ヒーロー その➉

「二人共、怪我はありませんか?」


 形離さんの心配げな声。


「うああう、ああああ」


 そしてエビちゃんの大きな泣き声。


「ああ、怖い思いさせて……ごめんな。でももう大丈夫。大丈夫、だから」

「ううああああああぁぁぁ…………ああぃ、ああぶ、まぁまぁ。ママ!」

「よしよし、うん、怖かったよな。ごめんな、怖い思いさせて。本当に、ごめん。でも二人とも無事で、本当によかった……ああ、いやほんと無事で……………………よかったぁ……」


 二人のそんなやり取りを聞きながら、わたし、佐藤春香はやっと正常な思考を取り戻し始める。

 あれわたし助かったのかでもどうやっていやだからヒーローが助けて……じゃなくて形離さんが助けてくれたんだというかよく見たら形離さんめっちゃボロボロだ……。

 うん?

 いやボロボロとかそんなレベルじゃなくない? なんかヒーローのスーツ?は焦げてるし血だらけだし。


「いや形離さんの方こそ大丈夫ですか?!」

「ああ、気にしないでください」


 はははと気軽に笑う重症患者。


「いやいや気になりますよ!」

「ちょっと花火の流れ弾に焼かれただけですから」

「なるほどちょっと花火の流れ弾に焼かれただけですか……いやいや全然大丈夫じゃなくないですか!!?」


 何やっているんだこの人! いやというかそんな状態でなんでわたしとエビちゃんを抱っこしているのか。


「いやでも本当にこのヒーロースーツと腐女子の謎の加護のおかげで見た目ほど酷くなくてですね……」

「い、色々ツッコミたいですが、とりあえずわたしとエビちゃんを降ろしてください。そんな状態の形離さんに抱っこなんてさせられません」

「わ、わかりました」


 わたしの剣幕が通じたのか、形離さんはエビちゃんを抱くわたしごとそっと優しく地面に降ろしてくれた。

 地面に足を付ければ、見慣れたカラフルなアスファルトが目に留まる。どうやらまだここは遊園地内のようだ。

 エビちゃん、そしてエビちゃんを抱くわたし、それに形離さんの三人、周囲に誰もいない遊園地で急に手持ち無沙汰になる。


「えっとまず……助けて頂きありがとうございます」


 ちょっと気まずくなって、まずわたしは色々あって言い忘れていたお礼を言う事にした。

 ああもう、まず初めに言うべきだったのに、何やっているんだわたし。


「いえいえ、寧ろ俺の方こそ……こんな危険に巻き込んでしまって……本当にすみません」


 形離さんは本当に申し訳なさそうに、頭を深々と下げた。

 ……この人の頭の天辺、なんか最近よく見る気がするなぁ。

 いやいやそうじゃなくて、いやホントによく見るけどそうじゃなくて。


「ちょ、だから形離さんは何も悪くありません。というかわたしもエビちゃんを守りきれなかった責任がありますし……」


 とりあえず彼のお手本のようなお辞儀を解除しようと肩に手を当てる。

 い、意外に筋肉質だなやっぱスタントマンだから普段から鍛えてるのかなとかそんな感想今はいいからというか体幹が強くて中々頭を上げさせられない……!


