エピローグ

 生きるとはなんだろう。

 そんな疑問をずっと抱えて俺、花坂形離はなさかかたりは生きてきた。

 親を知らず、そこからはじまる愛情を知らず、幸福を知らず、ただ己だけで生きてきた。

 生きていることは素晴らしいのだと、それなりの数の人々は言う。時には声を大にして叫ぶ人間もいる。

 それを、そう感じることができる人を羨ましいとは思うけれど、それだけ。もとからそれの価値を知らないニンゲンからすれば、そんなもの夜に見て朝には忘れる夢とたいして違いはない。

 ただあやふやで、つかみどころなく消えてなくなる幻と一緒。

 そんなフィクションのような生を……ずっと歩んできた。

 俺の本質はきっとどこかが致命的に欠けている。それはこれからどう生きようと、埋まることはないだろう……。

 そう思って生きてきた。そしてなんだかんだと生きてきて、優しさも幸福もそれなりに体験しもした。

 けれどやっぱり、生きる意味を正しく理解しているとは、結局思えなくて。

 やっぱり俺はどこかがズレていて、空虚を抱えて生きている。

 こんなに広い世界なのに、独りぼっちなのだと、いつもぼんやり考えている。

 孤独は埋まらず、でも死ぬこともなく、生きていられるから今日も生きていく。

 惰性の日々。俺の生は産まれた瞬間からずっと惰性を引きずっている。

 きっと俺は、そんなズレを抱えたまま、生に疑問を持ったまま、結局最後は無様に無価値に死んでいくのだろうと思っていた。


 ────でも、えみが、産まれた。


 こんな俺が、親になった。

 親の愛情を知らない俺が、親の愛情を持たざるを得なくなった。

 世界が、変わった。

 惰性の日々が、色づいていった。

 けれどその変化に、俺は不安しかなかった。

 それを証明するように、子育ては俺の想像を超える困難と絶望に溢れていて。

 でも…………。


 でもそれだけじゃなかった。

 咲を通して、ずっと疑問に思っていた答えに、なんとなく近づいた気がした。

 生きるとはなんだろうという、その答えに。

 咲が笑うだけで嬉しい。咲がミルクを飲んでくれるだけで嬉しい。咲が昨日より成長していくのが嬉しい。咲と一緒に生きていられるだけで、そんな単純なことだけで…………嬉しくて、今まで生きていて、良かったと思えた。


 たぶん、それが俺にとっての答え。


 生きるとは何かという、空虚にはまるピース。

 我が子と共に生きて幸せになる。

 そんな単純で、けれど中々難しい生き方が、俺にとっての答えなのだ。

 咲を通して、黒いゴミ袋のように閉ざされていた俺の世界が、広がった。色づいていった。


 ──今、この場所には、咲と、佐藤さんと、松本さんと、ついでに腐女子と、それから自分がいる。

 不思議な面子だと思う。

 それぞれ元はまったく別の道、あるいは産まれてさえいなかった命が、今はこうしてそれぞれに影響し合い、複雑に絡み合っている。

 愛情や、親愛や、尊敬や、狂気や、敵意や、殺意が入り混じったこの空間。でも決して、この景色は悪いものじゃないと、俺は思う。

 ああ、世界は不思議だ。そして面白い。生きるってマジで面白い。

 黒いゴミ袋に捨てられていた命は……あかい、あかい、あの真っ赤な海の景色へと繋がり、今ではたくさんの色に輝いて。

 子育てを通して、世界は変わった。

 今度はどんな色に染まり、どんな面白い景色を見せてくれるのだろうか。

 そしてその景色を、まだ見ぬ未来でも咲と一緒に楽しめているのだろうか。

 それが楽しみであり、少し不安でもあり、でもやっぱり楽しみで仕方ない、そんな思いを胸に、俺は今日も我が子と共に生きていく。

 生きて、生きて、生き抜くために。


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