ヒーロー その④
オレ、
はじめうちの入所オーディションに来たヤツへの印象は、冴えないが身体は丈夫そうな凡人、ぐらいの印象だった。
うちは元々スタントマンを主とした事務所だ。だからヤツのような、主役の代わりに泥を被りつつ、かつ主役を目立たせることができる人材はウェルカムだった。
だから採用した。その直後ヤツの私生活で色々ごたごたがあったそうだが、ヤツは辞めるでもなくトレーニングも仕事も着々とこなしていった。
初めの数年はオレも「そんな
昔のオレは自分で言うのもなんだが、中々に淡泊なニンゲンだった。まぁこの業界の人間では多いタイプなので、珍しくもないのだが。
端的に言って、オレはうちの事務所に所属していた人間を商品としてしか認識していなかった。
別にこの考え方が間違っているとは言わない。実際彼らはうちの商品で、クライアントから依頼された案件から、それにあった
だからうちに所属しているニンゲンはあくまで商品。
オレはそう認識していた。
たぶんその認識は間違っていない。
けど間違っていないだけで、正しいわけでもなかった。
オレは彼らを商品としてしか見ていなかった。
失礼な話だが、人間であることを本気で忘れていたのだ。彼らは見た目が自分と同じだけの商品だ、と。
それだけじゃない。オレは彼らをただの商品どころか、厄介な商品として認識してしまっていた。
この商品は、よく不具合を起こしやすく、勝手に壊れて使い物にならなくなる扱いのめんどくさい商品。
だけどよくダメになる商品だが、代わりになる商品はすぐにやってくるので数に困ることはない。
だから彼らは消耗品と同じである。
……そんな認識だった。
だからその
だがとある現場の事故で、ヤツへの、いや自分の今までの認識全てが覆った。
……それは今から凡そ五年前のこと。
当時日曜の朝に放送していたヒーロー番組の撮影があった。
それはいつものように、イケメン俳優の代わりに形離が爆発の中を駆け抜ける、そんな何でもないシーン。
詳しく言うなら、子役の子供を悪の手先が仕掛けた爆弾から間一髪で救出する、そんなシーンだった。
準備は入念に行われ、スタッフも慎重に事前の確認を行った。
けれど事故は起きた。原因は色々。監督の突然の思いつき。急なアクシデント。些細な伝達ミス。機械の不具合。そんな普段なら大丈夫なはずの小さなミスが重なり、それは起きてしまった。
まず初めに子供をしばっていた縄が、本来なら簡単に取れるはずなのに取れなかったこと。
そして遠隔で爆弾の爆発を止めることができたはずが、今回に限って誤作動を起こし止めることができなかったこと。
またその日の爆薬は監督の要望でいつもより多めで、決められた場所まで退避しないと爆発に巻き込まれる威力だったこと。
それから縄が外れないことに子役の子供がパニックを起こして収拾がつかない状態になってしまったこと。
まぁそんなこんながあって誰もが……諦めた。
あ、これ終わった、っと。
でもその場にいた形離だけは、諦めなかった。いや正確に言うなら、ヤツだけ全く別のことを考えていた。
ヤツもこれはもう間に合わない、無理だと悟ったはずだ。
だからヤツは爆弾を抱えて、子供から走って独り離れていった。
そうして子供から充分な距離を取れたと判断してから、ヤツは爆弾を放り投げた。
すると爆弾は空中で爆発し、爆風はもろに形離に襲いかかった。
誰もが啞然とした。
紅く燃え上がる炎の渦。光と音の乱舞。美しくもあったその爆発は、一人の人間を飲み込んだ。そこに人が生きられる領域などなかった。
オレはその時、商品が……いや彼ら役者が生きている一人の人間であったことをようやく思い出した。
そして自分が紹介した仕事のせいで、人を一人、今死なせてしまったのだと
オレはその場に崩れ落ちた。
何も……なにもかんがえられなかった。
