俺達の子育てはこれからだ!
わたし、佐藤春香は最近人生観が変わるほどの体験をした。
マジで……色々あったのです。
まず第一に、産まれて初めて宇宙人に誘拐された。いわゆるキャトルミューティレーション。つまりキャトられた。
うん、意味がわからない。でも事実だ。
顔がカニとタコが交尾中みたいな奴にエビちゃんとわたしはあっさり攫われて、でも形離さんの手によって何とか助けられた。
……そんな人生に一度あるかないかのスゲー体験をしたのですよ。
因みに形離さんは病院に直行後、火傷や裂傷、それから打撲等で中々な大怪我だったので即入院。しかしどういうわけか形離さんは点滴と傷の手当をしただけで翌日の夕方には退院との運びとなった。
いやせめて一週間ぐらい入院しろよと思たったのだが、本人がすこぶる元気な為説得は無理だった。
さて、キャトルミューティレーションというドキドキ体験をしたわたしだが、人生観を変えた決定的な事件はまた別なのである。
いやさっきのものと比べるとインパクトに欠けるというか超個人的な話なのだが、まぁなんというか、はい。
わたしの夢が叶いました。
ピンチの時にヒーローがお姫様抱っこで助けてくれるという……何とも少女チックをこじらせた例の痛いアレ。
それがどんな奇跡が重なったのか、叶ってしまったのです。
………………………………………………………………………………………ぐへへ。
おっと失礼。つい心の本音が。だが許して欲しい。だって半ばあきらめかけていた夢が叶ったのだ。だからどうしたって浮かれてしまう。
不謹慎ではある。軽率でもある。何より助けてくれた形離さんに失礼でもある。
でも、やっぱり、どうしても…………嬉しいのだ。
わたしはとうとうヒーローに助けられた。
この夢の為に看護師を目指したりといった迷走の果てに…………遂にである。
こんなに嬉しいことが他にあるだろうか、いやない。断言できる。
そんな感じで喜びを噛み締めているわたしだが……。
一方の当のヒーローはというと今わたしの目の前で、自分の怪我の具合も気にせずに、病院からの退院帰りに見つけた公園のベンチにて、スマホで我が子の写真をかれこれ三十分は撮り続けている。それもニンマリとろけきった顔で。
「よーしよし、う~ん今日も可愛いでちゅうねぇ。ああ、いいよぉ、その顔もっと、もっとちょうだい、ちょうだい! あ、あ、ああああ最高でちゅおよぉお!」
「……やぁぁあう」
……うむ、どう見てもヒーローではなく、ただの親馬鹿にしか見えない。
いくらなんでも写真撮り過ぎである。周りが見えていないなんてレベルじゃない。外の世界なんてお構いなしといったデレデレ具合だ。
……もしかしたらあの誘拐を機に、なにかの枷が外れちゃったのかもしれない。ちょっと深刻なレベルで。
「はぁ……。形離さん。写真はそれくらいに。あとあんまり無茶しないでください。怪我に響きます。せめて、せめて家に帰るぐらいまでは安静にしてください」
夕焼け眩しい春の公園。確かにちょっと綺麗だなと思わなくもないが、病院の退院帰りに三十分写真を撮り続けるのは流石に狂気の沙汰だ。
「……あ、はい。すいません、つい」
「あうあう」
エビちゃんがやれやれみたいな感じで嘆息した……気がした。
いやホントやれやれだ。あの誘拐事件があったのは昨日だというのに、どうしてこうも元気なのか。最早ナニカの加護でも受けているのかと疑うレベルである。まぁ心当たりはあるが。
「さ、いい加減帰りますよ」
「はい」
「あう!」
雲一つない茜色の空の下、どこか懐かしい童謡の市内放送をバッグサウンドに、影を伸ばしながら道を歩いていく。
横目でちらりと形離さんの様子を伺う。
形離さんの身体の節々には未だに包帯が巻かれていて、歩き方もどこかたどたどしい。
やはり身体はまだ万全ではないのだろう。
それに……あまり詳しく話してはくれないが、例の宇宙人からエビちゃんとわたしを助ける為にきっと何か……法に触れるような事や代償を少なからず支払っているはず。
でも形離さんはそんな気配を微塵も見せず、恩に着せるでもなく嬉しそうに笑って我が子を抱きかかえながら道を歩いている。
それこそが一番大事だと言わんばかりに。
