第3話 転生者には九つの命がある 〈3〉
三十分はそうしていただろうか。
ついには涙も声もろくに出すことができなくなって、明はようやく泣くのをやめることができた。
「拭いていいよ、涙」
夜明け色の青年がおおらかに囁やく。
泣いている間ずっと明を抱きしめていた男だった。慰めるでもなく、ただそこにいて明を支えていた男。
明は男のシャツに顔を埋めると、思い切り鼻をかんでやった。それでも嫌な顔一つ見せない。それどころか、「よしよし」とでもいうように明の頭をぽんぽんと撫で、安心感をもたらすような笑みを浮かべて見せる。
いけ好かない、いやな男だと直感した。明の体を弄りまわし〈手術〉していたあの男ほどではないが、この場に在るというだけで敵意が、憎しみが湧いてくる。
こめかみの辺りが、ずきりと痛んだ。泣きすぎたのだろうか、それとも途方もない疲労感からか。油断すればふたたび吐き気が襲ってきそうだった。
これ以上弱みをみせるまいと、明は唇を固く引き結んだ。
「出来たら……君さえ良ければ、少しだけ話がしたいんだ。その……いいかな?」
「――鏡。見たい」
明は率直にそれだけ言った。
それが叶わなければもう会話しないというつもりだった。そういう意図が伝わったのだろう。
「ああ……」
男は少しだけ複雑そうな顔をしつつも、仕切りの外から姿見を運んできた。
「その、君の名前は、メイ……だったかな。君らの故郷の言葉では」
メイ?
ちがう。おれはアキラだ。
『――日と月。その両方を合わせてアキラ。とってもいいお名前、ね?』
初めて出会った時に菊理がそう言った――。
明は答えず、姿見へと向かう。はたして――鏡面に映り込む姿は、明とは全く別の少女のものだった。
淡く輝く白金の髪。透き通るような雪肌。アーモンド型の大きな瞳は淡紅色。いずれ傾城と化すような類稀なる美少女の姿がそこにはあった。
だけど……知らない。こんなクソガキ。
「……なんだよ、これ」
驚く代わりに、どういうわけだか怒りが膨れ上がる。強く、激しく、我慢できないような怒りが。
「いったいなんなんだよッ、これは!」
怒気を孕んだ言葉の断片が明の唇から零れ落ちる。
男は、明の様子を目にして痛切な何かを堪えるような顔をしていた。だが、懸命にその何かを抑え込むようにして口を開いた。
「……気に入らないかもしれない。この世界の何もかも。それに……その肉体も、魂魄も」
紺碧の瞳が揺らいでいる。続く言葉は堰をきったように紡がれた。
「だけど、精一杯やったさ。その結果がそれだよ。馬鹿にしたきゃ馬鹿にすればいい。ボクのせいにしたっていい、怒ったって無理もない。なんとか異界に接触して、ゲートを抉じ開けて、無事な魂魄と肉体の欠片を集めて……それでも、きみという形でしか救えなかったんだ。あの場のひとたちは……!」
「魂魄、を……集めるって、あんた何言ってるんだよ」
聞き覚えのない意味不明な言葉の羅列。
明は、恐怖と怒りを堪えながら眼前の青年に続きを促す。
「あの場に助けられる状態の人は誰もいなかった。ほんとうに、手遅れだった」
「な……」
「ただ、魂魄が無事な人たちは何人か存在していた。でも、龍が開けたゲートが閉じ切るまえに、ボクらはできるだけ早く手を打たなくちゃならなかった。だから仲間の呪医が出来るだけの処置を施し、きみという形で生き残った人々の魂魄を定着させ、この世界に転生させたんだ。どういういきさつであれ、きみはこの世界に生まれ変わった」
「生まれ、変わり……?」
足元が崩れてゆく気がした。膝下に力が入らない。
オレはあの時死んでいた。
オレも、菊理も、あの飛行機に乗っていた全員が。
身体の震えは抑えられず、立ちつくすこともままらなずに、明はその場に倒れ込んだ。途端に、少女の体を夜明け色の青年が支えた。
「触るな!」
思い切り腕を振り払えば、手指が青年の頬を張ってしまう。唇が切れて、紅い血が一雫溢れた。
「……血、おまえらみたいな人でなしでも紅いんだな」
「……メイ、くん」
再び何かを堪えるような顔をして、夜明け色の男は告げた。
「君がどう思おうと、この世界の人たちはちゃんとした人間だよ。君らの世界の在り方とは少し違うかもしれないけれど――それに、ボクも君と同じなんだ」
「おまえが、オレと……同じだって?」
言葉以上に、青年の目が明に向かって訴えかけていた。強い意志を宿した瞳だった。紺碧の双眸には奥行きがあり、どこまでも見通すような鋭さが同居していた。
……これ以上は見ていられない、眩しい眼だった。
