第19話 幕間
溶け合い境目のわからなくなった体が、不意に二つに分かたれた。
引き抜かれる感覚が刺戟となったのだろう、組み敷いた体がびくりと震えて、甘い呻き声を漏らした。
どちらのものかも分からぬ心音が轟々と耳の奥で響いている。まだ呼吸は荒く、獣のような二人分の息遣いが漏れ聞こえていた。
互いの汗と体液に塗れたまま、トワイライトは自分の下に組み伏せた少女の唇に、あるいは身体のいたるところにキスをして、つい一瞬前までひとつだったことを名残惜しんだ。
昼下がり、悪戯に始めた情交が夕刻まで続いて五回戦目。
溢れてしまうまでとろとろになったアキラが照れ隠しすらできなくなって、嬌声を上げ、あられもない姿で快楽を貪る様はひどく可愛らしかった。
「……ん……、も、やめる、のか」
蕩けて霞んだ薄桃色の瞳が真下からトワイライトを見つめていた。
熱に浮かされた双眸には切なげな欲望とそれを挫かれた失望の色が綯い交ぜになっている。
「ンー。アキラちゃん、そろそろいっぱいかなァって思って?」
「……そんなこ、と、ない」
陰気と陽気のバランスは満たされ、先の蛟討伐と〈転生〉によって失われた精気も十分に取り戻しつつある。アキラもまた同様の状態だろう。今日は少し精気を与えすぎたかもしれないくらいだ。不用意に気をやればせっかく保たれた魂魄の安定を欠いてしまう。
トワイライトにとって、アキラは異界からの貴重な
抱く度に壊したくて堪らなくて――行為の最中、実際何度も壊れた姿を見てみたくなったが、眼前の華奢な体と繊細な心を本当に壊してしまう前に今日も自分から体を離した。
甘くどろりとした倦怠感と心地よい疲労感。その両方を感じながら身を起こす。
と、伸べられた小さな手がトワイライトの背をするりと撫でた。
「……おまえの体って、けっこう熱い。内側から灼かれそうで、今日は少し怖かった」
「気を練り上げているとそう感じるのかもなァ。アキラちゃんにとってはもう少し慣れが必要かもねェ?」
「……そう、か?」
「そうだよ」
とろん、とした目をして少女が頷く。背中に触れていた手を優しく離して、立ち上がる。
少し手荒に扱いすぎたかもしれない。アキラは負けん気の強いところがあって、多少強引にことをなしてもそれを受け入れようとするきらいがある。
そう――どんなに汚そうとしても清廉なままでいる。
だからこそ、余計に反応を引き出したくてたっぷりと時間をかけて嬲ってしまう。これはひどい悪癖だ。そう自覚していても、どうにも止められないままだった。
「さすがに暑いし、窓開けるよ?」
熱気と性臭を部屋から追い出しがてら朱色の窓枠を押し開く。と、夕方の涼しい空気が室内へと流れ込んでくる。風に紗幕がそよぎ、風鈴が揺られて鈴の音を奏でる。空はまだ蒼く、わずかに裾が朱色に染まり始めている。
市骸区の喧噪が風に混じって聞こえてくるし、軒を連ねる屋台料理屋の芳しい匂いや水の匂いも上がってきた。
竜の死骸の上に築かれた不夜城。異形の街は今日も変わらない。
窓枠に凭れて煙草に火をつける。ほどなくして紫煙が上がる。
アキラは寝そべったまま、こちら側に視線をくれていた。
「……おまえと
寝台に横たわったままで、少女はふとそんなことを言う。暮れなずむ蒼が薄桃色の瞳に映り込んでいる。
「あれェ。そうだっけ?」
「……まだ、この前の銀月迷宮にしか一緒に行ったことがない。表層地区には一度も出ていない」
あどけない美貌にほんの少しいじけたような表情を浮かべ、いつものようにぶっきらぼうにアキラが言う。
確かに、言われた通りだった。竜骨都市の案内はジャヤや胡に任せていたし、
というか、嫌われ役の自分には一緒にどこかに行くなどの選択肢は最初からないと思っていた。
今だって、アキラはおそらく自分のことが憎いままだ。にもかかわらず、こんなことを言うのはなぜだろう――。
「それはつまり、おれとデートしたいの?」
「……ちがう」
試しに挑発的な一言でもって本音を引き出そうとする。
アキラは不機嫌そうに眉根を寄せて背を向けた。