「いやでも俺がそもそも悪くて……」


 ぐぬぬぬ、この強情者め。


「違います。だからわたしが……」

「いやいや俺が」

「いやいやわたしが」

「「いやいやいやいや……」」


 すると、


「うあああああああああああああああああああああああああああああああ」


 そのまま不毛な言い争いになりそうだったのを、赤ちゃんの盛大な泣き声によって中断させられる。

 形離さんとわたし、二人顔を見合わせて慌ててエビちゃんに弁明する。


「ち、違うぞ。喧嘩とかしてないから!」

「そうだよエビちゃん。わたし達、みんな仲良し! 幸せハッピー! アハハハ」


 いや幸せハッピーってなんだよ。意味被ってじゃん。頭痛が痛くなる的なアレじゃん。


「ああうぅ……。あうあう」


 しかしそれで機嫌を直してくれたのか、エビちゃんは泣き止んでくれた。

 とりあえずほっと一息。そして、


「「あ、あははは」」


 形離さんと二人して、思わず苦笑い。


「あの、形離さん。ここは休戦、いやそれも違うか。ええっと、とりあえずどっちが悪いとかの言い争いはやめにしませんか」

「……そうですね」


 例え相手を思い合っての喧嘩でも、子供の前でしていい喧嘩は一つもないのだから。


「──フフフフ、様子を見に来てみれば全然元気じゃないか……三人とも」


 するとそこへ最早聞き慣れてしまった不敵で不気味な女性の声が聞こえてくる。


「いや花火に焼かれた人間と誘拐されてた人間が、なんでそんな平然と笑っていられる?」


 それから聞き慣れぬ無愛想な男性の声が一つ。

 声がする方に目を向ければ、いつも通りの怪しい雰囲気をまとった腐女子さんと、見慣れぬガラの悪そうなスーツ姿に三白眼が特徴的な男性が呆れ顔でこちらにやってくる。

 え、誰。


「ああぶ」


 エビちゃんも訝しげな声をあげる。


「松本さん、ありがとうございました。お陰で大切な人を……今度こそ、助けることができました」


 形離さんはやってきた男の人に深々と頭を下げた。


「……それがオレの仕事だ。気にするな」


 松本さんと呼ばれた男は手を差し出し、形離さんと固い握手を交わす。……そこにどんな経緯があったのか、そしてどんな感情のやり取りがそこに込められていたのかは、残念ながらわたしにはわからなかった。


「フフ、腐腐腐腐! 素晴らしいぞもっとヤれ!」


 けれど何故か彼らのそのやり取りにご満悦な腐女子さんだった。


「消え失せろこの腐女子が」

「ヘタレ攻めは黙っていたまえ」

「そんな反論ある!?」


 そうしていつもの形離さんと腐女子さんとのお約束。

 なんだかひどく懐かしく感じて、ついほっこりしてしまう。


「……というか形離。ワタシも協力したのだから、お礼の百は言ったらどうなんだい?」

「……アリガト」

「お、おう」

「いや照れ方不慣れか」

「……うるさい、このヘタレ攻め」

「だからその呼び方やめろ」


 ……………やっぱ仲いいな形離さんと腐女子さん。いや別にいいんですけど。


「ああう」


 気のせいかエビちゃんも不機嫌だ。いやわたしは別に不機嫌ではないけれど。

 もんもんとした……なんとも言えない空気が辺りに満ちていく……気がした。


「……別にどうでもいいが、とりあえず形離、おまえ病院直行な」


 そこへ頭を掻きながら、松本さんと呼ばれていた人が溜息と一緒にそう言った。


「「「あ」」」


 それからなんだかんだいって重症の形離さんは救急車で病院に搬送されたのだった。

 とまぁそんなグダグダな感じで、とりあえずこの事件は幕を閉じたのである。











 ────それが、彼らニンゲンにとっての、いわゆる表向きの顛末。

 しかしこの物語の裏側を知る、ヒトデナシである腐女子ワタシからすれば、顛末は全く異なったもので。


「やぁ、生きているか~い?」


 誰もいなくなった、閉園時間もとっくに過ぎた真っ暗な遊園地にて、改装中と書かれた札が貼られたテントへとワタシはそんな言葉を投げかけた。

 そこは表向きにはメリーゴーランドの改装工事中となっているが……実態はとある宇宙人の宇宙船の隠し場所である。


『……聞イテイタ話トチガウ……ゾ』


 空気を振動させて伝わる音ではない、奇妙な言葉が脳内に直接鳴り響いてくる。

 驚いた。返事はないと思って戯れに掛けた言葉にまさかの返事があるとは。


「おや、まさか生きているとは……。念の為に確認に来てよかったよ」


 そこにいたのは、怨念が籠り過ぎて釘打ちどころか燃やされて黒焦げになってしまった呪いの藁人形みたいな、無様に焼け爛れた姿のがいた。

 言い方を変えれば、昼間の事件の犯人であるあの宇宙人だ。

 あの花火の直撃でも死なないとは、無駄な生命力だ。


『答エ……ロ。一体、ドウイウコトダ』

「んん? 君は何について聞いているのかな?」


 主語が抜けた会話は困る。君たち低位生物が知らない事なんてそれこそ無限大。一々ワタシがそれらを把握しているわけがない。


『全テ、ダ! アノエイリアンノ姿ハナンダ。ワタシガ進化サセタ筈ノ特徴ガ皆無ナドコロカ、オカシナ生態ニ変ワッテイタゾ! アレハ本来、子育テナド必要ナイ完全生命体ダ! ナノニアンナ惨メナ生命体ニ……。アレハ全部、オマエノ仕業ジャナイノカ!?』


