第16話 銀月迷宮攻略 〈5〉 

 

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「――急急如律令」

 三叉路に立ったトワイライトがそれぞれの方向に呪符を飛ばす。

 胡の探知能力を頼りに四つの分岐点を抜け、一行はいよいよ迷宮の最深部へとさしかかっていた。

 幼竜・蛟の気配も濃くなり、明にもそれがはっきりと感じ取れるまで膨らんでいたが、その強さが胡の嗅覚にも影響を及ぼした。そこでこれ以上は正確なルートを辿れないという胡に代わって、トワイライトが式鬼を飛ばして幼竜の巣の在り処を探ることになったのだ。

 式鬼は霊的な存在であり、使役する者の能力に応じた力をもつ。すなわち、分岐した道のそれぞれに飛ばした式鬼が無事に帰還すればその道は安全、逆に式鬼が何かに打ち破られ戻ってこない場合は――

「当たり、だなァ。右手の道に飛ばしたやつが戻らない。つまり、おれの使役する式鬼以上のチカラをもった何者かが潜んでいるとみて間違いない」

 帰還した呪符がトワイライトの周囲を舞っている。トワイライト本人は皮肉げな笑みを浮かべて、右手側に広がる洞窟の闇を見ていた。

「つまり、蛟はこの先にいるということだな」

「気配が途絶えた時間からみて、もうそんなに遠くはないぜェ」

 トワイライトの返答にルシャが頷く。

 新領域の主。あのジャオアオロンの子ども……幼竜がこの先にいる。それを意識すると指先まで痺れるような緊張が走る。

 でも、最初のような震えはもうない。立ち向かい、打ち倒す。それだけだ。

「……ちと、嫌な感じがしますね」

 明の横に立つ胡が浮かない表情で言った言葉を、明は無視することができなかった。

「どういう意味、ですか」

「あ、変な意味ではありませんよ? ただ、トワイ先生の魔力は桁外れに高い。それが使役する式鬼が還ってこないということは、蛟が相当強い力を秘めているということになります。注意してかかったほうがよい、と……ま、皆さん重々承知でしょうが」

 最後は明を不安にしないために付け足したのだろう。胡の表情にも緊張の色が見える。

「うむ。胡の言う通り、なにかしらあると見て間違いないだろう。各々、気を引き締めてかかれ。ハル、トワイライト、この先は本気を出していい。存分にやってくれ」

「承知したのぢゃ」

「おれは出来れば楽をしたいがねェ。まァ、手や足の一本や二本すぐにくっつけてやるから、おまえらは好きに暴れてなァ」

 温存から本気モードへ。めいめい返事をしてハルとトワイライトが後方につく。

 隊列を組み直した明たちは道が分岐した右側の洞穴へと足を踏み入れる。

 闇が濃くなった気がした。気のせいではない。あちこちで陽炎が蟠り、渦を巻いている。

「これは……すごい瘴気じゃの」

 口元を袖で押さえながらハルが呻く。

 この奥に巣食う蛟に吸い寄せられるようにして吹き溜まった陰気は、もはや毒気とかわらぬほどに強まっている。

「〈浄化〉」

 胡が唱えると周囲の陽炎が散っていき、障壁を張ったかのように明たちのまわりの陰気が弱まった。

 …………おぉん。

 さらに歩を進めると巨大な鐘を打ち鳴らしたかのような音色が反響し始めた。

 …………おおぉおぉぉぉん。

 それは、胸を掻き毟られるように切なく、それでいてこの上なく不快な――

「鳴き声だね。奴は泣いている。肉親を失い哀しみながら吼えている。気づいているんだよ、他ならぬボクたちが来たことに」

 ……おぉぉぉおぉおぉおおぉぉぉん。

 邪龍ジャオアオロン――。

 明たちの仇は迷宮の最奥に潜む蛟にとっては親であり、やつにとっての仇は明たちなのだ。

 もはやその慟哭は迷宮全体を揺るがす鳴動となって明たちの足元を揺らしていた。ぱらぱらと岩壁の破片や砂粒が降り注ぐ。

「出口だ。会敵するぞ、構えろ!」

 そして、闇が――開けた。

『怨ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ壓オオオオオオオオオオオオオオオオッ』

 咆哮。

 なんて圧だろう。明は踏みとどまるだけでも精一杯だ。

 蒼く仄暗い光を放つ地底湖。そこにとぐろを巻いているのはまさしく幼竜・蛟であった。

 だが、全貌を目視する前に巨大な爪が振り下ろされる。

「させねぇよっ!」

 負けじと吼えて踏み込んだジャヤの大剣が竜の爪を受け止めた。

「後衛下がれ、吾輩も参る!」

 明はトワイライトとハルを庇うように立ち塞がり、胡が雷撃を飛ばす。

 ルシャが疾駆し、蛟の前脚に斬りかかる。だが、浅い――!