そのままシーツを引き寄せて丸くなるが、尻だけ隠せていないのが無駄に可愛らしい。
「デート、したいんだァ?」
「……殺すぞ。転生したばかりでまた死にたいのか」
トワイライトはめげない。再度断定系でダメ押しすると、物騒な返答が返ってきた。到底この少女に自分が殺れるとは思えないが、どうせならもっと甘い答えが欲しい。
「ン~。それじゃあ、デートして? お願ァい。ほら、リハビリ。おれのリハビリだと思ってさァ?」
「…………で、……出かけるだけ、なら」
無事、落ちた。アキラの内心はわからない。しかし、扱い方ならなんとなくはわかってきたところだ。
基本的に本当に駄目なこと以外は押しに弱いし、お願いという形を取って下手に出ると承諾率が上がるのだ。
それに、ここのところはトワイライトが死んでしまったこと――その一因となってしまったことを負い目に感じているらしく、いつもよりもアキラの態度が柔らかい。
これは本人の優しさと弱さによるもので、そこにつけこむべきではない。分かっていてもつい利用してしまう。自分の性根が悪いことは自覚している。
「それに、オレも……おまえを連れて行きたい場所がある」
浴室に行こうとしているのだろう。シーツを巻いて引きずり、部屋をあとにする直前にアキラがそんなことを呟いた。
「……だから、やっぱり……これはデートだ」
以外な言葉に驚いて、煙草を口から落とすところだった。
居なくなる瞬間、尻尾のように閃いた髪は夕焼けの色に染まっていた。自分の髪と同じ色であることを忘れるくらい、綺麗だった。
§
「おまえは随分派手な通りを歩くんだな」
白く透けるようなサマードレスに身を包んだアキラは、少し気遅れしたように呟き、後についてくる。
極彩色のネオンが少女の白い肌、白い衣を見るたび別の色に染めている。
「じゃあ、ジャヤたちといるときはこっち側の界隈には全然こなかったわけ?」
「……歓楽街になんて用はないだろ。それに、遊ぶ金があるなら装備や鍛錬に使う」
聞けば、アキラは普段竜骨都市表層の西側にあるこの
ハルのいる館を中心とした旧市街地の歓楽境・
「ふうん。真面目だねェ?」
「……真面目で悪いか。おまえだって知らない世界に放りこまれたら慎重にならざるをえないだろう」
「たしかにね。でも、おれはやっぱり楽観的なのかもねェ。あれだけ苦しい思いをしたなら、楽しいコトもいっぱいしなくちゃ。なにごともバランスなんだよ、アキラちゃん」
「詭弁っぽい」
「でも、この前貰ったろ?
「……ああ」
「あれでちょっとは遊びたいとか、記念に美味いもんでも食べたいとか思わないわけ?」
「……あれは、使えない。まだ。皆でやったことだから、その……なるべく手をつけずに取っておきたい。もっと、オレが強くなるまで」
「へえ……願掛けみたいなものか。かわいいね?」
「……うるさい。殺す」
二人は竜討伐――正しくは幼竜・
それはアキラにとっては初めての屠龍による報酬だった。
トワイライトはあの場で負傷し、〈死亡〉の状態にあったために覚えていないが、ルシャたちはいつもの手筈通りに
それと竜骨都市から討伐命令や通達が出ている場合は別途報酬が出ることがある。
蛟は竜の幼体ということで素材としての価値よりも研究材料としての価値を見出され、専門業者によってそこそこの高値で買い取られた。加えて何人もの犠牲者を出した事件を解決したことにより、竜骨都市の保全に貢献した功績が認められ、市骸区から僅かながらに報償金が出された。それを今回の六人で割り振ったものが個人の報酬となった。
先日、見舞いがてらという名目でわざわざ医院にまでやってきたルシャテリエライトが二人分の報酬を届けてくれた。
『おめでとう、アキラ。おまえにとっては初めての屠龍による報酬だな』
パーティの頭目であるルシャから報酬を渡されたアキラは、嬉しさよりも驚きと遠慮を滲ませておずおずと貨幣の詰められた袋を受け取っていた。
『……本当に、わたしが受け取ってもいいんですか』
『何をいっている。おまえが自分の力で働いて得た金だ。もっと胸を張っていい』
