第15話 銀月迷宮攻略 〈4〉

 

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「もう目を開けて良いですよ、アキラ」

 背中にそっと小さな手が触れ、目を開けると同時に明は胡に助け起こされていた。

「あ……」

「御覧の通り、魔物は全てハルの術で焼き払われました。ここでの戦闘はひとまず終了です」

 眼前に広がっていたのは、想像の斜め上を行く凄惨な光景だった。

 黒く焼け爛れ、地面に焦げついているのは……あの巨大蛭どもの死骸か。

 探索者たちの亡骸も同様に炭化し、殆どが焼けて消失してしまっている。

 奥に広がる地底湖は煮え立ち、奇妙な匂いを放つ汚泥と化していた。

「アー、オマエどうすんのコレェ。毎回地形とか変えるし、辺り一面不毛地帯にするしィ」

「むぅ。でも、魔物は全滅したのぢゃよ? これでいいのじゃ! これが一流魔術師としての妾の力じゃ。えーと……そういうことじゃろ? な?」

「なァんで最後だけ自信なさげなんだよ」

 トワイライトとハルは無事なようだ。

 術を使ったハルを抱えてその様子を検分しつつ、トワイライトがいつものように軽口を叩き、ハルがそれに噛みついている。

 魔術の行使によるハルの疲労は今のところ重くはないようだった。

「皆、無事か」

 ルシャテリエライトとジャヤが戻ってきて、一同の様子を見渡す。

 ルシャは明の様子に目を留めると、その場に屈みこみ、足の怪我の様子を検めた。

「痛むか? アキラ」

「あ……忘れてた。けど、聞かれたら痛くなってきた」

 怪我のことを忘れていたのは本当だった。ただし、今はものすごく痛む。

 明は苦痛混じりの笑みをルシャに向けた。ルシャも困ったように苦笑したが、明の脛に既に呪符が貼りついているのをみると、すっと頷いてみせた。

「治癒の呪符が馴染んでいるな。応急処置は済んでいるようだが……トワイライト」

「分かってるよォ。見せてみな」

 ハルの治療を終えたトワイライトが歩いて来て屈みこみ、明の足を優しく持ちあげた。

「っ……さっきの呪符でだいぶマシになった。なんともない、から」

「まァた、強がっちゃってェ。アキラちゃん、これから先もまだあるんだから素直におれに任せなさいって。ちょっと痛むが、耐えられるよな?」

 言うが早いか、トワイライトは明の傷に新たな呪符をあて、手を触れた。掴まれた箇所が燃えるように痛い。が、たぶん骨まで傷は達していないということも分かった。

「――急急如律令!」

 トワイライトの黒い外套がはためき、幾枚もの呪符が舞い、明の足を何重にも包み込む。

 医療用の呪符なのだろうが、それらが明の傷を覆い、新たな皮下組織として馴染んでいく。その光景はおぞましくもあり、不思議と美しくもあった。

「骨までは達してないから、こうして新たな皮膚を形成するだけで事足りるだろう。なァに、五分もかからないよ」

「……オレが未熟だから。その、……悪い」

「なになにィ。アキラちゃん、弱気ィ? さっきは巨大蛭どもをあれだけぶっ殺してまわってたってのにィ?」

 ……でも、あの時もっと早く判断を下して動いていれば。こうして怪我をして足をひっぱることもなかったのだ。

「……わたしの判断が甘かった。ごめんなさい、みんな。迷惑をかけた」

 明がそういうと、ルシャは首を横に振った。

「アキラ。おまえは迷宮探索での実戦はほぼ初めてだったな。それでここまで立ち回れるのは、正直嬉しい誤算だよ。飛蝮を二体も屠るとは上出来だ。それに、最後はしっかり周囲をみて立ちまわっていたではないか」

「……そんなこと、ない」

 明としてはただ夢中で走って、動いて、戦っただけだった。

 初めてのパーティ戦を経験して、自分に足りないものがいくつも見えた。場所が場所でなければ、悔しさや恥ずかしさのあまりに涙ぐんでいたかもしれない。

「だから、アキラ。おまえは吾輩やジャヤが前線に出たときには、パーティの目になって動いてほしい。全体のバランスを見通し、戦列が乱れぬよう注意を払ってくれ。遠慮なく指示を飛ばしてくれてかまわない。特に、吾輩とジャヤではカバーできない後方に気を払ってほしい」

「君はまだまだ弱い。だけど、弱いからこそ見える脅威がある。後ろにいる君だから気づくことできる異変もあるかもしれない。謂わば、ルシャは君に副司令塔になってほしいって思っているんだね。嫌かな?」

 いつの間にか隣に立っていたジャヤが、いつものように涼しげに微笑みながら言う。

 明の意思を問うているようでいて、有無を言わせぬ態度だ。

「嫌、じゃないけど……そんなこと……わたしに出来、ますか……?」

「ああ、出来る。出来なくてどうする」

 ルシャは即答し、ジャヤは黙って頷いた。

「アキラにはその素質がある。我らのことを誰より客観的に俯瞰しているのはおまえだろう。アキラは我々のことを殺す為に、よりよく知りたいと願っているのだろう。だからこそ、預ける。吾輩の判断を吟味し、それが正しいのか見極め、正しければより有利な形に戦況を導く。吾輩が間違っていた場合はそれを正してくれ」