 フフ、そんなの勿論ワタシが弄ったに決まっているだろう。

 そのままだとハリウッド映画の二番煎じにしかならないから、ちょっと手を加えて新感覚日常系アニメに生まれ変わらせてあげたのだ。

 我ながら会心のできで大変満足している。

 形離をイイ感じに困らせつつ、何とか乗り越えられる絶妙なライン。

 あれは中々に良い調整だった。ま、もちろんコイツには知らせていないが。


『ソシテアノ人間ダ! ドウシテマダ生キテイル! ソモソモオマエニアノ人間ヲ寄生先ニ選ンダトイウノニ……。何故、アノ人間ノ味方ヲスル?! オ陰デワタシノカラダハボドボドダ! ……クソッ! ゼンブ、ゼンブオマエノセイダ!』

「バカだなぁ。やっと気づいたのかい?」

『……ナニ?』


 このわからず屋に、仕方なくネタ晴らしをしてやる。


「全部ワタシのせい? フフフ、全くその通りだよ。君は地球人を使って実験をしていたつもりだろうが、それは違う。真実は、このワタシが、君も含めてワタシ以外の全てを好きに使って実験していたのさ。……だからね。最初から君も含めてみ~んなワタシの掌の上だったんだよ。アリガトウ。君のお陰で、随分愉快なモノが観られた」

『ウゾダ……ウゾダドンドコドーン!』


 信じられないとばかりに、黒焦げ藁人形はうなだれる。その様子は現状の姿も相まって、余計に呪いの為に使い捨てにされた憐れな藁人形にそっくりだった。ウケる。


『ワタシガ、下等ナ人間ト同列扱イ、ダト……? アリエナイ、アリエナイ!』

「む? 何かおかしな勘違いをしているね。君と形離が同列なわけがないだろう」

『ハ?』


 呆けた(ように見える)顔をして、ソイツは言葉を失くす。


「形離はこの広大な宇宙でも替えのきかない、たった一人のワタシのお気に入りだよ。それをどこにでもいるツマラナイ君みたいな凡庸宇宙人と一緒にするな」


 温厚なワタシでも流石にキレる時はある。まさしく今がそうだ。

 この使い捨て藁人形は、あろうことかワタシの形離と同列などという恥知らずな勘違いをしていた。



 ──形離と出会ったのは五年前。

 形離がスタントマンの現場の事故で死に掛けたのをワタシが偶々観測したのが切掛けだった。

 あの日、彼が助けた子供は本来その時死ぬ運命だった。しかし形離という特異点が子供の運命を捻じ曲げ、その命を救った。

 ……ワタシは驚いた。それは子供の運命が変わった事にではない。

 形離という、本来産まれる前に死んでいたニンゲンが生きていた事にだ。

 形離は……特異点と言って差し支えない奇妙な存在だった。

 形離が関われば、どんな運命も良くも悪くもおかしな方向に捻じ曲がる。

 その特異性に興味が惹かれ、ワタシは彼と関わる事に決めた。

 この五年間、彼は面白いとしか言いようがないほど、あらゆる運命を捻じ曲げ、それに巻き込まれていった。

 無人島に遭難したついでにアルバイト先を見つけたり、道端で家出した五つ子の筋肉マッチョを拾ったり、古の地に封じられていた大怨霊に呪われたかと思えば、超古代文明が遺したロボットでその怨霊を撃退したりと、本当に冗談のような出来事に見舞われていった。