その姿はまさしく理想の親そのもので、そして『ヒーロー』のそれだった。
……わたしは『ヒーロー』とは特別なものだと思っていた。
でもそれは少し間違いで、本当はヒーローとはそんな特別なものじゃなく、案外どこにでもいる、それこそ子を思う親や、大切な何かを守る時に、人はヒーローになりうるのかもしれない。
愛と勇気がマブダチで、救いたいという強い気持ちさえあれば、人は理不尽に果敢に戦えるヒーローになれる。
そんなことを、彼を見ていると思う。
なんだ。わたしの夢は簡単に叶うものだったのか。
いやわかりづらいなこの比喩。
「ふふ」
「……どうしました佐藤さん?」
まぁ結局何が言いたいかというと、
「いえ、ただ少し嬉しいことがありまして」
そんな昔の童話みたいなオチ。でもそれが、なんだか嬉しい。
すると形離さんは一瞬不思議そうな顔を浮かべて、
「なんだかわかりませんが……それは良かったです」
朗らかに笑った。他人事なのに我が事のように喜んで。
まるで誰にも見向きもされなかったが蕾が、最後には無事に花咲くことができた奇跡を寿ぐように。
すると前触れなく、何でもない道の端っこで形離さんは足を止めた。
「あ……」
「あぁぶ?」
「どうしました?」
形離さんの視線の先を追ってみると、そこには赤い小さな花がひっそりと、けれど力強く咲いていた。
「わぁ、綺麗な赤い花ですね」
わたしはそう言ってその名も知れぬ赤色の花に近寄ってみる。
こういうとき、女子力が高い子ならこの花の名前もスラスラ出てしかも花言葉なんてものも披露しちゃったりするのだろうが、如何せんわたしの女子力はヒーロー力(ヒーロー力とはヒーローの名前、能力、年代、主題歌等を瞬時に思い出す能力)に変換されてしまっているので全く役に立たねぇのです。
……そういえば遊園地でプチ花見をしていたら宇宙人に誘拐されたのだっけ。
こうしてまた何でもない日常を迎えて花を見られるとは……。いけない、少しセンチな気分になってしまった。
「綺麗……。うん、綺麗、ですね。本当に。赤い、命の色みたいで。────そっか……咲けたのか」
感慨深そうに、まるで誰かに語りかけるように形離さんは瞼を伏せる。
「ああう、ういい、あああう、うあぁうういい!」
形離さんに抱かれる赤ちゃんは、赤い花を見て嬉しそうに手足をばたつかせて元気よく笑う。
赤い花が気に入ったのだろうか?
すると形離さんはふと何かを思い出すように、
「……花が咲く……。咲いて……それを観てまた笑って……咲く、笑う」
同じ意味の単語を繰り返し、それから、
「
ポツリと、そう一言漏らした。
まるで地に種を植えるかのような優しさと祈りを込めて。
「えみ?」
一体何のことだろうとわたしは首を傾げる。
「……この子の……仮称じゃない、本当の名前、今、決めました」
彼は真剣な眼差しで抱いている我が子に顔を向ける。
「お前の名前は……
どんな場所だろうと、産まれ持った運命に負ける事なく花を咲かせられる、そんな未来を信じて──
これからの人生、沢山沢山笑って、花のように綺麗になりますように。そしてその笑顔でまたまわりも笑顔にする。
みんなと共に、たくさんの願いと幸福を花咲かせていく。
──そんな祈りを込めて」
夕陽差す光の中、優しく、彼はその
「ああう?」
エビちゃん……いや
「あい!」
「あはは。咲ちゃん、気に入ってくれたみたいですね」
「……良かったです。ここでもし大泣きでもされていたら凹んでいましたから」
はにかむように笑う形離さん。
でも確かにそれは凹む。流石にまだ咲ちゃんに言葉の意味はわからないだろうが、そんなタイミングよく泣かれたら誰だって凹む。わたしもたぶん泣く。
「けど……本当に良い名前ですね。
「──そうかい? ワタシは安直な気もするがね。エビからエミって、一文字変わっただけじゃないか」
すると突然、わたしと形離さんの死角から這いよる様に腐女子さんが現れた。
「ひぃ」
「……お前は相変わらずの登場だな」
「フフ。やあ、形離。元気そうで何よりだ」
「まぁ、お陰様でな」
「退院祝い……というわけでもないが、イイものを持ってきたよ」
そう言って腐女子さんが髪の毛の間から取り出したのは、形離さんのマネージャーの松本さんだった。
え!?