「……ない、だろ。こんなのってない。こんなのってないよ。ぐちゃぐちゃに引き裂かれて、落とされて……終わりだと思ったら、掻き集めた死体とかわけわかんねえバケモノと接ぎ合わされて、それでこんな姿に造りかえられた挙句の果てには生まれ変わりって。信じられるかよ」
明にはもう自分で自分を抱きしめて、ガタガタと震えることしかできない。
青年は今度は明に触れようとはしなかった。
「今回のことは本当に残念だよ。それに、あのとき奴を倒し切れなかったボクに責任がある。だから、ボクたちを頼って。……ボクはキミの頼みならばなんだって叶えるつもりだ」
「……殺せ。じゃあ殺せよ! オレを今ここで終わらせてくれよ」
「それは――」
「できないのか。きれいごとを抜かしやがって……なら、オレがオレ自身で終わらせてやる!」
明は青年が腰に佩いた刀を抜かんと飛び出す――が、一瞬という時間よりも遙かに素早く反応した青年が身を翻す。同時に、前のめりに倒れかけた明の体をどこからか飛来した黒縄が拘束し、空中に吊るし上げた。
「ぎっ――」
「ったく、油断も隙もありゃしない」
甘ったるい口調。それに反してよく響く鋼の声。
……あいつだ。声だけで分かる。明の魂魄とやらを造り変え、肉体を弄び、生まれ変わらせた張本人。
明がもがき暴れ出そうとすれば、ぎちりと糸が絞まり、より深く絡め取られてゆく。
「だから言ったろうがよ、ジャヤ。刃物の類は病室に持ち込み禁止だってぇのォ」
「……すまない。状況が状況だから、離しておきたくなくて」
ジャヤと呼ばれた青年は刀の柄に指を触れ、頭を垂れた。
「ま、いいけど。よぅ、アキラちゃん。お誕生日おめでとォ。どうだよ、生まれ変わった気分はさァ?」
「ほざけ! おまえの……おまえのせいでオレはこんなっ」
「クク……いいねぇ。歪んだ顔も可愛いじゃねえの」
ぎり、と。糸による拘束がもう一段階きつくなり、明は声を上げそうになるのを必死で堪えた。激しい怒りのせいで涙ぐみ、視界が滲んでいる。でも、こいつの前で泣いたりなど絶対にするものか。
「ッ……なんでだよ、なんでオレが……なんでオレなんだよ!」
「それはねえ、オマエが――」
轟音がその答えを掻き消した。
凄まじい咆哮が衝撃波となって押し寄せ、明たちのいる建物を揺らした。
「ひっ……あ……」
ぴりぴりと肌が引き攣る。うなじが膨れ上がるこの感覚。凄まじい殺気が大気に満ち溢れ、肺腑を圧迫しはじめる。
知っている。オレはこの気配の持ち主を。
咄嗟に窓から空を見上げたジャヤが低く舌打ちをして、短く呻く。
「……ジャオアオロン」
「ジャヤくん、トワイ先生! 奴だよ! あのやろうが再び上空に戻ってきたんだよ~!」
白衣を着た少女が息せき切って病室に飛び込んでくる。
「わかってるよ。今出るところさ」
「うきゃ! メイくん、お目覚めですかぁ?」
この少女も明のことを知っているのか、安堵したような表情を向けてくる。明は敢えて無視した。
「まァ目覚めたが、ひとまずこっちは後回しだ。いくぜ、ジャヤ」
「……ああ。今度こそ決着をつけよう」
ジャヤの表情から、明に接していたときの優しさや戸惑いはもう消えていた。どこまでも鋭く、精悍な戦士の表情に切り替わっていた。
明はこの青年……ジャヤのことをまだ何も知らない。知らないだけで、もしかすると今の顔のほうが本性なのかもしれなかった。
「っつーわけでぇ、詳しいお話はあとでたっぷりね。アキラちゃん」
黒縄による拘束がとかれ、明は寝台の上へと戻された。
自分に背を向け、戦場へ赴かんとするジャヤに、浴びせてやりたい言葉はいくらでもあった。だが、ふさわしい言葉なんか一つも見つからなかった。
無念が、怒りが、悲しみが、憤りが、絶望が、腹の奥底で、心のあちこちで渦を巻き、今にも破裂しそうだった。それらを全て堪え、明は叫んだ。
「待てよ! オレを……オレも連れて行きやがれ! 俺にはその権利があるはずだ。あいつのせいで飛行機が落ちてオレたちは死んだんだろう!? だったら今度はオレがあいつの最後をこの目に焼き付けてやる!」
「それは……しかし、メイくん、それでは君が危険だ」
「うるさい! そんなの知るか。少皓明はもう死んだ。それにお前はオレの願いなら何だって叶えるって言っただろうが!」
激しく逡巡する様子のジャヤの肩を小突いたのは呪医のトワイライト――明が今この場で最も憎く思っている相手だった。
「いいじゃん、連れていけば余計な説明をくれてやる手間も省ける。それに屠龍師としてのオマエの腕をみせつけてやりゃあ、アキラちゃんだってオマエにぞっこん惚れてくれるかもしンないだろォ? そうすりゃ一石二鳥だろうがよ」
