第2話 転生者には九つの命がある 〈2〉
3
……り……く……。
く、く、り。
くくり。
菊理。
……おかしいな。掌を握りあっていた感触がない。
ない。どこにもいない。いない。菊理がいない。
ああ、あたりまえか。
だって、おれは目の前で菊理を失ったのだから。
どこだ。ここは。なにも見えない。
オレが、オレ自身が、どんどん失われてゆく。
流れていく。なにか温かいものが。熱を失っていく。身体も、色も、世界も。なにもかも。
自分がばらばらになる。ちがう、もうなっている。
それでもオレは明だ。小皓明のまま、ここに在る。
視線を動かすと瓦礫の向こうに蒼い空が視えた。そこに奔るほんの幽かな稲妻――。
龍だ。白い龍の姿が閃いて、遠くの空に消えた。
…………よくも。
よくも、よくも、よくもよくもよくも菊理をあんな目に合わせてくれたな。
殺す。次に会ったら絶対に殺す。殺す。殺す、殺す、殺す、殺す。絶対に殺してやる。
龍だって、神だってなんだって構いやしない。
でも、もう無理か。だって、オレはもう消える。このまま死ぬんだ。
ああ、空が。遠くて、蒼くて――――真ん中に穴が開いている……?
突如、中空に八角形の紋様が浮かび上がった。明は確かにその光景を見ていた。三本の線がそれぞれの辺に浮かび上がり、奇妙な模様を成している。
たしか、あれは「八卦」とかいう模様だ。前に中華街でみたことがある。中心に白と黒の陰陽魚とかいう勾玉模様が描かれた……。
そこに、クラスメイトだった者たちの肉塊が、臓物が、なにかよくわからないものまでもが吸い込まれてゆく。
人間って、最後にこんなひどい幻を見るんだな。
でも、いい。なんだっていいよ。幻、夢。天使。悪魔。なんでもいい。誰か、誰でもいい、探して、菊理を助けて。
気がつけば明自身も何かに引き付けられ、浮遊し始めていた。
これが死ぬってことか。遠のく意識の中で、明はそう思った。そう思っていた。
§
「……あっ――」
長い夢を見ていた気がする。
そして、そこから引き千切られるようにして目が覚めた。
「うぶっ――がはぁッ、げぇっ、ごぶげばっ!?」
明は激しく咳き込み、体液から内臓からすべて溢してしまいそうなほどに嘔吐した。床に淡紅色の吐瀉物がびちゃりと撒き散らされる。咄嗟に横を向いたために、喉が詰まるのは避けられたが、苦しくて堪らない。
身を起こそうとして、叶わなかった。見たことのない計器や何かに繋がれ全身が拘束されていたからだ。
でも、それだけではなかった。誰かが腰に跨り、内外から激しく明を揺さぶっていた。
淡白い雪肌に白衣だけを纏った男が、明の奥深く――肉の内側を穿ちながら、艶然と微笑んだ。毒々しいが、今までに見た誰のものよりも美しい貌だった。そいつが動くたびに長い黄昏色の髪が裸の胸に触れた。
「ン……あれぇ、起きちゃったァ? おっはァ~。どうだ、最ッ高のお目覚めだろォ? アキラちゃあん!」
内側に開いた穴を穿つ調子が強くなる。
掻き回され、蕩かされている。ひどくおぞましい感覚だった。
「いっ――ぎっ――ぐ、あッ……」
「おまえ、生まれ変わりは始めてかい? おれは今生で六度目なんだよねェ。そろそろ魂がすり減ってきてやんのォ。最初の名前なんぞとっくに忘れてしまったよ。まァ、いいや。おれは呪医のトワイライト。オマエの執刀医でご主人様だよ、アキラちゃん」
剥き出しの肌の上に汗と体液が滴る。零れる笑みと吐息。それすら美しいと思える、異形の美貌。
そいつは懸命に明の上で何かを行っていた。
何か。何を――知りうる言葉で言えば、治療。それも手術のようだった。
だって、両手に何か……おぞましい武器のようなものを持って、明の体をいじくりまわしているではないか。
それに、気がつけば、視界に入る明の上半身は自分のそれとはまったく違っている。
自分はこんなに小さかっただろうか? 肌も透けるように白い。
それに――異変を察知したところで再び漆黒のメスが振るわれ、思考が赤黒く爛れ、視野が狭窄した。
「いっぎっ、がぁあぁぁあぁぁぁぁぁぁ――――ッ!?」
「そうだよ! これは手術だ! それもおれ様チャンが直々に執刀する久々の大手術さァ!」
黒い大ぶりのナイフで腹を切り開かれ、何か激しくのたうつものが下半身から埋め込まれていく。
ぶちっみぢっ!
ぶちぶちぶちぶちっ!
無理やり繋ぎ合わされ、焼かれ、また引き裂かれていく。
腹に超特大級の黒い鋏が突き立てられ、無理やり胸腹が抉じ開けられいく。
「あっ……あっ……!」
どういうわけか、目を閉じることすらできなかった。
全部、狂ってしまいそうな出来事のすべてが視界に飛び込んでくる。
見たくない、もう見たくない!
