第11話 鈍色炭鉱 〈2〉

 

 §


「なにそれ、新手の通り魔ァ? これだからおれは地下迷宮が嫌いなンだよねェ。おっかないし、探索者はきしょいやつばっかだし、むしろ臭いし、毒やら外傷ばっかでおもしれぇ手術はできんし、なにより地上の患者相手ならボロ儲け確定だしィ?」

 夜半。

 いつも通り夜這いにやってきたトワイライトは、明の夜着を引き剥がして仰天した。

 それから治療セットを運んで来て処置を済ませると、今度は蒸しタオルで明の体を丁寧に拭き始めた。

 いつもの艶めかしい触れ方ではなく、優しくてそれでいて淡泊な手つきで明の腕と背中を擦っていく。清拭というマッサージ効果もあるこの行為は、こわばった明の心身を幾分か和らげた。

 明は帰宅したきり自室に引きこもり、怪我の治療はおろか、食事も取らずに寝てしまった。殆ど不貞寝だったが、全身がぎしぎしと鈍く痛み、浅い眠りを貪るだけだった。

 だから今、こうした形で寝込みを襲いにきた相手に看護されているのは不服中の不服だ。

 けれど、それでも自分の治療を任せ、断片的にでも事情を話してしまったのは、やはりこの男に絆され甘えているからだろうか。

 正体不明の女に突きつけられた言葉が、明の心に重く圧し掛かっていた。

「……それで……心当たり、ないの」

「ないなァ。だいたいおれのことを知ってる口ぶりだったっつーけどォ、おれはそんな変態さんと仲良くした覚えはないしィ?」

「……なら、いい」

 明はそう言い捨てたきり黙りこんだ。黙りこむしかなかった。

 そのまま体を拭かれるのにまかせた。触れられた箇所が温かく、じんわりと血が通い始める感覚に何度か涙が出そうになった。

 トワイライトも今夜に限っては余計なことを言おうとはしなかった。

 ふたりきりの室内には沈黙と時折風に混じる外の喧噪だけが降り積もった。

「はい、終わりィ。服着ていいよ、アキラちゃん」

 処置を追えると、トワイライトは明とは反対側に腰掛けて白衣のポケットをまさぐる。どうやら煙草を探しているらしい。オレの部屋で吸うなと言いたかったが、今の明にはその気力も湧かない。煙草を見つけたトワイライトが優雅な仕草で火をつける。

 寝台の上。トワイライトが煙草をふかしながら「まァた難儀だねェ」と言った。返事は期待していないようだ。独り言かもしれない。それとももしかしたら――九十九パーセントないだろうが、気を使っているのかも……。

 どす黒い何かがまだ腹の底に渦を巻いている気がした。

 吐き出してしまいたいのに、出て行ってくれなくて、苦しい。

 泣き出してしまいそうなくらい、痛い。

 女。愚かな婢女。

 ……ただ甘えているだけ、与えられるだけの、自ら奪おうともしない女。

 否定など、できるわけがなかった。全部あいつの言った通りだ。

 でも、オレは。

 オレは少皓明ましろあきらだ。まだ――まだ、その筈だ。

 それなのに、気持ちがぐらぐらして、足元から自分が崩れていきそうだった。

 オレは、誰だ……?

「……おい」

「ン。なに、アキラちゃん――」

 振り返ったトワイライトが僅かに目を瞠る。

 明は患者着をすべて脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿のままでトワイライトの前に身体を晒していた。

「オレはどう見える? 肉か? 女か?」

「……どうって、アキラちゃんはアキラちゃんだと思うけどねェ?」

 トワイライトは動じなかった。いつもと変わらぬ皮肉っぽい微笑みを浮かべたまま、そう答えた。

 気に入らなかった。嘘をつくな、とも思った。毎晩オレを抱くのはオレをてめえの女だと思っているからだろう――あるいは所有物かなにかか。いずれにしろ、ひどく腹が立った。それ以上に哀しくて堪らなかった。

「今の形にオレを造り変えて生まれ変わらせたのはおまえだろ。アキラって、そう呼んでいても所詮この体はオレの知らない女のものだ。だけど、おまえはこの体を抱きたいんだろ? だったら望み通りにしてやるだけだ」

