兄さん、防御はおれが!』

 ガルド事務所の三兄弟が果敢にも竜の喉元に肉薄して切りつける。連携のとれた攻防はこんなときでなければ見惚れてしまうものに違いなかった。そうだ。この都市にいる一流の屠龍師はルシャたちだけではないのだ。

『くくりとあきらくんを邪魔する奴はみぃんな消えちゃえぇぇっ!』

『ブレスが来るぞ。総員退避!』

『応!』

『承知!』

 ルシャの合図が早いか、屠龍機隊が再び散開。彼らがいた空間を灼熱の炎が薙いでゆく。死の吐息が都市を焼き、熱波が市骸区の姿を歪めていく。

 地上では黒竜の放つ邪気に引き寄せられて出現した悪鬼や邪霊の類を払うべく、トワイライトたち呪医や符咒士、それに探索者たちが戦っていた。

『急々如律令!』

 トワイライトの駆る〈這いずり姫〉が黒縄でもって悪鬼どもを封じ、符咒士たちが飛ばした呪符がそれらにトドメをさしてゆく。

 逃れようともがく邪霊は〈這いずり姫〉が喰らい潰した。

『どうだい、おれの姫の感触はァ!? ちょっと良すぎてすぐに昇天んじゃうかもしれんがねェ!』

「あれが……トワイライトの〈這いずり姫〉。なんと禍々しい……」

「俺は敵よりもむしろアイツが怖いよ」

 符咒部隊の中ではそんな声が上がっているが、誰もがそのような場合ではないことは承知済み。異界の者ども相手に彼らも必死で戦っていた。

『なんで、どうして! なんでなんでなんでなんでなんでみんなくくりの邪魔をするのっ! くくりはただ帰りたいだけなのにっ、あきらくんと一緒にいきたいだけなのに!!』

「菊理……それは無理なんだ! だからオレの……オレの話を聞いてくれっ!」

『あきらくんっ! またくくりを否定するのっ、くくりのしてきたことをすべて……!』

 ぐわお、と竜が再び顎を開き、火炎を吐かんとした――その時。

「今じゃ! 〈軻遇突智カグツチ〉、てェッ!!」

 最大火力の龍撃砲が竜の横面めがけて発射され、炸裂した。

 ハルの召喚した火の神〈軻遇突智〉が魔力を込めた砲台。魔術師たちが共に祈り、何倍にも威力を増幅した砲撃が黒竜に命中し、その巨躯が一瞬ぐらりと傾く。

 ジャヤはそれを見逃さなかった。

「ボクらも行くぞ! メイくん」

「はい……!」

 〈大喰らい〉は一気に飛翔、竜の腹部に肉薄し刃を抜き打つと、横一文字に斬り裂いた。

 ぎゃぃぃぃぃぃ、と鱗が音を立て、刃が皮下にずぶりとめり込む。

『おるらァああああぁぁぁっ!』

 雄たけびと共に、ジャヤは〈大喰らい〉を駆り、一気に竜の腹を切り裂いた。それだけではない。ルシャたちの屠龍機隊もこの機会を逃さずそれぞれ急所を狙って攻撃を仕掛けている。

『ぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?』

 痛々しい咆哮が竜骨都市に谺する。

『効いている。皆、手を緩めるな! この機を狙え!』

 ルシャの指示に、戦士たちが猛攻を仕掛け始めた。攻撃の合間を縫い、タイミングを合わせて投石機が稼働、巨大な礫が黒竜に向かって降り注ぐ。

「いけるっ!」

「応ッ!」

「俺たちが仕留めるんだっ!」

「応ッ!!」

 もはや攻勢に転じたと誰もが確信した時だった。異変は唐突に起こった。

『痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛いよぉ……苦しい、苦しいぃよぉぉ。なんでなの、あきらくん、なんでみんなこんなに酷いことをするの……まるで、あのときみたい……くくりがまたばらばらになっちゃう――そんなのは、そんなのはもうイヤぁぁッ!』

 菊理の意思に呼応するように、黒竜の形態が変化した。

『うぎゃぁぁぁぁっ!?』

 竜の全身――鱗に覆われた表皮がどろりと融けたかと思うと、一瞬にして生えた幾千本の血の腕が前線に立っていた屠龍機のうち一機を捕えた。ぶちぶちと音をたてて外骨格に覆われた四肢が出鱈目に引き千切られ、胴が捻じ切られて血と臓物をぶちまける。そして搭乗していた屠龍師までもが哀れな肉塊と化してゆく。

