第6話 竜骨都市には幾多の迷宮がある 〈2〉



  8


 明の五感。全身を新しい環境のもたらす情報が包み込んだ。

 まず飛び込んできたのは、都会の喧騒と、ぴりりとした民族的な匂いだった。

 門の外に広がっていたのは積層都市の中心市骸区。色とりどりの看板、吊るし糸に留められたはためく布々、互いを支え合うように寄りそう古い建築物の群れ。そして、人、人、人……。

「ここから先が黒数くろす城内・竜骨市骸区。この街の中心部だよ」

 明の手を引き、一歩を踏み出したジャヤが言った。

 慣れないヒールの感覚に戸惑いながら、明は雑踏へと足を踏み入れた。

 竜骨市骸区は異形の都だった。

 書いて字の通り、数多の竜骨――竜の死骸の上に積み重なるようにして形成された街。明はそれが竜骨都市・黒数なのだと聞いたが、市街地に出て初めてその意味を実感した。

 ところどころに巨大な骨や化石の一部が突き出しており、そこを無理やり避ける形で新旧入り混じった赤屋根の家や店が軒を軋り、棟を並べている。まるで東洋の古い都のようで、明としては映画のセットにでも迷い込んでしまったかのように感じられた。

 赤い燈籠や旗があちこちで風に揺られ、強い風が吹くと軒先に吊るされた風鈴の音が響くのも情緒的である。

 ただ、尋常じゃないのは屋台の数だ。地上のあちこちにひしめき合う形でテントやバラック小屋が立ち並び、路面を埋め尽くしているのだ。

「獲れたてだよ! 獲れたての巨蟹虫だ! 殻は藍色、紅色、淡褐色……おっと黄色はレアもんだ!」

「三号迷宮から上がったばかりの氷霧とスライムの果汁煮込みだよ! 好吃来来!」

「猫の手貸してるよ! 猫の手ェ! 猫に小判、猫には小判でっせ~!」

「換金はあちらで! 荷物預かり所はこちら!」

 あちこちで様々な客引きが行われ、通りには人が溢れている。たいそう賑やかな様子は明の脳裏に祭の日を思い起こさせたが、今日はべつに祭でもなんでもないただの一日なのだろう。

「メイくん、しっかり手を握って。このままだとはぐれてしまう」

「……わかりました」

 不承不承、明は握った手に力を込める。

 さすがに、ここまで賑やかな場所にでるのは久しぶりだ。それに、この世界では初めてである。ここでジャヤとはぐれては、かなり情けないことになるのは間違いない。今の明にはジャヤとあのトワイライト、それに医院の救護士くらいしか面識のある者がいないのだ。

「……すごい人の数。いつもこんな感じ、なんですか?」

「龍を解体したばかりだからね。賑わっていて当然さ。いつもより人も物も多いんだよ」

「あ……」

 龍の解体。その龍を屠ったのは他ならぬ眼前のジャヤなのだ。

「解体業者から仲介業者、買い手も多く集まっている。それに浄化処理班のひとたちが休んでいたりもするし、ね」

 それに、と付け足して、ジャヤは不思議な言葉を口にした。

「迷宮からも探索者や商人が上がってきて、いい取引ができないか機会を狙っていたりする。なにより、今日は館が開く日だから、それ目当ての人も多いかな」

「館……?」

「あとで案内する。本当は連れて行きたくないんだけれど、そうもいかなくて」

 なんだろう。ジャヤにしては歯切れが悪い。とすると、あまりよくない場所なのかもしれない。そこに行くのが少し怖くなった。

 ついで明の目を引いたのは亜人の姿だった。この都市には異種族も少なからず暮らしているという。迷宮探索による一攫千金、名誉や名声を求めて多くの冒険者がこの街に流入したというが、それは異種族に関しても同様だった。竜人や獣人、狐狸精の類、小妖精エルフ矮人ドワーフ。種族としてあきらかな特徴のある者たちはもちろん、人間にきわめて近い半人たちの存在はより身近であるようだ。

 明だってさっきから何度も獣人とすれ違ったし、揃いのケープをまとった小妖精の教団メンバーを遠目から目撃した。露店で物売りをしている者の中には矮人も多く混じっていた。

「彼らが珍しいかい」

「……そうですね。オレがいた世界には、現実には存在しませんでしたから」

「現実には、か。なんだか少し寂しい言葉だね」

 苦笑いするジャヤの横顔は、言葉通り少し寂しげだった。

 ジャヤは明を通して、べつの何かを見ているような目をすることがある。一体この男が何を見ているのか気にはなるが、今は聞く気にはなれなかった。

「……変な意味じゃないです。ただ、想像の向こう側に自分がいるみたいで、実感が湧かないのに、人も物もぜんぶがひどくリアルで……って支離滅裂だけど……要するにまだこの世界のことを受け止められていないだけです。これから受け入れられるようになるのかも分からない」