「ジャヤ!」

「応っ!」

 がぃん、と大きな音を立てて爪を打ち払い、前衛の二人が飛び込み、間合いをはかる。

 眼前に立ちはだかる蛟の全貌が明の目にもはっきりと映り込んだ。

 蒼い鱗をその背に生やした大蛇の姿をしている。その大きさは随分あるが――五メートルほどの体長に、太さときたら大人の腕でも数抱え分を越えている。

『怨ォォォォォォォォォォォォォ……』

 怨みの唸りとともに吐き出すのは強い瘴気。毒の息だ。奴が蠢くたびに鱗がてろてろと鈍い光を放つ。

 だが、特徴的なのは蛇体に四肢を持つことだ。蛇の体に強靭な前脚と後脚が生えている。爪は尖り、鉤状に発達している。さきほどの攻撃もそうであるが、あれを喰らえば致命傷になりかねない。

 眼光炯々とした鋭い漆黒の双眸には燃えさかる怨みの炎が灯り、竜族の名に恥じぬ眼力を宿している。

「こんなの……どうやって倒せば……」

 竜殺し。屠龍。

 その困難さに直面し、明の口からは思わず弱音が零れる。

「妾にも分からぬ。でも殺す。必ず殺しきる。それだけじゃよ、アキラ」

 明の呟きを聞き取ったハルが妖艶に微笑み、諭してくれる。屠龍師としての矜持を彼女も持ち合わせているのだ。

 ハルはそのまま呪文を唱え、集中状態チャネリングに入った。

ゥゥゥぁぁっ!」

 大剣を振るい、竜の頸下にある逆鱗――急所を狙って一撃を繰り出すのはジャヤだ。

 がぃん! と、障壁の如き銀燐がジャヤの刃を弾き返す。

「まずはダメージを与えることが先決、とにかく奴の気力と体力を削ぎ続けろ!」

「こなくそァっ! マジ面倒くせえクソ蛇野郎がよぉっ!」

 雄たけびを上げながらもジャヤはルシャと見事に連携し、頭部に集中して攻撃を繰り出し始めた。

 自分にもできることがある筈だ。全体を見ろ。そして動け、動け、動け――!

『壓オオオオオ壓壓オオオオオッ!』

 蛟が咆哮する。と――

『Kyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!』

『GMRYUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!』

『KYyyYYYYYYYYyyyyy……!』

 地底湖から一際巨大な蛭どもが這い出ずる。竜の一齢幼生である飛蝮だ。〈顎〉の主である蛟がそれを配下として引き連れていてもおかしくはない。

 巨大蛭どもは後方にいる胡やトワイライトたちに向かって牙を剥いた。

「アキラちゃん! こっちだ!」

 トワイライトの呼び掛けにすぐさま応え、明はハルの元まで後退する。

 ひとつ、自分の命を守る。ふたつ、後衛のハルとトワイライトを守る。それが明の役割だ。

「やらせないっ!」

 ハルに襲い掛からんとした飛蝮を薙ぎ、心臓を一突きして打ち倒す。次は――左方だ。瞬時に疾駆し、醜い肉塊の下に潜りこんで心臓の位置に刃を突き立てる。確かな手ごたえ。ぐりゅっ、と硬い肉が砕けるまでさし貫いて、一気に引き抜く。汚液を浴びたってどうだっていい。

 ぴっ、と目許の血を拭い、明は次の獲物を屠りにかかる。

「縛!」

 トワイライトが黒縄を手繰り、辺り一帯の魔物どもの動きを止める。

「〈招黎雷〉」

 胡が雷撃を走らせ、次々這い出る飛蝮どもを弱らせていく。明はそこをめがけてひたすら走り、止めをさして回る。

 そうだ。オレは。

 殺す。竜を、龍を。菊理を、オレを殺した竜どものすべてを滅するために。

 そのために生まれ変わった――。

「……抗え、否定せよ、そして汝の母さえ焼き払え――〈軻遇突智カグツチ〉」

 その血を代償としてハルが喚ばわる劫火の化身が闇に解き放たれた。

 巨大な火の神は燃えさかる炎の腕で蛭どもを叩き潰し、蛟に掴みかかった。

 じゅぅううううううううっ……というおぞましい音と煙をたて、羽交い絞めにされた蛟の体表が焼けていく。

『壓壓壓オオオオオオオオオオオオオオオオ壓オオオオオオオオオオオッ、堊壓壓オオオオオオオオオオオオオオオオ壓壓オオオオオオオオオオオオオオオオ壓オオオオオオオオオオオォォォォ』