「……いや、え!? なんでそんなところから形離さんのマネージャーの松本さんが!?」
あまりの事態に困惑するわたし。
「コロサナイデクダサイ」
「なんか命乞いしてますし!?」
腐女子さんの髪から逃れた松本さんは死んだ魚の目をして、そのまま両手を上げてその場にへたり込む。
「……キャトルミューティレーションがお前ら人外の最近のトレンドなのか」
あまりの事態に形離さんが額に手を当てそう呻く。
「退院祝いの軽いジョークのつもりだったのだが……お気に召さなかったかい?」
「重すぎるわ。誰がジョークで人を攫ってくるんだよ」
「攫うとは人聞きのわるい。これはマツモトサンが君たちとすれ違いになってしまっていたから、善意のつもりで回収してあげたのだよ」
「なんだそうだったのか」
いや形離さんそこで納得しないで!
「ゴホッゴホ。……ああぁ、生きた心地がしねぇ」
「だ、大丈夫ですか?」
とりあえず常識外れな二人はほっといて、地べたにへたり込む松本さんに手を貸す。
「たっく……退院祝いに来ただけで走馬灯見るとか割に合わねぇぞ」
立ち上がった松本さんは眉間を指でもみほぐす。
「あはは……ドンマイです」
同じキャトられ仲間にエールを送る。
「まあ……相変わらずみたいで良かったけどな。……お嬢さんも、元気そうで良かった」
「はい、それこそお陰さまで、って感じです」
「……そうか」
苦笑いしつつも、なんだかんだと嬉しそうな松本さん。
いやキャトられた直後にそんなセリフ言えるとかイイ人すぎ。三白眼で損するタイプだこの人。
「ああ、それと形離、おまえに一つ報告がある」
「俺にですか?」
「おまえの動画、バズった」
スマホを取り出し、わたし達に見えるように画面を向けてくれる。
「ばずった?」
しかし松本さんの言葉に、不思議そうな表情を浮かべる
「いやだから先日の騒動、アレは表向きにはヒーローショーの一環として誤魔化しただろ。だから何も知らない一般客があれの一部始終を撮ってSNSにあげたのがバズった」
確かに松本さんのスマホの画面には、イイネやコメントで溢れかえっていた。
「凄いじゃないですか形離さん!」
「えすえぬえす?」
けれど未開の言語を聞いたみたいに形離さんは未だにはてな顔。
「……おまえも一応業界人なんだからSNSぐらい知っとけ」
松本さんが呆れるのも無理はない。でも……これは、これは凄く良い!
「はぁ……つまりおまえが世間に注目されたってことだ。あれだけ派手にやったからな。SNSじゃあ本物のヒーロー現るって話題で持ちきりだ。まぁ顔は仮面のせいで映ってないからアレだが、それでも確実に次の仕事に繋がるのは間違いない。……いや、オレが繋げる」
そうして自信満々に胸を打つ松本さんの目には、闘志の如き力強さに満ち溢れていて。
「え、いやでも……俺は活動休止中の身ですし」
けれど当のヒーローは困惑気味に、申し訳なさそうにそう言った。
そうだ。形離さんには咲ちゃんの子育てという大事な使命がある。彼の性格上、それを疎かにするぐらいなら、自分を犠牲にする選択肢を取る。例えそれがどれだけ喉から手が出るほど自分が求めていたものだったとしても。
……ヒーローはいつだって、自分の大事なものを取りこぼしながら誰かを助ける。そういうものだ。そうしなければ、誰かを助けることができないから。
けど……だから!