身体を空白が埋め尽くす。思考を放棄して、オレは自身の罪から、目の前の現実からまたも逃げようとした。
────しかし爆風の隙間から形離は這う這うの体で現れた。
そのまま泣きじゃくる子供に「もう大丈夫」と伝えてその場に座り込んで。
それから「今のシーン、リテイクですか」なんてふざけたことをこちらに言ってきやがった。
そうして事故は最悪の結末には至らず、何とか負傷者一人だけにとどまった。
それからこの現場にいた人間の間では、ヤツはちょっとした伝説になった。
不死身のスタントマン。超合金。アンドロイド。ターミネーター。宇宙人。……ヒーロー。
なんて言われていた。まぁ冗談も半分混じっていだが、確かに一時期ヤツは注目された。
しかし世間からの認知度は相変わらず皆無のまま。
その原因は、あの例の問題のシーンは差し替えられて無難なものになり、それから事件が上の力でもみ消されたから。
まぁこの業界ではよくある話。
だからあの現場にいた人間やその知り合いの間では有名人だけれど、世間や業界全体からの知名度はこれまで通り一切無しという、そんな複雑な、いや貧乏くじ的立ち位置にヤツは収まった。
幸か不幸か、ヤツはそんな自分の状況を入院生活のせいで知りもしなかったが。
それからヤツはあんな事故があったというのに、対してトラウマにもならず普通に仕事に復帰した。
しかも「お騒がせしまた」なんてこれまたズレた発言をかましながらである。
そんなこんなで、ヤツは今も『ヒーロー』とまことしやかに語られている。というかオレが語っている。表立ってはコンプライアンスの関係上言えないので、隙を見て……主に酒の席などで語っている。
──オレはヤツのお陰で、現実から逃げることをやめた。
目の前にいる彼らは確かに商品だが、けれどれっきとした人間でもある。それぞれに夢や願いを持っていて、生活があり、未来がある。オレの仕事は彼らをマネージメントしつつ、その生活をできるだけ助け、どんな形であれ希望ある未来に繋げること。
決して使い捨てにして良いものではない。
そんな今更だけれど、やっと自分の仕事の本当の役目を知れたのだ。
それもこれも、あの地獄のような事故からただ一人逃げずに、不器用にも戦い、そして勝利をもぎ取ったとあるヒーローのお陰。
まぁつまり……色々言っているが、結局オレは花坂形離という一人の俳優の大ファンになってしまったのだ。
だからそんな……尊敬するヤツのようになりたくて、オレもオレなりにこのクソったれな現実と戦うことにしたわけである。
所属の俳優たちにできる限り寄り添う。
言うだけなら簡単だが、実践するとなるとかなり大変で、でもそんな当たり前の
我ながら単純だと思う。
推しに憧れて仕事を頑張る、なんて他人が聞けば笑い話にもならない。
でもオレよりもっと単純で、いや単純を通り越して不器用すぎる生き方の人間がいるから、恥ずかしがることもない。
そうしてオレの日々は、たぶん良い方向に変わっていった。
しかし半月ほど前、そんな不器用なヤツから、仕事命のはずのヤツから、突然の活動休止の連絡。
オレは本当に驚いた。
だが事情が事情なだけに納得せざるを得なかった。
子供ができた。
子供ができたから俳優業を引退する人間は多い。売れてなければ猶更だ。
形離はごく一部では有名でも、所詮世間や業界全体からの知名度はゼロ。なら仕事はそんなにポンポン入ってくることはないし、当然ギャラも安い。
だから引退ではなく、活動休止と言ったヤツをオレはヤツらしいなとか思いながらも、応援することに決めたのだ。
できる限り、力になってみせると。
──だからオレは今日、形離と話し合うつもりだった。活動休止について具体的に色々と。あとお悩み相談室ぐらいはしてやりたいと。
