第22話 竜の魂 〈3〉

 


 ……あの日は雨が降っていた。

 今となっては遠く――そして魂の奥深く、その澱に残された記憶。

 深く分け入り、何度も傷つけ、菊理の心と体に己を刻みつけた日の記憶。


 ――――


 夕刻。土砂降りの帰路を急ぐ男女二人の姿があった。

 晴れの予報を見事に裏切った空模様は無慈悲なほど暗い雲に覆われ、天の底が抜けたような大雨が降りだしていた。

 なんてことのない金曜日の放課後。学校を出てものの五分でこの有様と相成り、少皓明ましろあきらは迷った末に置き傘を取りには戻らず、家まで走って帰ることを選んだのだった。

「菊理、もう少し急いで! びしょ濡れだぞ!」

「ひぇえ、もう限界までフル回転で走ってるよ~! は、あっ、あ、あきらくん、待ってよ~!」

 走るのをやめて明が振り返れば、菊理は出来の悪い犬のように息を切らして懸命に追いついてくる。

 夏服のブラウスはもう濡れそぼって肌に張り付き、下着の色までうっすらと浮かび上がらせていた。リボンで結ばれた艶やかな髪が頬や額に張り付いている。

「……ごめん。菊理がいるなら、やっぱり無理して帰るのよせばよかったな」

「むん。それは菊理がとろいって意味かな?」

「そ、そういう意味では……いやもうこの際嘘は言うまい」

「うわぁ、ひどいんだ~。まあ実際その通りなんだけどさー」

「近くにコンビニとか……雨やどりできる場所もないし、このまま家まで走るけどいいよな。それとももういっそ駅まで送ったほうがいいか?」

「……ううん。それじゃあきらくんが大変だし、できればあきらくんちでタオルとか……貸してくれたら嬉しい、かな」

「わかった。風邪を引くのが一番厄介だしな。姉さんのでよかったら着替えも貸すし」

「ありがとう。……助かるよ」

 頷くと菊理は少し気後れしたように微笑みかえしてくる。明は菊理の手を取ると、さっきよりもいくぶん緩い速度で走り出した。

「……帰りたく、ないな」

 菊理が小さく呟いた声に気づかないふりをしながら。



 鍵を差し込み、玄関のドアを開く。

 やはり両親や姉たちも留守のようで、家の中は静まり返っていた。

 雨脚は先刻よりも強く、弱まるどころかまるで嵐のような有様になりはじめていた。

「ふあー。なんだかんだ走って正解、だったかもな。菊理も駅まで行ってたらひどいことになってたかも」

 ここまで申し訳程度に雨風を凌いできた通学鞄を床に置くと、明は玄関にぼんやりと立ったままの菊理にむかって呼び掛けた。黒いペニーローファーから沁み出した雨水が菊理の足元に蟠っている。

 濡れそぼった姿で寒いだろうに、どういうわけか菊理は家につく前から押し黙ったままだ。

 ともあれ、風邪をひかせるわけにはいかない。明は濡れた靴と靴下を脱いで家に上がった。

「菊理、ちょっと待ってて。先にタオルと着替え持ってくるから、とりあえず上がって風呂場へ」

 そう言って踵を返した――明の背を背後から菊理が抱きとめていた。

「……菊理?」

 背後から胸元に腕が回される。細く白い腕はしかし、思いの外強い力で明をつかまえていた。

 それでも多分、ふりほどこうと思えばできたはずだった。

「知ってる」

「なに、を」

「あきらくんが、くくりの気持ちを知っていて気にかけていることくらい。でも、それってとっても残酷だよ」

 菊理の手は明の心臓の真上に添えられていた。

 だからきっと菊理には明の内心が全部ばれていただろう。でも、それをわかっていてなお、明は気づかないふりをしていた。自分では選ぼうとせず、選択を菊理にだけ突き付け、委ねようとしていた。それがひどく狡いことだと知った上で。