 言うが早いか、明はトワイライトの上に跨ると、腰のベルトに手を掛けた。乱暴に金具を外してしまうと、腰帯を解きにかかる。

「ちょっと、なに。これってどういう趣向なわけ?」

「まだクチでしたことはなかったよな? 咥えてやるよ」

「アキラちゃん、――ッ!?」

 手指を添えてしごきながら、何度も口づけ、時間をかけて舌を絡ませてゆき、次第に硬く反り返りはじめた竿の先端をぬるりと口に含む。

「ふッ……、ちょ、っと、たんま。だめ、だって」

「ん、っく……説得力、ないんだよ」

 少女の小さな口でそれをするのは少し難しくて、明の動作も覚束ないものになる。

 トワイライトは明にこれをさせたことは一度も無かった。明が頑として嫌がったこともあるが、敢えて強制させることもしなかった。理由など知る由もない。

「ッ……アキラちゃん、やめた、ほうが、身の為、だよ?」

「……うるはい」

 とにかくこの体を痛めつけたかった。

 それもなるべく無惨なやり方で、刻みつけるように。明は傷を欲していた。

 痛み。恐怖。屈辱。それでしか、明にはもう自分を認識する術がなくなっていた。

 咥えこんだ竿を唇と舌で刺激しつつ、手を使ってしごきあげる。

「ちょっと、悪戯がすぎる、ぜ。悪い子、だなァッ?」

 と――後ろ頭に回されていた手が無理やり明を引き寄せ、喉の奥まで突きこんでくる。もう片方の手が明の首を絞めた。

「――ッげぇっ」

 喉を塞がれ、堪らず咽かえった明は唇を離し、激しく咳き込んだ。

 生理的な涙がこぼれて、狭窄した視界を滲ませた。頭を押さえていた手が離れて、くず折れた明を支えた。

「おれを使って自傷行為をしようとするほうが悪いンだよ、アキラちゃん」

 咳き込む明の背をさすりながら、トワイライトがいつもと変わらぬ声音で言うのが聞こえた。

「たしかにおれはおれの都合でアキラちゃんをその体に造り変えて転生させた。その姿が、その肉体がおれはたまらなく好きなんだよ。同時に壊したいとも思う。早く殺しあえたら、いっそ一番いいのかもしれないねェ」

「……だった、ら……好きに、すれば……いいだろ……」

「でもねぇ、転生者の魂魄までを弄ることはおれにはできない。だから、こちら側の世界に来ても壊れず残ったアキラちゃんの心はアキラちゃんだけのものなのさァ。それもひっくるめて今のアキラちゃんを苛めるのが、おれはひどく楽しいんだよ」

 ……明だけの心。魂。それだけはこの世界に来ても残されている。

 次から次へと零れる涙は次第に温かみを帯び、咳が止んでも止まらなくて、どうしようもなく――。

 明は声を上げて泣き出していた。

「オレはっ……だって……もう、オレには……なにも、なにもない、のに……っ」

「だけど、今のアキラちゃんにはおれがいるだろう?」

「ばかっ……おまえ、なんか、……オレは、大嫌い、なのに……」

「きみがどうしようと、おれはずっと傍にいる。約束するよ」

 涙に濡れた両の頬に手を添え、トワイライトは明の額に自らの額をくっつけてきた。黄昏色の美貌が眼前に広がった。泣いていても、この男の相貌だけはなぜだかはっきりと視えていた。

 燃えるプレシャスオパールのような瞳が、色を変えながら明を真っ直ぐに見つめている。

「やっぱり思うんだけど、アキラちゃんの泣いてる顔、すごくかわいいよなァ?」

 泣きやまない明を、トワイライトはいつものように組み敷いた。先ほどの愛撫で既に昂っていた剛直で明の秘所を貫いていく。

「う、ぁあッ、あぁッ!」

 トワイライトは明の小さな尻を掴み、突き入れた硬い肉に柔らかな肉を擦りつけるように揉みしだく。

 まだ十分に濡れていないところを突き入れられ、引き抜かれる。痛みと、それとは異なる感覚が明の背筋を抜けていく。

「っぐ、ひぁあッ」

 手荒な抱き方だった。けれど、それは明が望むとおりの行為に他ならなかった。手酷く傷つけ、刻み込んでほしかった。明がこの世界に生きている証拠を。

「……ひっ、い、ッ……痛い、ッ……い、たい……ッ」

「じゃ、やめとく?」

「……や、だっ……もっと、おれの中、入って、もっと……もっ、と、痛く、して」

 明は自分を穢す男に全身で縋りついて抱きすくめた。トワイライトが動き、明の内部が潤ってくると、抽挿のペースも変わり、なかを搔きまわすように押し込まれる。明は自分の泣き声が次第に甘い悲鳴に変わっていくのを感じながら、トワイライトの腰に自らの腰を絡ませていった。