そもそも子供ができたとは言っていたが、軽く聞いただけでも何かおかしな状況だった。結婚もしないどころか、そもそも突然認知だけ迫られたとか、一体どうなっているのやら。
オレは内心ドキドキしながら今日を迎え、こうしてヒーローショーまでの時間を使って形離と話そうとして……この事態である。
どっかの宗教の教祖みたいな怪しい女が突然飛び込んできたと思ったら、形離の赤ちゃんと知り合いが誘拐されたと言う。
しかもただの誘拐じゃなく、なんだか映画みたいな設定の胡散臭い話が出るわ出るわ。
傍から聞いているだけで正気を疑いたくなる。
しかし形離の必死さ、そして女の不気味さがさっきまでの与太話が真実ではないのかとオレに思わせるだけの力があって……。
「……松本さん」
形離は真剣な顔でオレに向き直り、拳を握りながらオレの名を呼んだ。
「……なんだ」
できるだけ落ち着いて前髪を撫でつける。
「実は折り入って頼みたいことがありまして」
「まず詳しい事情を説明しろ……と言いたいところだが、そういう時間も惜しい感じだよな」
「はい」
それで人にものを頼むとか、無茶にもほどがあるぞ。
「いや待て、落ち着け。…………えーっと。ちょっと盗み聞きしただけだが、誘拐なら、まずは警察に頼れ」
国家権力バンザイ。こういう時こそ我らが警察の出番だ。税金払ってて良かった。
「いえ、警察では手に負えない相手なので」
「なんだそれ怖いじゃねぇか」
いやマジでコイツはナニと戦うつもりだ。本当に宇宙人と戦うつもりなのか?
「あー……」
……正直意味がわからない。そしてオレ自身突然のことで混乱している。
あと形離のこのとんでも発言の原因が、例の五年前の事故の古傷のせいでどこか悪化したのかとか割と本気で心配している。
「……無理なら無理で大丈夫です。すみません、突然こんな意味のわからない話に巻き込んでしまって」
ああ……でも、形離が真剣に助けを求めているのは嫌でも伝わってくる。きてしまう。
「────」
思い出す。
あの事故の瞬間のこと。
泣き喚く子供の声。怒鳴り散らす現場監督。狼狽えるスタッフの面々。……そして、ただ見ているしかなかったオレ。
そう、みんな各々ナニカはやっていた。が、結局のところ誰一人として諦めていた。ただ次にくる悲劇を嘆き、現実逃避するしかなかった。
力なく、その場で、この世の残忍さから逃げだしていた。
でも形離だけは、逃げなかった。
この世が残忍で理不尽で悪趣味なんて初めから知っていたとばかりに、抗ったのだ。
己にできるやり方で、立ち向かい、見事ねじ伏せて、子供を救ってみせた。
その時のヤツの姿は、誰がどう見ても、本物の『ヒーロー』そのものだった。
オレはなんだか年甲斐もなく、熱くたぎって、あの時実はちょっと泣いた。
その涙が何なのか自分でも理解できなかったが、でも心が熱くて嬉しくて叫びたくてしかたがなかった。
……ああ。だから、そんな『ヒーロー』が、オレの大好きな推しが、こんなオレなんかに今助けを求めている。
逃げ続けてきた弱虫の自分に。
事務所に所属していた人間の将来に向き合わず、責任を負わず、嫌な現実から目を背け続けていた自分に、だ。
────だから。
もうオレは逃げたくない。
あの『ヒーロー』の勇姿を見た時自身に沸いた、心を照らし出した熱に背を向けたくはなかった。台無しにしたくはなかった。
今度こそ、ただ逃げる自分でありたくはなかったから。
「……わかった。存分にオレを使え」
故に自然と、そんな言葉が口から漏れていた。
「ま、ヒーローみたいに直接戦うのは、オレみたいなおっさんには厳しいとだけは言っておくぞ」
しかしヒーローに成りきれない中途半端に大人なオレは、そんな恥ずかしさで誤魔化さずにはいられなかったのだが。
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