「大丈夫です! わたしもお手伝いしますから!」
わたしがその取りこぼしたものを拾い上げる。
ヒーローが困っているのなら、今度はわたしが助ける番だ。
「え」
「オレもできる限りのサポートはするつもりだ。子育てと現場の仕事、それが両立できるスケジュールさえ組めれば、おまえが活動を休止する理由はないはずだ」
そしてそんな人間は、わたしだけじゃない。
そう、ここにもう一人いるのだ。そんなモノ好きが。
「……そんな……ご迷惑じゃ……」
「はぁ? なに言ってんだ。おまえらの迷惑の面倒を見るのがオレの仕事だ」
「わたしのことも気にしないでください。命の恩人に恩を返すだけの話ですし。というかぶっちゃけ形離さんがヒーローとして活躍するのをわたしが見たいんです!」
だって声を大にして言いたい。わたしの、わたし達のヒーローは凄いんだぞって、皆に自慢したいから。
……そしてそれはきっとこの子も。
「まぁま、えう、えう! あうやぁあ」
形離さんの腕に抱かれていた咲ちゃんが、手を形離さんの胸にポンポンと押し当て、そのあとこれ以上ないくらい笑った。
「咲?」
「……たぶんですけど、咲ちゃんだって自分のママが有名なヒーローだったら、嬉しいんじゃないですか?」
「それは……」
まだ迷うママに痺れを切らしたのか、それとも自分は大丈夫だと安心させる為か、咲ちゃんは形離さんの腕から逃れてわたしの腕によじ登ってくる。
「大丈夫ですよ形離さん。皆、心から貴方を応援しているんです」
彼の肩にそっと自分の手と……咲ちゃんの手を添えながら、ヒーローの葛藤を打ち消す言葉をかける。
ほんのわずかな間。
それから形離さんは俯き、無言で背を震わせ続け、
「……佐藤さん、松本さん、咲、三人とも。ありがとう。ありがとう、ございます……」
そうしてやっと、彼は己の願望を受け入れた。泣きながら、でも本当に嬉しいとばかりに。
わたしと咲ちゃん、それに松本さんはそれを見ながら顔を見合わせ、この相変わらずの不器用なヒーローを今後も助けて行こうと、言葉を交わさずにではあったが……確かめ合うのだった。
「……予想外の結果だな。いやまったく、まさかこんなアリキタリナ結末とは」
そこへ一部始終を見ていた腐女子さんが、髪をもんもんと膨らませながらそう呟いた。
どういう構造なんだろうかあの髪。
「……腐女子」
涙まみれの顔でそう呟く形離さん。
「ワタシの形離が低俗な民衆に晒されるだと? そんなのこのワタシが認めるわけが……」
不機嫌を隠すことなく、腐女子さんの髪が過去最大級に膨れ上がり、そのまま爆発するかと思われるその寸前────
「ありがとう、腐女子。お前のおかげだ」
そう言って形離さんは腐女子さんに遠慮なく抱きついた。
「なっ……!?」
「は?」
「ばぁぶ?」
「マジか……」
四者四様の反応。………………………………というか、は? 何故に抱きついた? は、は? 流れ違くない?
「い、いったいこれはどういうつもりだ形離!」
珍しく、本当に珍しく慌てる腐女子さん。
「お前があの時、俺にあの言葉を言ってくれたお陰で今の俺がある。だから……本当にありがとう……!」
そう言ってなおも形離さんは腐女子さんを離さない。
「あ、あの言葉だと?」
「だから……『お前がエイリアンのママになるんだよ』あの言葉が、はじまりだった。あれがなきゃ、本当に、本当に、俺は、何者にもなれない屑のままだった。だから、腐女子、ありがとう。お前と出会えてよかった」
「で、で……あえええててって」
顔……というか髪を真っ赤にさせてバグったように言葉にならない言葉を吐く腐女子さん。
けどやっぱりそれでも、それでも離さない形離さんなのだった。
あ、これたぶん形離さんも嬉しさのあまり周りが見えてない状況だ。
でもだからって抱きつきすぎじゃない?うらやま……じゃなくてここ外のなんですけど?皆見ているんですけど?子供が見ているんですけど!?
「わ、わかった。わかったからいい加減は離したまえ形離!」
「ああ、すまん。つい……」
「ま、まったく、相変わらず形離は予想外すぎる。本当にまったくまったく……フフ」
そう言いつつ、未だに腐女子さんの顔も髪も真っ赤なままだった。
……今わたし達はなにを見せられているんだ?
「なんだね皆、その顔は?」
ようやく正気に戻ったのか、こちらをジロリと睨む腐女子さん。
うう、ぞわぞわとした寒気が。でもいつもより迫力がない。……むしろちょっとカワイイぞ。
「あー……。帰っていいか」
松本さんはそう言って面倒くさいとばかりに頭を掻く。
「何故帰る? 理由を言ってみろ」
そして何故か切れ気味に腐女子さんがすごむ、すごむ。
「逃げ場なしかよ」
うなだれる松本さん。いやでも何独りで逃げようとしてるんですか。さっき熱く交わした『これからみんなで頑張って形離さんを支えようぜ』的な視線はなんだったんですかいな。
「……ふん、まぁいい。とりあえず形離がこれから俗世に染まるというなら止めはしない。フフ、考えようによっては、醜悪な俗世に揉まれる形離というのも、それはそれでより面白いものが観られそうだしね」
腐女子さんはさっきとは打って変わって、形離さんの業界進出を認める発言をした。
……厄介な古参ファンかな?