「……いけないこと、したい」

 遂に菊理は己の仄かで、それでいて後ろめたい願望を口にしていた。

「あきらくんが他の女の子にしてるみたいに、くくりをあきらくんのものに、して……ほしい」

「……菊理」

 明は――明にとって、白糸菊理だけはふつうの女の子だと思っていた。

 明の幼馴染。優しく甘やかで、それでいて強い、どこにでもいるふつうの女の子だと。

 けれどそれは明にとっては十分にで、たったひとりだけの――聖域のようなものだった。

 その菊理が自分から堕ちようとしている。否、そうなるようにどこかで明が仕向けてきたことが今結実しようとしているだけだった。

 白くて眩しいものほど、暗がりへ貶めたくなる。

 そうされてきた自分が他人にそうする側に回って何が悪いというのだろう。

 ……だけど、そうか。菊理にまでそんな毒を垂らしてきたのか、自分は。

 もう後戻りはできない。明は今更にしてそう悟っていた。

「あきら、くん。迷わなくて、いいよ。菊理を汚していい。だから置いてけぼりはもういやなの。いっしょにいたい。あきらくんとなら、いいの」

 胸元に回されたうでを優しくつかまえて、明は菊理の体を抱き寄せた。

 余剰なく腕の中に菊理が収まるようにきつく。

「菊理」

 顔を上げた菊理の頬に手を添え、口づける。軽く触れるだけのキスから、徐々に深く、奪うように舌を絡め、唾液を注ぐ。

 こんな扱いを受けたことなど当然ないのだろう。腕の中で菊理が身じろぎ、徐々に脱力していく。

「んっ……、く……」

 たっぷりと菊理の口内を味わってから唇を離すと、菊理は熱に浮かされとろけたような眼差しを明に向けてきた。

「あ、きら、くん」

「菊理。オレの部屋、来て」

「……うん」

 明は菊理の手をひいて二階へと続く暗い階段を上った。


 §


「もう戻れない、ね。菊理たち、こんなことして」

 脱力し、シーツの上に寝転がった菊理が言う。

 そう口にする菊理の横顔はこのうえなく幸せそうで、満ち足りたものだった。明の胸がちくりと痛む。

「……菊理、痛いとこないか? どこか具合悪いとか、そういうのも」

「ううん、平気。……お腹の奥にまだなにか挟まってる感じがするけど、菊理は大丈夫だよ」

 髪を撫でてやれば、菊理はくすぐったそうに笑う。それは共犯者の微笑みで。

 シーツには破瓜の痕が染み、二人の体温はまだ溶け合ったまま。

 明は菊理の身体に初めてを刻み、菊理はそれを受け入れた。しかし、明にはどこか後ろめたさが残ったままだった。

 それは――この少女が生まれついて子どもを産めない体質であることを知った上での行為に他ならなかったからだ。

 仮初の悦びだけを与えて、自分はこの少女から搾取しているのかもしれない。

 そのような想いを覚えた明は少し戸惑いながら菊理から体を離そうとした。その腕をそっと菊理が押し留めた。

「……あきら、くん。だいすき。だから、いいの」

「菊理……、おまえ」

 全部知っていて、そうしたのか。

 そう訊ねようとした明の唇を、菊理は口づけでもって塞いでいた。

「……だいじょうぶ。だから、ずっと一緒にいて、ね? 約束だよ?」

 約束だ、と。

 そう繰り返して明もその手を握り返した――と、思う。



 そうでなければ、あの時。

 あの時、既にしてほかならぬ明が菊理を裏切っていたのだから。



  23



 トワイライトの医院が位置する竜骨市骸区辺縁地域は無事であり、トワイライトやルルゥたちを含む呪医や医術士は怪我人への対応に追われていた。

 一方、〈館〉のある艶翅街は一部が被害をこうむったものの、〈館〉自体はさほど影響を受けなかったという。むしろ市骸区中枢部と表層都市の崩落に巻き込まれた下層の被害が甚大だった。

 ルシャとジャヤがそれぞれ奔走し、街に残っている屠龍師や符咒士を集め、対龍族迎撃都市としての機能を立ち上げていった。

 幸か不幸か、長期戦を見越した場合の兵糧その他の物資は不足しているものの、先のジャオアオロンとの戦闘で用いられた弾薬や対竜衝角、投石機などがまだ街には配備されたままである。短期決戦を見込めば勝機は十分にあるという見方を示し、二人は仲間を集めて回った。