 ……預ける。命を。

 自分が奪おうとしているのは彼らの命だ。それなのに、彼らは明にそれを預けるという。

 こんな歪な形で結びつく信頼など、今までに見たことも聞いたこともない。

「メイくん、君の傍には胡もいるし、トワイライトとハルもついている。彼らは彼らの役割を全うしつつ、君を助けてくれる。自分の命を守り、後衛の二人を守ること。これを念頭にいれて、視野を徐々に広げていけばいいんだ。実際、さっきの君は一匹目を仕留めた後、すぐに行動を修正して全体に目を向け始めていた」

 落ち付き払った態度でジャヤが付け足す。

「キミは弱いけど、わるくはないね」

 わるくはない。それはジャヤなりの最大の賛辞に思えた。

 喉の奥がきゅっとしまって、鼻はつんとして。

 些細なことなのに、下手をすれば泣き出してしまいそうだった。それを必死に堪えて、アキラはルシャたちに向かって大きく頷いた。

「……やらせてください。わたしは強くなりたい。もっと、しっかり戦えるように」

「もちろんだ。だから、頼れ。全員の力を信じて委ねろ。そして自分の役割を果たすんだ」

「……はい」

 明の足が癒えたことを確かめると、一同はその場を離れ、迷宮の深淵部を目指して探索を再開した。

 陽炎が湧きたち、瘴気が強さを増している。

 迷宮の奥に巣食う魔物の気配が近づくのを克明に感じながら、明たちは一歩ずつ進んでいった。



 幼竜の巣。それがどんなものか、明はまだ知らない。

 だから、とりあえず現われる巨大蛭やそれが引き連れてくる蠅らしき巨大羽虫の群れを屠りながら迷宮の奥を目指すことのみに集中した。

 眼の前のことからひとつずつ片付けていく。出来ることをやる。それだけを考えた。

 そうやって一度覚悟を決めて動き始めると、だいぶ落ち付いて状況を把握できるようになった。

 先ほどの戦闘の後はハルが魔術を使うまでもないような、小さな集団に遭遇することが何度かあった。

 呪術や魔術の行使にはとんでもない負荷がかかるという。したがって、このパーティの方針はここぞというときにハルとトワイライトの術を温存しておくという形になる。倒すのに火力の必要な強敵や難敵の存在を前提として行動していくということだ。

 その分、明たちが雑魚相手に上手く立ち回る必要がある。役割を与えられることは明にとって、自分がここにいてもいいというある種の安心感をもたらした。

 ルシャ、ジャヤ、胡と明で道を切り開き、何度目かの戦闘を終えた一同は鍾乳洞の片隅に安全圏を確保し、小休止を取ることに決めた。

「あらかた片付いたな」

「はい。開けた空間にはまず魔物がいると考えて間違いなさそうですね」

「……ふむ。地図はどうだ?」

「既存の銀月迷宮の下部、ちょうど空白部分を埋めるように描けていますが、ちょうど真ん中のこの部分をみてください」

 胡が迷宮地図のある部分を指さし、全員がそれを覗きこむ。

「地図……ここだけ避けたみたいに空白のままですね。なんか……きもちわるい」

 明の言葉にジャヤも頷く。

「間違いない。この空白部分に蛟の巣があるね」

「空洞につながる道をみつけたらアタックをかけるということになりますね」

 胡が筆で空白部分を囲って唸る。

「蟻の巣型迷宮のめんどうなところは奥に行くほど道と道が絡みあって複雑になっているところですが……うまく見つかるといいですねぇ」

「分岐が複雑化して手に負えなくなる前におれが式を飛ばしてみるさ」

「頼む」

 そういうやり取りの間にも、トワイライトは図嚢をまさぐって何か小さな包みを取り出している。真紅の包装紙に包まれた何やら四角い箱だ。

 その様子を見たハルが途端に目を輝かせて身を乗り出した。

「それはメリサ・スチュアートの季節限定チョコレートかえ!? おぬしどうやってそれを入手しおった? 妾がツテを辿っても無理だったものを……!」

「商売柄、コネはいくらだってあるんだよねェ。どうだい、喰いたいだろう?」

「このど阿呆! 喰いたいにきまっておろうが! はやく寄こせ」

「あっそ。それじゃあアレだな~、キスしてくれたら喰っ……ん」

 トワイライトが全てを言い終える前に、ハルは熱い口づけをくれていた。見ている明の方が脳髄を蕩かされそうな、妖艶で深い口づけだった。

 女じみた異形の美貌のトワイライトと幼くも妖しげな美少女であるハルが眼前で触れ合う光景はなんだか見ていられないくらいにいかがわしい。

 同時に胸の奥がちりりと疼くが、明にはその痛みの正体がわからなかった。

 深く、しっとりとキスを交わしながら、ハルは緩んだトワイライトの手から菓子の箱を優しく奪い取った。

「ちゅ……んむ……よしっ! いただきなのじゃ!」

 唇を離すと、ハルは早速包みを剥いて中身を取り出しにかかる。箱のふたが開かれ、現われたのは宝石のように輝く高級チョコレートだった。つやつやと光を帯びて、ところどころに艶やかなパイピングが施されている。フルーツやナッツで装飾されているものもあった。

