第14話 銀月迷宮攻略 〈3〉
15
「これが、
……なんて、昏い。
明は広い空洞の中、いくつも開いた縦穴の一つを見下ろして呟いた。
「そうだ。ここが
明の隣に立ったルシャがそう答えてくれる。
銀月迷宮の地下三階。ここまでは容易に来ることができた。というか、鈍色迷宮と同様、元は銀月迷宮も攻略済とされていた迷宮だ。先達の探索者たちによって切り開かれた道はほとんど安全で、たまに陽炎や黒甲虫と呼ばれるほぼ無害な蟲々が暗がりに蠢いているだけだった。
そして、明たちが今いる地点が空洞と呼ばれる真の深淵への入り口部分だ。巨大な岩盤に複数の縦穴が口を開けているフロア。それぞれの縦穴が異なるルートを介して深部へと続く蟻の巣型の迷宮が銀月迷宮の全貌――だったのだが。
「新領域発見の報せを聞いたのは、ちょうどアキラがジャヤさんと初めて事務所に来た日でしたね。ともかく、あの日、新たな領域に続く縦穴が忽然と姿を現したそうなのですよ」
「岩盤の一部が崩落し、突如として入り口が現われたという話じゃったの?」
「ジャオアオロンによって隠されていた洞穴、か」
「……それが、この先の空間なんですね」
そう言って、明は自分たちの脚元に穿たれた穴を見つめた。
けっこう深い。まずは歩くことができる箇所まで降りてから探索を始めなければならないだろう。
「灯りは僕が。〈狐火〉」
ぽう、と灯った蒼い燐光が明たちの周囲を照らし出す。
狐狸精としての力を使い、胡が灯してくれた光が闇の底をおぼろげに映した。
「ん……思ったよりは深くないね。ハルが〈浮遊〉を使うまでもない」
「それじゃあ、どうやって……ぅわっ!?」
「行こう」
訝る明の体をルシャが抱え、縦穴へと飛び込んだ。
落ちる――明は咄嗟に目をつぶり、身構えて衝撃に備えた。
だが、おとずれたのは衝撃とは全く異なる感覚だった。風がふわりと優しく頬を撫ぜる。恐るおそる目を開けば、ルシャに抱えられたまま、明は宙を高く跳んでいた。
ところどころ突き出た岩盤を足場にしながら、ルシャたちは縦穴を下に向かって身軽に跳んでいくではないか。
「軽功だ。アキラ」
「……え?」
「軽身功ともいう。修行を積めばこの程度の動き、容易にできるようになる。高く跳び、水面や枝葉の上、壁面さえ簡単に渡れるようになる」
「そんなことが……?」
「ああ。必ずできる」
俄かには信じがたいが、内家功夫――内功を鍛えればこのようなことも可能になるのかもしれない。体の中を巡る気の流れを自由に操ることさえできれば――。
「ついたぞ」
明が考えを巡らせている間に、ルシャは縦穴の底に着地していた。
ついでトワイライトを抱えたジャヤ、胡、ハルもそれぞれ着地する。
「くぅ、判断を誤った……先に跳べばよかったのじゃ」
「大丈夫、僕は後ろを向いたりはしませんでしたよ」
「ごめんね。一応、心配だったから振り返ったんだ。でも大丈夫。何も履いていなくてもハルは魔術師なんだから当たり前さ。それに、いつも通りちゃんとつるつるで絶景だったよ?」
「うぅっ……あとで覚えておれよ、ジャヤ」
さりげなく爆弾を残すなよ、ジャヤ。
脳内でツッコミをいれつつ、明はそっとハルの方をみた。
ハルは何も履いていない。それに、つるつる。いや、つるつるなのはもう知っているけれど。
ごくり、と明の喉がなった。おもわず向けた視線がハルとかちあってしまい、あわてて逸らすも時既に遅し。ハルの怨念めいた視線を感じながら、躊躇いがちにルシャを見る。
やれやれ、と軽く眉間を押さえていた彼女はそれで気を取り直したらしい。
「お遊びはここまでだ。ここより先は件の新領域。各々気を引き締めてかかれ」
ルシャの号令にそれぞれが軽く相槌を打ち、一行は闇の奥――そこに潜む蛟の討伐を目標として歩きだした。
銀月迷宮新領域、通称〈
本格的な洞窟であるという点もそうだが、確かに根付く魔物どもの息遣いを感じる――その点で大きく違っているのだ。