「…………わかった。メイくん、ボクたちについてきて」
何かを諦め、同時に何かを決意した顔でジャヤは明に向かって頷き掛けた。
「〈
目を閉じ、意識を集中させ、虚空に向かってジャヤが喚ばわる。
転瞬。空間を抉じ開けるように引き裂いて、虚空から異形の機械が出現した。曲がった角をもち、虎のような牙に、鋭い爪を構えた人型の甲冑だった。
「……なんだよ、アレ」
「あいつは〈大喰らい〉。ジャヤ専用の屠龍機さ。龍と戦い、屠るために竜人の手で造られた魔人機。搭乗型特殊外骨格甲冑、それが屠龍機」
まるでアニメや漫画に登場するロボットのような、しかしロボットというにはあまりに有機的で異形のフォルム。おまけに〈大喰らい〉の背には陽光を浴びて耀く十二枚の翅が生えているではないか。禍々しいが、まるで天使だ。そう言って差し控えないような雄々しい姿の機体だった。
窓の外に現われた真紅の機体の前に進み出たジャヤが、そっとそれに向かって頷き掛ける。
刹那、ジャヤの姿が吸い込まれるようにして掻き消えると、赤い機体が意志を持ったかのように動きだし、あっという間に蒼穹へ飛び立った。
「龍機融合。まァ、あの中に乗り込んで屠龍機と一体化、あれを操ることができるモードになるってことさ」
「あいつ、一人で……オレをおいて行ったってことかよ!」
「いや、アキラちゃんはおれと一緒にイクんだよ。どうせならとっときの特等席から龍殺しを堪能しようじゃねえの」
「ふざけるな! お前と一緒だなんて、オレは……とにかく願い下げだ!」
「もう遅いよ。――〈
聞くに堪えぬ喚び声に応え、虚空から這い出づるものは、ジャヤの駆る屠龍機〈大喰らい〉よりもよっぽど禍々しく有機的な女の姿だった。蛇身人首の雌型屠龍機。羽根を生やし、蛇の下半身を長くうねらせた異形の中の異形。明は混沌から人間を産み落とすに至った女神を思い起こした。確か中国の神話の時代の話だ。彼女も竜と人の姿を持ち合わせた女神だった。
龍を殺す龍。そんな不吉なイメージが脳裏をよぎる。
「どうだ、かわいい子だろ。そんじゃ、両手に花の3Pと洒落こもうぜェ」
「……あ」
トワイライトは明の腰を抱き寄せると、たった今産み落とされたかのような姿の〈這いずり姫〉に視線を向けた。
転瞬。明の体はおぞましい血肉と融合――否、取り込まれていた。腰から下を不気味な触手の群れが包み込み、何者かの鼓動が全身に伝わってくる。これが、龍機融合というものなのか。
「どうだい、おれの姫の中は。存外具合がイイだろォ? もう完璧におれのカタチって感じィ!」
明を背後から抱きかかえる形で、同様に融合を果たしたトワイライトが不敵に微笑む。肉の間に嵌めこまれた簡素な紅玉に手を触れ、屠龍機〈這いずり姫〉を操り始める。
どういう原理でこのバケモノじみた機体が動いているのか、彼らは分かっているのだろうか。
「さァ、イクぜ。くれぐれも姫に取り込まれるなよ、アキラちゃん」
〈這いずり姫〉はすぐに上空へと舞いあがり、飛翔を開始した。
飛翔に伴う明の不吉なイメージを払拭するかのように軽やかで鮮やかな羽ばたき。
「アキラちゃん、余裕があるなら少し下を見てみなよ」
そう言われて、明はおそるおそる下方に目をやった。
彼らの真下に広がっていたのは、円状に聳える巨大な都市だった。
積層状にいくつも建物や住居区画が折り重なり、互いに身を支え合う奇形の城内。それを黒くて分厚い城壁が幾重にも囲んで堅固に防御している。
城郭都市、あるいは城塞都市というやつなのだろうか。
「なんだ、これ……。これが、この世界なのか?」
「まァ、なんつーか一つの都市だね。竜骨都市・黒数。おれたちの暮らす街だよ」
「……きれい」
見たこともない異界の都市の光景を前に、明は自分でも知らないうちに感嘆していた。
それに対して、トワイライトは何も言わずに僅かに微笑むのみだ。
「今は対龍迎撃形態ってな戦闘モードなカタチになっているが、普段はなかなか賑やかで華やかな街なんだぜ」
「……対、龍」
いかにも堅牢そうな城壁は、この都市が何かの侵攻を食い止めようとしていることを如実に物語っていた。そして、それは他ならぬ――龍という存在を相手としているのだ。
都市の周辺には乾燥した草原地帯、そして前方には黒い森が広がっている。草原の上を雲が泳ぎ、雨が過ぎ去っていく。
この世界にも太陽があって、大気があり、人間がいる。
僅かな間に知ってしまったことのひとつひとつが明の心に重くのしかかってきた。
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