 明も思わず身を乗り出した。

「……きれい。こっちの世界にもパティシエっているんだ。すごいな」

「ったく。なァんでこういうときだけ素直になるかなァ」

 複雑そうな面持ちのトワイライトが嘆くが、誰もそれには構わない。

「わかった。おやつタイムにしよう」

 一同の様子を見まわし、ルシャが深く頷いた。

 すると、胡とジャヤでさえも自分の荷物をまさぐって何かを取り出し始めるではないか。

「こんな場所で……おやつタイム……ですか」

「アキラ。おやつタイムをなめてはいけない。何をするにも集中力が必要だが、肝心のそれを保つのはとても難しいのだ。人間の集中力はもって十五分が限界とも言われている」

「はあ……」

「しかし、こうして細かに休憩を取り、栄養補給をすることで気力や体力を回復させ、探索効率を上げることができる。いいか、集中には甘味だ。甘味が大切なんだ、アキラ」

「は、はい」

「メイくん、ルシャは単純に甘いものが好きなんだよ。はい、干しブドウ。マンゴーの方がいいかな?」

「わっ吾輩は! そんな別に、別にそんなことない……のだぞ?」

「何を今さら動揺しているんですか。そんなこと皆知ってますよ。アキラ、僕からは蓮蓉包を分けてあげますよ」

「アキラもチョコレートを食べるとよいぞ。知っておるか? メリサの店は会員制の秘密営業でな、ごく限られた者しか菓子を購入できぬのじゃよ」

「得意気な顔してるけど、それおれが持ってきたことをわすれンなよ」

 各々が持ち寄った菓子を明に分けてくれる。

 恥ずかしそうな様子のルシャも謎のチューブ状の袋菓子をひと袋手渡してきた。

 聞けば獣人の間では大人気の菓子なのだそうだ。ためしに舐めてみると、シーフードの風味が香るペースト状の飴菓子であった。

 明の脳裏をよぎったのは現世で広く愛用されているペットフードであり、果たしてオレは何を食しているのかなど割と複雑な気分になったのだが、それは黙っておくことにした。

「ごめんなさい……あんまりこういうこと考えてなかったから、その……わたしからお返しできる分をもっていなくて」

「そんなこと気にするものじゃない」

「いいんですよ。お互いできるときに分け合えばそれで丸くおさまります」

「ボクは地上で何か作ってもらえたら嬉しいかな?」

 ジャヤの食欲は旺盛だ。何か奢れといわれるよりはよっぽど楽な提案だった。

 この世界の食文化にはまだ疎いが、材料的な要素を踏まえて簡単にできそうなメニューは何かないだろうか。それでいて、ジャヤの胃袋を満たせるような料理は――。

「それじゃ……今度、ホットケーキを作ってみようと思います。それでよかったら……」

「ホットケーキ、ね。どんなものかは知らないけれど、楽しみにしておくよ」

「や、あの……ただの焼き菓子だから、そんなに過剰に期待されても困るんだけど」

「アキラ。それは吾輩も馳走になってはいけないだろうか?」

 明の背後の壁に手を突いて、真剣な目つきになったルシャが明の瞳を覗きこんでくる。翡翠のような瞳には懇願に近い色が浮かんでいた。

「いけないってことは全然ないです……ないですから、落ちついて」

「妾も明の手料理なら食べてみたいのじゃ。だめかえ?」

「それなら僕もお相伴にあずかりたいですね」

 未知のメニューに目を輝かせたハルと興味津々といった体の胡も乗ってくる。

 驚くことなかれ、このパーティは全員が食に貪欲なのだ。

「そンじゃ、おれンちで昼食会シエスタでも開きますかァ。その際にはアキラちゃんが腕によりをかけて何か作るってことで。材料費はおれが持つ」

「なっ、あ、勝手におまえが決めるなよ!」

「だって、おれんちの台所が必要だろう?」

「だからっておまえが……!」

「ねえ、つくるの? つくらないの?」

 ここでも喰い意地を発揮したのか、ジャヤが短い問いかけでもって圧力をかけてきて、明は屈した。

 蛟退治を終えた暁には、全員に手料理をふるまわなければならないだろう。あっという間にホットケーキレベルでは済まない話になってしまった。

 恥ずかしさと、それによくわからない感情で頬を朱に染め、そっぽをむいて明は小さな声で答えた。

「……お腹、壊しても知りませんからね」



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