 そうして、クラン〈竜胆党〉――屠龍を目的としながら、竜族とそして人と竜の架け橋となる〈竜人〉をも守るというもうひとつの目的を遵守する屠龍師たちが医院のロビーに集いつつあった。

「吾輩にジャヤ、トワイライト、ハル、胡、そしてアキラを含めて屠龍師は二十一名。そのうち屠龍機を出せるものが十。符咒士と魔術師が十四名、それに有志の探索者たち。……これで五分といったところか」

 竜胆党のメンバーも、対龍討伐事務所〈紅燈籠〉のメンバーも全員が集まったわけではない。竜殺しの経験があるものは半数程度。対して黒竜は巨大であり、その力は未知数――。

 戦況を分析したルシャの言葉にジャヤが首を振った。

「ちがう。絶対に負けない、ボクらが勝つ。そうでなくてどうする」

「……そうだったな」

 言い切るジャヤに対し、どこか浮かぬ表情でルシャが頷く。

「ルシャ、アキラはどこじゃ? ここにはおらぬようじゃが」

 〈館〉から魔術師として召集に応じたことで、ハルもまたこの場に居合わせた。

 非常時に姿が見えないことを心配し、彼女はこうして明を探しているのだった。

「アキラか……心配ない。さきほど戻ってすぐに屋上に上がっていくのを見ている。だが、今は……」

「黒竜のことは妾も聞いておる。およそだいたいの事情も。じゃがこのまま放っておくわけにはいかぬじゃろ。……あと少しでトワイによる討伐対策の説明もある」

 ハルの紫水晶の瞳が揺れている。

 明のいた世界――〈異世界〉での明の友人――おそらくそれ以上に大切な存在である〈白糸菊理〉が竜と融合し、牙を向いたことはもう仲間たちも知っていた。

「ハル。情けないことだが、吾輩はアキラに何と言って顔を合わせればいいのか分からぬのだよ。たった一人この世界に転生を果たし、アキラは我々を憎み、殺すことを誓った。だが今は大切な仲間だ。そうなりつつある。それなのに、吾輩たちはアキラからまたも大切なものを奪おうとしている。我々がこちらの世界を守り、生き抜くために……な。我々が犯した失敗、その罪業ならいくらでも背負うつもりでいる。その気持ちは今でも変わらぬ。だが、その代償をあの子にまで払わせてしまうのは、もう……」

 ルシャは拳を握りしめ、俯いてしまう。ふだんはぴんとはった猫髭が今は少し萎れている。

「ぬしは優しいからの、ルシャ。アキラのことを誰より気遣っているのはおぬしじゃよ」

 ハルは握りしめられたルシャの拳を両手で包んだ。強張っていたルシャの表情が、ほんの少しだけ緩む。

「……ありがとう、ハル」

 その時、屋上へ続く階段から降りてきた明の姿にハルが気づいた。明の表情は暗く、それでいて張り詰めた危ういものだった。

「アキラ! ……平気、かや?」

「ミーティング、あるんだろ。菊理を――あの黒竜をどうやって殺すのかって相談」

「……そんな言い方は」

「それ、聞きに来ただけだから」

 昏い目をした明は視線すら合わせず、ハルに背を向けた。

 なおも食い下がろうとハルが踏み出したところで、黒板の前に立ったトワイライトがその場に集まった全員に呼びかけた。

「みんな揃ってるよなァ。そんじゃ、黒竜アンノウンの傾向と対策について簡単にレクチャーするよ」

 トワイライトの呼びかけに、その場に集った者たちがそれぞれ目と耳を傾ける。

「知っての通り、奴は雌雄嵌合体しゆうかんごうたい……まァ、平たくいえば雄と雌の特徴の両方をモザイク状に合わせ持った個体だ。それ故、雄が持ち合わせる強力なブレスによる攻撃と雌の特徴である尻尾部の棘による毒攻撃に備えなければならない。そして魔族や悪鬼ども、更に人間の肉体と魂魄が融合した複雑な属性を持つ。交戦すればまずもって使い魔を召喚して抵抗するだろうねェ」