 そうして彼を鑑賞する日々の中で、ようやくある事に気づく。

 それは何故形離が未だに生きていられるのか。その理由。

 本来ならあれほどの特異点に成る前に、彼という存在は世界から真っ先に排除される対象のはずなのだ。

 この世界は残忍で理不尽で悪趣味だが、仕事だけはきちっとこなすサイコパス。特異点なんていう特別な存在、許すはずがない。

 ……だがわかってみれば、理由は単純ではあった。

 形離は生きながらに死んでいるのだ。


 例え世界でも、


 形離は世界から死者として認識されており、観測不可能なのだ。

 生と死の狭間を揺れ動くシュレーディンガーの猫のようなもの。

 しかし良い点ばかりじゃない。

 何故ならこの世界に産まれたなら与えられるはずの運命というやつを、形離は持ち合わせていない。

 ……産まれてくる前に死ぬ定めだったのだから当然ではあるが。

 運命とは即ち人生の道筋。形離の人生は常に道なき道を強制的に歩かされるようなもの。

 そして運命の中には勿論人生におけるも含まれている。

 普通のニンゲンはソレを使って日々理不尽な世界をどうにか歩む。

 しかし形離の人生に幸運は無く、あるのは偶然だけ。

 なのに世界に蔓延る理不尽は容赦なく彼も襲う鬼畜ゲーどころか無理ゲー状態。

 だから形離の人生はこれほどまでに破綻している。

 しかも本来関わるはずのない他者との関わり合いによって歪んだ運命の帳尻合わせが、形離という人間に一点に集まる蟻地獄のような仕組み。

 そんな悪意満点の人生を歩んだ形離は勿論壊れ切っていて。

 ……形離という人間の心には虚無しかない。

 普段の彼の反応は所詮生者の真似事で、そこに真実は無い。

 愚かなニンゲン共は形離の真の性質を誤解しているようだが、ワタシは、ワタシだけは形離の全てを理解している。


 彼の正体は……生に置いて行かれた亡者だ。


 ああ、なんて面白い存在なのだろう。だからこそ、そんな亡者だからこそ、今回の実験を思い付いたのだ。

 亡者に子を産ませ、親にする。フフ、とんだ矛盾だ。こんな面白い事を思いつくなんて、ワタシはやはり映画監督の才能があるな。


「彼は……ワタシの唯一無二だ。あんなに狂いに狂った内面を抱えつつも世界に対して膝を屈さず、泣き笑いながら進み続ける壊れたブリキの玩具。

 ああ、なんて奇跡。永遠に保存して部屋に飾りたいよ。そして毎日毎日厭きることなく、形離の絶望に打ち震える泣き声を聞きながら朝起きて、そして夜には喘ぐような嬌声のセレナーデを子守唄にして眠るんだ。フフフ、なんて夢のような生活だろうか……」


 身体が熱い。まるで発情したニンゲンの生理現象のよう。だがそれが、言いようもなく心地良い、不思議な感覚。


「フフフ、形離、形離、形離、形離。ああ、何故君はそんなに面白いんだい? どうしてそんなにワタシを興奮させるんだい? 何故ワタシはこんなにも、君が気になって仕方がないんだ。

 ふとした瞬間に香る君の首筋に伝う汗の臭い、ゲロしながら泣きたいのに無理矢理笑う時の君の顔、役者の端くれのくせにいつまで経っても下手くそなままの愛想笑い、頻繫に歯磨き粉を歯ブラシに塗るのに失敗して洗面台にぶちまける不器用なところ、物を買えば高確率で翌日のセールで安く売られて凹む小市民なところ、素麵を作る時は必ず吹きこぼれておまけに火災報知器も鳴って大惨事になる奇術師なところ、鼻毛を抜いたら抜きすぎて鼻血まで出すクラッシャーなところ、給与明細で税金の高さにしょぼくれる可愛いところ、洗濯物を干した日に限って膠雨が降る不運持ちなところ、卵を買っても家に持ち帰るまでに一個は必ず割ってしまうお茶目なところ、シャワーを浴びる時は必ず足先から徐々に洗う臆病な猫みたいなところ、悪質セールスマンに頻繫に家に突撃されるお人好しなところ、バイト先で財布からお金を少額ずつ抜かれたとはいえ一か月経ってやっと盗難に気づく間抜けなところ、実は涙を舐めるだけで相手の感情を憶測できるキモイ特技を持っているところ、お菓子を買えば実は高確率で賞味期限が切れていてしかもそれに気づいていない純真なところ、酒を飲めば絶対二日酔いになってしかもアルコールアレルギーだから鼻水が止まらなくなるのに酒をやめられない酒くずなところ、自転車を買った翌日にパクられたことが四回もあってとうとう自転車を使わなくなった子供みたいなところ、自分が関われば高確率で誰かが不幸になるから人と関わるのが内心面倒だと思っている優しいところ……。