それに、奥底に渦巻く陰気――何者かの強い気配を確かに感じる。
明にも分かるくらい、強大な力をもつ何かがこの奥に巣食っている。
トワイライトは途中から目覚めていたらしい。わざと運ばれるがままになるという横着をしていたが、ジャヤに見破られて地面に放り捨てられていた。
その後は文句をいうこともなく黙って歩き続けている。呪医という後衛職のわりに健脚で、途中ハルを助けながら後方についていた。
道中、探索者が残したと思しき血痕や装備品の残骸、欠損した肉体の一部が散らばっている箇所がいくつかあった。
蒼黒い岩盤に囲まれた空間には、水の滴る音がひっきりなしに響き渡っている。
不気味というよりはどこか不快だ。
人間を閉所に閉じ込め、水の滴る音だけをひたすらに聞かせるという拷問方法が存在するらしいが、おそらく本当に効果があるのだろう。実際そう思えるような閉鎖環境がここに実在するのだから。
銀月迷宮は曲がりくねった道と巨大な空間が複雑に組み合わさった蟻の巣型の迷宮だというが、それに連なるこの領域――〈顎〉もそうらしい。
今のところは複雑な形の一本道を進んでいるが、先がどうなっているのかは明たちにはわからない。
と、鼻をくんくんとひくつかせ、何かに気がついた様子の胡が口を開いた。
「……空気の流れが変わりました。直進すれば少し開けた空間に出ますが」
「いるよ。気配がする。複数いるはずだ。陰気が溜まって渦を巻いている」
不穏なジャヤの言葉に、ルシャも頷き、
「倒して先に進む。それだけだ。各々備えろ。行くぞ」
ルシャとジャヤが先頭に立ち、そのあとに胡と明、ハル、トワイライトと続く。
……戦闘になる。
腹の底がせり上がるような圧迫感が湧いてくる。脚が竦む。武者震いだと思いたいが、ちがう。
こわい。こわくてたまらない。死んでしまうかもしれない。転生できるとしても、関係ない。こわいものはこわい。
「怖いよねェ、アキラちゃん」
震えを隠せていないのか、それとも明の内心の動揺を見抜いたのか、背後のトワイライトが囁きかけてくる。
この男はこんなときまで人をからかう気なのか。
明は振り返り、トワイライトを睨めつけた。
「悪いか。どうせオレはまともに戦えもしない足手まとい――」
「おれは怖いよ」
「……は? おまえが? 何言ってんだよ」
トワイライトの口からそんな言葉が出るとは全く想像していなかった。からかっている風でもない。トワイライトは前にいる全員の姿を見渡して言う。
「ルシャテリエは的確な判断を下す司令塔だが、仲間を思うあまり自分を顧みないところがある。ジャヤはあの通り、クソ強いがバランス最悪でね。暴力の権化というか、他者が自分より弱いということが根本的に理解できないのさ。だから放っとくと孤立する。奴には全体を外から見てくれる目が必要だ。胡は器用で攻守とも任せることができる。反面、持久力に足らないところがあるし、ハルは強力な魔術を使うが紙同然の装備な上、詠唱の時間が必要だ。誰がいつ怪我をしても――死んでもおかしくはない。そうしたら戦列は崩壊する」
「それは……でも、そうならないために呪医のおまえがいるんだろうが」
「ですよねェ。でも、呪医術が上手く効かなかったら? 治療が間に合わなかったら? 魂魄が壊れるほどのダメージを喰らったらどうなる? おれに治せねえモンは殆どないが、それでも万が一ってこともある。本当は誰ひとり怪我をしないのが理想なんだがねェ。だが、もちろんそうはいかない。それを考えると、いつも死ぬほど怖くなるのさ」
「……それ、は……」
「けど、だから戦うんだよ」
死にたくない。死なせたくない。でも、だからこそ。だからこそ、戦うんだ。
トワイライトの言わんとすることが明にもしっかりと伝わった。
そうだ。死にたくない。死なせたくない。まだ生きていたい。だから――。
「……おい」
「ン?」