「いやぁぁぁぁっ!」

「いぎっひぃぃいぃぃっ!?」

「ごぶっ、がっ――ぁ……」

 鮮血を被り、人間の無数の器官に覆われた黒竜は、そのまま前線の屠龍師たちを屠っていく。

『あはは、あはッ、あぁはははははははははははっ! くくりにひどいことするひとたちはみぃんなそうやって死んじゃえばいいんだぁっ!!』

 千々に引きちぎられた肉塊が頭上から降り注ぎ、戦士たちの姿を汚した。

『兄者ッ、退いてください! くそがあぁぁぁぁぁぁっ!』

 ギルグリム兄弟の末弟、エリクの屠龍機が無謀にも竜に向かって体当たりを仕掛けるが、無数の人間の腕がその胴を絡め取る。

『ひっ!? ッ……ああ……!』

『エリク!』

入れ替わりに腕から逃れた次兄のウォロックが叫び、再び飛翔するが間に合わない。

『させぬっ! 総員退避! 吾輩が出るっ』

 竜を取り囲んでいた前衛の戦士を下がらせ、ルシャの〈黒き監獄守〉が急加速する。

『エリク、手を伸ばせ! 吾輩が引っ張り上げる。早くそこから抜け出せ!』

 無数の腕をもぎ、必死にエリクの屠龍機から取り払い、〈黒き監獄守〉が手を伸ばす。しかし、飛来した竜の尻尾が思い切り〈黒き監獄守〉の背を殴打する。

『ぐっ、あぁっ』

 何度も、何度も、まるでルシャをいたぶるように尻尾が叩きつけられた。それでもルシャは伸べた手を引っ込めようとはしない。めきめきと機体が軋る音が明たちの耳にも届く。

『姐さんっ、俺はもう……兄様方にどうか伝えて、ごめんなさい、ずっと一緒だっ、て』

『あ、がッ……エリク! 吾輩はもう誰ひとりとして見捨てぬ、だからおまえもっ……!』

『ああ、姐さ』

 エリクが伸べられた手を必死に掴みかけたときだった。無数の腕が牙の形に変化し、飲み込んだエリクの屠龍機をばぎりっ!と噛み砕いた。屠龍機の胸部から鮮血が吹き出し、エリクの断末魔が響く。それだけではない。〈黒き監獄守〉の上腕も噛みちぎられ、もがれた肩口から鮮血が吹き出る。そのまま機体がぐらりと傾き、落下を始めたところに竜の爪が振り下ろされた――が、間一髪で〈大喰らい〉が〈黒き監獄守〉を掻っ攫って受け止めた。

『ルシャ!』

『う……くぅ……、すま、ぬ。吾輩は……また仲間を失って……』

『今はいい。てめえは下でトワイの治療を受けやがれっ! トワイライト、呪符を!』

『アー、ジャヤちゃん。悪いねェ、今はとてもじゃないが緊急手術をしてらンないなァ……下も中々に地獄めいてきてやがる。見てみろよォ』

 トワイライトの言葉で下層を見やれば、ジャヤも明もその凄惨な光景に言葉を失った。

 悪鬼や邪霊が竜の陰気に中てられ受肉し、飛蝮や蛟に変貌を遂げていた。

 竜の幼生体に符咒士や探索者たちが食い破られ、蹂躙されている。その地獄で〈這いずり姫〉は白い肢体を血に染めながらも懸命に黒縄を手繰り、呪符を飛ばして抵抗を続けている。

『先ほどの変化メタモルフォーゼに応えて化け物どもが召喚されやがった。こっちもどの程度持ち堪えられるか分からんねェ』

 〈這いずり姫〉は味方の符咒士たちを庇い、最前線に立ち続けている。辛うじて繋がった左腕が垂れ下がり、全身に深手を負いながらも必死に皆を守り、戦っていた。

「トワイライト! お前も退避しろよっ、でないと……もう!」

『ククッ……アキラちゃん、なァに慌ててンのォ。アキラちゃんの目的は白糸菊理の救済だろォ? なら、それだけ考えてりゃいいんだよ。おれやルシャ、胡やハルの命に拘泥して足を掬われてちゃならない』

「でも、オレはおまえが、みんなのことだって大切だ!」

『なら余計にアキラちゃんは願いを叶えるべきだ。おれらのことを思うのなら、そうすべきだろ?』

 〈這いずり姫〉に殺到する蛟を黒縄で締めあげ、飛蝮を抱き殺しながらトワイライトはそう宣言した。

 アキラがなおも食い下がろうとした――瞬間。

「とぉりゃあぁァ――――――――――っ!」

 可憐な雄たけびと共にすべて炎で構成された矢の嵐が降り注ぐ。

「妾の愛しい男に手を出す不届き妖怪は鏖殺なのじゃ! 参れ、〈獣猊スワンニィ〉! 妾と一体となりすべてを焼き払え!」

 紫水晶の瞳に燃ゆる炎を宿し、その身にも炎を纏ったハルが彼方から飛来し着地、そのまま特攻をかますと、辺り一帯の魔物どもを焼き払う。

「邪魔を――するにゃぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

 なおも燃え上がりながら突撃して周囲の蛟どもを体内外から焼き尽くすと、ハルは舞うようにして〈大喰らい〉の前に立ちはだかった。



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