『ありがとう、ございます……!』
アキラは深々と頭を下げて、大事そうに袋を抱きしめていた。
その様子を満足げに見守ると、ルシャはトワイライトにむかって袋を投げて寄越した。
『これからも頼むぞ、アキラ。トワイライト、ほら、おまえの分だ。死亡と転生の手当も含まれているから確認しておけ』
『うわ、なにそのアキラちゃんに対する時との温度差!? おれ今回けっこう体張ったよねェ!? もっと感動的な演出とか抱擁とかキスとかしてよっ!?』
『気色悪いことをいうな。吾輩はヒト属の男になど興味はない』
ルシャは素直で努力家のアキラを気に入っている。それはいいが、トワイライトに対する個人的関心は薄い。むしろ辛うじて仲間として見られてはいるものの、頭痛の種のひとつになっている。完璧に評価はマイナスだ。その自覚はトワイライトにもあった。
『なんつーか、ルシャはいっつもクールだよなァ?』
『おまえは吾輩を何だと思っているのだ……なんでもいいが、おまえは体を張らぬように行動しろ。あるいは周囲に行動させるように手を回せ。
『まァ、そこはね……おれも考えて動いているつもりだよ』
『ならいいのだが。何にせよ、おまえの命――あといくつあるか考えて慎重に行動してくれ』
『はァい』
――というやりとりは記憶にも新しい。
どうせならもっと褒めて欲しいが、褒められたところで別に伸びないのがトワイライトだ。
「……そういうおまえは何に使うんだよ」
先日の出来事を思い返していると、アキラが横からくい、と袖を引っ張ってきた。人でごった返す通りは歩きにくく、手をつなぐ代わりでもあるのだろう。
「ア?」
「報酬。何か使いたいことがあるから、こんなところまできたんだろ」
「アー。それね。さっきも聞いたとおり、どうせアキラちゃんはお祝いとかしないだろうって思ってねェ。だったらおれが記念に晩御飯でも奢ってあげよっかなァって思ってさ? いっぱいしたし、腹も減ってる頃合いかなァって」
「なっ……そんなの! 聞いてない!」
「言ってないもの。ほら、着いた」
「えっ、なっ」
特徴的な看板の下で歩みを止める。
トワイライトの腰をぽかぽかと叩いていたアキラも手を止めて、看板を見上げた。
頭上では特大サイズの大蟹のからくり人形がライトに照らし出され、ゆっくりと脚を動かしている。背景はホログラムによってさざめく波を再現していて、案外芸が細かい。楼閣に縫いとめられた巨大蟹は道行く観光客の目をそれなりに引いている。
一応高級料亭だというのに、どうしてまた成金趣味的ヘンテコ建築に走ってしまうのか、トワイライトとしては通る度に不思議に思っていた。
「……あ、ここってもしかして……」
既視感でもあるのだろうか。
何かに思い至った顔をしたアキラが看板とトワイライトを交互に振りかえる。
「ン。迷宮蟹のお店。喰い放題のプラン、いけるでしょ?」
「ばかっ、ぜったい高いだろここ! 自分の身の程考えろよ! めっ!」
「いや。めっ、て……」
身の程。アキラは一体全体おれのことをどう見ているのだろうか。
ほんの少しの情けなさを覚えつつも、トワイライトはにこやかに答えた。
「おれの身分って一応医者だよ? 闇商売だけど超ボロ儲けしているし? これくらいヨユーだよ。それとも、アキラちゃんは嫌なの? 蟹」
「……いや、じゃないけど……でも、贅沢は……」
「身がほろっほろでぇ、ほんの少し海の味がしてぇ、茹でてしゃぶっても生でも焼いても上手いしィ。アー、あと味噌なんか希少部位で酒と一緒だと特に蕩けるよなァ……?」
「かっ、蟹……かにっ……ああでもっ」
アキラは目を白黒させてうろたえていた。分かりやすくて助かるというか、まだ子どもなのだろう。それに、いちいち反応がいじましくて可愛らしい。
「そう、蟹。ね、食べたいでしょ?」
くきゅるるる、という腹の虫が響いてきた。それがとどめだった。
「くっ…………食べ、たいです、蟹ッ」
「はァい。二名様ご案内ねェ」
己の欲望にころりと屈したアキラを引き連れ、トワイライトは店内に意気揚々と入っていった。