 自分の胎の奥底に刻み込まれていく感覚。その甘い痛みが愛しく思えた。


 §


 次の日から、まったく新しい修行が始まった。

「明日また来る」と告げた女は本当に次の日も鈍色迷宮にやってきた。

 そして明をまた打ち負かして去っていった。女はやはり「また来る」と言った。

 明に諦めるつもりなどはもうなかった。次の日も出掛け、女にのされてはまた出直すということを繰り返した。朝と夜、基礎訓練を行うのも忘れなかった。

 館に働きにゆくと、さすがに心配しはじめていたハルが介抱してくれることがしばしばあった。明はいつも大抵ぼろぼろだった。

 ジャヤにも心当たりはないようで「妙な人もいるものだね」とだけ言って、彼は彼でいつも通りの指導を行うだけだった。その代わり、炭鉱跡地にジャヤが現われることはなくなった。

 自分の力でなんとかしたいという明の想いを汲んでくれたのだろう。

 もっとも、それはどうやら女のほうに明を殺すつもりがないことを知っての判断なのだろうが。

 そして、女が初めて現われてから四十二日目。

「懲りないやつだ。その心意気すら虫唾が走る。さっさとかかってくるがいい」

 漆黒の刃――脇差という比較的小型の刀だということが最近分かったが――を抜き払った女が明の前に立ちはだかる。

 明は臍下丹田に集中させた気をおさめたまま、女と真っ直ぐに向き合った。

 短剣を抜き、構える。そして〈視る〉――と同時に駆けだした。

 一瞬の永遠。

 一歩ごとに空間を踏み越え、視界に薄ぼんやりと浮かび上がる蒼い線を辿る。気の流れ――もっとアバウトな捉え方をすれば運命の流れというものが明には〈視える〉。それを手繰り寄せるように間合いを詰めて、女の懐に飛び込む。