 それら全部が、気になって気になって気になって仕方がない。形離。君の全部が、ワタシを駆り立てて仕方がないんだ……。ああ、何故なんだい形離。この焦燥は、渇望は……苦しくもあるのに何故か心地よくさえある時もあって。……こんなのは初めてだ。初めてなんだよ形離。ワタシがここまでなにかに夢中になるのは……!」


『……………………狂テイル』

「む」


 やはりコイツにもワタシの高尚な嗜好は理解できなかったか。

 まぁいい。ワタシのこの溢れる想いは、いつか形離が解き明かしてくれさえすればそれでいい。フフフ、フフフフ。


「フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ」


 ……………………ふぅ。いけないいけない。外なのについエクスタシー絶頂してしまった。


「ま、そういうわけだから、君の役目はここで終わりだ。ワタシはできる女だからな。遊び終わったゴミはキッチリ後片付けするのさ」


 髪を触手の如く自在に動かし、黒焦げ藁人形へと這わせていく。

 その様子はまるで……皮肉にも黒いゴミ袋に詰め込まれるゴミのようだった。


『マテ、殺サナイデクレ!』

「いやいや、今更命乞いとかみっともないぜ。ここは悪役らしく潔く死ぬ場面だ。大体君も悪いんだ。ワタシの言いつけを破ってサトウサンを誘拐したりするから。今回の誘拐事件ではエイリアンだけの回収しかワタシは許可していなかっただろう? ま、これはその契約違反の罰だと思って諦めたまえ……」


 そうそう、アレはもっと後に壊すのだ。その方がきっと面白い反応を形離は観せてくれる。

 後悔するのだろうか。己の無力に絶叫するのだろうか。それとも、またただの日常として飲み込んでしまうのかい? 

 ……フフ、想像するだけで今から楽しみだ。


『シ、死ニタクナイ! シニタクナイ!』


 やれやれ、どこまでテンプレな悪役をなぞるつもりだよ。

 ワタシは嘆息しつつ、髪をヤツの顔に絡ませて、


『マテ、マッテクレ、……!』


 慌てふためく醜い顔面ごとそのすべてを髪に飲み込み、この世から跡形もなく消し去る。


「おいおい、気軽にをお前なんかが口にするなよ。……なにせ名前は、とっても大事なモノらしいからね」


 だからいつかワタシの真の名を呼ぶ権利があるヤツがいるとすれば、それはきっと……フフ。


「それにしても名前、か」


 名前で一つ思い出す。あのエビと仮称されているエイリアンの幼体を。

 フフフ、一体形離はあのエイリアンの幼体にどんな名前を付けるのやら。


「ま、どんな名前であれ形離のムスメだ。ワタシもこれから精一杯可愛がってあげないとね」


 口角を死神の鎌の如く吊り上げ、愉快な未来を想像する。

 そこにはどんな喜劇と悲劇が存在するのか、考えただけで心がうねり、昂ぶりが止まらない。

 ああ、本当に彼の事が……気になってしかたがない。

 狂ってしまいそうなほどに。すごくすごくすごくすごくすごくすごくすごく。今すぐ彼の全てを手にしてしまいたい。

 どうしようもない弱者のくせに、時折とんでもない狂気をワタシに魅せてくれる、そんな見ていて飽きない彼。それどころかより引き付けられてしまう、不思議な存在の彼。


 ………………そう、本当に不思議なのだ。

 そもそも彼は何故、産まれてくることができたのだろう? 

 産まれてくる前に死ぬはずだった命が、産まれることなど本来は有り得ないはずなのに。


 最初の分岐点。それを書き換えたのは、一体誰なのか。形離本人か、それとも────


 その謎だけは、未だにこの邪神ワタシにさえわからない。

 フフフ、やはり形離は素敵だ。


「ずっとずっと、いつ何時も想っているよ形離。この宇宙で一番、君の事を考えているんだワタシは……。フフフ、フフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフフ────」



 暗い暗い、誰もいない真夜中の遊園地で、ワタシは独り、今日何度目かわからない絶頂を迎えるのだった。

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