 蛟がのたうち、なんとか逃れようと激しく暴れる。

 五メートルを超す大蛇が跳ね、空洞が激しく揺れる。岩壁が崩れ、鍾乳洞の柱がいくつも倒れた。

「ハル、トワイライト、胡の結界に退避して! 飛蝮どもはわたしがひきうけるから!」

 後方の天井には方解石からなる石柱が多く集まっている。危険を冒して後方に留まるよりも、胡のいる中央まで二人を逃したほうがいい――。

 素早く判断を下すと、明も駆けだし、胡たちの周囲の蛭どもを切り払う。

 貫き、薙いで、切り裂いた。

 頭の芯が熱くてたまらない。でも思考は冷たい。魔物の血を全身に浴びながら、明はひたすらに飛蝮どもを殺し続けた。

 湿った肉の焼ける不快な匂いが空間に満ちている。だが、軻遇突智の炎は弱まって消えかけている。

「むむ……っ、くっ、う……! まだっ、まだ……行ける、のじゃっ!」

 ハルは必死に印を紡ぎ続け、なんとか術を保とうと踏ん張っている。その鼻孔からは薄く血が滲んでいる。にわかに軻遇突智は勢いを取り戻し、大蛇の喉元に食らいついた。

 炎雷が爆ぜ、竜の頸が燃えさかる牙によって喰い破られてゆく。

 やがて白く輝く宝玉のようなものが露出した。

「見えた、逆鱗……! ハル、でかした!」

「あとはボクらに任せて寝ていろっ!」

 ハルが聞き届けた瞬間に軻遇突智がただの炎となって霧散する。ハルの華奢な身体が傾いていき、それを傍にいたトワイライトがそっと支えた。

「は……皆、あとは……任せた、のじゃ……」

 血の気の失せたハルを支え、トワイライトが血濡の呪符を手繰って応急処置を施している。

 それを確認し、明は生き残りの飛蝮を一匹ずつ確実に屠っていく。

 前方では、ついに剥き出しとなった蛟の急所――竜族にとってはいずれもその心臓部である〈逆鱗〉を破壊すべくジャヤとルシャが猛攻を仕掛けていた。

 露出した逆鱗を守るように、蛟が最後の抵抗を始めたのだ。

『怨ォォォッ』

「毒息に触れるな! ジャヤ、おまえが逆鱗を堕とせ――いくぞ!」

「わかってるッ!」

 吼えてジャヤが跳躍し、竜の頸下に刃を振り下ろす。何度も弾き返されては、めげずに攻撃を浴びせ続ける。そこへ蠢く竜の尾部が襲い掛かるが、

「迷多羅式剣術――〈ターンダヴァ〉」

 猫めいた低い姿勢を取っていたルシャの姿が掻き消え、代わりに蛟の尾部――巌のような肉環が散り散りに弾け飛んだ。

 目視が困難なほどの速さで舞うように刀を操り、ルシャが弱体化した竜の肉をさらに削いでいく。

『怨壓オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ壓オオオオオオオオオオオオオオオオ壓オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ壓オオオオオオオオオオオオオオオオ…………ッッッ』

「そろそろうっせえンだよ。貴様は終わりだ、蛟。ジャオアオロンの息子よ」

 軽功を駆使して天井から飛び降りたジャヤの大剣が宝玉を狙って振り下ろされた。もう攻撃を弾く障壁は消えていた。寸分の狂いもない正確無比な一撃が竜の逆鱗を砕いた。

 地底湖空間を鳴動させ、竜の全身が崩れ落ちる。

 どぉぉぉん、と大きな揺れを最後に、蛟はとうとう動かなくなった。

 肺腑を圧迫していた重圧が消え去り、耳が痛いほどの沈黙が訪れる。

 髭をピンと張ったままのルシャテリエライトが辺りを睥睨し、念には念をということなのか、ジャヤは竜の宝玉の欠片を踏み砕く。胡が竜の双眸から光が失せたのを確認し、その様子をトワイライトに支えられたまま、ハルが心配そうに見守っている。

 魔物どもの血肉に塗れたまま、明は立ち尽くすのみだ。皆、最後まで気を抜いていない。

 ……これが屠龍。

 これが、竜を殺すということなのか。

 血と汗で滑る剣の柄を、それでもぎゅっと握りしめる。己が往く道の重さを噛み締めるように。

「アキラ。なんて顔をしておる。我らは勝ったのじゃよ? さあ、笑え。それが屠龍師としてのたしなみで、竜への最後の餞じゃ」

 ハルが明に手を伸べて、淡く微笑んだ。

 明も彼女の手を取り――

 だから、その横合いから襲いくる巨大な飛蝮に気がつくのが、ほんの一瞬だけ遅れた。

「ハルっ……!」

 咄嗟に華奢な体を突きとばし、奴の間合いから押し出す。

 弾かれるようにして後方に倒れていくハルの表情が驚愕と恐怖にひきつっている。何かを叫ぼうとして、でも間にあわないみたいだ。

 それでいい。助けられるのなら何だって良かった。もう少女の体が無惨に喰い千切られるのは見たくない。

 あの優しくて可愛らしいハルが、菊理のように何百もの肉塊となって弾け飛ぶさまなんて見たくない。

 禍々しい口腔――肉を裂き、噛み砕くために奥の奥まで幾重にも重なり合う形で生えた牙が明を捕えようとした刹那、

「……その女はおれのなンだよ、クソ蛆野郎」

 漆黒。黄昏色の髪が眼前で揺らめく。

 たしかな温もりが明の体を包み込み、衝撃から庇ってくれていた。

 そして、明は。

 抱かれ慣れた体から半身が引き千切られるのを見た。




 第四話 了


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