区間快速

浜村麻里

区間快速

————車内にお忘れ物の無いようご注意ください。


うつらうつらとしていた意識が無理やり引っ張り上げられたように感じた。

年始の22時。

ローカル線とは言えそこそこの乗車率の車内に少しかすれた車掌のアナウンスが響く。

だんだんとスピードを落としてゆく電車の中で、車掌の声に耳を澄ませているのは私ただ一人だった。





————〇〇、〇〇です。左側のドアが開きます、ご注意ください。車内にお忘れ物のないようご注意ください。ご乗車お疲れ様でした。〇〇です。


思わずハッと顔をあげた。

少し冷えた風がどこかで焼いている畑の匂いを乗せて車内の空気と混ざる。

16時頃のこの時間はまだまだ明るく、夕日というには高い陽射しが窓と扉から差し込んでいた。

この車両に乗っている学生と言えば私くらいで、あとはおじいちゃんおばあちゃんが5人ほど座っているだけだ。

心臓がドキドキしていた。

車内に響く少しだけかすれた、柔らかい声をもう一度聞きたいと心の底から思った。


————扉が閉まります。ご注意ください。


ガタガタと扉が閉まり、また次の駅に向かって電車が走り始めた。

自分の耳が赤くなるのが分かった。

それでも、自分の降りる駅に着くまで夢中で彼の声を聞いていた。


良い日だったなぁと思ったのは、帰宅し寝る支度をしている時だった。


電車内の放送なんて今まで意識したことがなかったから、これまでにも何度も会っているのかもしれない。

そう思うととても悲しく、もったいないことをしたと感じた。

ローカル線の普通電車。

乗車率もけっして高くない時間帯。

そんななか、あんなにも丁寧に、そして柔らかくアナウンスし続けるとは。

僅か4駅の間にすっかり感心した私は優しい声をバックに電車を降りてから車掌さんの顔を確認していた。

帽子を深めにかぶっていて細かくは見ることが出来なかった。

しかしそのことすら幼い憧れを強くする要因となった。


それからは電車内のアナウンスに耳を澄ませる日々が始まった。

わざわざ手帳に記し、法則性を見つけようと躍起にもなった。

しかし、あそこまで丁寧な放送をする車掌はおらず、すぐに冬になった。


通常授業後の補講を受けてからの帰宅。

もうすっかり暗くなり、電灯の白い明かりが強く感じる中、吹きさらしの小さな駅に立って電車を待っていた。

無意味に重いカバンを提げてぼんやりと立っていた。

向かいのホームにやって来た電車が友人を連れ去ってからは辺りが一際暗くなった気がした。


遮断機の下りる音がしてからしばらくしてやってきた電車はとても明るく、そして暖かく感じた。

ちらほらと降りる人を待ってから電車に乗り込む。


————左側の扉が閉まります。ご注意ください。


後頭部を殴られたかの衝撃が突き抜けた。

あの人だ。

とたんに血の巡りが良くなるのがよく分かった。

空いている椅子に腰を掛けて目をつむる。

涙がこぼれそうだった。

ずっと探していた人を見つけるとこんなにも暖かな気分になるんだ。

4駅分の時間しか交わることのない人物。

それも向こうからすれば数多くの乗客の一人で認識すらされていない。

そこまで考えて自分の中の好意を自覚した。





「なんかあった?」


隣に座る友人が私の方を見ていた。


「あ、いや。大丈夫」


久しぶりに地元に帰ってきて、呑んだ帰りにたまたま乗った電車。

思わず顔が緩むのが分かった。

あの淡すぎる恋心を自覚した日以来、この車掌と乗り合わせることはなかった。


変わらないなぁ。

時間帯も、客層もまったく異なる車内にあの時聞いた丁寧なアナウンスが今も耳なじみの良い声で紡がれている。

その事実が嬉しかった。

区間快速の快速が終わるころ、私は駅を降りる。

あぁ、今年は良い年になりそうだなぁと再び動き始めた電車の中で予感した。


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区間快速 浜村麻里 @Mari-Hamamura

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