 突き出される刃、その刀身に身を滑らせるように躱し――さすがに肝が冷えたが――一気に気を集中させる。

 一撃で決める。それしかない。ただそれだけだ。

「――喀ッ」

 紫電一閃。

 確かな手ごたえがあった。同時に、女のガスマスクに亀裂が走り、かしゃん、と音を立てて砕けた仮面が地に落ちた。

「一月半、か」

 マスクが外れ、聞こえた声は明瞭で、少し低いが凛と響く綺麗な声だった。

「吾輩はこの時を待ちわびていたぞ、アキラ=マシロ」

 果たして、女は獣人だった。

 猫頭人身。ガスマスクが割れ落ちた今、艶やかな灰蒼色の毛並みに長い髭、凛々しい眉が印象的な野生の美貌が露にされていた。

 尖った猫耳はぴんと伸びて上を向いており、茶色味をおびた翠玉の瞳が明をまっすぐに見つめていた。

「吾輩はルシャテリエライト。竜胆ロンダン党の一員で、龍討伐事務所〈紅燈籠ホンタンロン〉の所長である。アキラ、あなたへの数々の非礼をお詫びしたい」

 最初に明に放った言葉などまるで結びつかないような恭しい態度だった。

「え……は? えと、あの、これ……どういう……?」

「ジャヤ、そろそろ出てきたらどうなのだ」

 呼び掛けに応じ、坑道の暗がりからジャヤが姿を現す。笑っている。笑っているように見える、それだけだが。いつもの通りにさらりとした顔でそこに立っている。

「お師匠、さま……?」

「メイくん、おめでとう。これで初歩の修行はすべて終えたね」

 ジャヤは明の頭にぽん、と手をのせ、いつものさわやかな笑顔で告げた。と、その横面をルシャテリエライトの拳が思い切り打ち抜いた。

「ちがうだろうがっ! さっさと状況を説明してやらんか、ヴォケ!」

「えぶしっ!? ごめんねぶごふっ!?」

 笑顔のまま往復で殴打されているジャヤがおそろしい。

「えと……もしかして、お師匠さまはわたしの修行をあらかじめ頼んでいたのですか? わたしには、黙って……」

 なんとなく事態を理解した明が問うと、殴られた頬をなでながらジャヤが答える。

「だって、前もって説明したら修行の意味がないもの。メイくんが自分の力で基礎から一歩踏み出してくれることがボクらの目的だったんだから。だいたい基礎訓練だけして、大人しく陽炎を斬っていれば屠龍師に近づける……と、本当にそう思っていたのかい?」

 鼻血を垂らしても笑顔のままのジャヤが首を傾げてみせた。こわい。

 ルシャテリエライトはただ頷いてみせるのみ。

「……それは。でも」

「だからね、頃合いをみて所長に頼んで君を次のステップに進ませることにしたんだよ」

「では、みんなもこのことを知っていたのですか」

「うん? もちろん。トワイライトもハルもね」

 戦闘を終えても生白いままだった明の頬がみるみるうちに赤く染まっていく。

 ……オレは何をした?

 ハルにも、あのトワイライトにもさんざん弱みを見せてしまった。というか、トワイライト相手に演じたあの痴態はなんだったというのか。

「早く帰って殴って忘れさせなくちゃ。五、六回渾身の全身の力を込めて殴れば記憶が飛ぶはず……飛んでしまうはず……」

「メイくん? メイくん……?」

「あ、は、ひゃい……」

「そんなに驚くこともないだろう。だいたい、吾輩とあなたは既に会っているのだぞ?」

「え? そんな、どこで――」

 と、急速に記憶が甦る。

 ジャオアオロンとの再交戦があったあの日。ジャヤたちが屠龍機で交信していた相手だ。地上から指示を出していた声は確かに眼前のルシャテリエライトのものだった。彼女もあの場に居合わせたのだ。おそらくは、屠龍機に乗っていたのだろうが。

 なぜもっと早く気がつかなかったのだろう。いや、気づくだけの余裕がないほどに、明はこれまで懸命に戦っていたのだ。

「アキラ。吾輩もあの場で龍を逃してしまった一員だ。あなたの転生の原因をつくってしまったこと、深く悔いている。だから、吾輩もあなたが屠龍師になれるよう手を貸したい。吾輩もまた、あなたの望みを肯定する」

 手袋を取り、素手になったルシャテリエライトが明に手を差し伸べた。

「以前告げた通り、許してくれとは言わない。あなたが一人前の屠龍師として成長した暁には、殺し合おう。だから、今はこれでいいだろうか?」

 差し出された獣人の手――艶やかな毛並みに覆われた猫の手を、明は取った。

「ルシャテリエライト……」

「ルシャでいい」

「ルシャさん。あの……よろしく、おねがいします」

「よろしくおたのもうすぞ、アキラ」

 ルシャが手を握り返す。やはり――肉球があった。至福の時が再来した。というより、狐である胡の肉球よりもぷにぷにで同時にふわふわしており、手から脳髄へと伝わった多幸感が明の心を蕩かしていった。

 ああ、この手を離したくない。ずっと、握っていたい――剣なんかよりよっぽど尊い。

「あの、アキラ……そろそろ離して欲しいのだが。その……肉球は弱い、のだ」

「あっ! あ……その、すみません、でした」

 肉球は弱い。覚えておこう。

 そうこうしていると、炭鉱入口の方から駆けてくる者があった。

「皆さん! ここにおりましたか。少し探しましたよ」

 姿を現したのは胡だった。黒髪に怜悧な光を帯びた切れ長の瞳。今は人間の姿をしている。

「どうした? 珍しいじゃないか。おまえも様子を見にきたのか」

「迷宮……いや、地上で少々大変なことが起きています。すぐに上へ……トワイライト先生の医院へ戻ってください。詳しいことはそちらでお話ししましょう」

 胡の表情は真剣だった。ジャヤとルシャは互いに一瞥し合うと、すぐに踵を返す。一同に緊張が走るのがわかった。雰囲気に呑まれそうになりながらも、明はそれに続いた。




 第三話 了


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