「なんでそんな滅茶苦茶な個体がいやがるんだ? 反親和派も反長老派も人工竜族実験は否としているはずだ」

 ガルド事務所のギルグリム兄弟、その兄貴分であるニールが疑問を投げかける。

 先の蛟討伐戦で一度命を落としたのちに〈転生〉を遂げた弟分のウォロックもその傍らに控えている。

「これはあくまで推測にすぎないがねェ、先のジャオアオロン討伐の際に行われた転移と転生の術……その際に生じた膨大なエネルギーが生と死、すなわち陰陽の属性を反転させ、都市の地下に眠る竜の骸と〈異世界〉より召喚した人間たちの塵肉、それに悪鬼どもや異界生物を引き寄せ混じり合わせて、最低最悪に糞ゴミなハイブリッド竜を誕生させたのだと考えられる」

「よって、異界生物や悪鬼が用いる邪術の類への対策も不可欠となる」

「ンな無茶苦茶な……」

 トワイライトとそれを補足したルシャの状況分析に屠龍師や探索者たちがざわめく。ギルグリム兄弟も渋い顔つきとなっている。戦況の厳しさに誰もが圧倒されていた。

 それに邪竜の……菊理の言葉には気になる点があった。

『あの人たちの言う通りに頑張って耐えたの』

 ――あの人たち。

 明たち、あるいはもっと大きなものに対して害意をもつ者どもがこの件に関与している可能性が高い。少なくとも誰かが前述の状況に手を加えたことで邪竜はああして受肉し、こちらの世界に顕現したとみて間違いない。

 そんな状況下でどのように動けというのか。

 明にだってそんなことはわからなかった。しかし――

「はァい、てめえらよぉく考えてみろよォ? ここドン引きするところじゃないからなァ。屠龍師や冒険者なら名を上げるチャンスに色めいて湧き立つところですからァ! そうだろォ、ジャヤちゃん?」

 トワイライトに振られ、ジャヤが頷く。

 〈緋色の勇者〉として、ジャヤは全員を見渡した。

「今回ボクらがやろうとしていることはたしかに困難かもしれない。でも、相手は未知の邪竜アンノウンだ。屠龍師なら楽しくない筈がないよね。もちろん探索者もだ。誰も知らない魔物を倒し、迷宮を攻略して地図や歴史に名を刻むことが何よりの武勲になる。地上にあったとして何が違う? 胸が躍らずにいてどうする。ボクは愉しい。この上なく楽しみだ。あの邪竜とりあえることが。あいつを屠ることができるのがとても待ち遠しいな。ま、その他大勢のキミたちのことまではちょっと知らないけどね?」

 力強く呼びかけるジャヤは悠然と微笑んでいる。味方の士気を上げるには十分な煽り文句だった。

 顔見知りの屠龍師や探索者が挑発的な言葉に頷き、そうでない者たちもそれぞれの目標や誓いを思い出したのか俄かに活気づく。

「くぁーっ、しゃーねぇな! そうまで言われちゃ黙ってられねえしよ。なぁ、兄貴よ?」

「まあな。ここまで呼ばれて今更邪竜の一匹や二匹がおっかねえからって引き下がるなんざ、そりゃ男じゃナイぜってなるよなぁ!」

 くすんだ金髪の戦士ニールと褐色肌の魔術師ウォロックが応えてみせると、周囲の戦士たちも士気を取り戻したように頷きあった。

「ぼ、ぼくは……戦場はあまり好きではないんだけど……兄者が言うなら行く、よ……」

 ギルグリム兄弟、その末弟のエリクだけが陰気に渦巻く瞳で俯いている。その背中を兄たちが叩いて引っ立てている。

「おまえも男を上げるときだろ!」

「いたた、痛いってニル兄……」

「そうそ、エリクだって陰気な顔してないで少しはこの状況にワクワクしやがれよ」

「……ウォロック兄さんもむちゃいわないでよ」

 ギルグリム兄弟はそれぞれ得意分野は異なるものの、三人揃えばさらに連携のとれた腕のいい屠龍師となる。竜骨都市では〈紅燈籠〉と双璧をなすガルド事務所のアタッカーである。

