竜には九つの魂がある

津島修嗣

第一章

転生者には九つの命がある

第1話 転生者には九つの命がある 〈1〉


  1


 束の間、夢をみた。

 それが幻影、ただの白昼夢だと気がつくまでには数秒を要した。

 メイがまだ元気だった頃、二人で花散る並木道を歩いた。そんな夢。

 白く脆い花弁が降るように舞い散り、思い出のすべてが記憶の彼方に攫われてゆく。そんな美しい悪夢。

 でも、ああ、それが命取りになるなんて。ここでは当たり前のことだというのに。

 

 ――――銀燐が舞い散り、雷鳴が轟く。

 蒼穹の只中、真昼の城郭都市で激戦が繰り広げられていた。

 千歳級の白龍が咆哮し、白炎が舐めるように通りを吹きぬけてゆく。暴風が渦巻き、遅れて轟音が響き渡る。一瞬ののち、街中のガラス窓が砕け散った。

 民間人の避難をとうに終えた市街地はバザールも閉じられ、閑散としている。

 その目抜き通りを三機の屠龍機――魔術と符咒学の粋を凝らして造り上げられた搭乗型特殊外骨格甲冑エグゾスケルトンが滑空してゆく。三機三様の特徴を備えた、どれも禍々しい希少種だ。

 都市は迎撃形態を取り、竜骨市骸区は砦と化した。

 待機していた符咒部隊が出動、都市の中心に聳える固定砲台が機動し、とどめの砲撃を浴びせる瞬間を今か今かと待ちかまえている。

 複数名の呪医が市街地に結界を展開し、完全に討伐対象の拘束体勢に入っている。

 何度も宙を旋回し、美しい体躯をくねらせながら飛びまわる白龍は、来襲から数日をかけて屠龍師たちが戦い抜き、ようやくここまで弱らせ、結界の内側へと追い込んだ大物だった。

 反長老派――人と竜の架け橋である竜人を生み出すことをよしとしない若い龍たちの一派。

 元は迷宮探索者スカベンジャーと竜の使い魔どもとの幾度にも渡る戦闘行為が火種としてあり、先日遂にその若衆頭である白龍ジャオアオロンが竜骨都市に対して牙をむいたのだ。彼は反親和――あくまで人類が星を蝕む害虫であるとみなして強硬的姿勢を貫く少数一派の筆頭であった。

 かくして、標的とされた竜骨都市・黒数くろすは、数年ぶりの臨戦迎撃態勢を取ることとあいなった。この都市は数多の竜の死骸の上に建造された、数世代以前からの対竜族防衛拠点である。

 対龍討伐事務所〈紅燈籠ホンタンロン〉の連中も所員全員が出払い、千歳級の討伐に乗り出していた。

『ひゃはッ、追い詰めたぜぇ!』

 白鱗を散らし、逃げる龍を追いかけ、中空へ一気に真紅の屠龍機を駆るのは〈緋色の勇者〉と名高い屠龍師ジャヤだ。

 飛翔を続ける彼の機体に、数秒遅れて影のような黒い機体が追いつき、通信機ごしに低く告げる。

『……気をつけろ。龍殺しは気を抜けない。ほどなく最後の抵抗がくる』

『街の結界はもってあと四半刻。ってなワケで、早いとこケリをつけてくれよなァ? ジャヤちゃん!』

 二機の背後に控えたとりわけ禍々しい機体からも通信が入る。加えて、龍の精気に引き付けられて地上に湧きでた妖魔の掃討に当たっている仲間からも声が上がる。

『へーい、こちら地上~! 妖魔どもの掃討は終えたよ。あとはジャヤちゃんたちががんばりやがれなんだよ~!』

『応っ! 任せとけ!』

 まるでそれが合図となったかのように、龍が火を吹き、鋭い爪牙を繰り出して暴れ始めた。

 最後の抵抗。まさにそう呼べるほどの激しい攻防が始まった。

 炎雷を受け流し、仲間の援護を受けながら、真紅の機体が懐に飛び込んでいく。

 ジャヤの屠龍機〈大喰らいタオティエ〉が猛攻を仕掛ける。龍も負けじと抵抗し、精気を散らして、両者は幾千回と撃ち合った。

 喉元を深く抉る一撃に、白龍が纏っていた気の力が薄れ、その美しい体躯が揺らぐ。

 誰もがあと一歩で押しきれると確信したそのときだった。

 白龍の周囲に不可視のエネルギーが渦を巻き、人間には解読不能な光の方陣が浮かび上がる。

『いかん! 転移術トリップだ!』

『――っちぃ! ここまできて異界に逃げ込む気かよ!』

 千歳を超える龍は世界線を越えて自在に時空を行き来することができるという。

 今奴を逃せば、すべては水泡に帰すことになる。それに〈異世界むこう側〉では確実に犠牲者が出るだろう。

 ならば――させてたまるか。

『逃ィげんなコラァァァ!』

 〈大喰らい〉は龍に向かって力ずくで斬り込んでゆく。愚直なほどに真っ直ぐで、しかしそれ故無慈悲な一撃。白龍は正面からの攻撃を避けようもない。竜の首下、逆鱗へと刃が振り下ろされんとしたとき――異変は起こった。