「……オレの仕事はふたつだと言われた。ひとつ目は死なないこと。自分の命を守りきること。もうひとつは、ハルと……あと、おまえを守ることだ。上手くやれるかは分からない。けど、精一杯やるから……だから、おまえは安心してみんなを救えばいい」
不思議と体の震えが止んだ。
いける。これなら戦える。体は明の思う通りに動くだろう。心の底から恐怖とは別の何か、温かいものが湧きあがってくる。明は前を向いた。
「アキラちゃん、今日はかわいカッコいいこというじゃん?」
背後でいつもの様子のトワイライトが茶々をいれてくるが、それだけだった。
武器を構え、あるいは詠唱を始めながら、一同は開けた空間に踏み込む。
蒼銀色に輝く鍾乳洞。
明たちが足を踏み入れたのは、蠢く生き物のような奇妙な鍾乳石が天井や床から突き出した空洞だった。半分ほどが水の浸食した池になっている。
生臭く粘ついた腐臭が漂う空間には、探索者と思しき遺骸が数体転がっていた。
「あの人たちは……もう助けられないんですか」
「無理だ。見ろ、アキラ――くるぞ」
何かに喰い破られ、血の気の失せた探索者の亡骸が、動いた気がした。
否、気のせいではない。
「ひ……っ」
水中に半身を隠し、探索者を貪っていたそれが姿を現した瞬間に、明は思わず小さな呻き声をあげていた。
赤白蒼色――どす黒い肉色の巨大な蛭が、血を吸って太りきった体を揺らして身をもたげた。
ゆうに三メートルを超すであろう体躯は大蛇のようで、てろてろと粘液を帯びて鈍く光っている。更に醜悪なことに、口腔があるべき部分は人の顔をしており、それが――
『Kyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy……!!』
――赤子のような金切り声を上げた。
『Kyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy……!!』
その叫び声に呼応するように、水中から、あるいは岸壁の隙間から巨大蛭どもが集まってくる。
肉を嬲り血を吸い尽くした獲物から、活きのいい肉である明たちに標的を移したのだ。
「あれが
殺戮者――屠龍師の顔になったジャヤが言う。
「まったく、面白がっている場合ですか」
「ジャヤ、行くぞ! あいつに触れるなよ、アキラ。皮膚が灼けるぞ」
言うが早いか、ジャヤとルシャが地を駆ける。
『Kyyyyyyyyyyy!』
『GMRYUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!!』
二匹の巨大蛭が前衛の二人に襲い掛かる。
「――させぬ」
剣戟一閃。
身を翻し、大地を踏みしめたルシャの黒い剣筋が赤白蒼色の肉をすっぱりと切り裂いた。
そのまま刀が振るわれ続け、一匹目の蛭が八つ裂きになるまで切り刻まれた。すべては瞬きひとつの間の出来事。
そして、その間にジャヤもまた魔物を屠っていた。人面の喉を一突きにし、そのまま尾部までを抉るように剣を突き込み、引き抜いて、次の獲物めがけて突進していく。
二人ともまだ本気をだしていない。なのに、ものすごく強い。ずっと見ていたい。素直にそう思ったが、そうもいかない。
なぜなら――
『GMRYUUUUU……!!』
汚液を撒き散らしながら、三頭の巨大蛭が明たちを囲むように接近していた。体格あるいは気配から前衛の二人に劣る明たちをより弱い獲物だと認識し、標的を定めたのだ。
「来ますよ、アキラ」
「……はい」
二人の背後では詠唱を始め、集中状態に入ったハルを守るようにトワイライトがブレードを構えて立ち塞がっている。
「〈招雷〉!」
胡が呪符を飛ばし、それを合図に明も駆けだした。
やれる、やれる、やれる。
自己暗示だって神頼みだってなんだっていい。
オレにもできる。そう信じなくてどうする。
「るぁあぁっ!」
短剣を引き抜き、巨大蛭の顔面――人面めがけて飛びかかる。胡が呼ばわった雷撃が炸裂するのとほぼ同時、明は巨大蛭の眉間めがけて短剣を突き刺した。
――浅い!