 彼らが騒がしくすると他の面子も士気高揚とし始めた。

 その様子をみとめた上で、ジャヤが再び全員に向かって呼び掛けた。

「竜を倒し、再び集まって酒を酌み交わそう。討ち取った子にはボクがなんでも奢ってあげよう。まあ、とどめをさすのはボク以外には無理だろうけどね?」

 ジャヤの声にブーイングが起こるが、皆愉快そうな様子だ。

「ってことで微妙に空気とか雰囲気とか読めてナイがジャヤの言う通り――屠龍師でも探索者でもテメエが一人前なら腹を括れってことさァ。それに、なにも邪竜だろうと対策がないわけじゃない。弱点は通常の竜と同じく頸部にある宝玉だとみていい。だからこれより戦略を練るよってなわけでェ、是非とも積極的な意見を聞かせてほしい」

 トワイライトの呼びかけに、その場に集った者たちが意見を交わし、有効な屠龍方法を議論し始める。

 本当なら、明はこの場から逃げ出してしまいたかった。

 菊理を殺す算段をたてる屠龍師たちが、そして仲間たちすらも、憎くて恐ろしくて堪らなかった。

 怒りと恐怖、それに混乱で膝が笑っている。それでも、今この瞬間から逃げたら後悔する。

 きっと今までよりもっとずっと自分のことを嫌いになってしまう――その想いが明を踏みとどまらせた。

 明はすっと手を上げ、疑問を――想いを発していた。

「すみません……いい、ですか。いくつか聞きたいことがある」

 トワイライトが、ジャヤが、ルシャが、ハルが、その場の者が明に視線をくれた。

 気遣うような視線もあれば、好奇や猜疑の視線もあった。

 明こそが先のジャオアオロンが起こした災禍の犠牲者にして異界からの唯一の転生者なのだ。無理もなかった。

 それでも勇気を振り絞って前を向く。少なくとも仲間たちは明の想いを汲んでくれている。そうだと分かっているから、今ここに自分はこうしていられるのだ。

 戦士たちの間を縫って、明は前に進み出た。

「いいぜェ、アキラちゃん。大歓迎だ。なんでも聞きなァ」

「まず、ひとつ。竜と融合している少女の救出は可能かということだ。あれはオレがいた世界の……友人、大切なひとで……白糸菊理という人間だ。オレは彼女を助けたい」

「邪竜を助ける、だって?」

「そんな話、聞いたこともない」

 ざわめく探索者たちをジャヤが視線で黙らせる。トワイライトはいつもの軽薄な笑みを引っ込めて、真剣な顔で答えを口にした。

「結論から言うと、それは無理だ。……残酷な話だが、あれはむしろ弱点だと考えた方がいい。竜の頭部、ちょうど核の上部にあたるからね。あれ自体が竜の宝玉から直接エネルギーを得ている可能性が高いんだ」

「でも……」

「それにな、アキラちゃん。そもそも複雑に混ざり合った複数のものからひとつのものだけを純粋に取り除くのは無理なんだ。たとえばミックスジュースからオレンジジュースだけをとりだすのが無理なようにねェ」

「それなら……もうひとつ。どうして菊理が……どうしてあいつなのか、オレの転生と関係があるのなら……オレはそれも知っておかなくちゃならない」

 トワイライトは転移及び転生術の際に生じた膨大なエネルギーが生と死、陰陽の属性を反転させて邪竜を生んだと説明していた。それは謂わば明の存在の反転が引き金となって、菊理をもあのような形に転生させたということにならないだろうか。

「いいかい、アキラちゃん。なぜ彼女なのか、それを完璧に知ることはおれにだって不可能だよ。だが、おそらくはアキラちゃんの転生を行ったあの時、あの場所に存在していた魂魄の中でもより強い思念を持ち合わせていたのが白糸菊理だったのだと思う。アキラちゃんへの強すぎる想いに共鳴する形で邪竜があのように一人の人間の姿形をかたどったのかもしれない。その可能性はある」