「それは仕方のないことだよ。でも、できるならボクは君にこの世界のことをもっと知ってほしい。そのうえで屠龍師として修行を積んでいってもらいたいと思っている」

「……はい」

「メイくんは、クランって分かるかな。なんというか、目的を共有する集まりのことなんだけれど」

「それなら、なんとなく」

 明もゲームや漫画などで同じような集団をみたことがある。目的の合致する者たちが徒党を組み、強敵に挑んだり、城を攻めたり、ある一定の目的に合わせて行動するのだ。

「今日はその中でも君の助けになってくれそうな仲間や、気の合う友人を紹介するつもりだよ。パーティを組んで迷宮の探索に出ている最中の者以外になってしまうけどね」

「……お師匠さまはどのようなクランに所属しているのですか?」

竜胆ロンダン党という小規模なクランだよ。目的は屠龍。竜や龍を殺すこと。それ以外は各々自由に活動していいという、少し変わった集団さ」

「やっぱり、竜に関係しているんですね」

「ここは竜骨都市……かつての対竜都市でもある。故に、反長老派の竜たちに狙われやすい場所なんだ。だから竜と渡りあえるような実力をもった冒険者が多く集う。その中で、龍討伐を行う事務所を営む同業者が少しずつ集まってできたのが竜胆党なんだ」

「つまり、クランの下にはいくつかの小集団が属しているってことですね」

「そうなるね。まずはボクが所属する事務所〈紅燈籠ホンタンロン〉のメンバーに挨拶に行こうと思う。今日はオフだから、きっと誰かしら居る筈だ」



 竜骨市骸区第三層、紅劃こうかく。その区域は明たちが出発した地点、すなわちトワイライトの医院から、だいぶ下層に位置していた。周囲を城壁に囲まれ、積層化した都市の中ほどに、対龍討伐事務所〈紅燈籠〉は存在していた。

 途中、荒んだ雰囲気の裏路地を抜けたりもしたが、ジャヤがいるおかげで難なく通り抜けることができた。ジャヤを見ると皆が畏れたように道を開けるのだ。

 しかし、第三層ともなるとスラム化した界隈も多く、とてもじゃないが明には見せられないような区域もあるのだそうだ。明としてはそれがなんだと思ったが、おとなしく従っておくことにした。

 〈紅燈籠〉は三階建の古いビルを事務所として使っていた。上層の赤屋根白壁の街並と比べ、バラック小屋なども多いこの区画としては割に頑丈そうな石造りのビルだった。

 外階段から直接二階まで上がったジャヤと明は、主として使われているというフロアに足を踏み入れようと扉の前に立った。ジャヤが扉を叩き、

「おはよう。誰かいる?」

 いつものさっぱりとした微笑みとともに一歩を踏み入れた――瞬間だった。

 しゅっ――

 鋭い呼気なのか、匕首が空を掻く音なのか。明には分からなかったが、ジャヤは即座に反応してみせた。

 室内にいた黒髪痩身の男が振るう匕首を紙一重で躱す。紙一重。違う。実際にはもっと余裕がある。ジャヤは腰の吊り革から迷うことなく短剣を抜き払い、奇妙な構え方をする。

 室内に居た黒い男はそれを意に介すことなく、今度は両手に合計六本のナイフを構え、挑発的に微笑んでみせた。切れ長の瞳が冷たく弧を描き、三日月のような笑みを浮かべる。

 そこにジャヤが切り込んでいく。どっしりと踏み込み、しかし舞うように軽やかなステップ。円を描くような足運びで男はジャヤの刃を受け止めいなしながら、次撃を繰り出す。

 ジャヤが振るわれる刃を受け止め、相手の片手を払うと、続いて繰り出される連撃を全て弾き返す。

「……すごい」

 事務所の中にいた男がなぜジャヤの命を狙っているのかまったくの謎であるが――というか、自分以外にもジャヤを殺したがっている者がいることが明にとっては至極意外であったが――ともかく、眼前で繰り広げられている戦いは見事だ。

 転瞬。二人の姿が掻き消え、明の周囲――床、壁、扉に無数の刃が突き立つ。

 明は眼を凝らし、ひたすらに待つ。不可視の攻防。明にはまだ観ることができない。空間を越えて行われているからか、それとも単純に速すぎるのか。明は瞬きひとつしないで、ただじっと目を凝らした。