二時間半後。
二人は全身蟹のつまった袋と化して店を出た。
しかしその表情は緩く微笑みすら浮かべ、至福に包まれていた。
「なァ、美味かっただろォ? アキラちゃん――でももうしばらく蟹は見たくないねェ」
「うん……美味しかった……上海蟹みたいなやつ、何杯でもいけるってわかった。でも……オレもしばらく蟹はいいや」
二人して同時に「ほうぅ……」と溜息をつき、自然に笑みを溢した。
「おまえ、どう考えたって喰い過ぎだろ。一人で店を潰す気かよ」
「アキラちゃんだって、鬼の子かなんかかよって勢いで殻をぶしゃって割ってたじゃん?」
「だってあれは反則だろ! 専用レーンのベルトコンベアで蟹を次々に運んでくる仕様ってなにアレ!?」
「あそこはああいう悪趣味な店なんだよ。仕方ないでしょう」
くつくつと笑い、軽くよろめきながら雑踏の中をいく。まるで酔っ払いのようだが、今日は酒を入れていないので、単なる気持ちの問題だ。
「トワイライト」
「ンー?」
「……ありがとう」
「べつにィ、ですよ?」
たまに心からの笑顔を向けられると、嫌われ役でもなんでも引き受けてやろうという気になる。
それくらいがちょうどいい――それくらいでちょうどいいのだ。
「そういや、おれを連れて行きたい場所があるって言ってたけど。あれはいいの?」
「……この前、おまえはあまり食べてなかっただろ。屋上のとき。だから、胡さんに頼んでクレープと似たものを出している店はないか探したんだ。フルーツとかなら、オレが作るよりプロの方が美味しいだろうし」
「わざわざ? それだけのために?」
「……悪いか。オレがいた世界の料理だって美味しいって、おまえにも知ってほしいだけだ。でも、こうなるとは思っていなかったから、その……今度、でいい……」
そっぽを向いた頬が僅かに朱に染まっている。アキラとしては精一杯告げたつもりなのだろう。
今度。ということは次の機会もあるということだ。
「……それにオレも、おまえのことをもう少し、知りたいから……」
罪悪感からか、優しさからなのか、それとも他の感情からの行動なのかはわからない。だけど、そんなことはどうだってよかった。
「じゃあ、これからいこっか?」
「……これから?」
「甘いものは別腹っていうだろ。アキラちゃんの行動範囲ってことは東側かァ。ほら、ね、案内して?」
手を差し伸べて、待つ。
――本当はおれの手を取ってくれるのか、いつも自信なんかない。
それでもアキラはおずおずとトワイライトの手指を取った。そしてそのまま手を引いて歩きだす。細く華奢で温かい手だった。もしかすると、あの娘の手よりも温かいかもしれない。
「……こっち。艶翅街の入り口のあたりにあるんだ」
「ククッ。あの日はジャヤに気圧されて、というか食の暴力が半端なくてアキラちゃんの料理をろくに喰えなかったんだよねェ。だから楽しみィ」
「……勝手に期待されても困る。でも、ちゃんと下見したから、気に入ってくれたら……いい……」
やはりこの少女は、否、〈アキラ〉は面白い存在だ。
憎まれたって、嫌われていたって関係ない。アキラがこの世界で生きることを諦めない限りは、傍にいてその行く先を見ていたい。
どんな選択をし、どんな顔をして生きていくのか。どこまで強くなるのか。
そのすべてをどこまでも特等席で眺めていたい。
「アキラちゃんのオススメはァ?」
「……オレンジとグレープフルーツ。ミルクチョコレートのアイスクリームをトッピングするといい。あとはチョコミントとブルーベリー」
「チョコミント?」
「行けば分かる」
……もう少し。
だからもう少しだけ、おれはこの命の期限を引き延ばそう。
あの娘が許してくれる限りは――。
二人は竜骨市骸区の東部、艶翅街を目指して、色と光の氾濫する雑踏の中に溶け込んだ。
混沌の街は人目を引く二人の姿をも簡単に飲み込み、一時の平穏の中に隠してくれた。
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