 鱗が弾けるようにして剥がれ、花弁を吹き散らすように風に散る。

 現われたのは白金の髪をなびかせる幼い少女の姿だった。無垢なる白い肢体を晒し、美しい少女は〈大喰らい〉を操るジャヤの前に降り立った。

『…………メイ?』

 震える唇から零れたのは呼び掛けか、それともひとりごとか。

 少女が微笑み、華奢な両手を真紅の機体に向かって差し伸べる。〈大喰らい〉、否、ジャヤはそれに囚われ、振り上げた大鉈を振り下ろすことができない。

『惑わされるな! それはあの魔女などではない、幻影だ!』

『ッ――くっそ、がぁぁぁぁ!』

 数秒。拘泥を振り切り、少女に向かってようやく刃を振り下ろす――が、白龍にはそれで十分だった。一瞬の隙をつき、再び龍の形へと回帰したそれが異界へと消え去った。

『――くっ! 転移して姿をくらましたな。早く手を打たないと別時空で死傷者がでるぞ』

『テトラ、至急座標を特定しやがれっ』

『がってんしょうちのすけなんだよ~ってゆーかもうやってる!』

 光芒の一片。龍の消えた先に残る転移方陣の名残を仰ぎ、屠龍事務所の前衛たちは固唾を呑んで見守るばかりだ。

『……ボクは……ボクは失敗したのか。メイ?』

 一人でに発された問い掛けに、しかし答えるものはなかった。

 地上の仲間が、静まり返った街の片隅で討伐の行方を見守る人々が、その場に居合わせた誰もが蒼穹を仰ぎ、龍の行方に目を凝らしていた。


  2


「――当機は現在、安定飛行の高度に達しています。皆様の安全のため、座席にお座りの際は必ずベルトをお締め下さい」

 頭上のシートベルト着用サインが消えたのを見て、少皓明ましろあきらはほっと息を吐いた。

 今までおしゃべりを控えていた学生たちが活気づき、機内の雰囲気も柔らかなものになる。

 小鳥遊高校第二学年の生徒たちを乗せた旅客機は無事に離陸し、修学旅行先からの帰路につかんとしていた。

「――あきらくん!」

 ぼんやりとしていた意識に突如舌っ足らずな甘い声が割り込んでくる。甘いのは声だけではない。気がついた時には、色とりどりの菓子が眼前に突きつけられていた。

「ポッキー食べる? リコリスキャンディーもあるよ! ほら、あーんってして!」

「うっわリコリスくさっ……い、いいよオレは。ふあっ、やめへっ、ポッキーが鼻に入ってる入ってる入ってるへ、ぁッくしゅん!」

 隣席でさっそく菓子を広げて詰め寄ってきたのは、幼馴染の白糸菊理しらいとくくりだ。

 艶やかな髪を三つ編みに結わえた童顔の美少女。菊理は一口ポッキーを齧ると美味そうに微笑んだ。蕩けそうな笑みだった。

「いらないの? それじゃあ、くくりがぜんぶ食べちゃうんだよ?」

 ふんわりと微笑み、菊理は明の顔を覗きこんでくる。色とりどりの菓子よりも甘やかな微笑。ふっくりした頬に、細い顎のライン。薔薇の蕾のように鮮やかな唇が愛らしい。柔らかい前髪が鼻先をくすぐる。

 菊理はどんな時でもいつも通りだ。明は不器用に微笑み返した。

「べつに……いいけど。でも独り占めしたら太るぞ?」

「それでもいいもの。でも、あきらくん、飴ちゃんは舐めたほうがいいよ。そしたら、耳がきゅーってなるのが和らぐでしょう」

 明は差し出された可愛らしい包みをなすすべなく受け取った。

「……ありがとな」

「いっぱいあるから、また欲しくなったらすぐにいってね!」

 そう言って菊理は廊下側の生徒や前後の友人にも気を配り始めた。彼女がいるだけで、その場の雰囲気は明るくなり、空気が柔らかく和む。

 そして、この幼馴染は明のことなら何でもかんでもお見通しだった。

 乗り物酔いしかけていたことも、そもそも飛行機が嫌いなことも、離陸時の緊張を必死に隠していたことも、すべて。

 菊理の気遣いに答えてやりたいが、ただ黙って飴玉を受け取るしかできない自分がもどかしい。せめて、なにか気の利いた言葉くらいかけてやればよいのに。幼馴染……それ以上に恋人として彼女のことを思うのならば。もっとも、いつだって彼女にふさわしくある自信は揺らぎっぱなしなのだけれど。