 果たして、見えた――と気づいたときには全てが終わっていた。

 速さのあまり空間を超えて行われた斬り合いは、ジャヤに軍配が上がっていた。

 全ての刃を使い切った青年は、澄ました顔で両手を上げて降参のポーズを示す。

「胡くん」

 相手の名を呼び、ジャヤが呆れ顔で肩を竦める。だが、その眼はどことなく楽しげなまま。

「毎回挨拶がわりにボクの首を狙うのはやめてと言っているのに」

「ジャヤさん。これも前世からの縁のうち。故にあなたとの縁が尽き果てるまで、僕はこの悪戯をやめる気はありませんよ」

「君とボクとの前世に何があったのか、いまだによく分からないんだけれど」

「それは、まあ……いろいろな事情から内緒ということで」

 青年はジャヤのツッコミにも謎めいた笑みを浮かべるだけだ。

 明たちの前に現れたのは、東洋系の顔立ち――怜悧な切れ長の目をした怪しげな青年だった。長袍を纏い、美しい黒髪を肩口の長さで切り揃えた印象的な出で立ちをしている。

「おや、おやおや? 後ろの君はたしか」

 意図の読めぬ笑顔はどこか胡散臭く、しかし整った顔立ちと人の良さそうな糸目によって印象が緩和されてみえる。どこか人ならざる印象の青年は、笑みを深くすると、自然な動作で明の細い腕を取って手の甲に唇をふれた。気障な振る舞い方をするやつだと思った。

「貴方がトワイ先生の術でこの世界に生まれ変わったという御方ですね。私は胡青児こ せいじ。仙狐となるべく修行を積みながら、この事務所で回復役を務める者です」

 胡が細められた瞳を僅かに開く。禍々しい奈落の底のような紫紺の瞳が、明を冷たく値踏みしていた。

「オレ……わたしは、アキラ=マシロ。屠龍師見習いで、ジャヤのもとで修行を始め、ました」

「おや、初見で僕相手にちゃんと口が聞けるとはね。なかなか見込みのある転生者を弟子にしたようだ」

 そう言ってニタリと笑った口元には獰猛な牙が覗き――転瞬、胡は狐狸精としての姿を明の前に晒していた。

 長い耳に尖った鼻づら。狐頭を持ち、二足歩行する妖狐の姿は明にとって当然初めて見るものだった。ただ、さっきよりも随分と背が低い。十分華奢な明より二回りは小さい体躯の狐がそこにいた。

「貴方、狐なのですか」

「いかにも。僕の本性は千孤として昇天を目指す狐です。今は迷宮で気を練り、妖魔の類を狩ることで修行をする身。呪医術を磨くため、トワイライト先生の医院にも出入りしています」

 そう言って胡は再びニタリと笑う。もう口元の牙を隠そうとはしていなかった。

 あの医院で修行を……そう聞くと明には嫌な感じしかしない。

「よろしく、アキラ」

「あ……はい。よろしく」

 それでも差し出された獣の手を、明はしっかりと握り返した。瞬間、電撃的な快感が背骨から脳天を貫いて走り去った。

 ……肉球だ。胡の掌には確かに肉球があった。ふっくりとして少し毛羽立った肉球の感触は堪らなく魅惑的で、手を離してしまうのが名残惜しかった。

「どうしました?」

「……い、いえ、なんでも」

 今日は右手を洗いたくない。明はまるで憧れのアイドルの握手会にでも出かけたような心持ちになっていた。

「胡くん、所長は?」

「朝からお出掛けになりましたよ。夕方までは戻らない、と」

「そっか。一緒にお昼でも食べながらメイくんの話をしようと思ったのだけれど。胡くん、せっかくだからどうかな?  君ならいいお店をたくさん知っているだろう」

「いいですよ。僕もお腹が空いてきたので、どこか紹介しましょう。アキラは食べたいもの、ありますか?」

「……あんまりこってりしたものは、ちょっと。あの、できれば麺類を食べてみたいです」

「それでしたら宝来軒が一番でしょう。ご案内しますよ」

 とてとてと部屋を横切り、ロッカーを開けて狐の姿のままで支度をすませると、胡は玄関の前に立った。

「どうしたのです。早く行かないと席が埋まりかねませんよ」

 二又に分かれた尻尾をふりふり。胡は手を振って二人についてくるよう促している。

 明はこの精霊が自分にとって好ましい存在だと思えた。比較対象がおかしいのは十分わかっているが、胡はトワイライトやジャヤとはまた違った存在なのだろう。

「胡さんは、その姿のままで街に出て平気なのですか?」

「平気ですとも。この界隈ではむしろ本性を晒して歩いた方が安全ですし?」

 胡は頷くと、ドアを開けて階段を降り始めた。やはりとてとてと尻尾を振って可愛らしく歩いて行く。ジャヤが耳打ちをする。

「彼はあまり人間の姿を気に入っていないんだ。化けるのが下手なわけじゃないけれど、ね」

「不思議なひとですね」

「ちなみにトワイのところの通い弟子でもあるから、医院で会うこともあるだろう。ああ見えて、彼は優れた癒し手なんだ」

 通い弟子。呪医術を磨く。すなわち気のやり取りを行う。

 ということは、トワイライトは男の妖狐とも寝ているのか。

「……どっちが上なんですかね」

「メイくん、それは下衆の勘ぐりというものだよ」

「わかってますけど、最低なのはトワイライトだから」

 そんなことを言い合いながら、二人は胡のあとに続いた。



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