「いいかい? これは決して、先ほどの形離の珍妙な動作にほだされたとかそいうわけではないというのを理解したまえ」
節子これ厄介な古参ファン違う、ただのツンデレや。
……なんだか今の腐女子さんの反応は、今まで見てきたなかで一番素直な気持ちが出ていたような気がする。失礼だけどちょっとカワイイと思ってしまうくらいに。
それは本人さえも気づいていなかった恋心が爆発してしまった現場を目撃しちゃった……みたいな?
「お前は相変わらずヒトデナシだな」
そして当然形離さんはそんなのには今も全く気づいていなさそうで。
「……」
こ、このクソボケがー!
まるでラノベでよくある、はじめの方で仲間になったうちの一人が実はラスボスで、けどそのままなんだかんだと話が進むにつれてヒロインその一になっていた……みたいな展開が何故か頭に浮かぶ。
なんとまぁ超ご都合主義で、炎上しかねない結末。
──でもそれは誰も傷つくことのない、血の流れない、平和ボケの極みみたいな、けどやっぱり素晴らしい平和的な戦いの結末の一つで。
「……ばぁぁぶ。ばぁあぶ!」
すると咲ちゃんがなにかを訴えるように身体をよじってわたしの腕の中で超暴れ出す。
「ど、どうしました咲ちゃん?」
「ま……、ぁ、ああ。ママ。あああやの、あああやの」
う、うお……めっちゃ暴れる。というか痛い。尻尾でぺしぺしお腹叩かないで。
「咲? ミルクか? それともオムツか? おうおう、どうした、どうした」
そうして形離さんは咲ちゃんをわたしの腕から受け取り、そのお世話で忙しくなる。
そしてわたしは見た。
「ママ、あああうぃい。…………ふひ」
咲ちゃんが、勝ち誇ったような顔で腐女子さんに不敵な笑みを見せつけたのを……!
「……」
「おお、よしよし。いい子でちゅねぇ咲。……ん? どうかしましたか佐藤さん」
「いや……名前って凄いなって」
「はい?」
「あうあう」
名は体を表すって、本当なんだなぁ。
早速えみという名前を使いこなしている咲ちゃんに若干戦慄する。
将来が有望すぎやしませんかね?
「……フフ、イイ度胸じゃないか宇宙の虫風情が」
そして形離さんを取られて、大人げなく殺意を隠しもしない腐女子さんに生命の危機をびんびんに感じるわたしなのであった。
あ、あはは、モテモテだなぁ形離さんは。
「やっぱ帰っていいか」
「ダメです」
そして性懲りもなく帰ろうとする松本さんの襟元をワシと掴んで止める。
やれやれである。
「……頑張ってください形離さん」
とりあえず……肩に手を置いて当のモテ男さんにそんな言葉を送っておく。
「あ、ありがとうございます?」
そしてやっぱり何も気づいていない形離さん。
……まったく先が思いやられる。
でもま、ヒーローにはこれくらいの困難、もとい日常は軽くこなしてもらわなければ。
例の平和的結末の話ではないけれど、ヒーローならいつか本当に、そういうラブコメみたいな結末を目指す時がくるかもしれないのだから。
この残忍で理不尽で……悪趣味な世界に目に物見せてやる為に。
味方も、周りも、そして
「────だからホント、頑張ってください、わたしのヒーロー」
誰にもばれないくらい小さな声で、わたしはそんな我儘を漏らす。
そしてそんなわたしの我儘に同意するように、道端に咲く赤い小さな花が風に揺られて微笑んでくれたのだった。
花々咲く春の季節、そうして一組の親子が誕生し、それは多くのものを巻き込んで、沢山の幸せを咲かせた。
でもそれはまだまだはじまりで、これからどんどんその幸せの花が咲き誇っていくのを、ここにいる誰もまだ知らない。
わたし達が目指す『完全無欠のハッピーエンド』は、まだまだ先の遠い未来である。
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