視線を逸らそうともがけば、自分の腰から下が目に入った。これまで以上に信じられない光景がそこには広がっていた。
明の下半身は触手と蛇のような合成物、自分の体が半分異形と成り果てているではないか。
「あ、ぐあっ!? あッ、がぁぁぁぁッ、あぁあっ、ひぎぃぃぃいぃっ!?」
「しー、しーっ! ね、大丈夫、へいき、へいき。な? ほら、もっとこっちの感覚に集中してくンなきゃ……」
腰を振り、ねちっこく中を穿ちつけながら白衣の男が明の目蓋に口づけてくる。場違いなほどに優しく、柔らかなくちづけだった。
「これはほら、絶賛手術中につき、いろいろお見せできないモツとか迷宮生物の特殊器官だとか企業秘密ってヤツだよ。ちょっと忘れらンないかもしれないけどねェ……すぐに馴染むはずさ」
剥がされ、繋ぎ合わされていく苦痛。そして自分のよくわからない器官を満たす熱によってもたらされる快楽に思考がついていかない。
今の自分に脳味噌があるのかどうかすらわからないけれど。
「ぎぃっ、やだっ、お願い、やめ、れ、くらざっ、あっぐぁ、あぁんっ!?」
暴れて逃れようとすれば、触手の一本を捩じ切られ、より強く穿たれる。じゅくり、と熱い液体が体内に溢れていく。
「これだから転生処女はめんどくせぇンだよなァ。痛い、こわい、いやだ、無理無理ィってそればっかで、こっちがちっとも楽しめないんだよねぇ。精神が死んでまともな人間に生まれ変わることのほうが稀だしィ?」
舌が明の涙を舐めとり、唇に這わされる。
吐いたばかりで穢いのに、遠慮なく口内に柔らかな肉の器官が侵入してくる。熱くて甘苦いなにかを口に含まされ、それを飲み下すようにくちづけでもって促される。喉の奥を熱い液体が通り過ぎていく。唇を離すと、互いの間につ、と唾液が糸を引いた。
「でもさ、せっかくこのおれ様ちゃんが直々に生まれ変わらせてやっているンだから、おまえも楽しめよ、なァ? 今死んだら少なくとも同じことがあと八回は続くぜ?」
「いぎっ、ひっ、あっがっ……ん、んくっ、ぅうっ……」
口づけによって流し込まれたのは唾液だけではなかったらしい。鎮静効果かなにかがあったのか、切れた麻酔とやらだったのか。痛みに比して快楽が勝っていく。
「うぁあッ、あッ、んっ、ああっ」
「ククッ。い~い声で鳴くじゃないの。その調子、その調子。どうせするならお互いに気持ちよくなきゃあなァ! アキラちゃんがかわい~とこ見せてくれりゃあ、こっちも少しはヤりがいがあるってもんだろォ?」
自分の体に開いた穴の一部分に男を招き入れ、明は甘く喘ぎながら腰と辛うじて呼べる部分を絡ませていく。
「ンッ、く……はっあッ、へぇ、イイねぇ。ちゃあんと意思が残ってるんじゃん。それじゃ、いっしょに気持ちヨくなろ? そうしておまえは生まれ変わる。おれがオマエを生まれ変わらせてやる。そして、生きろ。この世界で」
「あっ……んぅっ……」
それは真剣に紡がれる祈りのような言葉だった。
「アキラちゃん。ましろ、あきら――」
ひょっとすると呪文かなにかだったのかもしれない。
「――オマエは何度でも生まれ変わる」
鋏が深く心臓の位置に突き立てられてゆく。奥まで入って、抉り、押し開かれる。
「ふぁっ……ああぁぁッ!」
そこに、新しい鼓動を感じた。熱くて、激しく、確かな心臓の鼓動を。
明はある筈のないものをみた。
視界に入る自らの髪の毛が真っ白く輝いている。それにありえないほど長い。そして快楽を堪えようと男の白衣に縋りついた自分の腕はやけに細く幼げだった。
熱く押し流すなにかが臓腑の奥に注がれ、思考が白くぬりつぶされる。
すべてが明滅し、しかし不思議な安らぎのなかに明の意識は堕ちていった。
「――なにもあんな方法で無理やりこちらに転生させるだなんて」
「ンだよ。心配するだけ無駄じゃないのォ。それにあいつ、自己意識がちゃんとあったぜ。おもしろい。鍛えりゃイイ実験材料になりそうだ」
「トワイの面白さなど、だれも聴いてないし興味ない」
「それには同意じゃ」
「ひどいなァ。で、どうする? おれはこれでも帳尻をできるだけ合わせたつもりなんだけどォ?」
「……おまえが決めろ、ジャヤ」
「ボクは――あの子に――彼らに謝らなければならない。たとえ許されなくても」
「責任取るってェ? ほざけ、オマエまだあの魔女のことを気にしているのかよ。あの女はもう死んだ。二度と生まれ変わりはしない」
「ちがう。ボクは……罪を償いたいだけだよ」
「龍が異空間に逃げたのはべつにジャヤのせいじゃなかろうが」