感触がわずかに足らない。手応えが十分ではない。
『GMRYUUUUU……! MRRYUUUUUUUUUUUU!!』
暴れ出す蛭に取りついたまま、短剣から手を離さず、徐々に力を込めていく。
「……ぐっ、そ! てめっ、は、死ねっ! 死ねッ、死ねッ、死ねぇっ!」
みぢりみぢりと肉か何かが破れ、体液が吹き出して明の頬や額を汚す。
そんなことはおかまないなしにより深く突き刺していく。もっと、もっとだ。
もっと深く、そうじゃなくちゃ届かない。奪う。命を。
そのためには、もっと深く。
必死だった。守ること。生き残ること。それだけを考えて、考えて、考えて――
「アキラちゃん! そいつはもう死んでる。胡を手伝え!」
「あ……」
血と体液に塗れた手元。短剣は巨大蛭の脳髄を突き破り、その息の根を止めていた。
だめだ。必死すぎて冷静さを欠いては。もっと全体を見て動かないと……!
「わかった!」
すぐ傍ではトワイライトの手繰る黒縄が他の二匹の動きを止めていた。胡の雷撃が炸裂し、巨大蛭どもの生命力を削り続けている。ならば、トドメをさすことが明の役目だ。
素早く駆けぬけ、次の一体に肉薄する。
明は、今度は目を閉じて相手を〈視た〉。
眉間――というか、頭では硬くてだめだ。もっと他に急所があるはず――。
蒼くぼんやりと光る線を辿る。明が視ることのできる気の流れのようなもの。もっとはっきり見えればいいが、今はこれで十分だ。肉塊の奥で脈打つ臓腑が目に入る。
「そこかっ!」
身をもたげた蛭の下に滑り込む形でスライディングし、刃を突きだす。心臓らしき急所の位置を狙った刺突。赤白蒼色の肉にすっと刃がめり込んでいく。
『Kyyyyyyyyyyy……!?』
巨大蛭がおぞましい悲鳴を上げて暴れ出す。汚液に塗れた尾が明の脛に絡みついた。瞬間、灼熱の痛みに視野が狭窄する。
「ぃぎっ、あ……っ!」
――やつに触れるな。
ルシャは皮膚が灼けると忠告していたが、これか。
耐えがたい痛みに目が眩む。それでも……それがなんだ。オレはもっとひどい悪夢を経験している。
「く、た……ばれっ、畜生!」
飛蝮の心臓を明の刃が捉えた。瞬間、ひどい金切り声を上げ、巨大蛭は息絶えた。
その体に押し潰される前に何とか抜けだし、次を狙って走り出す。足がものすごく痛んだが、その感覚がおそろしく遠かった。脳内物質が明を暴れ回らせている。
背後からトワイライトが飛ばした呪符が足の火傷を包みこみ、皮膚として溶け込んでいく。
こんな芸当も可能なのか、と頭の冷静な部分で感心しながら明は次の獲物に斬りかかる。
その時だった。
「全員、退避!」
トワイライトの鋼の声が響き、それに反応したルシャとジャヤが素早く獲物から間合いを取った。
胡が明をかっさらうように押し倒す。ハルの術が完成したのだ。
明はわずかに頭をもたげて、彼女が魔術を使う様子を注視した。
「……喬答摩種獣猊頷、無畏猶如師子王」
その凛とした呼ばわりが、凪いだ湖面に一滴を落とす。
波紋が広がっていくように、魔力が――ハルの力が高まっていくのが分かる。
ハルの全身にはルミナスブルーに淡く輝く不思議な紋様が浮き上がっている。明の目にはそれが魔術を使うために彫り込まれた刺青のように映えた。
「火炎を司りし汝の力、我が前に降り来てしめせ」
星々の如き眩い光が溢れ、明たちのいる空間を満たしていく。
来る――と明は直感し、半ば反射的に目をつぶっていた。こうしないと目を灼かれかねない。そう思ったからだ。
「参れ、〈
……音もなく、ただ目蓋ごしにも分かる激しい光が弾け、炸裂する。
灼熱の劫火が迫りくる巨大蛭ども――そのすべてを焼き尽くした。
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