 ふと思考を逸らしたくなって、明は窓の外に目をやった。すると、奇妙な光景が視界に入る。

 無限に広がる蒼空に、銀色の花弁が舞っている。

 なんだ。あれ。鳥か。だが、鳥がこんな高度にいるだなんて俄かに信じがたい。

 目をこすって、もう一度見る。無数の花弁かと思われたそれは一片ずつが滑らかな光沢を帯び、銀色に光輝きながら収束しつつあった。

 煌めきが奔る。

 銀鱗を纏った大蛇が陽光に反射しながらのたうち、飛翔している。

 その姿はどこか苦しげだった。怪我でもしているのか。所々傷を負っているようにも見える。

「あれ、は、龍……?」

 思わず明はそう呟く。

 昔読んだ絵本に描かれていた幻想世界の生物にそっくりな存在が空を飛んでいる。

 再び、窓の外が激しく光った気がした。

「皆さま――ただ今、当機は気流の悪い場所を通過しております。座席に戻って、シートベルトをお締めください」

 乱気流にでも巻き込まれ始めているのか、機体が揺れ出すとともに、着席のアナウンスが流れた。戻ってきた菊理が明の視線の先を気にする。

「ありゃ、あきらくん。なに見てるの? くくりも見たいにゃ~!」

「うわっ、コラやめろって……むぐぎゅっ!」

「とうっ!」

 横の座席からすかさず身を乗り出した菊理が、上半身を捻じ込んでむりやり造り出した隙間から窓の外を覗きこんだ。

 近い。近いったら近い。菊理はあまり人との距離感を意識しない。気が付いたら懐に飛び込んできているタイプだ。豪胆なのか無防備なのかよくわからない。昔からそうだ。柔らかな髪の毛が鼻先を掠め、シャンプーの香りなのか少女自身の匂いなのかよくわからない、ふんわりした匂いが纏わりついた。悪い気はちっともしない。自然に胸が高鳴る。てゆうか、そう、胸。腕に横乳が当たっているんですけども!

 明は菊理のうなじから目線を外して俯いた。なんというか、目のやり場もなかった。

「うわあ、すごいね!」

「……すごいのはあなたのおっぱいでう……」

「あきらくん、龍だよ! 龍が飛んでる! とってもきれい!」

 菊理の無邪気な嬌声に、クラスメイトの何人かが同様に窓の外を見た。

「龍? 龍だって――」「何言ってんだ?」「本当だ、龍だ!」あちこちで声が上がる。

 担任教師が生徒たちをいさめるべく声を発しようとした――その瞬間だった。稲妻が迸った。衝撃。機体が大きく揺れ、あちこちで悲鳴が上がる。

「ひゃあっ!?」

「菊理! シートベルトだ!」

「あ……う、うん!」

 危うく通路に投げ出されそうになった菊理を支えて座席へ座らせる。一拍置いて、さっきよりももっと大きな衝撃と轟音が明たちを襲った。

 クラゲのような形の緊急用ボンベがどさりと眼前に降ってくる。機内の照明が落ち、ばきばきという破壊音や何かが爆発する嫌な振動が響き渡っている。

 もう一度稲光。さっきよりものすごく近い。間を置かずして風が激しく吹き込んでくる。

 紫色の眩い雷轟がとどろき、辺りをどす黒い暗闇が包みこんでいた。

 どうなっているんだ。一体これは――。

「皆さま――機長による操縦が困難に――」

「当機は乱気流に巻き込まれ――」

「――落雷により――墜落――」

「どうか――救命胴衣を着用――」

 何のアナウンスにもなっていないノイズ混じりの機内放送が悲鳴の合間に耳に入る。

 大きく傾いた機内で、明は菊理を庇うようにして抱き竦めた。

「菊理……!」

「……だいじょうぶ、だよ」

 腕の中で菊理が淡く微笑み返す気配がした。気がつけば背中に回された腕が明をあやすように撫でていた。

「だいじょうぶ、あきらくん。ぜったい、だいじょうぶだから。あきらくんはくくりが守るから。だから、安心なんだよ。……ね?」

 自然と身体の震えが和らいでいく。こんな状況で「こわい」とひと言も口にしない菊理が愛おしく思えた。

 神様。神様がいるなら、どうか菊理だけでも助けてくれ――。

「菊理、平気だよ。すぐに収まる、すぐ終わるから。きっと、おまえは大丈夫だ。おまえだけは――」

 後方で何か大きなものが弾け飛んだ。

 大勢が呻き、叫び、泣いていた。

 落下は永遠の一瞬だった。光と蒼い空の彼方に何もかもが弾け飛んでゆくのが見えた。

 菊理の三つ編みがほどけてはためいていた。

 紅いリボンが彼方に飛んでいく。

 閃いて、消える。

 さきほどの龍のように。

 ……ああ、やけにきれいだな。

 そう感じる間に全てが終わっていた。


 この不可思議な事故は彼らの世界、とりわけ彼らの母国で大きく報道されることとなった。

 乗客乗員全員死亡。

 激しい乱気流、及び落雷に巻き込まれたことによる墜落か。

 戦後最悪の航空事故――それと同等の犠牲者数を出した大規模航空機墜落事故。

 明たちを襲った事故は、日本人がその旅客機に多数乗っていたこともあり、大きく世間を震撼させる出来事として連日連夜報道されることになった。

 ――――だが、それは今の明にはもう預かり知らぬ話だった。




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