「だが、我々が殺し損ねた龍が事実あちらの世界の多くの人間の命を奪った」
「……だからボクは彼らと向き合いたいんだ」
「……そして?」
「そして。――それから、決める」
4
真っ白な天井。
カーテンが揺れている。
ぬるく湿った空気を撹拌し、天上扇が回っている。
何度醒めても醒めない地獄のような夢を見続けていたのに、開けた視界には穏やかな白が飛び込んできた。
「……生きてる……」
呟いた声は、しかし聞いたこともない音色。少しだけ菊理に似た高い声だ。
そう、まるで女の子みたいな。
……女の子。
記憶の断片が脳裏をよぎり、明は自分の手を掲げた。意外なほど身体は軽く、腕はすんなりと動いた。ついている。ちゃんと。腕が。
その事実は明を安堵させたが、自分の腕だと感じていたものはあまりに細く華奢だった。小さな葉っぱの様な掌を見とめるとさっと血の気が引いた。
身を起こせば、さらさらと花弁が散るように長い髪がシーツの上に零れ落ちた。
問題は――あれが夢ではないとしたら――下半身だ。異形の触手の塊。
おそるおそるシーツを捲り、確かめる、と。人間の形をした両脚がついている。それでもなお、違和感は消えない。
胸はわずかにふくらんで、着せられた薄緑色の患者衣に曲線を描いている。皮膚に布地が擦れて少しだけ痛痒かった。自分――そう明が認識する身体は下着をつけていなかった。
両脚が動くことを確かめながら、白い世界におりたつ。髪の長さは床まで届くほどだった。
病院や学校で見かけるようなリノリウムの床。裸足でおりたつと足の裏から硬質な冷たさが伝わってくる。白いと形容した世界は単に仕切り用のコンストラクト・カーテンで四方を遮られているせいだった。やはり、ここは病院かどこかのようである。
周囲に気を配りながら、自分の体を矯めつ眇めつ確かめる。
細くて生白く、しなやかな四肢。とても自分のものとは思えない、自分の体。胎の奥に温かな感触とほんの少しの痛みが残っている。その感覚の意味するところは明にもわかった。
地獄はやはり地獄でしかなかったのだ。悪夢などではなかった。あの男はあの場にいたのだ。女じみた、だが男でしかありえない異形の美貌。
憎しみと同時にどうしようもない恐怖と無力感が胃の中からせり上がってくる。
吐き気を堪えながら股の間に手を伸ばして、触れる。
――――ない。
わかってる。わかっていた。てゆうか、起きて最初に気がついたことがそれだし。
でも、ない。ないったらないのだ。
あれが。
おちんちんが、ない。
代わりにあるのは狭くて貧相な花芯のような窪み――。つるつるで、ろくに体毛すら生えていない。
「うげぇ、ぼっ――!」
たまりかねて、ついに喉までせり上がってきたものを吐き出す。寝台の脇の膿盆をひっつかんで、思い切り吐いていた。
でも、わけのわからぬ粘液しか出ない。胃袋の中がからっぽなのだ。酸っぱいというより最早甘く感じるそれは、微かにリコリスの味に似ていた。
「げほっ、ぼぇ、ぅおえぇっ」
無理。
無理無理無理。無理だった。
もう男の子ではないことが無理だった。
この体を男に犯されたことが無理だった。
もう生きてはいないことが無理だった。
もう生きてあの世界に自分がいないことが無理だった。
……空中で、千々に引き裂かれて弾け飛ぶ菊理の姿が頭から離れないことが無理だった。
それすらも綺麗だと思い、すべてを目に焼き付けた自分が無理だった。
「大丈夫っ!?」
誰かが容赦なくカーテンを開いて飛び込んできた。
知らない男だった。
かなり上背がある。まるで朝日のような夜明け色の髪の美丈夫。獣のような、細く引き締まった体つき。
その男の腕が吐瀉物で口元を汚したままの明をいとも簡単に引き寄せ、掻き抱いた。
「ごめんね。ごめん……。全部、ボクのせいなんだ。君の、君たちの身に起こったことは全て」
「……うわぁあぁ――――」
そいつが喋り終わる前に、明は泣き出していた。
「――ぁぁあぁん!」と子供のように声を上げて泣き叫び始めた。
知らない男の胸に顔を押し付けたまま、暫くのあいだ明は泣きじゃくった。青年は明を抱いたまま茫然と立ちつくし、途方にくれているようだった。
そんなことはどうでもよかった。誰か、誰でもいい、縋っていないと崩れてしまいそうだった。身体が、心が、その両方が。
後から思い出せば、この時は互いに支えながらなんとか立っていられたのだろう。
そう考える日がくるとは、まだこの時の明には想像もしえないことだった。
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