「じゃあ、やっぱりオレのせいでこんな……」

「奢るなよ、アキラちゃん。あれは菊理ちゃんであって菊理ちゃんではない。さっきも言ったように、きみの世界からこちらの世界へと至る過程で属性が反転し、複数の存在が混ざり合ってできた出鱈目な存在だ。あれは――何パーセントかは彼女自身かもしれないが、純粋な意味で菊理ちゃんはもう死んでいる。この世の者ではないんだよ。もちろん、こんな話はなんの慰めにもならないだろうけどさァ」

 トワイライトの言葉はどこまでも残酷で優しかった。

 ただ立ち尽くすしかない明の肩にルシャが手を触れ、傍にはハルが寄り添った。

「そして、どのような形であれ、ジャオアオロンがきみらの世界へ転移する際に生じたとてつもない負のエネルギーが引き金となって菊理ちゃんのような存在を生み出すにいたった。たとえそれを利用し裏で手ぐすね引いてる奴らがいたとて、遅かれ速かれこのようなことは起きていたに違いないンだよなァ」

 ククッと喉を鳴らし、トワイライトは獰猛な笑みを浮かべる。

 トワイライトにしては珍しく感情を表に出しすぎている。明はそう感じたが、そうさせる事情がこの男にもなにかあるのだろうか。……わからない。けれど今はそこに拘泥してもいられない。

「ボクらがやることも、ボクらにできることもたったひとつしかない。邪竜を屠る、それだけだ」

 ジャヤが明の方を向き、いつかと同じ問いを突きつけた。

「メイくん、君はどうする?」

「オレは……」

 本当は目も耳も、全てを塞いで逃げ出してしまいたかった。けれど、それが許されないことくらい明も分かっていた。仲間たちならば、あるいはそんな明の弱さを許してくれるかもしれない。でも、そんなことを自分自身がなにより許せない。もうそれに気づかないほど弱くもないし、愚かでもない。

 こんな高みまで明を導いてくれたのは、そして今この瞬間もくずれそうな明を支えていてくれるのはジャヤたちの存在なのだ。ならば、生きている限りそれに報いたい。彼らと共にいて恥ずかしくいない自分でいたい。

「……オレは……わたしは菊理を救いたい。それが……たとえ菊理を、邪竜を殺すことであっても。あの時救えた魂魄が混じり合ってできたのがわたしという存在なんだろう。なら、菊理の居場所はわたしここだ」

 心臓の位置に手を触れ、明は真っ直ぐにジャヤを見つめて宣誓した。

 ジャヤは細身の刀を一振り取り出すと、明にそっと手渡した。

「ならばキミがやれ。ボクがキミを彼女の元まで連れていく」

「……はい」

 トワイライトに、ハル、ルシャも頷き、一歩を踏み出す。

「悪鬼どもはおれが払うよ。怪我人は強制手術、死人は一人残らず叩き起こす! ただし千切れた手足を取り違えても文句は言うなァ」

「砲台は妾に任せるのじゃ! 妾の魔力を全部盛りした最大火力をお見舞いしようぞ! 調整はその、えーと……誰かに任すっ!」

「まったく……これは遊びではないのだぞ。指揮は吾輩がとろう。皆は存分に力を振るってくれ」

 ルシャがそう締め括って終わり――ではなかった。

 今日はそれに続く者たちがいた。

「詳しい事情は知らんが、お前らには蛟退治の時の借りがあるからな。俺らの事務所は協力するぜ、だろ! 野郎共!」

「おう! 兄貴!」

「応!」

 応、応とも、と皆が続く。

「ウチのパーティも忘れてもらっちゃ困る!」

「わてらもおるでよ! ここらでいっちょ大暴れじゃあ!」

「探索者だからってなめんなよ!」

「そうだ! 巨竜を倒して一旗挙げようぜ!」

 居合わせた屠龍師や探索者たちが次々に名乗りを上げて続いた。中には明にとって見覚えのある者もそうでない者も混じっていたが、どちらでも構わなかった。

 ただ、胸が熱くなった。熱くて堪らなくて、彼らの想いに応えるにふさわしい言葉を紡ぐことなんてできなかった。

 だから、明はただ剣を掲げた。

 それに倣い、ジャヤが、トワイライトが、ルシャが、ハルが、そして皆が同じく剣を掲げて応えた。

「行こう!」

 ジャヤの呼びかけに歓声が上がった。







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